タイトル 「 過去からの手紙 」 -990307〜by.穂積 桂司


第四楽章 〜 アンダンテ 〜 本編 〜

第四話 〜 秋の章 Vol.1 〜 夏から秋へ 〜

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彼女、ペディのフルネームは 「フラグミペディウム・カタセタム」。

そして、僕の名は 「静馬・E・夏木」。

僕たちは従兄弟(いとこ)同志だ。
ミスター・カタセタムは、実は僕の伯父にあたる人だったから。
そして・・・。様々な事情から、僕たち、僕とペディのふたりは・・・
ふたりして、日本のおじい様の家で暮らす事になった。

その時、ペディは11歳。・・・僕は、13歳になっていた。

ペディは。「あの事件」のことはまだ知らない。両親が死んだという事実さえ。
皆に口止めしたのは、僕だ。・・・医者の勧めもあったが。
彼女には、過去5年程の記憶の欠如がみられた。
・・・医者は「時間が必要」だと言った。
覚えていないのならば、思いださなければいいと、僕は思った。・・・

ペディは覚えていないらしいが、入院していたのは5年近くになる。最初の4年は、意識が戻らなかった。ようやく回復してきたのは、退院する少し前のこと。

初めてペディに会ったのは秋。彼女が目を覚まして、初めて僕と言葉を交わしたのは、夏だった。・・・数年後の。

ぼく・・・いや、僕は、ペディを日本に連れて行くことを決心した。一族の反対を押し切って。

僕に協力してくれたのは、兄達と両親、そして少し意外だったのだが、英国のおじい様だった。僕とペディは 日本の別宅に暮らす 僕の祖父母の元で その後数年暮らした。楽しい日々だった。

ペディには、数年分の記憶が抜け落ちている為か、学業においてはかなりの遅れをとっていた。・・・その・・・大分。 一応、英国では大学の博士課程を修了していた僕が、彼女の家庭教師役をつとめた。ペディは、覚えは早かった。流石は、我が従妹!・・・と、喜んだのも束の間。どうも彼女にとって、机に向かって学問を志すというのは、それ程楽しいものでは無いらしい。人には様々な好みというものが有るのだと知った。貴重な経験として記憶している。

祖母に手料理の作り方を教わるのは、好きらしい。一日中、キッチンで何かやっているが、飽きる事がないらしい。あまり二人が楽しそうだったので、僕も仲間に加わってみた。・・・確かに面白い。統計学的にみて、材料の分量の増減による味の変化について・・・何か言おうとしたらペディに叱られた。元気があって宜しい☆

祖母は長年の経験からだと思うが、ペディは明らかに「勘」のみで、分量を量っているようだ。僕はレシピ通りにキッチリと計って、其々の材料の分量を決めている。

一年もすると、ペディと僕の2人とも「日本風家庭の味」と「英国風家庭料理」と、世界各国の「御菓子」作りが「特技」と呼べる程になっていた!

・・・勿論、その間も。僕は、ヴァイオリンの練習を欠かした日は無かった。

だが。ペディの記憶が戻るのを恐れて、彼女や他の人間のいる前では、ピアノかヴィオラを弾くようになった。愛用のヴィオラは、英国の祖父が若い頃に使っていたという品を僕に下さったので、それを使っている。ペディにも、それを口実に「英国のおじい様から、折角頂いたのだから」ヴィオラを演奏したくなったのだと説明した。彼女は納得した様子だった。

「勉強」の方も、何とか「小学六年生レベル」にはなった事だし。僕はペディを学校に行かせることにした。 幸い、僕にはある程度の資産がある。個人名義の。相続したものも含まれてはいるが、大部分は自分で増やしたものだ。

ペディには、同じ年の友人が必要だと思う。この居心地の良い箱庭のような「我が家」から、旅立つ時が近づいている。・・・

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