だから、「啓示」とわれわれが一般的に言っているものは、二通りに分けられる、と考えねばならぬ。
本原的啓示……体験した当人が受けた啓示
伝承的啓示……体験していない人が体験した誰かに話して
もらった啓示
に分けられるはずだ。
われわれが一般に信仰といっているものは、じつはこのうち「伝承的啓示」のことを意味している。聖霊が絶対だと教えられ、教えられた通り信じているにすぎない。
たとえば、カトリックの信者のすべてがアウグスティヌスの受けたのと同様の啓示を受けているわけではない。彼らは、アウグスティヌスの受けた啓示を説明されて、多分本当だと同意しているにすぎない。
このような信心は「盲目的軽信」と呼ばれるべきだ、とロックは主張する。
(理知と信仰)
私の見いだすところでは、どの宗派も、理知が自分たちを助けようとするかぎり、喜んで理知を利用する。そして理知が自分たちを助けないとき、信仰の問題であって、理知を越えると叫ぶ。それゆえ、ここで信仰と対比される理知を、私は、心がその以て生まれた自然の機能を、すなわち感覚と内省を、使って得た観念から行う演繹によって到達する命題ないし真理の絶対確実性もしくは蓋然性の発見であるとする。これに反して信仰は、このように理知の演繹で作りだされずに、ある異常な伝達され方で神から来るとする命題提出者の信用に基づく、ある命題に対する同意である。人々に真理を知らせるこのやり方は啓示と呼ばれる。 (4-18-2)
戦争を起こしたどの宗派でも、究極の目的は幸福の追求にあるという。ここまでは問題がない。そしてその理知の範囲内ですむ事態であれば、これは理知というのだ。ところがその宗派が戦わねばならぬと感じたときは、これは理知を越えた信仰だと叫ぶ。信仰のための戦いだと彼らは言う。
では、彼らの言う信仰というのは何だろうか。それは、誰かが受けた神の啓示を、私もそれは正しいと同意することだ、と私は考える……とロックは言う。
(伝統的信仰)
すると、第一、私は言うが、神の啓示を受けたどんな人も、前もって感覚もしくは内省から得ていなかったなにか新しい観念を、どんな霊感によっても他の人に伝達することができない。私は本原的霊感から区別された伝承的啓示を言うのである。本原的啓示という意味は、神によってある人の心へ直接に作られた最初の印銘であり、私たちはこれに対してすこしも限界を設けられない。伝承的啓示は、言葉、つまり、想念を互いに伝える通常の仕方で他の人々に開陳された印銘を意味する。
(4-18-3)
だが、神を見たとか、神の啓示を受けたとかいう人は、じつはその正確な内容を人には伝えられないものなのだ。
スペインのテレサは言う。
恍惚に到達した人は、きっと、私の言う
ことがよくわかるでしょう。もしもまだこ
のお恵みを受けていないなら、私が馬鹿な
ことを言っていると思うでしょう。
(『自叙伝』、18-7)
経験しない人は、それを説明しても信じてはくれないことを前提としている。
西田幾多郎は言う。
真正の実在は芸術の真意の如く互いに相
伝うることのできない者である。伝えうべ
き者はただ抽象的空殻である。
(『善の研究』)
林武は言う。
その美しさはただただはるかに言語を絶するものであった。
(『美に生きる』)
彼は、言葉に表されないから、画布のうえにそれを表現しようとした。
玉城康四郎はそれを表わすために散文詩を用いた。
ゲーテは言う。
私はしばしばあこがれ、思う。「ああ、かくもゆたかにかくも熱くわが心の中に生きているものを、描き出すことができたら」。
(『若きウェルテルの悩み』)
みながみな口を揃えて、それは表現できない、伝えられないとこぼす。ところが人はそれがあらましこんなものだと説明されると、それを自ら体験しないまま鵜呑みにする傾向がある。
画題:北尾重政・狩野永徳高信
『久米仙人図』(部分)
天明年間(1781~89)頃
絹本著色 掛幅
ハンブルク工芸美術館、
Museum fur Kunst und Gewerbe,
Hamburg
平山郁夫
『秘蔵日本美術大観十二
ヨーロッパ蒐蔵日本美術選』
講談社 1994
『今昔物語』の久米の仙人は、大和国吉野郡の竜門寺に籠って仙人となったが、吉野川で衣を洗う若い女の脛を見て通力を失い、空から墜落してしまう。のちに都を造るための材木運びに通力を取り戻し、その恩賞として免田(めんでん)三十町をたまわり、久米寺を創建、開祖となった。(小林忠)