心配にはおよびません
どなたも 異物感などさらさらなく 腕や肩や首筋 足の裏 腹などに肉とおなじ色のそいつを入れてしまっているのです 自覚しないかぎり症状はなく どなたも たまにしか関心をもちません 思いだすと肩がこり 足がふらふらし ときには ぼうこうがゆすれたりして病院を訪れるのですが こちらとしても効果のある治療法はないのです そいつは肉のなかにのめりこんでいてかたちらしいかたちがなく 大きさも手足の有無もわからず ただ肉を食い 食ったものと同質の糞をする ですから そいつはからだじゅうをぐるぐると動きまわっているわけなのです 毒性はまったくなく わたしどもの肉が隅々まで食われても つまりわたしどのからだが糞だけになっても もちろん 心配にはおよびません

そいつが指先にうごめくような日です
わたしは十本の指で 鉄棒につるさがりました 体操の選手権がひかえていたせいではなく 指が熱をもっていたので 冷たい鉄棒でひやすためでした わたしはわけもなく からだを空中にふりまわし ふりまわされ すっかり分離してしまいました からだじゅうのそいつが血の流れにさからい ひょろひょろと頭をもたげ 声にならない底深い唸り声をあげている感じです 審判員ひとりひとりの顔が想像され 八百長だという囁きさえ耳にはいります 自覚するな するな するな でも こうなっては無意識でいられましょうか


比喩の湿原では 詩のゆくえ

とある任意の言葉につづく

海面と陸地との汀線のあたりを

わたしは蹌踉めきながら渡ってゆく

わたしを追い越せないあなたは

歩幅を合わせるしかなく

二つの体は桃色の弾力の壁

浸蝕が共有の大窓を毀しかけても

 

言葉につづく比喩の湿原では

食虫植物の狸藻科ミミカキグサが

地下茎の捕虫嚢でミジンコを吸いこむ

動植物の逞しい鬩ぎ合いから

体内で熟されて違和もなく

幾何学的なかたちを象りながら

肉化した白い小花を挙げつづける

 

わたしが発する詩のゆくえ

自我の意味と論拠のただなか

あなたは他我の位置に在ろうとし

しなやかな擬態をみせはじめる

無機のふりで「?」を撃ち

同化の新しい言葉を生んでゆき

わたしの言動を装って自己消化する

 

袋形の虫を捕らえるところ

か細くも強靭な扉状になって

水を吐いては吸収する吸収毛で

獲物の危うい感覚をみがく

根付くものの待ちの姿勢

熱帯性の北限にみられる耐性で

排水の陰圧で潰れかかりながらも

 

わたしが頭韻に記す「!」

あなたはわたしを胎動させる

連帯してゆく脚韻に終止符はなく

隠微な比喩の扉に身をひそめ

離れながらもつながる螺旋

対称のわたしたちの境界の模糊

あやつり人形の姿形になりきって

 

感覚毛に用言止めの「。」

扉は内側へと向かって吸引し

ミジンコと烈しい消耗戦の果て

あなたと引き換えで受け取る窒息死

わたしの言葉につづく

湿原のミミカキグサの群生は

媒体の徒花を咲かせるほかはない


(著作権は思潮社に帰属する)

      □ □ □ □ □

      

とっても
すべりやすい淵につかまり さらに
入れどころのない力をこめる
忍耐の
くにゃっと
ふやけきった時間帯では
すえた日常が流れるだけであろうか
力をこめる 細胞を制御して
ぐらっと
空洞をいざるまだ純化しないものら
グロテスクに
底深くすっぽりと 跨ぐ
豆腐
のようなぶ厚い鉄砲百合のような花弁
ぶるんとふるえて
内へと締まっていくごく意識的半固形
器は
ぐるぐると限りなく8の字にゆがむ輪で
総身
がんじがらめにされるのは
いつも
おれの優しさ

2 
形どられたものから崩
れおれる神経はまがっ
た針のようにささくれた
ちしっこく表皮の孔から
色のない血がにじみに
みでるわずかな隙へ凝
縮する脂肪性のもの拡
散していく澱みと腐化と
ほとんど同時の蘇生へ
しまっていく硬さが感じ
られるがじょじょに梳か
れるのはどうしようもな
い直立させようともがく
いくつかの手が薯汁の
ようにとろけてすっぱい
液を浴びてしまい夜目
にも碧白いひかりのな
かで短くなった手をふ
る手をふる手をふるふ
れるものすべてに吸盤
でからみつくがすべて
がぬらっと粘りこめれ
ばこめるほど力は横暴
な傾斜へのエネルギー
となり破れ目からちょろ
ちょろと我知らず洩らし
てしまうものとっても爽
やかな欠落よ

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現代詩1

    雌雄同体


ぬめぬめする吸盤をおしあい 乳白色の体液をたらしながら 膨張する手足がべつの手足とからまってくる 毒人参をくらったように凶暴性が爪をそだて おたがいの鱗をひっかき 体内にのめりこもうとする 爪先に鱗がはさまり かえって雌雄とも粘液をながしだし すべりあうだけである 夜行性の<いつも・けげんな眼>が 片側の眼をとらえて二三回瞬きし 閉じてしまう たちまち おたがいの体液が排泄して からだは約半分に縮小する この状態であれば一匹にみえる 名前もつけやすい だが ひくひくと動きはじめる 歩いたあとには金色の卵が生みおとされており まぶしく光る

雌雄のあいだ袋状のもの このなかに卵をくわえこんで おたがいの手足でもみあう はさんだ硬質の卵でバランスをとり どちらかの性に傾注しようとはげしく咬みつく だが相手を食い殺すことなどできないで 卵がとびでてしまうのがおちだ こうした<一見無精卵>がいたるところにころがっており 豆電球みたいに点滅している 雌の眼 雄の眼ともほとんど無視しながらも 卵の光を鱗のあいだにいれて小躍りしている

つながった部分の肉には神経がとどかないので ひたすら おしあいおしあい おしこんでいく以外に<単独の性>で からだを保つことができない よろよろし ぎくしゃく傾きながら 考えごとをしているかっこうでいざってゆく 外敵か第三の生物におそわれないかぎり隔離できなくて 萎縮にむかう 夜はとくべつすっぱい粘液をたらし鱗をくすぐって <どうしてことだ?>というようにふたつの貌がむきあう こうしている間にも 金色の卵は生みおとされているのだ

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    森では


年に数日間
クマゲラとカケスが出会う

アカエゾマツの株立ちを挟んで
樹海を吹き抜ける風は
クマゲラとカケスの鳴き声を
融合させて一つの声に
新緑の濃淡はかさなって輝き
流れは木漏れ日を入れた水鏡

わたしは詩についてより
時空について語るが 鳥類には通じない
沢山のコトバを駆使しても

腐葉土を分けて月光が射し
足の下では地軸がゆがむ
茸が生えるこんなときは 逆に
空と鳥と彼方について考えてみよう
登山者の証しとして

イタチの隠れ道と
カモシカの尾根はどこかで交差
深い雪で覆われる真冬 そして
春浅く 雪層の上に青い影を落とし
熱量をあげてゆく太陽
異種の二頭はすれ違いざま
イタチ語 カモシカ語を発し合う

あなたがスラヴ語で
動物たちの生態を記す わたしは
カントン語で植物たちを改めて名付ける

鳥獣の交歓 造化の蔓を延ばす草木
あなたの報告書に添え
わたしの再生のためのコトバ
しかし この森では
人の声の谺を聴いたことがない


          (著作権は長野日報に帰属)

     わが詩と真実
                    
  −−ウエートリフティングーー


                 むしろ詩の限界を認めなければならない。
                 そして、詩がかつてひとつの目的であったことは忘
                 れて、詩を単に接近の手段と考えなくてはならない、
                 とわたし信じる。
                 (イヴ・ボンヌフォア=宮川淳氏訳『詩の行為と場所』)



筋肉が
けたたましく踊る狂い
出臍が
今にも笑い出す予感のなかで
巨大な疑問符と
おれ自身の真綿のようなこころと
一瞬
優雅なバランスが保つとき

きみらと
同一線上の爪先 いくぶん
後方にそりかえってみせる姿勢は
おれが
練習から得たもっともお得意な姿勢
バーベルを
ただ
バーベルのため
胸上に
肩上に
頭上に

固定の位置の
足の裏が
きみらのあくなき饒舌の涎でぬるぬるし
ふわっと
バーベルに吊るさがるかたちの おれ
きみらの目前で
等身大の殻をエロっぽく脱ぎすて
見る見る
上昇していく<計量されたものたち>

ああ
この場での
くすぐったい闘志よ
すでに
湧きあがったきみらの内なる拍手よ喝采よ
貧乏ゆすり
あるいは こころよくない痙攣のあと
おれは
見つめているお客さんに
筋肉質の表皮を印象付けて
ひっそりと 降下する
おれ自身を
垂直に認識しながら―

  「やんばる」

森の入口でバスは停まり

イーゼルを担いだ老画家と

バンジョーを抱えた詩人が下り立った

 

与那覇岳の峰に向かって

常緑広葉樹に覆われた林道はつづき

地表の土壌のため 国頭村では

ホソバスクイヌビワの板根が剥き出す

生き永らえながら 枯れながら

リュウキュウヤマガメは縁石を越えようともがき

挙句の果てに でんぐり返って死ぬ

画家はキャンバスを広げる

かたちである色彩

かたちである死骸

 

岳おろしの濃淡の風は混じりあい

水と酸素の沁み込んだコンテを奔らせる

片腕の画家は 幻肢の先で

風景や生物をとらえる

「やんばる」の深い森の

生きているもの 死んでいるものの蠢き

コンテの先でものたちは息づく

画家の不可視の手を借りて

 

原生林のノグチゲラの鳴き声

その鳴き声に合わせるバンジョーと

聾唖の詩人のくぐもった声がつながる

そこにあることの生命

そこにあることの言葉

 

イシカワガエルは渓流で鳴くが

人を呼び 人に応えるためではない

聾唖の詩人の歌にならない声も

東村のイボイモリの生きながらの化石も

 

画家は森の先住の民・ニングルをえがき

ニングルはキャンバスに妖精・キジムーナをえがく

詩人は遠い海の怪・ヒチマジムンを呼び

ヒチマジムンはバンジョーを弾いて詩を呼び覚ます

 

森が育つ時間のなかの ヤンバルクイナ

地球が死ぬ時間のなかの 幻覚キノコ

脳の奥深くから幻肢の手が延び

脳の奥深くから唖者の声が聴こえる

 

森の入口でバスは停まり

イーゼルを担いだ老画家と

バンジョーを抱えた詩人が下り立った

バスが停まれば下り立つ者だけで

乗り込む者はいなかった

     (著作権は長野日報に帰属)