(啓示を受ける人の数)

 もしあらゆる国の賢者たちはの一性と無限性について真の想念を持つようになったと言われれば、私はこれを認める。が、そのとき、この論は、第一、承認の普遍性を名目のほかにはなにも許さない。なぜなら、賢者はごく少数で、おそらくは千人に一人だから、この普遍性はごく限られている。                  (1-4-16)


 伝承的啓示に対する信仰がもし盲目的軽信であるとしても、では本原的啓示はどうなのか。これこそ絶対的な真理そのものであるという考えは正しいのか、正しくないのか。

 この点につきロックは「正しい」と認定する。

 読者は、ここでロックの主張している本原的啓示が筆者の使っている用語、神秘体験Aであることをご認識いただきたい。つまり、神秘体験Aは真理であり、それは正しいとロックは認める。

 ところが問題は、本原的啓示に到達する人の数が絶対的に少ないことにある。ロックの考えでは、本原的啓示に到達する人の数は1000人に1人なのである。1人の本原的啓示に対して999人の伝承的啓示の割合なのである。

 なるほど本原的啓示に到達した場合、そこに人ははっきりと、神を実見し、プロティノスの言う「一なるもの」の認識を得、主客未分化の永遠を悟る。これ自体は正しい。つまり、プラトンも、プロティノスも、アウグスティヌスも、西田幾多郎も間違ってはいない。

 だがこれを真理と認めるにせよ、注目すべきは、それが神秘体験Aに到達した人間にとってだけ通用する真理であることだ。

 一体、999人の伝承的啓示にたいしてわずか1人の本原的啓示しかない場合は、人間はこれを「普遍的」真理と認めることができようか、という問題だ。

 私ははっきりしている。それは普遍的真理ではない、ということだ。真理は真理でも、名目的真理に過ぎない……とロックは説明する。

本 原 的 啓 示 は 名 目 的 真 理

画題:無款
      『酒典童子絵巻』
      江戸時代前期
(17世紀)
    
紙本著色 巻子
   ヴィクトリア・アルバート博物館、
      ロンドン

      平山郁夫
      『秘蔵日本美術大観四
     大英図書館
/アシュモリアン美術館
      
/ヴィクトリア・アルバート博物館』
      講談社 
1994

 一条院の御代、丹波国大江山に棲む酒典童子、都より人をさらう。池田中納言くにたかの最愛の姫君が突然消え失せた。陰陽師安部清明の占いにより、丹波国千丈が岩屋に囚われているという。童子征伐のため源頼光、平井保昌両将が遣わされた。山伏姿に変装した両名は、鬼の館で、童子に毒酒を飲ませ、酔いつぶれた鬼の首を掻き切った。囚われていた姫君たちも救出する。サントリー美術館本がある。(榊原 悟)

「本原的啓示は名目的真理」という断定は、
あたかも大江山に棲む酒典童子の首を
掻き切ったようなものだ。
大江山の場合は、
源頼光、平井保昌の二名だったが、
唯心論の根元を断ち切ったのは、
ジョン・ロックただ一人だった。
無辜の姫君たちはこうして
無事に救い出された。