価値観が裏返しとなる世界
画像:
Honor・Daumier
The Fugitives
c. 1868
Oil
on canvas
15 x 26 3/4 in. (38.1 x 67.95 cm) (canvas)
24 3/8 x 36 1/8 x 3 in. (61.91 x 91.76 x 7.62 cm)
(outer frame)
The Ethel Morrison Van Derlip Fund
The
Minneapolis Institute of Arts
1771.7.19.
「あの人を見よう!」 朝目をさまして、心から快活に、うつ
くしい太陽を仰ぐとき、私は叫ぶ、「あの人を見よう!」 これ
でもう終日ほかの願いはない。すべては、すべては、この期待の
中にのみこまれてしまう。
ゲーテはウェルテルをして自己抑制のできる人間と設定している。したが
って、いいなずけのいる女性を腕力で取り上げる蛮勇はない。蛮勇のない男
がいいなずけのいる女性を好きになり、「あのひとしか居ない」と考えるこ
とは、逃げ道のない閉鎖空間を自ら作り上げることに等しい。期待はむなし
い期待に陥ることがはっきりしているから、「あのひとを見よう!」とひと
りごとすることは、自分を絶望の淵に陥れることと等しい。
この項は、自殺の心を妥当だと思わせるための文学上のテクニックである
から、読みすごすこと。
1771.7.20.
公使と一緒に私も**に赴任するがよいという君たちの案だが、
私はまだその気にはなれない。人に隷属(れいぞく)することは
ありがたくないし、おまけに公使がいやな奴だということは、周
知のことだ。・・・・世の中のことは、ついにはすべて愚劣の一
語に帰着する。それが自分自身の情熱でもなく、自分自身の欲求
でもないのに、他人のために、ただ金や名誉やそのほかのものの
ために、あくせく働きすごす人間は、しょせんは愚者だよ。
閉鎖空間で逃げ道がなく、自分の額に一発の弾を撃ちこみたいと考えだす
と、人間内面の価値観は裏返しとなる。
七月一日には、フリーデリケの愛人にたいして、「おまえが友にむかって
なしうるのは、ただ友のよろこびをよろこび、自分もそれに与(あずか)る
ことによってその幸(さち)を増す、ということだ」と声をあらげて叫び、
六月二十一日には、「おのれの妻の胸に、子らのまどいに、それを養うため
の勤労の中に、彼が広い世界に求めて見いでざりしよろこびをみいだす」自
分が畠に培うキャベツにさえ喜びを見出す心境とは、百八十度裏返しの考え
方に一変する。
幾多郎の主張する「善」の観点から上記の文章を書き換えてみると、次の
ようになろう。
公使と一緒に私も**に赴任するがよいという君たちの案だが、
まことに結構でありがたく受けさせてもらう。人の世に暮らして
いる限り人に仕えるということは大事なことだし、おまけに公使
が素敵な方だと皆いっている。・・・・世の中のことは、すべて
のことが示唆にみちている。かりに自分自身の情熱でもなく、自
分自身の欲求でもないとしても、人に仕え毎日せっせと働くこと
から知恵が生み出される。この結果、お金ができればそれはそれ
で結構なことだし、名誉まで頂く結果になれば、それは余得とい
うものだろう。
筆者はなにも、ウェルテルにこうあれかしと書いているわけではない。松
下幸之助流処世術が絶対価値を持つと主張しているわけでもない。Negative
の世界に入っていくと、価値観は逆転することを客観的に認定しておこうと
思うだけの意図である。どうぞ、読者も間違われないように!