彼女の生まれた当時のスペインは、イサベル、フェルナン
ド両カトリック王によって、
700年来の悲願であったコンケ
スタが達成され(
1492年)、同年コロンブスによるアメリカ
大陸の発見もあり、領土は現在のスペインのほか、ナポリ、
シシリー、サルジニアに加えて、南北アメリカに拡大してお
り、国勢は日の出の勢いであった。


16 世 紀 初 頭 の ス ペ イ ン

内政は着々と中央集権体制に近づきつつあり、テレサの生まれた翌年、1516年にわずか16歳で即位したカルロス一世は、その治世の当初にはカスティーリャの都市の反乱にあったとはいうものの、結局は1524年に絶対王政の政治体制を造り上げてしまった。

外国との戦いはイベリア半島の外で戦われ、1525年(イタリアの)パヴィアの戦いではフランス国王フランソワ一世を捕虜にした。つまり、政治的にきわめて安定した時代にテレサ・デ・アヴィラは生まれたのである。

政治が安定すれば経済も安定する。J.H.エリオットは、1501年から1600年までに価格の上昇は4倍になり、急激な上昇傾向にあったと述べているが、100年に4倍ということは、年間のインフレ率は僅かに1.5%以下であり、スペインの経済危機(借金財政のツケ)が16世紀の後半に初めて到来したことを思い合わせると、テレサの生まれ育った当時は、国家経済もきわめて安定していたといえよう。

ではテレサにとって何が問題であったのか。

画像:ティツィアーノ
      「ミュールベルクのカール五世騎馬像」
           1548
    プラド美術館、
       
Scala Publications Ltd. 1988

   
47歳の老いたカルロス一世(カール五世)。
   彼の生涯にわたる見境のない戦争のおかげ
      で、スペイン王室は
16世紀の中頃には財政
      破綻した。