人間は一人か、二人か、三人か

 これらの疑問点を整理しておこう。


      1.      神秘的・超絶的方面からの考察とはなにか。
      現代における人間の思考方法は、一般的に論理的実証とこれに基づく
        演繹という考察
方法を採っているが、これに較べていかような違いが
        あるのか。

   2.      人間は一人であるのか、二人であるのか、三人であるのか。
        また、副次的に、異なる
personalityを所有する人間が、つまり複数個体
        が、一軒の家に同居できるものなのか。
今ふうに言えば、嫁と姑と夫
        は同じ屋根の下で暮らせるのか。その際問題は生じない
のか。

   3.      精神世界と物質世界の接合点はどのような構造になっているのか。
        肉体が精神に従属するのか、精神は肉体に従属するのか、あるいはは
        たまた精神世界と物質世界の間は行き来が可能なのか。その行き来の
        形態は直接の踏み込みなのか、滲み入るだけなのか、そしてそのとき
        の行為主体はなにか。

・・・・ということになろう。

 これらの疑問にたいする解答をスティーブンスンは与えなかった。が、他
のいろいろの人たちがすでに解答を出している。解答を出していると思わな
かった人たちも、すでに明確に解答を出しているのだが、残念なことに本人
自身はそれに気がつかなかっただけのケースがある。

 この本は種々の人たちの精神的足跡を調べ上げ、分析し、複数の経験に共
通する原則を見出すことに勤め、結果として人間精神の構造をスケッチする
ことを目標とするものである。

 著者は日本人であるから、出来るだけ日本人の著した書物を対象として分
析することとした。ただ、直截に自己の精神の解析を試みた日本人はあまり
多くないので、必要な箇所では外国人の例も分析対象に加えてある。

 揺れ動いて止まぬのが人間の心であるとするならば、それを一瞬一瞬にし
て固定させることは途方もなく難しい。読者は退屈されるかもしれない。退
屈されたら読むことを一旦やめられたらよい。この本がひょっとすると必要
になるかも知れない日までお蔵にしまっておかれるのも良い手だ。

 生きていることの意味がわからなくなり、絶望に落ち込んだときに読んで
もらえばよいのだ、と筆者は思っている。

画像:
Brugel
“The Tower of Babel”/バベルの塔
1563
Kunsthistorisches Museum, Wien
前景に塔の建設を監督するニムロデ王と

従臣たちの一行。
荷揚げ用のクレーン車など。
『世界美術全集10 ボス/ブリューゲル』
1978
集英社

(注)

 Aldous Huxleyは『知覚の扉 天国と地獄』(今村光一訳、河出書房
新社)の中で、サボテンより抽出される化学物質メスカリンが人間の
精神面の変身を可能にすると主張している。この物質は
LSDと称され
るものだが、これを服用する人は、あるときには天国へ行った気持ち
になったり、また、あるときには逆に地獄へ突き落とされる気持ちに
陥ったりして、服用時に到着時の状況を指定することができない不安
定性を持ち合わせている。

 すなわちLSDは、その服用する当人をジーキル博士よりも尚更高尚
な精神へと持ち上げることもあり、かと言えば、ハイド氏よりも低劣
な精神に陥れることもあって、しかもその作用が薬物によって惹き起
こされる現象であるだけに、飲用により招来された結果を人間の内面
生活の結露と断定することが難しい。

 Huxleyは人生の最後になって、とんでもない迷路に迷い込んだよう
に思われる。メスカリンによる精神的変調は、この書物の冒頭に記さ
れている通り、インディアンの夢として保存しておいた方がよい。人
はこの薬物に頼ってはいけない。