念祷の初めのステップは観想だと、彼女は述べる。

 自分の罪、神に対する重大な義務、地獄と天国の存在、救
い主が、私どものためにお忍びになった言語に絶する責苦や、
悩み……こういう真理について黙想しておりまひた。けれど
も数年間はたいへんたびたび、有益なほかの考えよりも、早
く念祷の時間が終ればいい、時計が鳴ればいいという望みの
ほうに、ずっと多く気をとられておりました。    (自8-7)

   なかなか潜心できない。初めの数年間はこんな状態でとても潜
心できる状態にはない。神と私との間に何があり、何が私をして神
との面会の邪魔をしているのか、自分でもわからぬものなのだ。

 私は、自分の霊魂が捕われの状態にいることはよくわかっ
ていました。けれども、いったい何に捕われているのかどう
してもわかりませんでした。          (自8-11)

 いま考えてみますと、自分をすっかり見限って、神に全信
頼をおかなかったというところに私の非があったように思い
ます。……自分にたいする信頼をすっかり除き去らぬかぎり、
私たちの努力はたいして役にたたないということが、たぶん
わからなかったのでしょう。         (自8-12)

  こうして、神を見るためのコツがわからず、右往左往するテレ
サに或る日転機が訪れた。それは一つのキリスト像であった。

 このような生活に私の霊魂は疲れ果て、憩いを
求めました。けれども、身につけてしまった悪い
習慣のために、それを見いだすことができません
でした。ところで、ある日、祈祷所にはいります
と、修道院で行われるはずの、ある祝典のために
持って来られ、その日を待ってそこに置かれてい
た一つの聖像が目につきました。それは傷にまみ
れたキリストを現わしたもので、聖主が私どもの
ためお忍びくださったことを、あまりにもよく思
い起させましたので、私は、これを見て、魂の奥
底からゆり動かされるほどの強い敬虔の熱情を感
じました。これほどの傷が物語る測りがたい愛に、
自分がどんなに悪いこたえ方をしたかを考えて、
あまりにも激しい悲痛に捕われ、私の心は砕けて
しまうかのように感じました。私は、私の救い主
の御足もとにひれ伏し、滝の涙を流し、もはや主
にそむかぬ力をお与えくださるよう哀願しました。
                        (自9-1)

  これがきっかけとなり、本格的な観想に入る。このときが1553年で
あって、彼女の38歳の頃のことであった。

 私の念祷の方法は次のようでした。悟性の助けをかりて、
いろいろ考察することができないので、自分のうちにキリス
トを現わすようにつとめました。私の霊魂にとっては、彼が、
ただひとりでおいでになるようなところで、彼をながめるこ
とが、いっそうためになっていたように思われます。主は、
ただひとりで悲しんでいらっしゃるので、まるで助けを必要
とする人のように、私をご自分のおそばに迎えいれてくださ
るように思えました。……もしもできれば、これほどの御苦
しみのうちに流されたこの御汗をお拭(ぬぐ)いしたいと思
いました。……
                                (自9-4)

 とても女性的なアプローチに思える。仮想上の人物にたいして感情
移入ができるものであろうか。

 もし、どうしてよいかわからなくなったときにはどうすればよいの
だろう。彼女は述べる。

 どうしてよいかわからぬとは、何を考えてよいかわからな
いでいることを意味します。……すみやかに潜心するため、
本を用いるのはよいことです。また私にとってたいへん助け
となったことは、田園や、水や、花を見ることでした。つま
りそれらは私を目ざめさせ、潜心させ、書物の代わりになり
ました。                          (自9-5)

 読者は、上村松篁が里芋の葉を見つめているうちに神秘体験A
に到達した経緯を、このテレサの助言と重ね合わせて思い出され
ることだろう。

 さらに翌年1554年、聖アウグスティヌスの告白録を読み、苦痛
を忍んで求めれば、「回心」できるものであることを心に刻みこ
む。

 告白録を読みはじめますや否や(私はそこに自分のことが
描きだされているように思えました)私はこの光栄ある聖人
に自分のことをお願いいたしました。庭で聞いた声のことを
語る彼の改心の物語のところにまいりますと、私の心の感動
はあまりにも激しく、まるで、聖主が私にもこの同じ声をお
聞かせになったかのように思われました。    (自9-8)

 この時、私の霊魂は聖主から、大きな力をいただいたよう
に思います。……それで、主が私を富ませてくださった霊的
恩恵(めぐみ)は、これからお話いたしますように、ますま
す大きくなっていきました。               (自9-9)

画題:Enguerrand Quarton
         "The Villeneuve-les-Avignon Pieta"
         circa1455(?)
         Michel Laclotte
         "The Louvre, European Paintings" 1989
         Scala Publications Ltd.

観想の対象とするには、
この絵が最上ではないだろうか。
初期フランス絵画のなかの最高傑作とは、
この絵ではなかろうか?
傷の痛みが満ちあふれている。

観 想 の 方 法