テ レ サ の 神 秘 体 験 A (2)

(諸能力の停止状態)

 このように霊魂は、自分の神を求めている間に、最も深い、最も快い楽しみの真中(さなか)にほとんど完全に気を失ってしまうのを感じます。それは、だんだんに呼吸と、肉体のすべての力を奪ってしまう一種の失神です。それで最大の努力をしなければ、ちょっと手を動かすことさえできません。めは別にそうしようと思わなくても自然に閉じてしまいます。あけていてもほとんど何も見えません。ものを読んでも、文字を発音することができず、文字を見分けるとしても、やっとのことです。文字があるということはよくわかりますが、悟性が協力しませんので、いくら読みたいと思っても、読めないのです。聞こえても聞こえることが分かりません。このように、感覚は霊魂がすっかり喜びにひたり切らぬようにする以外、霊魂にとってなんの役にも立ちません。それでむしろ妨げとなります。いくら話したいと思っても、言葉を形づくることができず、たとえできたとしてもそれを発音する力さえありません。なぜなら、外的なすべての力は停止しますから。でも内的力は大きくなり、このように、霊魂はおのが“光栄”をよりよく楽しむことができます。外的に感じる楽しみも、きわめて大きく著しいものです。                   (自18-10)

 そのときの精神状態は「受動的」であり、自発的な行動を起こそうと努力しても、心も身体も動いてはくれない。「あたえられているものを、ひたすらに見る」ことしかできない、とテレサはきわめて精確に報告する。玉城康四郎、林武も、それぞれに同一体験を報告しているから、「そんなものかなあ」とでも思っていただいたらありがたい。

(健康に害を与えない)

 この念祷はどんなに長く続いても、健康に少しも害となりません。少なくとも私にはそうでした。私は神がこの恩寵を賜った時、たとえどんなに病気であっても、そのため具合が悪くなった覚えはありません。それどころか、そのために、かえって目立ってよくなるのを感じました。 (自18-11)

 上村松篁が彼の報告(発生の条件)で述べているように、神秘経験Aはそもそも「健康な状態」のときに限定して発生する。テレサは、この経験は発生しても「健康に害を及ぼさないばかりか、健康は良くなる」と事実サイドからの観察をおこなう。

(永続時間)

 実際初めのうちは、この恩寵はきわめて短時間しか続きません。少くとも私にとっては、そうでした。そしてこれがすみやかに過ぎ去ってしまう時には、外的のしるしや、感覚の停止などによって、それほどはっきり現われません。とはいえ、霊魂に満たされた恩恵(めぐみ)の豊かさによって、霊魂内に輝いた太陽の光は強烈であったことがよくわかります。それは霊魂をこのように愛で溶かしてしまったのですから。私の考えでは諸能力の停止は長いと言っても、きわめて短く、三十分と続いたらたいしたものです。私の場合、そんなに長く続いたことは一度もなかったようの思われます。      (自18-12)

 テレサはきわめて正確に神秘体験Aの継続時間を記述している。それは最大限三十分であって、彼女のケースでは、そんなに長くはなかった、と言う。上村松篁が「二十分ぐらい」、玉城康四郎は「どれだけ時間が経ったか分からない」と記した。筆者は、通常は、励起状態に滞留している時間だけをカウントして、五、六分だと考えている。

(永く続く余韻)

 この諸能力の完全な停止は短時間しか続きません。とはいえ、これらの能力はそれほどはっきり正気に帰るわけだはなく、やはりまだ茫然としており、その間、神はときどき、これらをご自分のほうにお引きもどしになります。 (自18-13)

 その瞬間が過ぎたのちも感激が残るから、醒めるには時間がかかる、と彼女は説明する。玉城康四郎の「わたしはどのようにして(図書館から)家に帰りついたか知らない」を思い起こそう。

さて、ここまでで彼女は「恩寵」の客観的な記述を完了し、この後は、この体験が彼女の心のなかに植えつけた確信の中身を宗教用語で説明していく。未体験者には理解が難しい。しかし、これが実にカトリックの信仰の核心なので、神秘経験Aはこのようにして信者の心に「信仰への確信」を植えつけるのだと、大雑把に理解していただけないだろうか。

画題:フラ・アンジェリコ「受胎告知」1430頃
        ホセ・アントニオ・デ・ウルビノ
        『プラド美術館』1988
        Scala Publications Ltd.

          テレサの神秘体験Aが、聖母マリアの受胎と
    同一種類の体験であるかどうかは予断を許さ
    ない。
      ただ、両者が聖霊を体内に受け止めたことは
    確かかもしれない。
      昔から「受胎告知」は金色の光り輝く空間に
    描かれてきたのだ。