新しい妖怪妖精たち

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蒐集家 矢崎硯水

第一話『蛇抜け(じゃぬけ)』

台風のときなど、山の斜面から麓にかけて、鉄砲水によって山肌が深くえぐり取られる現象がある。幅5メートルほどのものから、大は30メートルにおよぶものまで、土石流がトコロテン突きで突きだされたように、しかもうねうねと蛇行する痕跡をとどめ、洞(うろ)をつくるのである。

――これを南木曽地方では「蛇抜け」という。

自然の猛威を見せつけられ、それでも死者の数が少なかったことにほっと安堵しながら、村の古老たちは蛇神(へびがみ)の祠(ほこら)に掌を合わせる。

「大蛇さま、どうか、おらの村さ通らんでおくんなして」

と口々にとなえ、お神酒を献上する。

天災は忘れたころにやってくるという。まだけろっと忘れた訳ではないから、この伝でいえば、災害の心配はしばらくはなかろう。平穏な日がつづくと、村人たちは自然の脅威の記憶からじょじょに遠ざかる。それも人情というものだ。災害現場も予算の関係のせいか復旧されることなく放置され、ごたっ小僧(いたずら小僧)の格好の探検ゾーンになる。

遊びほうけて日が暮れて、夜の帳(とばり)がおりるころには彼らも家路につくのであるが、そんなとき、尾根の暗い洞から、それはぬっと立ち顕われるのである。

茫漠(ぼうばく)として定かには見えないが、コヨーテか何かの獣皮のまだら模様か、あるいは、毛羽立ったサメ肌のような黒い大きなかたまりが、山のてっぺんから勢いよくすべり落ちてくる。音もたてずにするすると、しかもひんやりとした感触で頭上からオッ被さってくるのである。

「蛇抜けだ〜、逃げろ、逃げろ〜」。

さすがの悪童連も振り返ることさえできず、わらわらと一目散に逃げ帰るのであった。

土石流の恐さが生み出した新しい妖怪で、「山神(さんじん)」、「山精(さんせい)」、「木魂(こだま)」などの仲間、眷属(けんぞく)に分類されるだろうが、いずれにしても、闇のベールをまとった山の霊気でに間違いはない。

 

第二話『百舌爺(もずじい)』

「ヒワさ鳴くし、スズメさ鳴くし、ヒヨドリさ鳴くし、朝もはよ(早く)からよお鳴くな〜」。

「ンだンだ。天気さ、いいあんべえだしよ」。

善光寺平のとあるリンゴ園の片隅で、ふたりの爺ッさまがラワン材でしつらえたベンチに腰をかけ、話しこんでいる。この界隈はリンゴ園が軒を争うようにつづき、観光バスがひきもきらさないが、少し奥まったここでは小鳥のさえずりが聴きとれる。

ヒワ、スズメ、ヒヨドリの鳴き声はそれぞれ特徴があるのだが、実はその鳴き声は、モズが木の枝にとまって鳴きまねをしているのだ。モズは声帯模写がたいへん巧く、自分より小柄の鳥の鳴き声をまねておびき寄せ、殺して食ってしまう(モズは肉食)。また、ヤギやウシなどの鳴きまねもそっくりで、百の舌と書いて「百舌」の名前も宜な宜な(うべなうべな)――。

隣り合うリンゴ園同士で、表向きは歯の浮くような「おちょうべえ(お世辞)」をたれているのだが、内心はどうしてどうして、お互い胸に一物もっている。

鳥の話題をもちかけた件(くだん)の爺ッさまは、そそくさと退散したのであるが、売店近くの木の枝から人目を盗んでリンゴを2個ほどもぎ取っていったことは、

(胸に一物、手に二物(荷物)という訳ではないが・・・)特段めずらしいことでもない。ちょいちょいのちょろまかしである。

――寄り合いのため、食材の買出し(自己負担)に15文かかることになり、ハト爺ッさまは8文、シギ爺ッさまは7文と応分に負担したが、件の爺ッさまはなんだかんだと御託をならべて1文も出さずじまい。

かかる「百舌勘定」は毎度のことで、誰からとなく「百舌爺」とあだ名され、陰口をたたかれる羽目に陥る。百の舌を弄して人の気を逸らさず、何につけても上手にたちまわる。こちらはそれを承知していながら、ついつい騙されてしまう。まるで妖怪・変化だというのだ。

「小賢しい百舌爺が、また鳴いてらア」。

 

第三話『ずらずら』

諏訪湖の東岸に「渋のえご(入り江)」という水域があり、貴重な水生植物が茂り、淡水魚が棲息する。またこのあたりの湖底には、泥臭くて食用にはならないが大きな二枚貝(斧足類)が確認されている。「いる」というのは正確でなく、「いた」というべきかもしれない。大貝だけでなく、30年ほど前はいまでは考えられないくらい魚影が濃く、俗にドロ舟といわれる小舟を操って、コイ、フナ、アカウオ、ホンモロコがいともたやすく投網にかかった。

――これは、百歳になんなんとする漁師からの聞き書きである。

どんみりと梅雨雲が垂れこめる日がつづき、彼誰時(かわたれどき)ともなれば風も凪いで、油を流したようなくろぐろとした湖面・・・。

「アカズがかかりそうだな」。

漁師としての勘を働かせて網吉っさんはひとりごちた。

漁場にきて投網を打ちだしてまもなく、ずしりと手応えがあり、手繰りよせると舟がかたむいて引きこまれそうになる。なおも踏ん張って引き揚げにかかると、40センチメートルはあろうかと思われる大きな貝が8〜9枚入っていた。網吉っさんが「えい」とばかりに網を船上に揚げると、

「ずらずら、ずらずら」

と水音のような、人声のような音がした。それはかつて聴いたことのない奇妙な音声で、病人のため息のようでもあるし、ぜぜり声(どもり声)のようでもあった。そして貝は二枚の蓋をいっせいにひらき、夜目にも白々しい長い舌と水を吐き出したのだった。

忍び寄るうすら闇のなかで、それは妙に生臭くて恐ろしい光景だった。気丈な網吉っさんでさえ腰を抜かさんばかりに驚き、累々たる巨大貝の死骸を湖水に戻したことはいうまでもない。

「ずらずらと鳴いて、死んだ大貝」。

このことは漁師仲間のみならず、地方紙にも採り上げられた。真夏の夜の怪異譚という納涼記事のスタンスだったが、網吉っさん自身は面白半分どころでなく、それ以来たびたび夢に見てうなされた。

漁師をやめ、しまいには体調を崩すことになる。

――工場からたれ流す、トリクロロエチレン、カドミウム、水銀などが湖水を汚染し、魚貝類の死滅や奇形がいわれるようになり、貝類のメス化というニュースも、まるで怪異現象にとどめを刺すように伝わる。

「貝がものをいう」、「人の代弁をしてしゃべる貝」という説話や古歌は認められるのだが、汚染や公害への貝のうらみつらみだろうか。これは新しい妖怪というべきかもしれない

 

第四話『カラス気(からすげ)』

ある日の午後、西新宿の某中学校のグランドで、部活のサッカー練習が行われていた。中学生たちは、「ワイワイ、ガヤガヤ」と一見仲良くボールを蹴ったり、ボールに頭をぶっつけたりしていたが、校庭の(行事のために立てられた)トーテムポールにカラスが止まってけたたましく鳴き出した途端、ひとりの生徒がうずくまってしまった。うずくまったのは、タッチーと呼ばれる三年生で、とつぜん「カラス気」に襲われたのだった。かれは疼痛に顔をしかめ、筋肉センサーがもたらす尖足(せんそく)をひきずって、左足一本のけんけんで医務室にかけこんだことは言を俟(ま)たない。

カラス気は、カラスナエリ、コムラガエシ、テンキン(転筋)ともいい、『和名抄』にも載っている。ふくらはぎの筋肉が痛みとともに攣(つ)る症状で、筋肉の過労や下腿(かたい)静脈の循環の悪化がいわれている。しかしそれは、あくまでも医学的な面からの一つのとらえ方にすぎない。・・・

妖怪学でいうところのカラス気は、カラスの発する鳴き声、つまりカラスの声紋が「まがまがしい声気」を起こさせようとするといわれる。一種の憑依、呪文にも似ていて、この呪術をかけられると(カラスが、為にして鳴くのではないにしても)、からだの疲労したところ、また逆に、日頃使われない部位が病む、引き攣るということが学会(妖怪学会)に報告されている。

――医務室でバンデリンを塗布し、マッサージをしてもらってベッドに臥せっていたタッチーは、じょじょに快方に向かったのであるが、かれの口からはからずも「懺悔」が語られた。ざんげとはちと大げさだが、かれはサッカーの練習にことよせて部員のヨッチーをしごき、いじめていたと告白した。

「いじめっ子には、天罰覿面!(てんばつてきめん)」。

霊媒師の間ではカラスの不吉な毒気がいわれている。(カラスは神の使いという神話もある)また「気の変化(へんげ)」は一般的に取り憑きが早いかわり、除術もスピーディーだというのが通説。一旦は天罰がくだったが、改心によってタッチーが軽症ですんだことは、勿怪(もっけ)の幸いというべきだろう。

都会にカラスが増え、ふえたカラスがアホアホと鳴き、朝礼で生徒がブッ倒れ、年端も行かぬがアーミーナイフを振り回し、ゆきずりの者をいわれもなく殺める。そのとき、その現場で、「カラス気」という妖気が発生しなかったかどうか。

とまれこうまれ、まだ子細に実証されぬことながら・・・。

ちなみに、夜明けのカラス気は明烏(あけがらす)のしわざとされ、主として目覚めの早い熟年層の初動体勢(?)が狙われる。下肢や肩の筋肉の痙攣、ときに腹部にさしこんで、腹筋をちりぢりにちぢれさせ、悶死させるのである。

――妖魔あなどるべからず。

 

第五話『糸虫(いとむし)』

別名を「糸っ子」という。また「糸奴(いとやっこ)」、「糸々(いといと)」とも呼ばれ、名前は平安朝めいて奥ゆかしいが、歓迎されない虫である。この仲間には線虫や回虫などが知られ、ヒトのからだに這入りこんで悪さをする。

「糸虫」についてのT氏の証言を、ここに開示しよう。

T氏は幼少のみぎり、長野県はS市に広がる小高い丘のくぼ地のようなところに住んでいた。かれの家は、俗にいうウナギの寝床で、間口が狭くて奥行きが深い造作だった。そういう家はつねに暗くて湿気があり、土間には土地詞(とちことば)でいうトビムシが夜な夜な、いや昼間でさえも見かけられ、目前で出し抜けにダイビングした。

幼いころのT氏は、商家に生まれながら経文や漢詩を諳んじて神童とうたわれた。卵に目鼻の青白い顔立ちで、ややもすれば神経質、おびえやすい性質だったという。

――ある夜のこと、T坊は尿意を催して、眠気まなこをこすりながら外厠(そとかわや)に向かった。暗い常夜灯をたよりにサンダルを履きかけたとき、顔の近くを茶褐色の小さな物体がよぎった。「キャーッ」という叫び声から、それがあの恐ろしくも憎っくきトビムシだと知ったのはほんの一瞬だった。

トビムシは体長が3センチくらいだが、130センチ以上の跳躍力があり、四方八方、どっちに跳ぶやら見当もつかない。かれは身近にあった杖をふりあげると一刀のもとに征伐したが、しばらくすると、ぶち割られたトビムシの内蔵から白い糸のようなものが這い出してきた。

それは、形状記憶装置が働いてかたちを元に戻すハリガネのように鎌首をもたげ、パジャマの足にベトベトとからみつき、這い上がってくる。払ってもはらっても、何とも奇態な動線を描きつつ、気味悪くまつわりつく。夜目にも白々しい細い糸、妖しく蠕動(ぜんどう)するムシ。かれは両手で振りはらい、地団駄(じたんだ)をふんで振り落とそうとする。

――このムシをトビムシというのは実は大間違いで、トビムシは昆虫学的には別種であり、カマドウマ、イトド、オカマコオロギ(といっても、特段アブノーマルというわけではない)と呼ばれている。内蔵から出てきたものは、学際的に鳥瞰して検証してもムシでなく、糸虫と称されるムシの霊である。「一寸の虫にも五分の魂」というが、これは怨霊であり、精霊であることは疑う余地のないところだ。

・ あまのやは小海老にまじるいとどかな(芭蕉)

昆虫の蠱物(まじもの)はたいへん多く、よく知られる「土蜘蛛(つちぐも)」から「絡新婦(じょろうぐも)」、「蝶化身」、「ムカデ」など枚挙にいとまがない。またウェールズ(イギリス)には、「ワーム」というサナダムシに似たきてれつな精霊がいるし、「ムリアン」というアリの妖精もいる。ムリアンは姿かたちがとても可愛く、土中の鉱物のありかを探してくれるありがたい代物だ。糸虫のタイトルからは脱線したが・・・。

 

第六話『なんじゃもんじゃ信濃』

「あんにゃもんにゃ」ともいい、得体の知れないものをいう。

実在の「ナンジャモンジャノキ」は「ヒトツバタゴ」のことで、モクセイ科の20メートルにも達する落葉高木、白い小花をたくさんつける。自生地の岐阜、長崎では天然記念物にも指定され、保存されている。また、「ナンジャモンジャゴケ」は1956年に白馬岳で発見されている。閑話休題。

妖怪「なんじゃもんじゃ」は、すでに下総(千葉県北部)は神崎神社の妖しい桂(かつら)の大木が、水木しげる氏の著書などに採り上げられており、これは長野県での聞き書きである。

『御伽草子(おとぎぞうし)』をひもとくと、以下のようなお咄(はなし)が読める。

信濃の国に物くさ太郎という、たいへんな無精者がいたが、夫役(ぶやく=支配者の私有地の耕作)に狩りだされて都(京都)に上がった。それもどうやら無事に務め終え、妻をめとって故郷に帰るべく、辻取(つじとり=いまでいうナンパのこと)を思いたつ。清水(きよみず)の大門にたたずんでこれはと思う女を物色していると、折よく絶世の手弱女(たおやめ)を見つけて言い寄る。しかしこれがあえなく逃げられてしまう。

けれど太郎は、女の奉公先の豊前守(ぶぜんのかみ)の御邸まで押しかける(こんな場合は、なんで「物くさ」でなくてマメなのか!)。

これもいまでいうストーカー行為で、女はいっそう逃げ腰になるのが相場だが、太郎はむくつけ男(醜くて恐ろしげな男)に似ず和歌の心得があって、女もしだいに心を許し、二人は手に手をとって信濃にくだり、富貴(ふうき)に栄えた。

のちに太郎は、じつは仁明(にんみょう)天皇の末孫であることがわかり、お隠れになって神と祀られたとされる。

(これとは別に、歌才によって宮中に召され、貴族の出身で善光寺如来の申し子ということが知れ、出世するストーリーもある)

長野県には川中島、浅間温泉郷などに「物くさ太郎の碑」があるといわれるけれど、どうしたわけか、あるいは当然というべきか、手入れが行き届かず草がぼうぼうと茂っている。だれが建てたかもわからず、訪ねる人もほとんどいないらしい。

・ 物くさの太郎祖として朝寝しぬ(詠人知らず)

信濃には、祖先が物くさ太郎で、自分はその末裔だと言いふらす怠け者がけっこう多い。「ありゃ〜怠けもんだぜ」は、どう解釈しても軽蔑のことばだが、さりながら、怠け者を自称して憚らないのはいったいなぜだろう。

さて、H伯母さんはM建材店に勤める傍ら、短歌をカルチャーセンターに学び、地元の歌誌に入会した。みずからの発意ながら、出稿が間に合わぬことたびたび、怠け癖がついて欠席がちである。しかし今日は、久びさに例会に出てみようと・・・。

――歌会の会場への道すがら、伯母さんは見慣れた麓の大木を眺め、これを歌に詠もうと決めた。そのとき風が烈しく吹いて、樹冠20メートルはあろうと思われる巨木の無数の枝や葉がざわめき、何事かしゃべりはじめた。伯母さんは樹木の言語であるオノマトペアを用いて即興歌を詠んだ。その歌は例会で主宰にいたく褒められ、全国大会でもみごと大賞を勝ちとったのである。

「なんじゃもんじゃ」は、名前もわからない、怪しげな樹木という説が多いけれど、信濃では霊験灼(あらたか)な、短歌の上達する霊力をひめた木だと考えることができる。下総とは種を異にするので、「なんじゃもんじゃ信濃」とする所以だ。

 

第七話『プラ先生』

ちょっと間違えやすいので断っておくが、ブラジャーのブラでなく、プラシーボの「プラ」であり、「先生」は薬師(くすし)、すなわち医者のことである。

「プラシーボ」とは偽薬のことで、古くから医療の場で使われていて、プラシーボ効果なぞともいう。

内服薬ではデンプンなどをつめたカプセル、注射薬では食塩溶液を患者に飲ませ、注射すると、正しい投薬よりもはるかにすぐれた効き目が実証されている。またニセ薬でありながら、本来の薬を服用したときと同様の副作用まであるという。これははてさて、いったいどうしたことだろう。ヒトの生体反応の危うさ、論理回路の危うさ、パラドックスの効用と力量が感じられてならぬ。――

八ヶ岳山ろくの町寄りに、Mという医院はある。かやぶきで古色蒼然、山水(やまみず)を引き込んだ古池はよいとして、竹藪にスズメが居ついてしまい、まさに、「門前雀羅(もんぜんじゃくら)を張る」(訪れる人もなく寂れ、スズメを捕らえる羅(あみ)が張れるほど)だった。

M院長は見るからにジジむさい医者で、看護婦ひとりおかず、皮膚科を専門とするらしいが駆け込む患者がいれば何病でも拒まない「よろず医院」である。それらしく聴診器を当て、さび付いたメスをふるい、腹痛にも虫刺されにも、葛根湯を処方した。それでたいがいは治ったのだから、自然治癒力は侮りがたく、からだとは丈夫にできているものらしい。

さて、漢方薬には薬効の広範なものが多く、それがヒントになったか、裏庭や土手から採集してきた適当な山野草を乾燥させ、粉末にして患者に投与した。試供薬というか、人体実験というか、最初はいわゆるデータベースもこさえたが、「七面倒なこった」とさじを投げてしまった。実はこの頃から、M院長のボケがはじまっていた。

少数ながら患者もあって、藪はあるけれど名医という評判と、下手をすると殺されかねないという、よしあし相半ばの評判。世の中そんなものかもしれぬ。

患者からの聞き取りによると、「何をどう調合したクスリやら?」、「金輪際かかりたくない医院」という不安や恐怖のこえが多かった。それでわたしは医の妖怪「プラ先生」を妖怪学会に登録することにした。医は仁術であろうが、医は妖術の部分もなしとしない。プラシーボの仁術的なプラス面、信じようとする力は大きいが、その逆の妖術的な恐さも見えてきはせぬか。

(『四谷怪談』では産後まもないお岩さんが、血の道の薬と偽って顔面の崩れる毒薬を飲まされるが、これも広義のプラシーボである)

手術箇所をまちがえて切ったり、お腹にカンシを忘れたりの医療ミス。これは命を預かる医者としてあるまじきことで、医の妖怪のしわざと考えるほかはない。

こちらの死者からあちらの生者へ、あるいは生者から生者へ、心臓、腎臓、脾臓などのパーツが空をブッ飛んでゆく。(容器に入って空輸される)医術の「飛び物」という新妖怪に挙げられる時代がくるかもしれない。

 

第八話『ケセランパサラン』

釧路地方は北部の、雌阿寒岳の麓に古びた洋風の館があり、その家にはおじいさんの彦さと、孫娘のロリーテ・与奈が住んでいた。与奈はロシア系ハーフで顔の彫りが深く、肢体もすらっとしていたが耳がほとんど聞こえず、ことばが不自由だった。13歳の彼女は学校にも行かず、家のうちそとで毎日まいにち一人遊びをしていた。

ある日、与奈はトランプ占いやヨーヨー遊びに飽きると、庭に出てマリ撞きをはじめた。ネコジャラシが茂り、ハマナスの花の腐(くた)す庭の片隅で、チャコールグレーのフレアスカートをなびかせ、ゴムマリに似たマリをつく。

「♪アンタガタドコサ、ヒゴサ、ヒゴドコサ・・・」と危なっかしい節回しで。

湖水から風が吹いてきて、スカートがめくれ、あわてて押さえたとき、マリが彼女の胎(からだ)のなかに這入ってしまった。

――食事の世話は彦さと与奈の交代だが、交代といっても空腹を覚えた方が適当にこさえて食べ、時間も不規則なものだった。ひげを蓄えた彦さは庭でヒメウリやメロンをつくり、ドイツゴイやウグイなどを阿寒湖で釣ってきて飯の菜にした。また油絵も描いていたが、いたって寡黙で、何を考えているのかよく分からないところがあった。

その年の秋、与奈のお腹が膨らみはじめ、悪阻の兆候があらわれた。口さがない田舎のこととて、彦じいさんのインモラルな風評が取り沙汰され、かれは、いたいけな与奈のモデルの絵に身の潔白を証そうとした。その絵を完成させ、阿寒湖に身をしずめた。

話はかわるが、「ケセランパサラン」をご存知だろうか。耳掻きの棒についているボンボンみたいなもので、およそ5センチ大で、白くてふわふわしている。鳥の毛のような感じだが芯に生き物がいて、白粉を食べるともいわれる。

これを見聞した人は意外に多いようで、やれ「風の吹き溜まりの綿屑」だとか、「大きな雪虫でつぶすと体液がでる」とか、「ビワの木の精」に違いないとか、諸説ふんぷん。昆虫タイプ、植物タイプ、静電気、神さまの触手、幸運の魁(さきがけ)、子どもの夢の精など、その手のメディアの検証がかまびすしい。

またマリモが空気にふれて乾燥し、緑色から白色に変化し、呆けて大きくなったとも。この説はとくに北の地方から発する。

さてさて、後日譚の与奈であるが、出奔したロシア生まれの母を追った父、両親の消息は杳(よう)としてわからぬが、彼女の美貌はいよいよ研きがかかって、シャロン・ストーンばりとのうわさが専ら。そして傍らには10歳くらいの女の子がいて、だれが見ても母子にみえず、姉妹に違いないと勘違いする。

北方の美形の母子と、苔むす洋館。

「ケセランパサラン精霊説」のリサーチとともに、これは旧知の北海道の詩人・Y氏が伝えてきたものである。

(2001/06−09/)