芥川龍之介
   『或阿呆の一生』


   彼ははたして反抗的哲学者なのか?

 芥川龍之介は、明治25(1892)31日、東京市京橋区入
船町にうまれた。辰年辰月辰日辰刻の生まれであるので、
龍之介と命名された。

 大正5(1916)25歳で東京帝国文科大学英文科を卒業
した。

 文筆生活の華は27歳頃までで、その後は自らの内面と
の対話に没頭した。

 昭和2(1927)36歳で睡眠薬自殺した。

写真:
トロルフ・プリッツ
スノードロップ坏
1900年頃
七宝、金属、高さ22.2 x 14.3 cm
オスロ(ノルウェー)、工芸美術館
『アール・ヌーヴォーとアール・デコ』
甦る黄金時代

千足伸行監修
小学館 2001

繊細で華奢で技巧的な芸術の時代だった。

とても実用には適さない。
だが、美しい。

 筆者は、以前より芥川龍之介を反抗的哲学者として指名して
いたが、その後龍之介の作品を読み漁った結果、どうもこれに
該当しないなと考え始めた。読者はどう思われるだろうか、考
えてください。

 反抗的哲学者たる第一条件は「純粋経験を体験したこと」で
あるのだが、龍之介の諸作品を読んでもその痕跡がほとんど認
められない。

 もともと筆者はある本を読んでいて、龍之介は18歳の頃、ベ
ルグソンと西田幾多郎を愛読していたというくだりを見つけた
ことが発端となり、あれほど頭のよい人だから、体験して当然
と思い込んで先入観を作り上げていたのだが、どうやらこれは
著者のミステークだったようだ。だが、あれだけ長期間強固に
死にこだわるということは、反抗的哲学者でなければできない
芸当なので、筆者はまだ疑いを捨てきれない。

 例えば、『或阿呆の一生』の 七、画 に次のような一節が
ある。(以下、筑摩書房、芥川龍之介全集)

               彼は突然、――それは実際突然だった。彼は或本屋
         の店先(みせさき)に立ち、
ゴオグの画集を見てゐる
         うちに突然画(ゑ)と云ふものを了解した。勿論その
         ゴ
オグの画集は写真版だったのに違ひなかった。が、
         彼は写真版の中にも鮮(あざ
や)かに浮び上(あが)
         る自然を感じた。

               この画に対する情熱は彼の視野(しや)を新たにし
         た。彼はいつか木の枝のう
ねりや女の頬(ほほ)の膨
         (ふく)らみに絶え間ない注意を配(くば)り出した。

               (注) ゴオグとはオランダの画家ゴッホのこと。

画像:
The Church at Auvers, 1890,
94x74cm.
Paris, Musee d'Orsay.

http://www.e-mpressionism.net/
vangogh/vangogh_en.html

 この一節をもって、龍之介に自然にたいする直感的理解があったと
断定するのはいささか強引だと思う。この一節はむしろゴッホの自然
観照の表現手法を了解したと単純に解釈するほうがよいのではなかろ
うか。

 とすると、龍之介はポジの世界の絶対認識と価値観を持たぬまま、
ネガの世界の探究を行っていたことになるのであろうか。もしそうで
あれば、これは絶望的なケースである。救われようがない。帰る場所
をもたない「ホームレス」あるいは「ホープレス」と称する最悪のケ
ースとなる。悟りの境地には永遠に到達せず、無明のままずるずると
死んでいく。死んでいきながら自分でも何故だかわからない。対症療
法としては、筆者の知るかぎり、森田正馬(まさたけ)しかありえな
いが、価値観が逆転している龍之介はそれをも拒絶するだろう。