では、これから、白隠の書いた自伝に入ろう。

 白隠という人は、禅師というには余りに饒舌だと筆者は思う。しかし、彼が饒舌だったからこそ、われわれが現在彼の内的体験を窺見できるのであり、彼のように心の中を開いて見せてくれる禅坊主は滅多にいないから、われわれは彼の饒舌に感謝しなければなるまい。おまけに、彼の饒舌は、いささか大言壮語のきらいもあり、ところどころ辻褄の合わぬ箇所が出てくる。これを修復しつつ読まねばならないので、一般の人には読みづらいかもしれない。

 まず『遠羅天釜(おらてがま) 巻の下』からはじめよう。テキストには鎌田茂雄、日本の禅語録十九『白隠』講談社、を使用させていただく。

出 家 の 素 因

  白隠の自伝

 自分は初め七,八歳の時、母にしたがってお寺に行き、ある僧が摩訶止観の中の地獄の様子を講じているのを聞いた。その僧はたいへんに弁がたち、叫喚、無間(むげん)、焦熱、紅蓮(ぐれん)地獄の苦しみをのべたが、それは目の前に見るようであった。堂内の在家者も僧も、すべて寒気がして毛がそそり立った。家へ帰って自分が平生している殺生を思って身の置き所がなかった。動作をしても恐ろしさにふるえおののき、肌(はだ)や皮膚は粟だつ思いであった。そっと観音経と大悲呪とをとりだして昼夜読誦した。ある日、母と一緒に入浴した時、母が湯を熱くするように下女にいいつけ、盛んに薪をもやさせた。ひたひたと火気が肌をつき、浴槽がゴオッと鳴った。たちまち地獄の事を思って声を出して号泣した。悲しい声が四方をゆり動かし、これよりひそかに出家しようとした。父母は許さなかったが、いつも寺に行ってお経を読誦し、書を読んだ。
 十五歳にして出家して自ら誓っていうには「どうか肉身でありながら火も焼くことができず、水も溺らすことができないような得力を見なければ死んでも休まぬ」と。昼夜一心不乱に誦経し作礼した。病気や針灸の間において自己の得力を調べてみても、その痛さは平生とまったくかわらないので、心はなはだ喜ばずしていうには「自分はすでに父母に背いて出家したが、まだ少しの効果も見えない。自分が聞くところによると、法華経は一代の経王であって、鬼神も恐れかしこまる。たまたま幽冥界に落ちて苦しんでいる人が、他人に依頼して救いを求める時、必ず法華経を読んでもらうという。よくよく考えるに他人が読誦してさえも、その苦しみを除くことができる、まして自分自身で読誦すればどんな苦しみでも除けるのではないか。そのうえ、この経中には必ず深い勝れた教えがあろう」と。そこで親しく法華経を手にとって、その教えを究めて見るのに、「ただ一乗のみあり、諸法は寂滅である」という一文を除いては、他はみな因縁譬喩の説ばかりである。この経にもしこのような功徳があるならば、六経(りくけい)や諸子百家の書もやはり功徳があろう。どうしてこの経だけ功徳があるというのか。そこで大いに平素の志をなくした。それは実に十六歳の時であった。

 神経過敏性であった自分の幼年期のことを語る。世の中にたいする不安感にさいなまれる。ありがたい御利益があると喧伝される法華経を読んでみても、そのありがたさがもうひとつよく分らない。自分で納得できない。

画題:国宝「地獄草紙」、平安時代 12世紀、
        東京国立博物館       
        http://www.tnm.jp/scripts/col/MOD1.idc?X=A10942

       平安時代の地獄絵でこれだから、
       元禄時代の地獄絵はもっと怖く
       つくられていたに違いない。
       焼けた溶岩が空から降ってくる。
       融けた金属の川のなかで人間が溶かされる。
       焦熱地獄というのだろうか。