コラム「その11」

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220「日誌」
219「ろくろ首」の首の「のびしろ」
      と広辞苑さん」
218「自己救済」
217「日誌」
216「日誌」
215「判じ物」
214「哲が句」
213「わたしは在るだろうか」
212「不足気味」
211「寓話」

210「寓話」
209「寓話」
208「敵がわからない」
207「下手物食い」
206「あああ、雨」
205「ヘッドバット(頭突き)」
204「スカッとしない」
203「夏でも寒い」
202「ヒヨドリの子育て」
201「コラムの原点」

『日誌』220

体調が悪くて医師の診断をうける。診断して薬が処方され、処方された薬を飲む。朝・昼の二回服用しただけで、ひとまず服用を中断してしまう。薬の効能は確認できず、体調が改善したわけでもないが、その薬による胃腸の具合の悪さ、違和感が耐えられない。

中断はしてみたものの、当然のことながら、もともとの疾患が薬効によって治癒したわけでもなく、体の調子は相変わらず悪いのである。またぞろ、処方された薬をとりだして服用。だが、このとき三種類の薬が処方されていたなら、一種類は捨ててしまい、二種類だけを飲む。これでも胃腸の具合が改善されない場合は、二種類のうちのいずれかの薬の量を減らす。

粉薬なら三分の二、錠剤なら約半分を飲む。そうして体調を観察するのである。

ドクターはこのようなクランケを、「医者にして患者の患者」というそうだ。最近、医療や医療行為を採り上げるテレビがやたらと多い。安タレントをクランケに仕立てあげ、テレビデビューを目論む売名ドクターが診断する。そんな類のテレビなのだ。コストが比較的低廉であがるし、視聴者の健康への関心にマッチしているし、といえようか。

医療もだが、健康や食餌のテレビ番組も、いかがわしいものや危険のものが多い。情報過多、その情報が必ずしも「視聴者」のためのものでなく、「視聴率」のためのものであるからだ。死なない人間はいないのだし、病気にかからない人間はほとんどいないのだし・・・。と、歌さんが言っていた―。

入れ歯をいれた。奥歯の左上の二本のための可撤義歯、つまり取り外し可能の入れ歯で、これまでは「空席」になっていたので左側では物を噛むことができなかったわけ。バネ仕掛けで入れるとき痛みはないのだが、付けていて違和感がある。ピーナッツなど固いものは痛くて噛めない。ま、入れて四日目だが。

入れ歯の歴史は新しいようで古く、紀元前3000年ころの古代エジプト人のミイラの臼歯部に互いに、歯と歯が金線で結ばれている例が発見されているという。必ずしも補綴(ほてつ)の目的で製作されたものではないかもしれないが。

日本には江戸初期の義歯があり、灰白色の蝋石でつくった人工の歯を、ツゲの木を素材にした床につけて前歯としたもの。

木材の入れ歯のことを考えると、筆者のようなそこそこの痛みは我慢せな、あかんわけか。歯がなければ、話にもならんのだから。(06/10/28)

 

 『「ろくろ首」の首の「のびしろ」と広辞苑さん』219

「のびしろ」という言葉をご存知だろうか。

「知っている、知っている。『のりしろ 』ね。いや『び』と『り』が違うか。地方によって訛るのかな?」。

「『のびしろ』という言葉は、どうも、ないらしい。いや、ないというのは間違い。日陰者扱いらしいよ」。

「のりしろ」は糊代の漢字で、紙を貼り合わせるとき、糊をつけるための部分をいう。この言葉は広辞苑をはじめ多くの辞書に収載されているので、ご存知の方が多いだろう。一方「のびしろ」はいずれの辞書にも載っていない。載ってはいないが、驚くほど多く慣用され(一例としてネットで検索)、一部で重宝に使用されているように思う。

例えば、能力からみて今後の成長の余地があるとか、潜在力を秘めているから何れ伸びるだろうとか、そんな事例に使われる。どう見てもいっぱい、いっぱいで、これがぎりぎりの限界というのでなく、ひと踏ん張りすれば伸びる可能性があるという場合だ。

「あの子はトレーニングが嫌いだが、練習さえすれば伸びる。『のびしろ』があるよ」。

「大食い大会で一敗地にまみれたが、かれの胃袋には未だ『のびしろ』があるはず」。

ざっとこんな塩梅だ。いずれもこれから期待できる状態をいい、ポジティブに考えようとする表現である。

ところで、「ろくろ首」の首の「のびしろ」は?

葛飾北斎の「ろくろ首」は、身は寝所に臥せたままの若い女(目を見張るばかりの美人。片目ぱちくり、ウインク)がしなやかな首を恐ろしく引き伸ばし、煙管で煙草をぷかぷかとふかす絵図。煙草の煙は針金みたいにひん曲がっているが、女の細首もくねくねと異常に長く伸び、ねじれて途中三箇所でたわんでいる。顔は26センチ、首の長さはその16倍あるから、推定で約416センチ。女が二十代と若いことや、ねじれた箇所の首の太さから推測して15%、約62センチの「のびしろ」があると考えられる。(以上は筆者のリサーチによる)

☆ 喉(のど)へ餅(もち)三日苦しむろくろ首

という古川柳があるが、「のびしろ」が62センチあると仮定するならば、「三日苦しむ」の「三日」に異変が起きるかもしれない。四日になるか、それとも三日のままか――。

話が少しく脱線した。言いたいことは「のびしろ」は大変よい言葉であり、言い換えると意味にずれが生ずる、違和感をおぼえる場合が多いのだ。広辞苑さんよ、岩波さんよ、次の編纂のとき是非とも「のびしろ」(伸び代)の語を収載してほしい。お頼みいたします。(06/10/21)

 

 『自己救済』218

(・・・前略・・・)

中島らもは「笑いとは 『差別』だ」と断言する。同じことをフランスの劇作家で映画監督のマルセル・パニョルはこう表現した。「笑いとは優者の劣者に対する優越的感情の爆発である」

例えば「センセーショナリズムとピーピング趣味とサディズムと吉本の芸人で成立しているテレビ番組」を見よ、と中島らもはいう。そこには愚かなものを見て、優越的感情をもって笑うという差別が構造化されている。だが、この愚かなものは愚かな視聴者のために作りだされた虚構にすぎない。そのからくりに嫌気がささないか、と著者は私たちに問いかけるのだ。

その一方で、ある人物にはこんなふうにも語っている。

なぜ人間は笑うのか。それは自己救済のためだ。他人を笑うことで自分を救っているのだ。だとするならば、その笑い=差別は、善悪をこえた人間の条件ではあるまいか。人間が絶望に追いこまれたとき、生きるための不可欠の手段ではあるまいか。

中島らもがそう語りかけたある人物とは、のちに自殺する落語家・桂枝雀だった。二人は朝の六時まで笑いについて語りあったという。

(・・・中略・・・)

この孤独な自負だけを武器に、中島らもは喜怒哀楽の喜と楽だけでなく、弩と哀にも踏みこんでいく。「笑う門には」のある回は、弩と哀を扱い、差別の問題に正面から切りこんで、雑誌への掲載を拒否された。

以上は 『何がおかしい 』中島らも著。「笑いをめぐるラディカルな思考を展開」というタイトルの中条省平氏の書評の抜粋である。(朝日新聞10月8日)

泣くことは簡単で、人を泣かせることもたやすい。「お涙頂戴」という言い方があり、不確かながら映画の一ジャンルにもなっている。だが、笑うことは難しい。人を笑わせることはそれに輪をかけて難しい。人に笑われることは簡単だが・・・。

中島らもは「関西の文豪」(最大の褒め言葉として使っているつもり)だ。兵庫県の出身ではあるが、そんな気がしてならない。笑い、ユーモアが解せる人間だ。一方、桂枝雀は関西の落語家。落語家でありながら自殺した。落語家として尤も相応しくない死に方を選択した。彼を死に追いやったものは何だろう。

「自己救済」とは重く哀しいことばである。(06/10/13)

 

 『日誌』217

・ 10月5日の19:30、当ホームページのヒットが「33333」となった。「3」のゾロメ、ウェブ上で眺めてよくも数字が揃ったものよと感慨深い。3万余など全く誇れるものではないが、数字が揃うという奇妙な魅力・魔力。実は魅力でも魔力でもなんでもないのだが、何となく気分がよい。

筆者、パソコンを始めた頃、専門学校のデザイン科の女生徒のホームページをせっせと覗いていた。コンテンツは「妖怪」で、あまり怖くはない人形系の妖怪、妖精のデッサンがアップされていた。掲示板もあって筆者は書き込みをした。返事もあってしばらくおしゃべり。そのホームページを筆者が訪問したとき、たまたまヒット「1000」で、彼女は記念に絵を描いてくれるという。リクエストを出してくださいという。

筆者は「百舌爺」をオーダーした。百舌は鳥のモズ、爺さんのモズを依頼した。モズはやかましく鳴きたてる、高音。肉食、小さいけれど獰猛。実は「百舌爺」は筆者が考案した季語であるが、どこにも登録してない。また登録する機関もないが。芭蕉は、生涯に二つ三つの季語を創るのもよろしいという意味のことを言い遺しているではないか。

それはさておき、しばらくして「百舌爺」の絵が彼女のホームページにアップされた。生々しい官能的な百舌であった。現在彼女のホームページはない。

・ 各選考委員から出されたコメントで、合意事項ではないと断り書きはあるが――発句は現代俳句であって、きちんと切字が欲しい。裏一句目は表で出せなかった内容を積極的に出すべきである。表で通用する内容の句が裏一句目にあることは残念である。神祇の内容は日本の神である。歳時記にはキリスト教関係の季語が幾つかあるが、これらは神祇とは言えない・・・。

以上は連句大会の作品集の講評をかいつまんで記したもの。

その他のコメントに賛成するものはあるが、連句公募の選者たちの言うことではないように思う。(選者の立場でなければ、むろん自由)キリストが神祇でないというのは納得できない。連句は日本で誕生したものだが、世界や宇宙を描くもの。式目や題材に枷を嵌めることはイメージの「狭窄」につながる。

そう考える筆者も含めて、連句の式目や基準は捌と連衆とで考えながら進めるものでありたい。結社やグループが強制するものではない。連句のおもしろさが分からない者に限って式目や基準をいう。筆者は以前に「こんにゃくカノン(基準)」という言い方をした。触れればブルン、ブルンとゆれる蒟蒻が連句の付合の醍醐味だと―。(06/10/07)

 

 『日誌』216

・ 思潮社から「現代詩手帖」の10月号が2冊送られてきた。購読していないのに何故だろうと開封してみる。思潮社50周年記念「現代詩手帖賞を読む」の特集が編まれ、手帖賞の詩人たちの62篇の詩が掲載されていた。

1963年の第三回は筆者が受賞で、「火盗」という詩と選者の選考会の対談の一部が見られる。因みに選者は、野間宏、清岡卓行、吉野弘、長谷川竜生という錚々たるメンバー。嗚呼、懐かしいなあ。久しぶりに思い出したなあ。それにしても43年も大昔のこととなってしまった。そのころの受賞者たちの名前も懐かしいし、詩も再読してみたい。当時のことをエッセーにしている詩人もいるので読んでみたい。

1冊は群馬の詩集出版に携わるNさんに贈呈した。Nさんは何時も同人詩誌「水鏡」を送ってくれるので。

・ 当庵のファックスの機嫌がよろしくない。6年前のSHARP製で古いのかもしれないが、ノンコール受信に設定しても電話が必ず数回鳴り、受話器を取らずにおられない。受話器をとって、からをしょう。

また送信の場合、5回以上も相手の電話を鳴らしつづけないと送れない例、北九州の某さんには全く送れないなどの例がある。先方のファックスとの互換性がない、相性がわるい、そんなファックスってあるのか。

さらには「1枚受信」のはずが2枚に渡って印字され、またあるときは、黒い乱れた線を引いて5枚も流れつづける「お化けファックス」もくる。取り扱い説明書はたびたび読んで、これ以上読む気にもならぬ。どうもファックスは意のままにならぬ。6年前の古いものと先に書いたが、購入当時からこんなだった。ファックスもご主人に似て偏屈になるのか?

・ サボテンの「サボちゃん」を室内に入れた。夏に買ったときは五つほど蕾があってピンクの大輪が咲いた。その後庭に出して健康な直射日光を当てていたが、ここ気温が下がってきたので取り込んだわけ。我が家のサボちゃんになったからの蕾が現在一つ。相当大きな蕾だ。これを書いているノートパソコンに近い窓辺で、蕾を膨らませようと頑張っている。「サボちゃん、咲いてくれ。そして無事に冬越しするんだぞ」。(06/10/04)

 

 『判じ物』215

★ 民主主義者はなぜ猫が嫌いか?そのわけを推測するのはたやすい。すなわち、猫は美しいからであり、贅沢や清潔や逸楽を思わせるからである。

シャルル・ボートレール(珍説愚説辞典)

★ 哲学教育なるものは、若い世代に、悪徳にまみれたバビロンの杯でドラゴンの胆汁を飲ませることにほかならない。

ピウス九世(珍説愚説辞典)

★ 蜂が棲み蛇の殻棲む我が家かな。

★ じゃがいも=4から5。たまねぎ=2。にんじん=2分の1。ピーマン=3から4。しいたけ=あれば1パック。挽き肉=250g。熱いうちに潰す。塩胡椒(じゃがいもには少少の塩胡椒のこと)。丸めて溶き卵。揚げる。

合計15個になるもの、な〜ぁに?

★ 「種の起源」を読んだある友人の反応。

あんまり笑ったので、おなかが痛くなったよ。

アダム・セジウイック(珍説愚説辞典)

★ 「ひとつの技術」

苦しむ術を知ること。()ああ、もし不幸な人間がもっと上手に苦しむ術を知り、幸福な人間がもっと上手に愛する術を知っていたら、世界には平穏と善意に満ちたすばらしい夜明けが来るのに。

フランソワ・コペー(珍説愚説辞典)(06/09/25)

 

 『哲が句』214

○ 翠あおく枷無くば尚みどりかな

「翠」「あおく」「みどり」とも青さ、緑をいう。こうして森や樹木に囲まれていても、否、囲まれているからこそ、その外側の見えない「枷」がわたしたちの境界を形作っている。この世はすべて何物かに象られ、なんと「枷」が多いことか。もしも「枷」が無かったら、わたしの心は瑞瑞しく息づくだろうに。

青さ、緑の近似の異なった語を三つ重ね、諦観と苛立ちと望みを表わそうとしている。「みどりかな」には望みと明るさが秘められている。

○ 秋の天小鳥ひとつのひろがりぬ

秋空の一羽の小鳥。多くの人は飛んでいる小鳥を静止したものとして目視するが、この作者は飛んでいる、動いている「広がり」として捉えているのだろう。精神の揺揺として。

○ 稲妻を手にとる闇の紙燭(しそく)かな

「紙燭」はこよりを油に浸して灯火に用いるもの。闇夜に灯した灯火が一瞬、天を走る稲妻とつながり、あたかも稲妻を自分の手で掴まえた。そう錯覚した。否それは錯覚ではなく、人間は自然とともにあり、稲妻とともに、ここに生きていると言いたいのだろう。

○ 秋雨や水底の草を踏み渡る

川の底に水草が繁っている。涛に揺れる草を踏みしめながらの、川渡り。折しも秋雨粛粛と・・・。雨を降らす天空から水底。「水」が結ぶ乾坤の狭間に水草を踏み渡る「おのれ」がいる。

○ 陽炎の尾頭つひに見てしまふ

ゆらゆら揺れる陽炎。その先端と最後の部分を、それが「鯛」でもあるかのように「尾頭」と喩える。起承転結、はじめとおわり、人間は「途中」を生きているのだが、尾を考え、頭を思わずには居られない。「陽炎の尾頭」はおのれのなかの「尾頭」だ。

以上、適当にランダムに俳句を選んで、解釈してみた。俳句は「哲学」である。「哲が句」である。(06/09/17)

 

 『わたしは在るだろうか』213

わたしは在るだろうか。

生きているだろうか、息をしているだろうか。

生きているか分からないが、呼吸はしている。われながら鼓動も感じられる。

家のなかでわたしは在るだろうか。わたしはペットと在るだろうか。

ペットはわたしとともに在ることを知っているだろうか。

とある日、わたしのいない家のなかでペットは在るだろうか。

いささか物は在る、いささか金も在る。物欲はいささかあるのだろう。

わたしという物体によって、いささかの物が在り、いささかの金が在る。

だが、わたしは家のなかでペットとともに在るだろうか。

呼吸も鼓動も感じながら、わたし自身にはわたしの在ることが分からない。

消えてしまったようなわたしを、わたしが見つめている。

 

わたしは在るだろうか。

生きているだろうか、息をしているだろうか。

社会のなかで、会社のなかで、一員として在るだろうか。

居なくても社会のだれもが気がつかず、会社は何事もなく廻っていくのだろうか。

わたしの一挙手一投足はだれも見ていない、ように思われる。

わたし自身でさえも手を挙げたり、足を運んだりする感覚がない。

それども、わたしは仕事をしている。

仕事をしていると自分も同僚も思っている。

自他ともにそう思っている。

呼吸も鼓動も、微妙だが、たしかに感じられるから生きているのだろう。

社会の会社の、一員に組み込まれているのだろう。

だが、わたしが手を挙げ、足を運ぶところはだれも見ていない。

わたしは手足を喪失してしまったようだ。

手足の動きのないわたしを、

わたしが見つめている。(06/09/09)

 

 『不足気味』212

近頃のテレビは騒がしい。数人から十数人がわいわい、がやがや。大騒ぎしたり、ゲームに興じたり、勉強まがいのことをしたり。観なければよろしいのだが、テレビ病にかかっているので、全く観ないわけにもいかない。

報道番組を5〜6局が同じ時間帯で、同じ事件を報道していることが多い。特徴がない工夫がない、主体性がないことおびただしい。コメンテーターも似たり寄ったりの、言わずもがなの言説を弄している。どうせテレビという「紙芝居」のことだからと、これも観なければよいものを、中毒症状のわれわれは耳目を傾けてしまう。

パソコンに疲れて寛いでいるとき、俳句をひねって頭がこんがらかったとき、ついテレビのスイッチを押す。そんな干乾びた頭のオアシスのためなら、毒にも薬にもならないことがよいのかもしれないが、騒がしいのやはり害毒。それでもスイッチを押してしまうのである。禁断症状かもね。

ところが最近、ローカルテレビで赤岳にある山小屋の佇まいや、赤岳周辺の景色を映しながら音楽を流している「実験放送」をみつけた。ライブで放映している。へんてつもない、これを視聴しているとなぜか心がやすまるのだ。残暑の心身の回復にはよいのかもしれない。

過不足ということばがある。ちょうどよいのもよいが、物や事は少しく不足気味のほうがよろしいようだ。(06/09/01)

 

 『寓話』211

《想像力》

イマジネーション、想像力が働くひとと、あまり働かないひとがいる。働かないひとも困るが、働き過ぎるひとも、また困ったものだ。俳句は想像力を刺激する、あるいは刺激される文芸である。連句もまたしかり。

想像力は「シャボン玉」のようなもの。膨らんで、膨らんで、破裂しそうになって破裂しないで、風に運ばれることがある。そうかと思うと大して膨らまないで、簡単に破裂してしまうことも。

シャボン玉は風に運ばれるところが、よろしい。風に運ばれなくてはシャボン玉らしくない。

『悪魔の辞典』でA・ビアスは、「想像力」とは「詩人と嘘つきとで共有して、事実を収めておく倉庫」と言っている。

《わい、惑星やで》

「水金地火木土天海冥」。冥王星という名の星が、太陽系の惑星から降格されて惑星でなくなった。学会?で決まったという。なんでも「惑星」から「矮惑星」に格下げされたらしい。

「矮惑星???」。―――「わい、惑星やで」「そんなん、いわんとって、わかっとるわ。アホくさ!」

「ほいなら、たこ焼き食いっこ、しょや。」(06/08/26)

 

 『寓話』210

《眼鏡のメガネ》

「どこからともなく出てきて、無へと通じている数多くの道から成り立っている一つの道」(A・ビアス著『悪魔の辞典』の「哲学」より)

うむうむ、そうかも知れない。「悪魔・・・」を読み止しにして、新聞を読む。朝日新聞を購読しているので朝日新聞を読んでいるのだが、どうかすると産経新聞の記事が引用されていて、その記事が目に入ってしまう。

眼鏡は使っていると目に合わなくなってくる。眼鏡屋に行って目に合わせて貰わなくては。だが、そのままになってしまっている。合わなくても、とりあえずは使用に耐えるので。

朝日の道、産経の道。

眼鏡を目に合わせることも、そして眼鏡のためのメガネの用意することも怠ることはできない。

朝刊といえば朝だが、朝はぼんやりしていて、眼鏡をかけていながら、新聞を読むために眼鏡を探している場面がある。うっかりといえばうっかりだが、昨今、うっかりだけでは片付けられない。

朝日新聞は「朝日眼鏡」、産経新聞は「産経眼鏡」を新聞といっしょに配達してくれるべき。読者の備えるのは眼鏡のためのメガネであろう。(06/08/21)

 

 『寓話』209

《歯の飴》

飴玉を舐めていた。明治、森永、グリコ、あるいは他のお菓子屋さんの飴玉だったかもしれないが、白くて固めのキャンデー。舌の先でころがすと、甘みがじんわりと湧いてくる。ミルクの香りが鼻腔にひろがる。

九九を唱えていた。口のなかには飴玉、九九は飴玉の周りをまわるが、多くはからすべり。さっぱり覚えられない。それもそのはず、九九は頭のなかで唱えていた。口は九九を唱えるふりをして、飴玉をしゃぶっていたのだ。

飴玉は少しずつ小さくなっていき、九九は覚えられそうで覚えられない。「6×4が26、7×5が38」。大きな数字が最初だと間違えてしまう。小さな数字が先だといいのだが・・・。

間違えると飴玉を飲み込みそうになり、喉の奥から慌ててベロの中心に取り戻す。ぐらぐらだった歯が取れた。ぐらぐら揺れる歯は取れたところで痛くはない。血も出ない。

――どうやら飴玉を飲み込んでしまい、取れた歯を舐めていたらしい。歯を懇ろに、しゃぶっていたのだ。抜けた歯はミルクの味だった!

《眼の蜻蛉》

枝先に止まった蜻蛉の目玉が、くるりと廻る。頭も目玉もろともくるりと廻るのだ。蜻蛉の頭は目玉で出来ていて、目玉で昆虫をとらえて食べる。頭で交尾し、目玉で考える。

シオカラトンボ。成熟した♂は背に白粉をふったように、あるいは尾の部分が淡い水色になる。♀は白くも青くもならず茶色なので、俗にムギワラトンボと呼ばれる。

蜻蛉の止まっている枝先に向かって、抜き足差し足忍び足。息を殺して、人差し指をゆっくりと廻しながら・・・。蜻蛉の目玉がくるりと廻る。蜻蛉の目玉に人間が映り、太陽が映る。

目玉に映った人間がくるりと廻り、太陽もまたくるりと廻る。山河はてんぷく、草木は逆立ちする。

シオカラトンボの♂は白いスーツ、水色のネクタイで水辺をすいすい飛ぶ。ムギワラトンボの♀は目玉をくるりと廻し、恋を受け止める。夏は人間も太陽も目玉になる。(06/08/11)

 

 『敵がわからない』208

夜中にリビングの外の通路のあたりで、音がした。何かがひっくり返るような、落下するような烈しい音が・・・。一瞬耳を澄ましたが、続いての音がないので、そのまま寝込んでしまった。

起床して確認すると、桃の入った浅い段ボール箱が、家の外の棚から落ちていた。桃が8個ほどなくなっていた。ふと気が付くと、鉄平石の丸い敷石に桃の種がころがっている。あたかもそこに並べたかのように置かれてある。

「やられた!」、泥棒にやられた。・・・まてよ、泥棒が桃を盗んで食べ、種を並べて置いてゆくか。狸にやられた。まてよ、猫がよくくるから、猫にやられた。猫が桃を食うだろうか。小さめだが糖分たっぷり、完熟のものばかりが・・・。肉食の猫が桃を食うだろうか。

思考停止のまま二日間が過ぎ、ある朝のこと。裏庭の「猫の額」にミニトマトが二本植えてあるのだが、今度はそのミニトマト5個分ほどの種が、敷石に雑然と散らばっている。トマトの赤い表皮やヘタなどは見当たらない。いったい誰が食べてそこに置いたのか。

拙宅のすぐ近くに小川が流れている。裏木戸から劫の経た川獺が侵入して来ただろうか。いや、それは、ないない。

裏山からは距離にして2キロから3キロくらい、狸は聞かないが、猿の話は全く聞かないわけではない。裏山につづく、もっと高い山にはボクちゃん(猪、筆者の干支)もいる。ただし、拙宅まで駆け込むには街や人家や学校などがあり、並大抵の障害物競走ではない。はてさて、ふたたび思考停止に陥ってしまう。

ローカル紙の片隅に「探し猫」の広告が写真とともに掲載されていた。11年飼っていて、白と茶で、名前は三毛ちゃん。見つけた方はご連絡ください。謝礼を差し上げますとも。

敵がわからない、思考停止状態の日がつづき・・・。朝方、鳴き声を聞いた。寝室の屋根のあたり、鳥の声と思われるが何の鳥か見当もつかない。子鴉でもなく、子鵯でもなく、雉でもなく、なんだろう。

ネットで調べると、猫は桃や林檎を食べないことはないが、中毒を起こし易いという。鳥が桃を8個も食べるわけもなく、筆者、狐につままれたような心境。ひょっとして、夜中の落下音、桃の紛失、ミニトマトの種は筆者の幻聴・幻想で、ほんとうは何事もなかったのだと思うと、妙にすっきりする。

「事件」は7月30日に起きた。そんな、こんなで、きょうは8月4日である。(06/08/04)

 

 『下手物食い』207

下手物(げてもの)とは、普通と違って風変わりなものをいう。人が見向きもしない、多くは嫌悪感すら覚えるようなものを食べること、また食べる人を「下手物食い」という。

カイコ、ヒトデ、ミミズ、アブラゼミ、ゴキブリ、ゲンゴロウ、カエル、ヘビなど、咄嗟に思いつくだけでも十指にあまる。これにプラスご当地の食材として、ザザムシ、イナゴ、ハチノコがある。

筆者、ゲンゴロウ、カエル、ヘビはおぼろげながら食べた記憶があるが、イナゴ、ハチノコならば、おぼろげどころか明瞭に記憶に残っている。

ゲンゴロウは、兄たちが3匹ばかり捕ってきたものだろうか。母者がフライパンで炙ってカラカラに。塩を振って食べる。食材自体は固いものだが焦げるくらいの「ウェルダン」に焼くので、かりかりと歯応えがありながらよく砕け、「虫脂」も香ばしく美味かったような気がする。

カエルは木曽にお呼ばれして食した。これは下手物という感覚は全くなく、見た目も味も鶏肉そのものだった。調理の現場を見ていないので「ドンビキ食うた」というイメージが湧かず、やわやわと柔らかい「レア」であっても平ちゃら、美味かった。

戦後食料事情が悪くて栄養失調の多いころ、よくヘビを売りにきた。百姓のおやじさんが100センチ大のヘビをズック袋から取り出して首を落とし、血を搾ってコップに満たし、骨を削いだ肉は蒲焼にした。筆者旧居の一部を運道具店に貸していて、その店主夫妻がよく食べた。「大家」である少年筆者は専らヘビ捌きを見物、蒲焼のお福分けはいただいたような気がするが。

イナゴは母者が田圃に捕りにゆくこともあったが、百姓のおばさんが売りにきた。布袋に入れたまま熱湯をかけ、醤油と砂糖で佃煮に煮込む。蜂蜜も加えたと思う。しっかり煮込むので黒光りして甘辛く、おかずとして一級品。物心ついたころから食べていたので、気味悪いということはなかった。

ハチノコは地元の八百屋さん売られていた。クロスズメバチの巣を見つけて、それを副業にする人がいたらしい。直径40センチから50センチの巨大な鼠色の巣を母者が買い求めて来ると、少年筆者は巣孔から幼虫であるハチノコをつまみ出す作業を手伝わされた。ピンセットで黒っぽい口を挟んで引っ張りだす。クリーム色のおデブの体がくねくねのたうつ。半ば羽化して柔らかな手脚や触覚を動かすものも。ハチの姿形のものも、もちろん美味しく頂戴する。味醂醤油でとろとろ煮込んで、佃煮にするのである。ハチノコは貴重品で、地元の食品会社からは缶詰も売り出され、筆者の記憶に間違いがなければ宮内庁御用達だった。

母者は肉魚が駄目で、その代わりかイナゴ、ハチノコを好んだ。幾つもむかしの話である。(06/07/28)

 

 『あああ、雨』206

梅雨末期、例年のように雨が降りやすい時候だが、それにしても雨が降る。途中に曇りや晴れ間もあることはあったが、ここ一週間ほど雨にたたられている。

降雨量は400ミリを超え、諏訪湖は氾濫寸前。大小の河川から一旦諏訪湖に流れ込んだ水が各河川に逆流し、湖畔の0メートル地帯は水浸し。交通は至るところで寸断されている。

19日にはトラック群が国道にストップし、拙庵の前は12時間にわたって微動だにしなかった。避難勧告も出て、各地の学校に避難する人が多い。

諏訪湖の西側の岡谷市では土石流が人家をおそい、7名の死者、1名の行方不明者を出している。雨中マスコミのヘリコプターが盛んに上空を飛んでいる。テレビは当地の災害をトップニュースで扱っているところもある。

筆者、諏訪湖よりいささか高い地帯に住んでいるので、幸いにも被害に遭わないですんだ。当区には避難勧告も出ていない。ただ家にじっとこもって、買い置きの食糧で食いつないでいる。ないものはないので、あるものを飲食している。あるものもいつしか、ないものの範疇に入れなくて・・・。

唐突だが、雨の「♪」が口のなかで声になる。

「雨よ降れ降れ 悩みを流すまで どうせ涙に濡れつつ」は「雨のブルース」。「雨 雨 降れ降れ もっと降れ わたしのいい人 連れてこい〜」は「雨の慕情」。

「雨雨 降れ降れ母さんが 蛇の目でお迎えうれしいな ぴちぴちちゃぷちゃぷ らんらんらん」は野口雨情だが、「雨降りお月さん雲の陰 お嫁にゆくときゃだれとゆく」も同氏。名前が雨情で、雨が好きな人だったのだろう。

ともあれ、「♪」の世界では、すでに雨が降っているにもかかわらず、更に雨を降らせようとする。すなわち豪雨を促す歌詞が多いのである。歌はいいから、あああ、雨よ止んでくれ。

そういえば「雨が止んだら お別れなのね」という歌もあったっけ。(06/07/22)

 

ヘッドバット(頭突き)』205

「腐れ外道」という妖怪がいる。マイナーなので名前だけでは通用せず、「妖怪・腐れ外道」とわざわざ「妖怪」と冠する。必殺技は武器飛ばし、飛び頭突き。敵に近寄って、「外道の獲物狩り」という技を仕掛けるのだ。悪霊呼び、胃袋吐き、肉持ち上げ、泥投げなど更なる特技があるらしい。

プロレスの技の一つに「頭突き」(ヘッドバット)がある。最近はプロレスの放映が少ないので、この技が以前のように頻繁に使われるか、使われないか筆者には不明。以前は相手の頭を抱え込んでこちらの頭を打ち付ける単純な技が多かったが、技にも流行があるから、同じヘッドバットでも進化しているだろう。

テレビ放映全盛のころには、豊登やグレート東郷のヘッドバットを観たが、誰がなんといおうと、ヘッドバットの王者は大木金太郎。「原爆頭突き」と呼ばれ、決め技にもなった。さしものボボ・ブラジルも脳震盪を起こして形無しだった。

グレート東郷は体重こそ100キロ余りだが、身長は170センチに満たないプロレスでは小兵選手。ダーティーな「やられ役」で負けてばかり。殴られ蹴られていつも流血、ふらふらになって組み伏せられる。それでも、たまには血糊をつけながら頭突きをかませる。片足で伸び上がり、体重をのせ角度をつけて、相手の耳を狙うのである。どんな巨漢なレスラーでも耳は弱点で、倒れこんでしまう。するとグレート東郷、両肩を上下にひくひく揺すりながら次なるチャンスを窺うのである。

ワールドカップで、フランスのジダン選手がイタリアのマテラッツイ選手に頭突き、ヘッドバットをかませたことがニュースになっている。なにか侮言を浴びせられ、腹立ちまぎれに相手の胸のあたりに頭を突っ込んだ。マテラッツイは後方にノックバック、ひっくり返ってびっくり。

ジダン選手が会見したが、マテラッツイ選手に何を言われたのか文言は明らかにしていない。侮辱、人種差別などの言辞だと取沙汰されているが、言葉には言葉で返せばよろしい。暴力はいけない。こらえ性がない。そしてマテラッツイもつまらぬ選手だ。ジダンはここで引退、プロレスに転向するつもりかもしれない。

「飛び頭突き」は妖怪のわざ。プロレスでもロープから飛んで頭突きをする輩がいるが、あれは由緒正しい頭突きではなく、外道のわざである。(06/07/14)

 

 『スカッとしない』204

【バイオリン】

猫のはらわたを馬の尻尾でこすり、人間の耳をくすぐる道具。ローマにネロが言った「おまえが煙を出すなら

余は おまえが燃える間 バイオリンを弾くのをやめないぞ」

ネロにローマが答えた「どうぞ最悪(濁点付き)を尽くして下さい

言わせていただけば 皇帝が最初糸をひきもて遊んでいたのがいけないのです」

(ネロはローマ市街に火を放たせ、その燃えている間、竪琴を弾きながら楽しんでいたという)オーム・プラッジ。

以上はA・ビアス 著『悪魔の辞典』より。

近隣の国から「飛翔物」が飛んできた。テポドン2号やスカッドミサイルを飛ばしたというが、海中に落下して被害に遭わずにすんだ。標的をわざと外したか、失敗したか、それはつまるところ幸か不幸か。

ともかく、これらのものを飛ばしてよいのか、わるいのか。そして核を保有したり核兵器を開発したりしてよいのか、わるいのか。

アメリカや旧ソ連、イギリスやフランスや中国は核保有がよくて、その他の国はいけないのか。なぜいけないのか。大量破壊兵器の使用は大手国がよくて中小国はいけないのか。

スカッドミサイル、おまえが燃える間、バイオリンを弾くのをやめないぞ。海が燃える間、どうぞ最悪を尽くして下さい。

猫のはらわたを馬の尻尾でこすり、人間の耳をくすぐる道具。ローマにネロが言った「おまえが煙を出すなら

余は おまえが燃える間 バイオリンを弾くのをやめないぞ」

ネロにローマが答えた「どうぞ最悪(傍線付き)を尽くして下さい

言わせていただけば 皇帝が最初糸をひきもて遊んでいたのがいけないのです」

「世界の常識」が「非常識」に陥ってはいまいか。スカッとしないことおびただしい。(06/07/07/七夕)

 

 『夏でも寒い』203

世の中は夏、サマーである。だがしかし、寒い。凍えるほどではないが、筆者ブルッと震える。寒いのである。

古くは「夏炉冬扇」といって、夏の炉なんぞは不用品の代名詞。しかしながら、河童寓では炬燵(電気)を塞ぐことができないでいる。夏炬燵というわけだ。(因みに「夏炬燵」「梅雨炬燵」という季語収載の歳時記もある)

木曽節は「木曽のな〜あ中乗さん 木曽の御嶽山なんじゃらほい 夏でも寒い〜よいよいよい」と唄われる。御嶽山のみならず、千畳敷カールも大菩薩峠も夏でも寒く、山小屋ではストーブや炬燵など暖房が欠かせないそうな。

いやいや、そういうことを言いたいのではない。見え見えの冗談をとばして若者たちの会話に加わろうとする親仁さんの「おやじギャグ」、これは夏といえども寒い。仮面夫婦が狭い廊下で鉢合わせ。たまたま同じ方向に避けたため、ぶつかりそうになる。無言のまますれ違う。夏でも、これも寒い。

そういうことを言いたいのでもない。筆者は手足、肘や首筋など体の部位が寒いのでる。この時季は室内で長袖の下着に長袖のシャツを着用、さらにベストやサマー・ブルゾンなど都合4枚羽織っている。着すぎるほど着ているように思われかもしれないが、たとえば下着を半袖にしたり、ブルゾンを脱いだりすると、肩肘がひやひや冷えて痛みを感じるのだ。

そうは言っても外は暑いので外出は半袖、薄手のものに着替える。それはそれでよいのだが、帰宅するとたん体の部位が「痛寒く」なって、ふたたび長袖系統に着替える。ひっきりなしのお召し換え。いい加減くたびれる。

暑さの体感はあり、汗はかく。汗をかきつつ寒い。セーターを着たりマフラーを首にまいたり、下着姿になって団扇で扇いでみたり・・・。しかるのちには、自分自身が暑いのか寒いのか分からなくなってしまう。着るべきか、脱ぐべきか、それが問題だ。

筆者のみか家人も同様の悩みをかかえている。思い起こせば親父さんも晩年は夏でも長袖、暑くてもよく背広を着込んでいた。たしかに、痩せ腕や痩せ脛に汗をかいていることはあったが・・・。

きょうの当地の日中は31度。河童寓の室内の温度計は28度を指している。エアコンなんてもってのほか、寒いなあ。今晩は熱燗にすべえ。(06/06/29)

 

 『ヒヨドリの子育て』202

狭庭の株立ちのカエデの枝に、ヒヨドリが巣をかけはじめる。5月24日からペアで盛んに訪れるようになり、29日には立派なマイホームが出来上がった。家人ははじめ、集めてきたポリ紐や小枝を落としてしまう建築現場をみて、きっと新婚さんよ、こんなことでマイホームができるかしら、と訝っていた。

筆者は、ニンゲンと違って本能が働くから大丈夫さ、と応じたのであった。見事ではないか。羽毛まで敷き詰めてあるぞ。HPの「かわら版」に数回「ヒヨドリ日誌」を書き込んでみたのだが、三行ではとても書ききれないのであきらめた。

6月3日。抱卵している様子。巣のなかは覗き込めないので、見上げて観察するだけ・・・。ヒヨドリの営巣は都合5回。サルスベリ、ヤマボウシにそれぞれ一回、カエデにはこれで3回。街中の猫の額ほどの庭の木に、どうして巣をかけるのか。公園や湖畔にはあまたの木が茂っているのに・・・不思議でならない。

10日。ほとんど四六時中抱卵。けたたましく鳴きたてながらペアで飛んできて、一羽が巣に入る。別の一羽は枝移りしながらパフォーマンス。リビングからガラス越しながら、筆者たちとは2bと離れていない距離にあり、パフォーマンスは筆者たちへのメッセージなのでは、と思ってしまう。

つまり、「ボクたち飛んできたぞ。卵を抱いているぞ。こちら子育てでキレヤスイ。貴方たち、危険だからムヤミに庭に出ないこと」。そう言っているように思われてならない。

日差しの強いときは、30分から40分留守にすることもある。子育て放棄からしらね、と家人。いや「親ちゃん」は気温を感じ取っていて、「卵ちゃん」が冷えて死んでしまうようなことはしないさ、と筆者。

18日。卵が孵った。「親ちゃん」が餌を運んできて、与えている。鳴き声をかけつつ、嘴を突き出す。「ヒナちゃん」は生まれたてで啄ばむことが不可能らしく、クモやカゲロウなど「虫ジュース」を与えているのだろうか。

21日。ヒナちゃんの鳴き声をはじめて聞いた。アルミのすりあうような、小さな乾いた金属音。何羽かはわからぬ。これまでは四羽だったが・・・。

秋田の句友のお宅では、シジュウカラが二階に飛び込んできたという。カラスに追われて、急遽避難したのではないでしょうか、というお話であった。鳥類に大変詳しい方であるが、鳥好きは鳥の方でもわかっていて避難場所に選んだのだろうか。

話が逸れてしまったが、シジュウカラは筆者の好きなタイプ。ヒヨドリよりもずっと好き。いやいや、好き嫌いをいっちゃいけない。ヒヨちゃん可愛いよ。ヒナちゃん、無事に巣立っておくれ。(06/06/22)

 

 『コラムの原点』201

当コラムが200回を超えた。最初は長続きしないだろうと、筆者自身が弱音を吐きつつのスタートだったが、途中数回とばしたことはあったが、われながらよく続いたもの。むろん駄文のそしりは免れない作業ではあったが、400字詰め原稿用紙に換算して600枚を思うとき、感慨を禁じえない。

四年以上の期間なので、古い三年分は削除しようと考えたが、ヤフーで検索するとコラムのなかの文言が出てくる。筆者の文章を参考にする御仁はいないが、筆者自身が調べたいときもある。想い出したいこともある。それでとりあえず削除はやめにした。

検索して、ホームページなどから情報を得ることはパソコンの生命線。むろんつまらない情報、間違った情報もあるのだが、それらを含めて情報を裏表から検証できるという利点もある。調べようもないでは、確認のしようもないではないか。

余計なことを書いてしまったが、コラムはつづけていきたい。文字通り「いのちの擱筆」まで書いていきたいと思っている。

原稿用紙にして三・四枚、これは筆者文章修行時代の枚数。なんのことかというと、筆者の青少年時代に「文章倶楽部」という文学登竜門の投稿誌があって、その一部門の「掌編小説」の応募枚数が四枚以内だった。筆者はこれにせっせと投稿し、習作も入れると50作以上書き溜めたと記憶している。のちに筆者は入選の常連になった。従って「原稿四枚」は、生理的に頭脳的にしっくりとくるのであろう。

「文章倶楽部」では小説も募集していて、こちらは30枚以内、選考は野間宏氏。やがて筆者は小説を書くようになり、「偽装」という題名の作品が入選して野間氏から高い評言をいただいた。

それから筆者は芥川賞作家の保高徳蔵氏の同人誌「文芸首都」に入会、15枚の短編小説「若い男」が掲載された。「若い男」は太宰治の「トカトントン」を連想させると、「文芸首都」甲府支部会で褒められた想い出がある。

道草しながら、自慢話を書きつらね「当欄サポーター」は辟易されておられるだろうが、さらに申せば筆者は作家志望、それも体力がないから短編作家を狙っていた。それがいつのまにか「文章倶楽部」の「詩部門」や「俳句部門」へと傾注していった。

「文章倶楽部」は「世代」「現代詩手帳」と変わっていき、数名の詩人や作家などを輩出した。筆者は現代詩についてはその後も書いたが、俳句そして連句と係わっていく。物を書く筆者の原点についてちょっとふれてみた。(06/06/17)