吉田さんに人間の精神の問題について聞きたいんです。つ
       まり、岡潔さんのことを気違ひか、天才かとよく取沙汰(と
          りざ
た)しますが、それは、紙一重の問題なんですね。

   吉田 天才といってもいいし、気違ひと言ってもいいし、名稱は
       便宜的なものでせう。岡さんといふのは非常に人間的な人の
          やう
ですね。僕はその方の専門ではないが、天才と気違ひは
          、――そ
の人の言動が近所迷惑の時には気違ひといふ病気に
          するが、さう
でない時は天才といふ、――そんな所でせうか
          ね。

     ゴッホは気違ひだったでせう。事實気違ひであり、同時に
       天才だ。

        僕の出發は、セザンヌやゴーガンが日本に輸入された時代
          です。
それで岸田劉生が出て、僕は劉生の林檎の繪に涙を流
          した。そし
てそれ以後、劉生が見てゐる林檎を僕も見ること
          ができるやうに
なった。つまり、永遠の林檎を見たといふこ
          とで、一つの悟りで
す。これで僕は本當の繪描きになったと
          いふ信念を得たんですが、
その翌年から神經症になってしま
          った。


        ある日、繪を畫いてゐたら、ふっと見ると天に黒點が見え
          るん
ですよ。普通の人に見えない、をかしな、黒いしるしが
          見える。
俺は気違ひになるんじゃないか、といふ恐れがした
          んですよね。
その前に僕の親戚に気違ひが出た。それで俺も
          いよいよ気違ひ
になるぞと、なにか怖ろしくてね。ゴッホの
          やうな気違ひになっ
ては悲惨だ。あんな悲惨な繪描きになり
          たくないなと、日頃思っ
てゐたんでせうね。

        その後、展覽會を見に行った歸り、電車に乗った。さうし
          たら、
電車の客が全部僕を見てゐるやうな気がするんです。
          いよいよ気
違ひになったと思って、あはてて電車をとび降り
          たんですよ。町
の騒音が全部僕に集まってくるんです。怖く
          て、怖くて眞青にな
った。虎の門に神經科の醫者があったの
          でとび込んで、かういふ
状態だと言ったんですよ。僕がタバ
          コを吸はうとすると、醫者が
マッチをつけてくれた。その光
          が普通の十倍か二十倍に感ずるん
ですよ。その醫者は診斷を
          しなかった。家へ歸ったら、女房もゐ
ない。壁から、馬の嘶
          くやうな聲が聞えてくるんだ。いよいよ気
違ひだと思った。

林 武 の 正 直 な 告 白

 林武については、もうすでに二度も述べた。
 だが、もうひとつ話さなければならないことが残っている。

 昭和439月に刊行された『美と教養・心の対話』(日本ソノサービスセンター)をご覧いただきたい。当時の癌研究所長、医学博士であった吉田富三との対話のなかで、林武は次の通り述べている。すこし長くなるが、きわめて大事なポイントであるので、そのままここに転載する。

   吉田 お幾つ位のときですか。

     二十六位です。表へ出ると大聲をあげたくなる。なんとか
       言ひたくなる。それから高い所へ登ると必ず飛び降りたくな
          る。それから、その翌日、青山脳病院へ行ったら齋藤茂吉さ
          んが出てきて、藝術家にはよくあることだといって、気違ひ
          の患者と一緒に、赤い電気の下に僕を坐らせるぢゃないの。
          あの人は歌人だけれども精神病の醫者としては、少しどうか
          なあ――。それから根岸病院へ行った。さうしたら、十萬円
          取られた。その言種(いいぐさ)がいい。神經衰弱の患者は
          卑怯だっていふんです。なおったらもう金は取れないのだ。
          俺は直ぐなおすから先に取るって――。

   吉田 確かに今のお話は精神病の状態ですね。状態としては。し
       かし完全な精神病にはなってゐないといふのは、俺は気違ひ
          になるんぢゃないかとか、怖いとか、いはば自分で自分を見
          る理性が殘ってゐる。しかし全體の状態は危險な状態だった
          やうですね。一歩手前といひませうか。それとも神經が疲れ
          果てたといふ状態の異常――つまり健康な枠の中の異常であ
          って、病気ではないといふのかな。藝術家など神經の鋭敏な
          人は、その鋭い神經を酷使するから、疲れ果てる。それに鋭
          敏といふことは一面脆いといふことだから、疲勞からそのま
          ま向ふ側へ移ってしまって、本物となるかも知れない。危い
          なあ。

     ゴッホの場合はどうなんですかね。ゴッホと僕の場合、ゴ
       ッホの方が気違いに近い?

   吉田 その比較の意識がある間は、まだ大丈夫ぢゃないですかね。
       ゴッホは気違ひだが、俺は狂ってゐないぞ、などと言ひ出さ
          れると、怖い。

     ゴーガンはゴッホを非常に嫉妬してゐた。またゴッホを怖
       くてしやうがないんですよ。しかも、ゴッホもゴーガンが怖
          いわけです。そしてゴッホはゴーガンを先生、先生と言って
          ゐた。先生と言はれて、ゴーガンは聊(いささ)か我が意を
          得たりで、ゴッホを操るわけです。ゴーガンは人間的には一
          種の曲者(くせもの)ですから。すると純情なゴッホは自分
          の耳を切って、ゴーガン、お前は悪い奴だと言ふ、これほど、
          お前に惚れてゐるんだと言ふんですね。

        さういふことを知ってゐるから、俺はゴッホみたいに気違
          ひになっては大變だといふ気持ちが殘ってゐる。

   吉田 それがなくなると、こんなお附き合ひもできなくなる。

     森田正馬はね、高い所から飛び下りたくなると言ふと、そ
       れぢゃ飛び下りてみろと言ふんですよ。お前は絶對にできな
          いぞ、とかう言ふ。

   吉田 それは本當の醫者ですね。

     醫者ですね。僕は救はれた。齋藤茂吉には救はれなかった
       が、森田正馬は救ったね、僕を。森田さんは慈恵ですよ。あ
          れは名醫ですね。フロイト以上だと思ふんだ。森田さんを見
          ると、醫學には西洋醫學とは獨立した日本醫學といふものが
          あると思ひますよ。日本といふ國は面白いね。漢方と西洋の
          中間を行って、
本獨特のものを生み出してゐる面があるん
          ぢゃないですか。

画題Johannes (Jan) Theodoor Toorop         (1858-1928)
        
Fatalisme/運命
        1893
         Rijksmuseum Kroller-Mueller, Otterlo
        カンヴァス世界の名画13
      『ムンクとルドン』−世紀末の幻想−
      井上靖/高階秀爾、
      中央公論社、1975

      トーロップの描くのは、
   自己から抜け出す
   ドロドロとした女の情念。

   林武の説明するのは、
      空間を彷徨う
   鋭敏に拡大した
      自己意識。