コラムその3・4」

85「御神渡り・その後」
84「御神渡り」
83「目玉ワイパー」
82「近未来魔物」
81「わが町・人」
80「三が日」
79「代田五吟(書き足し)」
78「代田五吟」
77「ぱらどっくす」
76「189キロドライブ」
75「アイス・エイジ」
74「短詩形とその作者たち(3)」
73「短詩形とその作者たち(2)」
72「短詩形とその作者たち(1)」
71「光頭無稽(こうとうむけい)」
70「アリさん歯磨き」
69「連句力!(二)」
68「連句力!(一)」
67「芭蕉さんのレシピ(三)」
66「芭蕉さんのレシピ(二)」
65「芭蕉さんのレシピ(一)」
64「脳の不思議な物質たち」
63「白ずくめ集団・・・」
62「わが妖怪談義(2)」
61「わが妖怪談義(1)」

60「もうひとつの殺戮」
59「ありがとう、ブッシュ大統領」
58「文は人なり」
57「ホッチキス&輪ゴム」
56「尺取虫と唯識と」
55「ホームページ丸一年」
54「鳥ワールド」
53「餓鬼のけんか」
52「ごみ物語」
51「名前」
50「御神渡り」
49「シジュウカラ」
48「写楽した
!」
47「サルとザリガニetc.」
46「猿騒動」
45「夢(3)」
44「夢(2)」
43「夢(1)」
42「小人説話」
41「巨人伝説

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『御神渡り・その後』85

このコラム「84」で御神渡りのことを書いたが、1月28日午後3時までの情報で、御神渡りは未だ確認されていないというものだった。ところがコラムをUPしたあとの29日夕刻に、「御神渡りが確認された」というローカルニュースが流れた。それは7時のNHK全国テレビの報道でも放映された。

「テレビで観ましたが、神秘的ですね。氷が割れて凄いですね」というメールをいただいた。それでここに追記するしだいである。

1、諏訪市ヨットハーバー近くの中門川河口→下諏訪町の承知川河口付近。

2、諏訪市舟渡川河口→下諏訪町赤砂の漕艇庫近く。

3、下諏訪高木→岡谷市小坂。

以上の三本の「氷の道筋」が八剣神社によった確認された。隆起は最大で高さ50センチで、「昨年の筋とよく似ている」と関係者の言である。

ところで1,2,3のそれぞれの起点というか、男神が出発した諏訪市側の場所を下座(くだりまし)といい、下諏訪町(岡谷市)の到着した側を上座(あがりまし)というそうだ。

神様は自由自在に、天空を飛翔(ときには地中さえも厭わず進行)するものとばかり筆者は思っていたが、どうやらそうでなくて、氷の厚さとか景観なども考慮してなのか分からぬが、「ここがよろしいのだ」とお決めになるらしい。そして天から下りてこられる。

そういえば「依代・憑代(よりしろ)」という言葉があり、神霊が招き寄せられて乗り移るもの、樹木や岩石や人形などの有体物をいう。また「憑坐(よりまし)」は、神霊を乗り移らせるために祈祷師が伴う霊媒の童子をいう。

どうもつらつら考えるに、神様はそれほど身軽でなく、よたよたなさっていて、失礼ながら身のこなしがぎこちなく臆病であられる、と拝察せざるを得ない。いやいやどうも、三拝、九拝―。

話が脱線してしまった。31日は御神渡りの拝観式が行われた。男神が女神のもとに通った氷の上の道筋や、道筋の交差など拝観して名称が命名される。今年の天候や農作物の豊凶、世相など占う。(04/01/31)

 

『御神渡り』84

「御神渡り(おみわたり)」という現象をご存じだろうか。長野県の諏訪湖が全面結氷して大寒の頃に起きるもので、湖面の氷が膨張したあと、寒気のために収縮すると割れ目が生ずる。そこに下の氷が上がってきて結氷するが、朝になって気温の上昇とともに膨張し、両側からこの割れ目を圧縮してその部分の氷を持ち上げる。この盛り上がった一大亀裂をいうのである。

諏訪大社の祭神が上社から下社に渡って行かれたと考え、御神渡りと呼ばれた。その亀裂のかたちから、農作物の作柄や吉凶が占われる。この起日の記録は500年にわたっていて、天候変動の資料として世界的にも貴重だという。

因みに御神渡りは、上社の男神が下社の女神のもとに通う「恋の通い路」と伝承される。

地球温暖化のせいかどうか、ここ20年くらいは御神渡りの起きない年の方が多い。(昨年は起きたが)湖水がほとんど結氷しない年さえある。温暖は生活する上では楽なのだが・・・。

50年くらい以前は寒さが厳しかった。氷の厚さも約40センチになり、厳寒の朝まだき、湖の中心部から轟音とともに氷に亀裂が生じ、その裂け目に沿って氷が盛り上がった。湖畔から500メートル離れている筆者の家でも、「ギギュギギュ」という地鳴りのような音を聴いたものである。

―この一週間の、諏訪地方の最低気温は氷点下10度前後の冷え込みがつづき、諏訪湖も全面結氷。氷の厚さも沖合で最大13センチといい、下諏訪の沖では小規模ながら氷のせり上がりも見られる。男神は通ったのであろうか?

実はここ連日、御神渡りの神事をつかさどる諏訪市の八剱神社の宮司や総代らが、舟渡川河口で、御神渡りがあったかどうかの確認作業をしている。なんでも湖心に薄氷の大きな区域や、温泉の熱で氷が解けた穴ぼこがあるため、現在でも御神渡り現象が出現していないのだというが。

「男神」はそれなりの体重があろうし、薄い氷を踏み込んで溺れないで欲しい。逢瀬の熱き想いは分からぬでもないが、急いてはコトを仕損じる。冷え込みを待つのが賢明だよ、お髭の神さんよ!

かくして、宮司以下総代面面の、夜這いリサーチはつづくのである。(04/01/29)

 

『目玉ワイパー』83

話は旧聞に属するが、アイデア商品として、かつて「メガネ・ワイパー」が話題になったことをご記憶だろうか。ゴルフやマラソンなど屋外スポーツ、魚釣りや登山などでメガネ使用者が俄か雨にあったとき、メガネの水滴をワイパーで吹き落とすものである。たしか特許品だったと思うが、手動式は操作がこまかくて面倒くさい、メガネをはずして拭く方がはやい。また電池式は電池に視界がさえぎられる等々、不評だったそうな。

コンタクトレンズは、視野が広くて曇りにくく、美容にもスポーツにもよいのだが、レンズ装入時に角膜を傷つけ、細菌感染する例が多いとか。それにプラスチックを直接装用するので、馴れるまでは異物感にさいなまれる。眼科での定期検査も欠かせない。

そこで登場したのが「目玉ワイパー」。

まず材料だが、これが「マツイカ」である。マツイカの外套膜の背側に、薄くて透明なヤナギの葉形をした膠質(こうしつ)の軟甲がある。これは頭部から腹側にある漏斗(ろうと)とつながっている器官で、外套腔内の水を噴射して、かれらマツイカはスイスイと泳ぐ。

この「軟甲」は簡単にいうと、透明で程好いやわらかさの軟骨のようなもので、眼球にふれても全く問題ないそうだ。これを人間の角膜輪部に三本ならべる。むろん拒絶反応を抑えるために、薬剤と涙状の液体を注入するのだが・・・。

これは大変な優れもので、近視、遠視、乱視などメガネを必要とする人のメガネの代わりになると同時に、涙によって自然と眼中を移動し、水晶体の保護と角膜のワイパーの役目をし、曇りを拭きとってくれるというシロモノ。

こう書くと、眼科に通院しながらの治療のように思われそうだが、実は市販されていてだれでも入手、装用が可能なのだ。富山県氷見の水産業者が開発・研究し、東京は魚河岸のM物産が総発売元。「目玉ワイパー」というネーミングはふざけているが、現在のメガネにとって変わるお薦めの商品だそうな。

眼科でもメガネ店でも買えるが、原材料が「マツイカ」だけにスーパーの鮮魚部でも売っている。透明トレーの10本入りで、29800円也。テレビ東京などで盛んにスポット広告を流し、もっと売れると安価になると言われている。

  ・・・「この頃、物がかすんで見えるから、今日は魚屋に行って買ってこよう」と筆者は決心した。と同時に目が覚めた―。

雨が降っているらしく、屋根を打つ雨音が聴こえてくる。寝ぼけ眼をこすって見た。(04/01/23)

 

『近未来の魔物』82

幽霊や妖怪の前身は人間や動物であったという例が多いが、21世紀以降のいわゆる「魔物」は病気やウイルスや化学等から派生して跋扈するだろうと、筆者は以前に書いた。そんなことが思い出される「事件」が起きる今日この頃である。

伝染病は「はやりやまい」と言いやや古めかしいことばだが、法定伝染病11種、指定伝染病2種、届出伝染病13種。また国際伝染病指定もあって、かなり確りと法整備されている。されてはいるが、人間のほか動植物からも伝染する病原体が引き起こす病気、これら20数種の病気はいずれも恐ろしい。目でみようとしても見えないものだけに、不安や恐怖心が掻きたてられる。まさしく魔物と言いたい所以だ。

AIDSエイズの蔓延はかなり以前のことだが収まる兆しはあらず、昨年のSARSサーズは海外旅行者をあわてさせた。主として人を介して感染するこの二つは、今世紀以後の最大難物となるだろう。いずれは特効薬が見つかるかもしれぬが、病原体も進化したり、変異を起こしたり、亜種が増殖したりするだろう。

BSE狂牛病、鯉ヘルペス、鳥インフルエンザ・・・。時期にかかわらず列挙してみた。むかしも発症したが研究が追いつかなくて不明だったか、与える餌や薬剤などによって新しい病原菌やウイルスが作られてしまったのか。たとえば、兵器や放射能や酸性雨など公害や科学がもたらした動植物にとっての毒素が、いつのまにか自然化に撒き散らされてしまったのか。

戦争とか文明とか生産性とかグルメとか、それがなんであれ、「進歩」という人類が甘い蜜の味を求めすぎたところで、「不具合」というしっぺ返しがくるのである。

「魔物とは警告」。魔物のありようは、奢りたかぶる人のこころへの戒めであった、むかしから、そういう側面があったのだ。

ノホホンと戦争を許し、利便と旨味を甘受している私たち。私たちが知らないところで罪を犯している。

ジョゼフ・ド・メーストルは『ぺテルブルク夜話』の「自業自得」で、こう述べている。

「無実の人間が死ぬ。それは特別のことではなく、あらゆる人間に共通する不幸である。()自ら犯していない罪のために刑場に送られる者は、本当は、まったく知られていない別の罪を犯しているものなのである」。(04/01/16)

 

『わが町・人』81

筆者の隠棲する諏訪という市は、長野県のほぼ中央にある。日本の「ヘソ」に位置するという言い方も耳にするが、岐阜県の某市でも同様に称しているから、たぶんヘソは巨大なのだろう。どの辺だろうかと地図を広げる方には、青い小さな水溜りが目印ですと申し上げたい。水溜りが諏訪湖である。

諏訪湖を取りかこむように、諏訪市や茅野市、岡谷市や下諏訪町があって、周辺の人口はざっと15万くらい。江戸は日本橋を起点とする甲州街道が甲府から諏訪と突きぬけて、下諏訪町で終わる。中央高速道のインターチェンジもあり、むろん特急電車も通っている。むかしは都市には程遠い僻地といわれたものだが・・・。

諏訪湖があって温泉が湧き、霧ケ峰や蓼の海、美ヶ原高原をひかえるのでホテルや旅館が多い観光地。また時計やオルゴール、カメラなどの精密工業がさかん。それらが斜陽産業になると、液晶やプリント基板などのIT関連に転進して現在では大手の企業から、下請け、孫請けの町工場がたくさんある。このところの不況はなかなかに深刻らしいのだが・・・。

諏訪周辺に生まれて、出世した人物はどんな人がいるだろうか。大臣は二三人いるが、政財界に名の知れらたものはいないようだ。財界のジャンルには入らないだろうが、岩波書店の創設者・岩波茂雄。気象学の藤原咲平は全国区だろう。

筆者の興味の対象が偏っているためかも知れぬが、作家や歌人などが多いように思う。『何が彼女をさうさせたか』の藤森成吉、プロレタリア作家で『かういふ女』の平林たい子、直木賞作家で『強力伝』の山岳小説家の新田次郎、その妻でベストセラー『流れる星は生きている』の藤原てい。

アララギ派歌人の島木赤彦、『奥の細道随行日記』の河合曽良。時代関係なしに、辞書に載っていそうな人名をあげてみた。

平林たい子は明治38年生まれで、諏訪高女に学んだ。筆者の亡母は明治40年の出生で同じ学校に学んだ二年後輩。「たいさは目立った生徒で、あるときは教師に食ってかかり、変わった言動も噂になったもの」という話を、筆者はよく母から聞かされた。当市に「平林たい子記念館」がある。

筆者の寓居はルート20号に面しているのだが、窓を開けて首を伸ばせば見えるところに河合曽良は生まれ、幼少時まで暮らしたとされる。現在は上町というが、むろん地名も変わったし、住居の名残さえない。(04/01/12)

 

『三が日』80

元旦の新聞がドサッと配られてくる。五部くらいに編集されて部厚く、これに大売出しのチラシが加わる。拙宅は二紙だけの購読だが、それでもかなりの重さ。販売所から各戸に新聞受に入らないから、ダンボール箱を出すようにと前以って連絡がある。こうして受け取った新聞も新年号はありきたりの内容で、ほんのチラッと目を通す程度でごみになってしまう。

年賀状も配られてきて、手書き部分はそれなりに心温まるが、出さなかった人から30余り。この日のうちにと書き込んで投函する。テレビという「電波紙芝居」のチャンネルボタンを押す。観なれた顔の男や女が和服を着て、何が嬉しいか、テンション高くはしゃいでいる。大河ドラマの新旧垂れ流し、筋肉バトル見世物などの長時間番組がめじろ押し。観なければいいものを、観るともなしにヒヤカシ気分でボタンを押し、ひんぱんに覗き窓の開け閉めをする。

「♪盆と正月 いっしょに来たよな 忙しさ」という流行歌がはやった。ひと昔ふた昔まえは、盆と正月は待ち遠しいものだった。歌のように特段にせわしないというより、「特別の日日」という代名詞だったように思う。子どものころは確かに「お正月」が待ち遠しかった。が、子どものころでも今でも、現実に正月を迎えてしまうと時間が「ポア〜ン」と過ぎてゆく感じで、ミョウチキリンな気分になってしまうのだ。これは筆者だけが感じる感慨なのだろうか。

たとえば正月の「三が日」、どうも普段と違うテンポで時間が流れているように思えてならない。通常の日であれば今日はナニナニの仕事をやろうとか、ドコソコに出かけようと心積もりするのだが、それがないというか、そんな気に全くなれない。神社仏閣の賑わい、家家のしめ飾り、知り合いに会おうものなら、日常的に使われる慣用句でもない「オメデトウ」の連発ごっこ。ぺこぺこお辞儀。

普段着ではいられない、このよそよそしさはいったいなんだ。年に一度のおせち料理に胃袋がおどろき、お屠蘇、ご年酒・・・「お」や「ご」のつく飲食物に精神がおのずから高揚する、これは誰が仕掛けたものか?

そうだ、仕掛人は神、八百万の神神なのだ。神神が憑代を通じて乗り移られ、お正月の行事を執り行う。神社や神主でなくて神神が執り行っておられる、そう理解すれば合点がいく。この非日常的な「三が日のダルな感覚」に合点がいくのだ。

とはいいながら、筆者は普段着の日日が好きだ。きょうは三が日の二日目、お正月のふしめふしめに神神への心の「オファリング」は気疲れ、畏れ多くて苦手でござる。(04・01/02)

 

『代田五吟(書き足し)』79

12月20日付のコラム「代田五吟」に続きがあるだろうかと、Nさんからお尋ねのメールをもらった。「擱筆」のつもりだったが、尻切れとんぼの感が否めないので、いま少し書き加えたい。

連衆である一止さんは都川正が本名で、「正」の字の上の横棒を外して二文字にし、俳号とされたと伺う。東京都大田区にお住まいの開業医で筆者はお目にかかったことはなかったが、長年にわたる文通の交誼をいただいた。

宇涯さんは姓が今泉、本名は知らないが市川市でやはり開業医をされていた。この方とは石川県の津幡大会でたびたびお会いした。お二方とも筆者より三回りくらい先輩、俳諧の十哲ともいわれたが、すでにともに亡くなられた。

大朴子画伯も亡くなられたが、忠作画伯はお元気だろうと拝察する。諏訪湖畔で一度だけお会いしたことがある。

さて「代田五吟」は、俳諧と絵画という異種芸術の混合作品であり、筆者の知る範囲では初見のものである。(手元にあるのは、カメラでコマドリされたもの)

この巻は、風狂というか酔狂というか、たわむれの産物のように見えるのだが、こうした混合の「連句」もあってよいという、一石が投じられているように筆者には思われる。

連句は付句と付句の隙間、いわば空間にあらわれるものを表現する文芸である。行間を読むという言葉があるが、二句の間にイマジネーションをめぐらせ、立ち上がる「宇宙」にふれるという芸術である。(さらには三句の渡り、大打越の四句に渡る流れのなかで、空間をイマジネーションする・・・)

そもそも連句はストーリーやテーマを追い、意味や理由を探るものではない。それでは何が探られるのか?連句の特質のある一面は「意識の流れ」と「無意識の現われ」が繋がったり、離れたりしてゆくマワリトウロウのようなものだと思う。

言葉による付句と、絵画による付けという作品を眺めたのであるが、近未来には絵画による付けにとどまらず、舞踏による付け、楽器による付け、一人芝居による付けetc。そんな試みもきっと為されることだろう。(03/12/26)

 

『代田五吟』78

「代田五吟」という歌仙がある。話は遡るが、昭和24年11月20日柿緑園にて巻かれた作品で、連句関係者の目にもふれることは少なかったろう。「柿緑園」とは、筆者の俳諧の師である宇田零雨先生のお宅のこと、また巻名の「代田」は世田谷区代田の代田。零雨先生が中心になって五人で興行されたものだ。

ところでこの歌仙の大きな特質は、先生のほか二人の連衆と、その他の二人は錚々たる日本画家であり、画家たちは言葉ではなしに絵によって「付句」したことである。先ずは歌仙の雰囲気だけでもと、ここに書き込んでみる。

(俳諧師「零雨」「一止」「宇涯」。画家「大山忠作」「村雲大朴子」。幅27センチ×11メートルの巻紙)

 

代田五吟

発句 「柿緑園の庭、垣根、立札、時雨の絵」  大朴子

脇句   軒さむざむと雀かたよる        零雨

第三 「茶碗と茶筅の並んだ絵」         忠作

四    茸日和つづくこの頃          一止

五  山影のかぶさるところ月淡く        宇涯

六   「髭の長いこおろぎ一匹」       大朴子

一  酔ひどれの大番付をものしたり       零雨

二   「硯、顔料、筆などの画材」       忠作

三  くり返す恋のとりどり面白き        一止

四    箱根八里を仇な道づれ         宇涯

五  「初島の遠景」             大朴子

六    漬物石を板屋根の上          零雨

七  「満月に芒が一本」            忠作

八    露をみだしてむっつりと賊       一止

九  門灯の灯に蓑虫が揺れてゐる        宇涯

十   「焼鳥の串をのせた皿。隅に花一輪」  大朴子

十一 「御神燈に花弁が舞っている」       忠作

十二   千円札の図案する春          一止

一  魚島へ魚島へとつづく人          零雨

二   「赤い大輪の牡丹」          大朴子

三  天明の句風そもそも明易く         零雨

四    祭の笠をせなに四五人         一止

五  「髪もきれいな田舎芸者の横顔」     大朴子

六    ぶたれたあとをさするきぬぎぬ     一止

七  馬鹿馬鹿と烏の声を空に聞き        宇涯

八    「尻尾をふる牧場の茶色の牛」     忠作

九  煙突の丈をそろへし五六本         零雨

十    「煙を吐いて走る長い汽車」      忠作

十一 京の月奈良の古京の月を追ひ        一止

十二    萩咲く角にどっとぶつかり      宇涯

一  「朱塗りの酒器一式」          大朴子

二     諸例停止を庵則の一         零雨

三  「淡い格子柄の炬燵。脇に蜜柑の笊」   大朴子

四     夜ふけしままにカルタちらばる    一止

五  「闇をついて花篝の炎が四五本燃え立つ」  忠作

揚     火はあかあかと俳諧の春       宇涯

以上。(03/12/20)

 

『ぱらどっくす』77

ありがとう

内閣総理大臣 小泉純一郎さん ありがとう

あなたのおかげで「ぐんじたいこく にっぽん」しすてむ かんりょう

いつでも せかいのどこにでも とつげき せんそうできます

「せいせん」「てろ」いこーる ですよね

しかばねるいるいには なれっこ そうとうさくせんも とくい 

ひのまるのはた ちょうちんぎょうれつ

ああ なつかしい

なつかしさの りにゅーある

いつかきたみち こころいさみたちます

しんでいく いのちのかるさに おのずとうかれます

げんきでながいき なんてまっぴら

―いま 2010ねん 「ちょうへいせいど」いいですよね

「しんじゅわんこうげき」きねんび 12がつ8か

そのつぎのひの 2003ねん12がつ9か

「じえいたいはへい」きねんび ほろびの きちじつ

すべてが ここから はじまったのでしたね

小泉純一郎さん ありがとう

よくぞやってくれた ありがとう

「にほんこくけんぽう」 かいしゃく ありがとう

ことばをちょんぎって

きめつけて

「いみ」をごちゃまぜにして

「9じょう」をうらから おもてから うらのうらはおもて くろとしろのちがいなど たいしたことじゃない!

あなたとあなたたちのおかげで せかいじゅうに へいわをあいする こくみんに みせかけて・・・

ほんとうは「せんそう しすてむ」 ちゃくちゃく

2010ねん

かみかぜ とっこうたい なかせますよね じばくてろ あらーのかみ―

ありがとう 内閣総理大臣 小泉純一郎さん

そして 小泉純一郎さんを応援した人びと ありがとう

2010ねん あけゆくよるのために さようなら

(03/12/12)

 

 

 

 

 

 

『189キロドライブ』76

某月某日。雲間からお日様がのぞきはじめたので、ふと思い立ってドライブに出かける。目的地は山梨県の御岳昇仙峡、見たいものは「天狗岩」と「影絵の森美術館」である。筆者は運転にかけてはいささか自信があって、40年余これという事故は起こしていない。人間をふくめて動く物体にはこれまで当てたことがない。が、若輩のみぎり、電信柱にフェンダーをこすり、土地の境界の石杭にバンパーをぶっつけたことがあり、これは正直に告白して置かねばならぬ。静止物の認識ができないらしい。

それともう一つ、筆者は希代の方向音痴であること。同じ道でも逆方向から入るとさっぱり分からなくなり、住み慣れた街でも看板や標識が換えられると迷子になって帰宅できない。というわけで、家人に道案内を嘱託した。付け加えれば、愛車にはすでにカーナビが備わっているので、「カーナビ」と「カーちゃん」の二つの「カー」による入念なナビゲーション・システムなのであった。

昇仙峡は、秩父の金峰山や国師ヶ岳に源をもつ荒川がよこぎる標高680メートルにある。仙娥滝から下流の長潭橋までの約5キロの区間は花崗岩が侵食され、天狗岩、円覚峰、人面岩、ゴリラ岩、屏風岩などの奇岩や怪石がめじろおし。滝や瀬、あるいは瀞など変化に富んだ渓流で、新緑や紅葉時はみごとなものだろう。紅葉にはやや遅かったが、それなりにたんのうできた。

上流に近い場所に影絵の森という美術館があり、常設で影絵の巨匠といわれる藤城清治氏の絵が展示されている。画伯は人形劇の本に出会い、ジャワの影絵人形に魅せられて影絵の世界に入ったそうである。天地創造、バベルの塔、ノアの箱舟、コスモスとこびと、夜桜、カエルのケロヨンなど色彩鮮やかな切り絵が、光と逆光線を用いて詩情豊かに奏でられている。あくまでもファンタステックに。

「影絵」は鳥や獣や人物を模したかたちを灯火で照らし、障子や壁に影をうつす遊戯だが、その手法を絵画に取り入れたのは珍しいことである。影、ネガティブに表現される世界にふれることは、否応なく、陽、ポジティブの世界にもふれることであり、想像力が喚起せられるのである。

かたちさまざまな花崗岩、渓流のみぎわという物の怪の通り道に寝そべり、あるいは仁王立ちする、天狗、ゴリラ、円覚峰の岩ども・・・。これら名付けられたパノラマの眺めの見えない陰には、不思議な、何とも名付けようもないものが潜んでいるに相違ない。・・・

見えるものと見えないものにふれた、自宅から往復189キロの小さなドライブだった。(03/12/06)

 

『アイス・エイジ』75

二万年前の地球の、とある大陸での出来事である。

大地がしだいに冷えはじめ、寒さを避けて南へ移動する動物たちとは逆に、孤独を愛するマンモスのマニーは北をめざしていた。一方、仲間とはぐれてしまったナマケモノのシドも、マニーと一緒なら何かと安心だろうとついていくことに。そんな彼らが、サーベルタイガーによる襲撃をかろうじて逃れた末に力尽きた人間の母親から、赤ん坊のロシャンを預けられる。

鷹揚で無関心なマンモスのマニーをよそに、シドはロシャンちゃんを生き別れの父親のもとに届けようと決心。そこへサーベルタイガーの一味、ディエゴが赤ん坊を狙って近づいてくる・・・。

氷河期(アイス・エイジ)を舞台にして、三匹の動物たちが人間の赤ちゃんを家族のもとへ送り届ける旅から、友情の絆が生まれる冒険アニメである。

動物たちの心の壁を溶かしたものは無邪気で愛くるしい赤ちゃんのロシャンだが、愛情に恵まれない動物たちがしだいに父親のような気持ちになっていく姿がおかしくも微笑ましい。性格も旅の目的もちがう三者がたとえば、溶岩の海に落ちかけたディエゴをマニーが助けるなど、協力しあって長旅を乗り越えていくうちに不思議な絆が生まれる。(STARCHANNEL』ガイド11月号参考・引用)

「人間よりも人間らしいキャラクターのドタバタぶりと、相容れない種族の生き物同士が交流を深めていくヒューマン・ドラマ」とのふれこみもあるが、3D映像で動物たちのリアルな毛並みや表情や動作、雪面や氷壁の美しい透明感などと相まって、心を撃つアニメだ。アニメといって子どもだけのものでなく、CG映像技術の進歩と、何よりも作り手の心意気のすばらしさ。

―イラク戦争・・・

大量破壊兵器の査察や、イラク民主化などを大義名分に開戦したブッシュ大統領。終結したはずのイラク戦から、フセイン大統領の残党らの自爆テロやビンラディン率いるアルカイダの係わりとされるテロ活動など。

いま、このとき、憎み合い殺し合っている人間たち。こんな「時空」のなかで筆者は、人間よりも人間らしい動物たちのアニメ「アイス・エイジ」を観たのだが、われしらず目頭を熱くした。

「人間は人間を殺すが、猿は猿を決して殺さない」とは、映画「猿の惑星」の名セルフだが。・・・(03/12/05)

 

『短詩形とその作者たち()』74

しまいは連句について。

歌壇や俳壇はあるが、連句壇という呼び方はない。敢えていえば「連句界」だろうか。いぜんは連句懇話会という組織名だったが、10年くらいまえに連句協会に改組され、現在この団体が一つある。

連句を専門とする雑誌は少なく冊子をいれても二三冊で、ほとんどは俳誌でありながら連句に係わるとか、俳諧研究や連歌研究が主体で連句も巻き、解釈もするというものである。したがって連句協会に約240のグループが所属していても、大半は雑誌や冊子さえもたず、10から20人の会員がいて活動しているのである。

協会員は約1千人、協会に入会しないで連句にたずさわっている人、ときどき連句に係わる人の把握はむずかしいが、1万から3万人くらいだろうと推測される。俳句とは比較にならないマイナーだ。

それでも連句関係者、協会役員らの努力によって、第5回の国民文化祭愛媛大会(1990年)から連句部門として正式参加できるようになり、以降は毎年参加している。また各地において連句大会、実作会などの興行が催されているのである。

詩や俳句が個人による創作(Individual creation)であるのに対して、連句は複数人による共同の創作(joint creation)であることが際立った相違点だろう。詩歌が共同で制作される例は世界にほとんどないといわれ、文学の世界でも個人主義的な創造の閉塞、社会的な連帯への試行などにからんで、「レンク」が一部の海外の詩人たちに注目されている。

「他我」ということばがある。自我に対する他者の我。他人も自己同様に我である。他我をいかに認識するか。これは哲学上の難問とされているが、連句はそこに踏みこめるシステムをもつ。連句は文学性もさることがらが、捌と連衆という関係においてことばを通じて「共同創作」する。このことは特記に値することだろう。

実作会で捌と考えが違うからとか、自分の治定が少ないなどの理由で席をはずす連衆がいたそうだ。これは他者が我であることを知らない行為、連句が何であるかを知らない行為だろう。ともに手をたずさえて創作する連句は、俳席なり文音なりの「座」(文音も広い意味で座である)が必須。それだけに人の和が何よりも求められるのである。

絶滅の危機に瀕していたものが多少なりともよみがえった連句界だが、パイは大きくならない方がよいかも。現状くらいがちょうどよいのだが、願わくは協会役員に若手や連句が深くわかる人にはいってほしいもの。ふたたび「鴇」にならないために―。(03/11/15)

 

『短詩形とその作者たち()』73

一方で、俳句はどうだろうか。

俳句はさきにふれたように国民的な詩であり、作句人口は1千万を超えるともいわれる。結社は2000以上だろうと俳壇通からきいた。詩誌の多くが20人くらいのグループであるのに対し、俳誌は100人から500人の会員を擁するところが大多数らしい。むろん少人数の結社もあるが・・・。

結社をたばねる団体は、俳人協会、俳句協会、日本伝統派などあり、公器である角川書店「俳句」、富士見書房「俳句研究」、「朝日俳句」など数社あることは詩壇と変わるところがない。物理的には数の多寡のみで大して相違がみられない感じだが、現代詩の組織がグループの呼び方で代表のもとに運営されるのに対して、俳句は結社というスタイルをとって主宰を仰ぐ。月刊が多い。

結社は華道、茶道、伝統芸能などに通じる封建的な制度であり、こうしたシステムから詩が発信されることに対して外国の詩人たちは一様に奇異に感じるという。結社には主宰がいて同人と会員がいる。またそれぞれに主唱があって、有季定型とか自由律とか形式や季語についての考え方のほか、写生をうたい人間探求をうたい、ロマン派を名乗ったりする。

最近は結社の「タガ」も緩んできたといわれるが、それでも主宰は絶対的。会員は主宰にイエスマンであり、ノーを突きつけることは退会を意味する。会員は年間誌代の1万2千円、同人費は年間2万〜3万円くらいが相場だろう。(月刊の場合)

一般の人が、「現代俳人」の名前を何名知っているだろうか。たとえ2〜3人の名前をあげられる人がいても、皆無も多いのではないか。俳壇的には錚々たる俳人であっても、その俳人にどんな名句があるかはほとんど知られていない。

現代俳人は俳壇的には、俳句作品そのものよりも、主宰する俳誌の会員の多さ、誌面の充実、公器への露出度で評価されている。会員は「俳句という詩」を真剣にきわめるというより、吟行や大会の親睦を楽しむ、稽古事という部面が大きいようだ。結社を集めた合同大会が行われたが、俳人たちは結社ごとにかたまって仲間うちでのみ談笑し、目論んだ交流という意図は実らなかったそうだ。

俳句とはいったい何だろう?俳句とは自律して厳然と存在する詩形ではなく、ある人物に従属的に付帯する詩ではないか。刺身のツマ、清涼剤、スパイスetcのような・・・。

元学長の俳人、若くて美貌の女流俳人、ドイツ生まれの俳人。名をなした作家や画家、女優や政治家など本業があって趣味として、あるいはキャラクターがあってはじめて認知される、そうした不思議な側面をもつ文芸なのである。(03/11/08)

 

『短詩形とその作者たち()』72

短詩形という短い詩の文芸ジャンルがある。(因みに辞書には「短詩」はあっても、一般に広く使われているにもかかわらず「短詩形」の語は載っていない)

また詩歌(しいか)ということばもあり、これは韻文の総称であるので当然ながら俳句も川柳もふくまれる。が、どちらかというと俳句、川柳は仲間はずれにされている。それかあらぬか朝日新聞の文芸欄に、いっとき「詩歌句(しかく)」という苦しまぎれの造語の連載があった。すべてひっくるめる「汎・短詩」の呼称はないものか。やはり「短詩形」がもっとも適当なのであろうか。

このジャンルのコンテンツを細分化すれば多岐にわたるのだが、詩、短歌、俳句、川柳が代表的なものであろう。海外で「japanese poem」というとき、ほとんど俳句をさす。それはともかくとして、筆者は詩と俳句と連句について多少なりとも係わってきたので、これらジャンルの組織と作者たちについて少しくふれてみたい。

はじめに現代詩について・・・詩人のほとんどは何らかの職業に就いていて、詩を書いて生業とするプロは流行歌の「歌詞」を書く人のみだろう。谷川俊太郎氏や大岡信氏や入沢康夫氏など依頼されて詩を書く高名な詩人たちでも、大学教授などが本業で原稿執筆や講演があればこそと、だれかどこかで書いていた。

現代詩のあまたの作品(数量的なもの)は、同人詩誌から生み出されるといっても過言ではない。個人詩誌というたった1人の単位から、10〜20人前後のグループが圧倒的。発行も隔月刊はまれで、季刊あるいは年3回が主流だ。代表者がいて編集から発送などのすべてを取り仕切るのだが、同人は発行ごとに8千〜1万5千円くらいの負担をして詩やエッセーを掲載してもらう。詩とは「一編一万」のお金をだして読んでいただくもの。そして同人たちは「合評会」をもって互いに批評しあうのである。

こうした詩誌は日本にどのくらいあるか。恐らく300は刊行されているだろう。詩人たちや詩誌をたばねる組織もあり、総合誌である「現代詩手帳」「詩学社」「ユリイカ」などもある。

一つひとつの同人詩誌は、詩に対するかなり明白な「principle」主義と「opinion」主張をもっている場合が多いが、さりとて自分たち以外のグループを敵対視するのではなく、批評の場で話し合おうとする姿勢がみられる。例外はあるにしても、門戸はひらかれていて風通しがよい。詩誌にかかわる組織は、他ジャンルに比較して民主的な運営が多いといえるだろう。(03/11/01)

 

『光頭無稽(こうとうむけい)』71

しなのの国は諏訪郡(すわこおり)に、健助というおじいさんが住んでいた。年のころは60と7歳くらいで半農半漁業。はんとき猫の額ほどの畠を耕すかと思えば、こはんとき湖水に小舟をだして投網をうつ、そんな落ち着きのないたつきを送っていた。

このおじいさんは禿髪症、俗にいうハゲである。一口にハゲといっても先天性脱毛症、円形脱毛症、老人性脱毛症などさまざま。そもそもじいさんにハゲは「月に雁」のような添え物で、特段めずらしいことではない。しかしながら健助じいさんのハゲは「抜毛症」といって、自分で毛を抜きとるために生ずる脱毛であり、抜毛狂、トリコチロマニアともいう。神経症、うつ病の精神的要素や欲求不満が原因だと、後世いわれた。

健助おじいさんは一人暮らしで、朝は一番鶏とともに起きてお茶をのみ、お茶を飲みつつ茶を浸した布を用いて頭をみがく。髪の毛を抜いては磨くので、日ごとに光沢をます。なお残る耳の上の毛もきれいさっぱりと剃髪し、じいさんは思いきって得度した。しかし比丘として具足戒の250戒を受けたわけではなく、「私度」と称する仏門に片足を突っ込んだだけ。

ある朝のこと、件のおじいさんは鍬をかついで畠にでた。山気をふくんだ太陽の光がサンサンと輝き・・・と、そのとき、二・三羽のスズメがはすかいに飛んで、おじいさんの足元に落っこちた。かなしいことにスズメはまもなく死んでしまった。カラスも気が狂ったように鳴き、方向感覚をうしなった川に溺れ死んだ。

太陽の光がおじいさんの禿頭に反射し、鳥たちが目をやられたらしい。おじいさんは五戒の一「不殺生」を守らなかったことを深く悔いた。(信濃説話集3一部脚色)

・・・・・・・・・・・・

けちな男がサクランボを食べていたが種を吐き出すのは勿体ないし、いちいち面倒でもある。そこで種を飲み込んでしまうとお腹のなかで発芽し、頭の上に桜の木が生えてくる。若木はぐんぐん伸びて桜の名所となり人びとが集まるようになる。花見客の飲めや唄えの騒ぎに腹を立てた男は、桜の木を引き抜く。その穴ぼこに水が溜まって池ができ、今度は魚釣りや舟遊びの人びとで賑わいはじめる。業を煮やし、ほとほと嫌にもなった男は自分の頭の池に身を投げて死んでしまう。

江戸時代といわれる古典落語『頭山』の筋書きである。因みに山村浩二監督でアニメーション化され、アカデミー賞候補になったことはよく知られている。(03/10/24)

 

『アリさん歯磨き』70

ぶらりとドラッグストアに入り、売場の奥まったところにある保冷ケースに足をはこぶ。ケースにぎっしり陳列された、冷凍保存の「アリの瓶詰」をかごに入れてレジをすませる。

アリは膜翅類アリ科に属する昆虫で世界に約5000種を数えるが、日本産で最小はコツノアリといって約1ミリである。このアリの遺伝子を組み換え、クローンの技術をもって開発されたアリによる歯磨きの方法を、皆さんはご存じだろうか。はじめインターネットで売買されていたが、マツモトキヨシが東京で売り出してからアッというまに全国に広がった。

商標名は「アリさん歯磨き」といい、解凍方法はビンのフタをとって砂糖を10グラム入れて撹拌するだけで、以後はそのままで使用できる。仮死状態だったアリが好物の甘みで解氷して生き還り、うごうごと蠢くのである。これをパクッと口中にふくむだけで歯ブラシはいらず、朝晩の食後二回で、アリが歯間の食いかすや歯垢をきれいさっぱりブラッシングしてくれる重宝なものだ。

しかしながら、1ミリとは言い条、昆虫がもぞもぞと動き回るのでベロがこそばゆいし、ときには噛まれたりもする。そんな刺激も歓迎、近未来のことと思われていた技術が実現したので試したいというキトクな方にはお奨め品でもある。

話は変わるが、毛沢東さんは歯磨きが大きらいだった。何日も歯に食いかすが挟まっていて口臭がひどいので、取り巻きがそれとなく進言するのだが頑として拒否したという。

筆者はこまめに歯を磨くほうで、歯ブラシ、歯間ブラシ、糸ヨウジを用いて手入れをする。それでも歯が痛んできて、左右の奥歯がいかれてしまった。歯科に通ってもドラスティックな回復が望めないだろうとあきらめていた。こんなとき、「アリさん歯磨き」がドラッグ商戦にデビュー。筆者はチラシを見てすぐに買い求め、砂糖を入れてかき混ぜて、黒くうごうごと蠢くコツノアリを呑んだ。

呑むとどうじに目が覚めた。夢だった―。

話はまた変わるが、ユカタハタという深紅の地に青い点の美しい魚が大きな口を開けると、2センチくらいのベンテンコモンエビが歯の間の付着物を食べる。魚は手が使えないので、ハタにとってエビは生きた「虫歯予防のブラシ」。また、エビはエビで餌がもらえるから一挙両得というものと報じられた。筆者の夢は、そんな新聞記事を読んだ翌日のことだったのだ。

クローンのアリや毛沢東さんや深紅のハタや・・・。虚実の境目が不確かな怪しい夢をよくみる。歯が病めるが、脳細胞も老化し、血管もショートする筆者の夢はそんなものかもしれない。そんなもの、そう、そんな壊れちまった世界かもしれないが、これも老いの貴重な体験。苦渋ではあるけれど、老いもまんざらでないという気がする。(03/10/14()

 

 

 

 

 

 

『連句力!()』69

一期一会という言葉があるが、これだけで終わりたくないというのが連衆心、連句の持つ魔力だろうか。初めて会ったのに、別れるときは旧知の間柄のような・・・。

その後蕉肝さんと、ファックスで文韻をすることになる。最初は両吟歌仙だったが、平成9年8月からは氏の奥さんの栗子さん、筆者の家人の妙子さんも加わって夫婦二組による四吟がはじまる。このときは「連衆捌き」というスタイルをとったが、次にその経過の一部を書きしるす。(表六句と裏一句目)

歌仙「飛魚」の巻

1 飛魚や舳先万里の明けの波       蕉肝

2   夢を追ふよな顔の裸子       硯水

3 鳴り深きダブルベースに聞き惚れて   栗子

4   ひとり愉しむアブサンの色     妙子

5 月影の窓に差し込むリトグラフ     蕉肝

6   壷に活けたる無花果の枝      硯水

7 ロレンスの書に蜻蛉の翅挟む      栗子

船の舳先は遥かかなたを指し、飛魚漁の明けゆく海というなかなか雄大な発句である。脇句は、漁をする親父に添って海原を眺める眼差しのわらべ。夢多き蜑のせがれ。

第三は寄せては返す強弱の海鳴りの、ダブルベースか。アブサンの酔いに、ときには一人であることの愉しさ。

場面はつぎつぎと転換し、月の差し込んでくる部屋にリトグラフが掲げられ、大きな壷には無花果が活けられてある。

ロレンスの「チャタレー夫人の恋人」だろうか、蜻蛉の翅が栞としてはさまれる。庭に落ちていた鬼やんまの翅だろうか。

栗子(クリス)さんはアメリカの方で画家でもあるが、原句は英語で書かれ蕉肝さんが和訳を添えてくれる。ところがあるとき氏が不在ということで、裏一句目が栗子さんからファックスで来る。添え書きに平仮名で「でんわで、いみおしえます」と。まもなく電話がかかってきて、「トンボのはねが ブックマークのように 小説に」と、「英文付句」の意味をたどたどしく説明される。それで筆者が上記のような句に脚色して仕立てたわけである。

あとで蕉肝さんから、「クリスの句の訳よく出来てます。訳者が一人増えたようで、うれしく思います」と褒められた。ロレンスであれば裏二句目はむろん恋の呼び出しだが、ここでは割愛する。

それから蕉肝さんのアメリカ留学、栗子さんの展覧会の準備とか、筆者も同人詩誌への執筆のため四吟文韻は「満尾」とした。いまでも懐かしい想い出となっている。(おわり)(一週余の遅延をお詫びします)(03/06/28)

 

『連句力!()』68

少しく古い話であるが、平成8年の秋に、「第11回国民文化祭とやま96」が開かれた。「いのちとくらし―とやまマンダラ大絵巻」と冠し、井波町の名刹・瑞泉寺の「瑞泉寺会館」において。

応募歌仙の文部大臣奨励賞となった作品は、薩摩琵琶で演奏という本邦初の試みとのことで、古式床しい装束の琵琶の名手が36句の付句を朗々と弾き語りした。大賞作品表彰、講評なども終わって実作となった。

実作会の行われた会館は寺院の和室であり、それぞれに植物の名のつけられた38卓、およそ300人の連句人が全国から参加した。筆者は捌きの要請をうけて、「露草」の卓において半歌仙を捌くことになった。これまで「津幡全国連句大会」などで捌きの経験があり、長年連句に興味をもってきたので、会場には顔見知りや名前を存じ上げる人が多かった。

発句はご当地、木彫りの町、匠の町である井波への挨拶から「槌の音の爽籟となり響くなり」と筆者が詠んだ。座の連衆は5名で、成蹊大教授の近藤蕉肝さん、台東区にお住まいの藤沼和恵さん、井波町長ご母堂の清都佳子さん、看護師で短歌を嗜まれる久我妙子さん、家人の妙子さん。

筆者たちの「式台の間」も和室であったのだが、車いす参加ということで、かねてより懇意の井波連句会の会長さんである山本秀夫兄が寺院側とかけあって分厚い絨毯を敷き詰めバリアフリーにしてくれた。おかげで長い時間を楽に過ごせて有り難いことだった。

半歌仙「槌の音」の巻

槌の音の爽籟となり響くなり     硯水

獅子の親子を照らす月影     蕉肝

幾山河越え来し里の川澄みて     和恵

自転車漕いで犬のお散歩   矢・妙子

手品師の箱より鳩の飛び立てる    佳子

真っ赤な苺皿に盛られし   久・妙子

以上がそのときの一巡、表六句である。

意気込みに反して出来栄えはもう一歩というところか。初対面で気心もしれず、時間に急かされるのだから仕方がないと言えば仕方がない。実作会では優れた作品よりも和気藹々がなによりと再認識、後半はそのように進行させた次第である。

閉会してのち、お寺の駐車場で蕉肝さんと偶々いっしょになり彼は自家用車で厚木へ、筆者は諏訪へと帰途に赴くのだが、これで終わりというのでなく実は「後日譚」がある。(つづく)(03/06/13)

 

『芭蕉さんのレシピ()』67

「食べ事」とは言うまでもないことだが、人間が習慣的に1日のほぼ決まった時刻に栄養となるものを摂ること。時刻、回数、内容、食べ方は時代や社会によって異なるが、動物の「採餌」と違ってそこに文化的要素が反映する。祭事・仏事の行事の際には日常と違った食材が用いられたりする。

資料によると、縄文時代の貝塚や遺跡から発掘された動物質のもので、貝類350種、魚類70種、獣類70種(たとえば獣では、イノシシ、シカ、サル、ウサギ キツネ、アナグマ)。植物質では資料が少ないそうだが(たとえば、トチ、ドングリ、クルミ、ソバ、オオムギ、ヒエ、エゴマ、イネ)

因みに古代は朝夕の二回食であり、鎌倉時代のはじめに朝廷の間で三食となり、江戸時代になって三食が一般化した。食文化という言葉もあり、食材や食器、調理法などふくめての文化だが、食材資料はあっても、歴史上の人物たちのレシピは少ないようだ。

とまれ現代はグルメの時代。食にこだわる「美味しん坊」の時代である。逆にいえば飽食の時代で、真の意味での「味」が分かっているかどうか。食べ事文化に「味蕾」はあるのか?!

芭蕉の「献立」から、筆が漫歩してしまった。

芭蕉の「月見の宴」の料理はどんな味だったろうか。芭蕉に心酔する人は「料理」にも興味を持つはずで、再現に挑戦したい人は多いかもしれない。平成10年10月12日芭蕉忌の、「第52回芭蕉祭」にそれが実現した。

実は筆者の捌いた「蜻蜒の巻」という半歌仙が特選になり、連衆である家人とともに招待された。「献立」による地元の料理家や主婦たち30人が調理に取り組んだそうで、知事や市長など来賓、特選者、俳句、連句の選者たちが昼食に与った。

ところでその料理だが、味付けの注記がないためもあって、せっかくの大勢の奮闘にもかかわらず美味とは申せないものだった。筆者は連句協会理事長の土屋実郎さん、常任理事の伊藤藪彦さんなどと同じテーブルだったが、みんなして神妙に「蕉風料理」をいただいき、江戸時代の食について話の花を咲かせた。

前夜のホテルでの懇親会では、副会長の近松寿子さんと向かい合ったが、女史はお酒を注いでくれるとき、必ず「三々九度」の献杯の注ぎ方をして笑わせた。

連句人はなぜか、何でも許せるほのぼのとした間柄になれる。筆者は「大会荒らし」というか、連句協会の諸氏に知られてしまっていたので旧知のように打ち解け、いまでも楽しい想い出となっている。(おわり)(03/06/06)

 

『芭蕉さんのレシピ()』66

ところが芭蕉は、この月見の宴を最後の想い出に伊賀上野を立ち、浪花の客舎において生涯を閉じることとなる。そんな境涯に想像を働かせつつ改めて「献立」を眺めると、料理・食料からイメージされる芭蕉と芭蕉をとりまく背景、考証される当時の食生活の一端がしのばれて興趣がつきない。

惜しむらくは酒のことが「酒」一字のみ、それ以上の詳しい記述があればと思うのは筆者だけか。「焼初茸」「松茸」などの茸類は時季的にいって走りであり、メーン・ディッシュだったろう。伊賀地方は山国だから、それに時代も時代だから、海の魚や刺身が食卓にのぼらないのは致し方ないこと。

「芋煮〆」「里いも」「山のいも」など芋料理が多い。「つかみたうふ」とはなんだろう?浅学の筆者にはわからないものがたくさんある。がしかし、精進料理というか、ヘルシーな山野の食材がしつらえられ、これぞ「俳味」と言えばいえよう。

話はかわるが、小野小町が六歌仙の文屋康秀らと贈答歌を取り交わしていた平安前期。たとえば、愛のうつろいを怨んだり、相手のことばじりをとらえて誠意のなさを責めたり、無抵抗になびいてみせたり、千変万化の媚態の和歌を詠んでいたのであるが、そんな歌を詠草した日の、小町女史の食事の内容はどんなものだったろう。

あるいはまた、近郊の豪族ルーシー家の鹿をいたずら半分に盗んだのが思わぬ醜聞になって、郷里を飛び出したシェークスピア。初期習作の戯曲『じゃじゃ馬馴らし』(1594)を書いていたブロークンな時期のとある日、かれの昼食は何だったろうか。メニューを知りたいと思うのは人情か、げすな興味か。

『西遊記』の作者である、明の呉承恩の朝ご飯は?

『三銃士』の作者である、大デュマの晩ご飯は?

結婚式披露宴や特別記念の晩餐会をのぞいて、そもそも「食」はプライベートなもの。メニューをいちいち記録し、保存して置くことはないだろう。またメニューを日記などに書き遺した大家もいないだろう。

もしかりに、小野小町の食事の内容を記したもの、シェークスピアの食事のメニューがあったら、大文献まちがいなしである。蒐集家の垂涎のしろものだ。茶道では「茶会記」があって献立表を残す風習が古来よりあるのだが、こと「食」については、食い物のことをごちゃごちゃ言わない、言うべきでないという美徳がある。否、あったというべきか。(つづく)(03/05/30)

 

『芭蕉さんのレシピ()』65

芭蕉の生誕地の伊賀上野に、芭蕉自筆の「月見の献立」という一文が遺されている。墨竹の絵紙の裏を使って、会記としてしたためられた趣のあるものらしいが、残念ながら筆者は未見である。その全文は次のようなものだ。(原本はむろん縦書き毛筆で、散らして書かれているが、せめて雰囲気をとそれに習って書く。参考文献は『文藝春秋』昭和29年9月号)

八月十五夜

一芋煮〆

のっぺい せうが

ふ ゆ つかみたうふ

一器物 こんにゃく 吸物志めじ

ごぼう めうが

木くらげ

里いも

中ちよく

もみうり くるみ

かうの物

にんじん

焼初茸

しぼり汁

す すり山のいも

しやうゆ

くわし かき

吸物 松茸

冷めし とりさかな   (原文のまま)

さらに門人筆の「献立懸物」として、「是ハ赤坂庵ノワタマシ折節名月カケテ門人ヲマネキモテナサレシ亡師自筆ノ献立ノ破古也」という張り紙があり、芭蕉自筆であることは疑いの余地がないといわれる。

芭蕉は行脚の途次、元禄7年に伊賀上野に帰郷した。かねてより伊賀在住の門人たちの計らいによる、生地の上野の赤坂町に草庵の建設が進められていて完成した。そのわたまし(転居)の披露と、名月を愛でる一夕の宴が催されたのであろう。(つづく)(03/05/24)

 

『脳の不思議な物質たち』64

「白ずくめ集団」の言動を実際に見たり聞いたり、あるいはテレビで視聴して不気味だと感じる人は多いようだ。渦巻きステッカーを車の窓に張ったキャラバン隊を組み、白布で樹木などを覆う行動、共産ゲリラの電磁波攻撃だの二ビル星の接近だのと終末感を煽る、奇妙でおどろおどろしい集団ではある。異様というのは分かるのだが、さらに踏み込んであれは一体なんだろうかと考えたとき、人間の不思議さも改めて見えて来はせぬか。

「心身」という言葉がある。精神と身体のことであり合わせて一つのように取れるし、異なった別物のようにも取れる。「こころ」とは精神作用のもとになるもので知識、感情、意思の総体をいい、じつは「からだ」に対立するものと考えられている。

「こころ」とはある場合において、行いやふるまいに相反し、表立った行動の背後にひそんでいるものでだろう。他方「からだ」は、思考や感情や意思などの座であり、一つの仮に設けられた「座標軸」に過ぎないとも思われる。

人間がお互い、人間として異なるとすれば、異なる「こころ」を持つからだろう。さらに世界が拓けて、見聞きできるのは、ほかならぬ自分が存在するからであり、世界そのものと対立する自分らしい「こころ」があるからである。

―いささか哲学的に、話がとんでしまった。

「渦巻きステッカー」「白い布」「二ビル星」「スカラー波」などは、この集団の代表や属する人たちの「こころ」であり、それが紋様や言語として、すなわち「形状」として表れたものに過ぎない。そして通常の人たちよりも揺れやすい「ぶらんこ座標軸」であるがため、真実が分かり難いと言えよう。

人は「こころ」で、さまざまな思いを抱いている。善の思いもあれば悪の思い、猜疑心、不安、憎悪etc。「こころ」は意識、無意識という言葉に置き換えてもよいが、浮かんでは消滅し、歪んでは変化する、それが形をもって目に見えるとしたら・・・。

A・ビアスは『悪魔の辞典』で次のように述べている。

【心・精神】とは「脳によって隠された不思議な物質の一種。その主要な活動はそれ自身の本質をつきとめようとする努力のうちにあり、そのような企ては、心がそれ自身を知ろうとするに、それ自身しかないという事実のため、無益なものとなる」。(03/05/16)

 

『白ずくめ集団・・』63

白ずくめの服を着て、窓に渦巻きシールを貼った白いワンボックスカーをつらねて山道を移動し、駐車しては露営する集団がある。「パナウェーブ研究所」と名乗り、共産ゲリラのスカラー波攻撃を避けるべく有害電磁波の少ない場所を選んでいるという。きけば得体の知れないこのキャラバン隊は、10年前から約20台で九州各地、鳥取、福井などの山岳地帯を流浪していたらしいが、ここ俄かにマスコミの寵児になった感がある。

「天上界」からの声を伝えるという、教祖まがいで69歳の女代表のもとに男34名、女26名の集団。猫10匹にインコ2羽を引きつれ、車を停めるとすぐに白い布を持ち出してガードレールや樹木を覆ってしまう。ニビル惑星の接近だの、某月某日に人類が滅亡するだのと危機を煽り、おまけにアザラシのタマちゃん救出も訴える。カルト宗教とは無関係と、幹部は否定するが。

5月5日に岐阜県清見村を退去させられたグループだが、丑三つどきに百鬼夜行よろしく、361号線をノロノロと長野県開田村に入り、木曽福島町塩尻市諏訪市と通過した。諏訪市へは6日の夕刻だった。車列はパトカーや市町村の対策車、消防車などを加えてふくれ上がり、大渋滞。通過が想定される道路は峠への入り口にバリケードを設けるなど、各自治体はおおわらわ。物見マイカー、やじ馬でごった返す。

山梨県をめざしたので、ルート20号沿いのわが「河童寓」の前を通行するのが道なりだが、なぜか諏訪湖畔へそれてしまった。「スカラー波」が怖いそうだが、「カッパ波」も怖いということか。

小競り合いは引き起こすが武器をもっているわけでなく、荒唐無稽なことをいって白い布を張り巡らす。害毒はなさそうだが何を考えているのか分からず、薄気味悪いということらしい。

かれらの言動は奇妙奇天烈であり、動きがあって絵にもなり、まさにテレビ好みの「素材」。

話はとぶが、ブッシュ大統領、ラムズフェルド国防長官など取り巻きが背広姿でなく「パナウェーブ研究所」のような白装束で、「渦巻きシール」を大統領専用機の窓や操縦桿にべったり貼っていたらどうだったろう。「イラク戦争」開戦のときに、である。もしも「安保理」という鵺的害毒や、イラクの大量化学兵器という「電磁波」を逃れるためと称していたら・・・。
一応ちゃんとしたものに見えていた「背広集団」の正体が、実は胡乱くさいものだった、なんて。世の中には「紙一重」ってことが多いですよね。(03/05/09)

『わが妖怪談義(2)』62

ひとり河童を例にとっても、人馬を川に引き込んだり尻子玉を抜いたりするかと思えば、人に助けられた礼に川魚をくれたり、傷薬の秘薬の伝授もする。善悪の両刀遣い、両義性がある。

一口に妖怪というが日本には1000〜1500種が数えられ、悪行の限りを尽くす妖魔もいれば、逆にユーモラスな癒し系の妖怪もいる。河童はさしずめ中間派といったところか。

江戸後期には、大人の絵本「黄表紙」に十返舎一九らが描いた剽軽(ひょうきん)なお化けがはやった。黄表紙は大衆向きの小説や笑話中心だが、歌舞伎、怪談のパロディーも。諷刺のワサビをきかせた。庶民の風俗や娯楽を載せ、江戸時代の精神構造を裏側から透かし見ることができる。

妖怪の本領は怖さと可笑しさ、人びとの見る角度によって変る価値観のズレ、そのズレが生む「心の扉のがたぴし感」のようなものだと思う。不条理がおのずから現わす世界だ。また、人間は妖怪を見世物にするが、妖怪は人間をみて笑う。現実をグロテスクに裏返してみせることが、理屈を超えた想像力を呼び起こす。

素性の知れない、よく見きわめられないものが、はねまわり、のさばりはびこる。そのことが喚起させる想像力。時空を超えるところに人びとは魅せられるのだ。

―話はふたたび脇道にそれるが、頭に大きな笠をかぶり、手には紅葉豆腐をのせた丸い盆。臆病で不器用。しかし愛嬌たっぷりな江戸時代の妖怪「豆腐小僧」。そんな豆腐小僧が近頃さかんにメディアに顔をのぞかせる。

昨年、大蔵流狂言の茂山一門の新作狂言にもなった。「自分は妖怪だ」と気弱にいう豆腐小僧に対して、「どこが妖怪なんだ」と詰め寄る太郎冠者。そこに尊大な大名が現れて「雨よけ」にといって、笠と豆腐を小僧から奪い取る。ところが大名が笠と豆腐を身につけると、立場がたちまち逆転してしまう。

演出の茂山あきら氏は道化と権力者の逆転するところが、この狂言のミソだと語る。「政界、財界、町内会、どこの社会にも得体の知れない人がいて、何かの拍子に妖怪になる。舞台を笑いながらもうすら寒い気持ちを感じてもらえれば」と朝日新聞に載っていた。

それでは、また次週に。(03/04/12)

 

 

 

『わが妖怪談義(1)』61

ある人から、ホームページの名が「河童文学館」であるし、コンテンツの「妖怪連句」や「コラム」にもよく妖怪や幽霊が登場する。だから管理人は妖怪が好きに相違ないが、それは如何なる理由によるのかと聞かれた。なるほど、これまで妖怪についてそれらしき文章は書いていない。いずれ書きたいとは思っているが―。

妖怪・幽霊の棲んでいる異界とは、この世と隣り合っている「もう一つの世界」である、という認識が筆者にはある。そうした世界が現実にあると認識することで逆に、この世の諸相が見えてくる。妖怪も幽霊も「モノ」であるから、心を凝らせば必ず見える。にもかかわらず見えないと言う人が多いのは(存在を否定するのは)、そもそも妖魔の夜陰性に対して、現代ライフスタイルの照明の明るさと現代人の想像力の貧困が起因している。

民俗学の谷川健一氏は「妖怪起源考」(『別冊太陽57』)において、次のよう述べている。

「お化けははるかな原始の声である。大昔、森羅万象のなかに霊魂(アニマ)を見出していた時代、植物も岩石もよくことばを話し、夜は炎のようにざわめき立ち、昼はまるでサバエが湧くように沸騰(ふっとう)する世界があった。そのなかに存在するのは善意にみちたものばかりとは限らなかった。夜は蛍火のように自分をねらっているモノがあり、昼はサバエのような悪いモノがいた」。

「このモノを鎮める技術をもっていたのが物部氏(ものべし)である。この場合の物は物体ではなく、眼に見えぬ霊魂のことである。物部氏は金属の利器を用いて、他者を害する邪霊(モノ)を払い、麻糸を輪に結んで遊璃魂(モノ)を身体の中府に鎮めるまじないの儀式をおこなった」。

「大昔」もだが、現代もまた森羅万象あらゆるものに霊魂(アニマ)がひそみ、跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)の機を窺っている。ただ化け物も当然ながら時代とともに変化し、進化する。科学に硬直した脳には対応できないのだ。

「金属の利器」とは巡航ミサイルとか化学兵器とかであり、物体(モノ)が容赦なく霊魂(モノ)をぶっ潰している。物部氏の時代の「鎮めるまじないの儀式」は通じず、米英・イラク両軍の「破壊する儀式」が夜行(やぎょう)する。戦争とは妖怪、戦争をするものは妖怪である。人を殺せば犯罪、大量虐殺すれば勲章が貰えるなんて不条理。不条理は「妖怪のしわざ」なのだ。

―タイトルから脇道にそれてしまった。では次週にお目にかかろう。(03/04/05)

 

『もうひとつの殺戮』60

「サダムと愚かな息子たち(長男ウダイ、次男クサイ)に制裁を」(ブッシュ大統領)という戦争の幕がきって落とされた。「悪の枢軸」の一つであるフセイン政権を倒すという、ブッシュにとっては待ちに待った悲願の戦争だろう。米英軍がイラク国土に空爆し、間髪をいれず地上軍が大挙侵攻。戦況は日に日に烈しさを増している。

戦況もだが、マスメディアを中心とした「情報戦」も熾烈をきわめる。フジテレビは外国通信社からの映像として、「史上初めての戦場からの生中継リポート」を流す。また米CNNは、24時間現地からの中継を絶やさない。なんでも北上する戦車の隊列を追うときは、特別仕立ての四輪駆動車を使うという。

「中東のCNN」といわれる「アルジャジーラ」も、負けじとばかり戦禍情報をタイミングよく送りつける。

米英イラクの当事国は、真実である情報に加えてタメに流す情報、ガセネタをまじえて世論の誘導を目論む。つまり意図的な「情報操作」を行なっている。情報も当然ながら「戦闘」であり、情報の編集の仕方や受け手の受けとめ方によって真実は歪んでいく。

冒頭のブッシュの言辞ににじむように、いかにハイテク兵器を用いて戦争が近代化しても、人は畢竟、憎しみという感情レベルの(言語をもってしか)殺戮に踏み出せない。(正義などどこにもない)

「戦争システム」の部品である兵器があって兵士がいて、権力があって名声を得んがため、戦争は限りなく繰り返される、折角のシステムを無駄にしたくないという理由で・・・。

更にもうひとつ、戦場情報の「意図した隠蔽」と「意図した露出」、これは「表現による殺戮」といっても過言ではない。ウソはまさに泥棒のはじまりであり、こころが窃盗され、幽閉される。

A・ビアスは『悪魔の辞典』(「戦闘」)で次のようにいう。

「舌先三寸ではどうにもまるめ込めぬ政治の縺れを歯でもってほどいてみせる方法」。

また同書の「愛国心」では、

「自分の名声を輝かそうとする野心家なら誰でも炬火(たいまつ)を近づけるとすぐに火がつくがらくた」と決めつける。(03/03/28)

 

『ありがとう、ブッシュ大統領』59

「ありがとう、偉大なる指導者ジョージ・W・ブッシュ。

サダム・フセインが体現している危険をすべての人に知らせてくれて、ありがとう。私たちの多くは、彼が化学兵器を、自国民に対して、クルド人に対して、イラン人に対して使用したことがあるのを忘れてしまっていただろうから」(ブラジルの作家。パウロ・コエーリョ。朝日新聞3月20日)

「中略 ありがとう。統治者の決定と、国民の願望との間に巨大な断裂があることを世界に示してくれて。ホセ・マリア・アスナールとトニー・ブレアがともに、自分を選出した国民の声にまったく重きを置かず、まったく敬意をもっていない人であることを証明してくれて、ありがとう」。

―米英のイラク攻撃がはじまった。米メディアは19日まで「イラク全土に一斉に精密誘導弾を浴びせて、ビッグバン型の開戦になる」と言っていたが、CIAの入手した情報により、フセインに照準を合わせた奇襲作戦に、急遽変更されたという。

―「夜明けの祈りの時にブッシュが罪を犯した」とフセインがテレビで演説した、ライブ情報かどうかはともかく・・・。

「ならず者」「サル」と互いに罵り合っていた二人だが、圧倒的な戦力の大国が先制攻撃し、貧しい国の武器である、サリン、マスタードガス、炭疽菌などの生物化学兵器を有するといわれるイラクが受けてたつことに。

フランスのとある団体が、プレッツエルというスナック菓子を一袋800円(円換算)で売り出し、現物はブッシュ大統領に送りつける。大量に送るのだという。ご存じのように、プレッツエルは一年前にブッシュがノドに詰まらせて死にそうになった菓子だ。

情報の破片に埋もれ、作為に満ちたバーチャルもどきの戦況にうもれ、戦争ははじまった。コエーリョ氏のメッセージはつづく。

「中略 ありがとう、すでに起動してしまっている歯車をなんとか止めようとして街路を練り歩く名もなき軍勢である私たちに、無力感とはどんなものかを味わわせてくれて。その無力感といかにして戦い、いかにしてそれを別のものに変えていけばいいのか、学ぶ機会をあたえてくれて。

それゆえ、どうかあなたの朝を、そしてそれが今のところまだ、もたらしているのであろう栄光を、十分に味わっておいていただきたい。ありがとう。私たちに耳を貸さず、私たちの言うことを本気にしないでくれて、ありがとう。むろんのこと、私たちはあなたの言うことをしっかり聞いており、あなたのことばを決して忘れない。そのことを、ぜひ知っておいていただきたい」(03/03/21)

 

『文は人なり』58

「文は人なり」とは夙に知られた慣用句で、「文章を見れば書き手の人柄が知れる」という意味。人柄のみならず、センテンスの長短が肺活量や一部臓器の働きと無関係でないという研究もあるそうな。

「文は人なり」かあ〜

少しく斜にかまえ、ポイントを故意にずらし、本音だかお惚けだか分からないご託をならべる、とは本欄のこと。筆者みずからによる自己分析だ。『天声人語』とはあえて勝負しない、差別化のスタンスをとる。まさに「文は人なり」也。

むかしむかしの話だが、木村毅の『文章倶楽部』という文壇登竜門をうたった月刊誌があって、筆者はこれに投稿していた。俳句や短歌から評論や随筆、小説など幅広く公募。文学青少年に活動の場が与えられていた。のちに経営者が変わって誌名も『世代』となったが、筆者の応募した『偽装』という30枚の小説が200余編のなかから選ばれて掲載され、選考委員の野間宏の厳しくも温かい批評をうけた。

その後、保高徳三の『文芸首都』に入会して15枚の『若い男』を載せてもらったが、太宰治の『トカトントン』に匹敵するとおだてられた記憶がある。当時は開高健の『パニック』、大江健三郎の『飼育』など読んで惹かれたもの。なれっこないことが分かっている、作家志望だった。

新聞や雑誌のエッセーにも応募し、『長野日報』の随筆には何年もつづけて入賞し、やがては殆んどフリーパスで文化欄に書かせていただけるようになった。下積み時代には行李一つ二つ分の原稿を書きためるものと聞いたが、筆者は原稿5枚の「ショート・ショート=掌編小説」約30編、30枚の小説10編くらい、これっぽっちで文学志願もないものだが。

『世代』がさらに、現在の『現代詩手帳』(思潮社・小田久郎社主)という現代詩専門の出版社になり、その第三回「現代詩手帳賞」を年間詩活動で受賞した。審査委員は清岡卓行、長谷川龍生、吉野弘、そして現代詩に理解ある作家の審査委員として野間宏が参加。筆者にはまことに奇しき「邂逅」であり、このときも氏は、なぜか筆者の詩を強く推薦してくれた。それから40年近い歳月が流れる。

ペルシャの詩人、オーマ・カイヤムの詩。「いず地より また何ゆえと知らで この世に生まれきて 荒野を過ぐる風のごと 行方も知らに 去る我か 時は今 我が足下を滑りゆく」。

詩はつねに若く、人は老いさらばえる。

いま在ること、いまこれから考えることが総てで、過去にはさっぱり興味のない筆者だが、今日はわが文芸の履歴にちょいとふれてみた。自慢話もまじえて。(03/03/14)

 

『ホッチキス&輪ゴム』57

どなたもご存じと思うがホッチキス、あるいはホチキスという紙綴器がある。「コ」の字形の金属針を用いて把手を押し、紙などを綴じる器具。携帯用であれば、ほとんどの家庭に一つ二つはある便利なシロモノだ。

この器具は、機関銃の発明で知られるベンジャミン・ホッチキスの考案によるものでステープラーと呼ばれるが、一般にはホッチキスの名で通っている。わが国には明治42年にアメリカから渡来し、大正のはじめには輸入が大幅にふえた。その頃は「むかで式」と俗称されていた。

その後国産されるようになった。用途や針の大小によって各種あり、1号は厚紙用の大型タイプ、3号は中型で針も細く体裁よく綴じられるタイプ、10号は片手で操作できる小型携帯用。一般にもっとも普及しているのがこのタイプ。その他に電動式、ワイヤー式など商工業に使われるものも。

大正時代に量産されたといっても、一般には高嶺の花。筆者など少年のみぎり、紙を綴じるには「観世紙縒=かんぜこより」を使っていたもの。紙を細長く切って縒るのだが、こんな他愛ないものでも紙質の適ったものと唾液と熟練のワザが必要だ。

さて、話が脇道にそれてしまった。ホッチキスは安価で手に入るが、この器具は簡便に綴じることにかけては誠にもってスグレモノであり、現在ならノーベル賞ものだといわれる。

また、ホッチキスとは全く関係ないのだが、「輪ゴム」もホッチキスに負けず劣らずで、有史以来の名品とうたわれる。ぐるぐる巻きにして袋の口を閉じたり、細かいものを束ね、一緒くたにまとめたり・・・。

さてさて、『ホッチキス&輪ゴム』のタイトルで、つまるところ何がいいたいのか?「一つひとつの物」は集合することで利便になる場合があり(その逆もあり)、「物」はアッというまに散逸してしまうので、ホッチキスで留めてまとめる。―賢明な読者はすでにお気づきと思うが、「物」とは物体・物品をいうとどうじに、たとえ形がなくても広く人間が感知しうるすべての対象をもいう。

筆者のような気の散る人間にとって、ホッチキスは至便。さらに頭のなかのくだらない絵空事は、輪ゴムで束ねておきたいだけの話である。(03/03/08)

 

『尺取虫と唯識と』56

「尺取虫」という虫をご存じだろうか。体は円筒形で灰褐色か緑色をしていて、歩くときに屈伸するさまが、指で尺をとるのに似ていることからこの名がある。この虫は名前のように、樹木の枝を測っているのだろうか。どうも筆者にはそうは思えず、尺取虫は自分の身長の伸び縮み測定、つまり、A地点からB地点まで何歩で到達できるかと考えているように思えてならないのだ。「がんばる屈伸」と「がんばらない屈伸」、その違いは一体何尺だろうかと。その「偏差値」は一体どのくらいだろうかと・・・。

―こんなことを言い出そうものなら、「また始まった」と家人に言われかねない。「検温」は体温を測ることであるが同時に、体温計が正常に作動するかどうかの確認作業でもある。薬の服用しかり、酒の飲用しかり。本来的と考えられている以外の半分くらいは別目的だったりする。病気の治癒状態から薬の効能をしらべ、晩酌を嗜むことはアルコールの度数しらべ、これすべて研究なのである!と声高に主張したいのだが、そんなことをすれば、「あなた、心療内科に診て貰ひませうね」と強制入院させられてしまう。

だがしかし、「腹時計」はどうだろう。腹のすき具合で時刻を推し測っているではないか。仮に世に、時刻というもの(概念)があって(当然あるのだが)、それを確認し修正していくのは「腹時計」のような体内発信される個の意識なのではないか。

―唯識という仏教学説は、「自己およびこの世界の諸事物はわれわれの認識の表象にすぎず、認識以外の事物は存在しない」と述べる。

さらに『十地経(じゅうじきょう)』に、「この三界は心よりなるものにすぎない」といわれるように、「われわれに認識されている世界は自己の認識の内なるものであり、他方、自己の認識の外にあるものをわれわれは知ることができないのであるから、世界とは自己の認識の世界」だと説いている。

自らの腹があって空腹をおぼえ、時刻の流れを知る。薬や酒を飲むことによって薬という概念、酒という概念を知る。その延長線上に「唯識」があるのではないかと、危うくショートしそうな考えを巡らせている今日この頃だ。「世界へ羽ばたくではなくて、世界がわたしを通りすぎていく」のである(03/02/28)

 

『ホームページ丸一年』55

ホームページ(HP)ということばが新聞や雑誌に載らぬ日は恐らくないが、この言葉じつは広辞苑にない。その他の辞書にもないが、新語、カタカナ語の辞書には収載されている。

「WWWにおいて、ある一サイトもしくは、ひとまとまりのコンテンツを代表するページ。一般にサイトのトップページや目次のこと」(『カタカナ語辞典』三省堂)とある。「だぶる」を立て続けに三回いう「WWW」とは、直訳すると「世界中に張り巡らされたくもの巣」で、この仕組みによって、マウスのクリック一つでページからページに瞬間ジャンプが可能だ。最近ではたんに「Web(ウェブ)」という人が多い。

いうまでもないが、ホームページは個人から企業、団体が発信を行うのであるが、誰でも如何なる会社でも、博物館でも病院でもなんの拘束もなく開設できる。したがって「規模」はピンからキリまで、しかしピンであろうとキリであろうと均しく同等、世界のどこからでもアクセスできる不思議な「情報の網」である。

御託はさておき、当ホームページは、俳句、連句、現代詩、川柳、コラム、エッセーなど文字中心のサイトであるが、短詩形に「妖怪・幽霊」を表現するという、文芸史にかつてない(皆無に近い)取り組みを根幹の一つとしている。(小説には幻想文学なるジャンルも。泉鏡花、上田秋成、澁澤龍彦あり、最近では京極夏彦あり。エッセーでは池田弥三郎、暉峻康隆、柳田國雄、宮田登などあり・・・)

因みに与謝蕪村に「河童(かはたろ)の恋する宿や夏の月」という発句があって、さすが蕪村だけはある。

―さてさて、話が横道にそれてしまった。このHPの「妖怪連句」を読んだある批評家さんから、「妖怪は文学である。妖怪をみごと文学にした」というお褒めのメールをいただいた。それで気をよくして、ここに書き込むわけだ。

PCに未熟なものだから画像やアニメ、投句フォームやしゃれた意匠とは無縁で、掲示板、チャットも管理の問題で二の足を踏んでいる。いうなれば雑誌的なホームページだ。こんな「河童文学館」が、今日でちょうど丸一年になる。このコラムも遅刊はあったが休載はなく、隠れファンもいるらしい。ありがたきしあわせだ。(03/02/20)

 

『鳥ワールド』54

シジュウカラが、相変わらず庭の餌場にやってくる。カエデの木陰に使われなくなった青銅の脚高の花台を据え、その上にピーナツの容器をおく。シジュウカラはペアで来たり、七八羽で来たり・・・。

群れのときは、一羽がピーナツをくわえて枝に止まり、せわしく啄ばむ。すると別の一羽が同様のアクションをとる。と見るうちに、樹冠のどこかに窺っていたであろう二三羽が急降下して餌台へ。

エサの容器は10×20センチくらいなので、我さきに漁ると頭や羽がぶっつかる。その配慮か、エサをくわえるとその場から離れて次に譲る。そうでないときは、エサを餌台の下に放り投げるように落とす。エサにありつけないものがそれをひろう。

またシジュウカラは、スズメやセグロセキレイのときも同じような状況判断をして、無用な衝突を避けているようにみえる。ヒヨドリのときも、カラスのときも。・・・自分より大形の鳥には近寄らず、敬して避けている感じ。大形は小形を追いかけても深手は負わせず、棲み分けている。野性の共生本能というべきか。

さて、とある日、筆者はリビングのテーブルに頬杖をついてグアテマラを啜りながらシジュウカラを眺める。ときどき睡魔に誘われつつも、由無しごとを考える。さるほどに涙がとめどなくこぼれ、不覚にもオイ、オイと声をあげて泣いてしまった。

ブッシュは猛禽だ。石油のハゲタカだ。フセインは歌を忘れたカナリアだ。ジョンイルはモズだ。百の舌でわめく肉食禽だ。ブレアはウの真似をするカラスで、プーチンはヌエで、シラクは双頭のホウオウだ。コイズミはカザミドリだ。アホウドリだ。

―映画「猿の惑星」にこんなセリフがある。(人は人を殺すが)「猿は猿を殺さない!」。

地球という美しい水の惑星の生態系を壊す「ならず者」は、まちがいなく人間だ。人間は核の拡散をして、ぜんぶがぜんぶ、滅びるがよろしい。そして神が許すなら、アメーバからはじめようぜ。次は「真人間」になろうなお互いに!

―ここで目が覚めた。「浅き夢みし・・・酔ひもせず、ん」。(03/02/16)

 

『餓鬼のけんか』53

「おいお前、ナイフを見せてみい」と、餓鬼大将がいった。言われた年下らしいチビッチョ餓鬼は、「そんなものねえよ」と首を横にふる。小柄で非力にみえるが減らず口はなかなか、目付きも鋭い。

「おい、こちとらは知っとるぞ」と、大将がふたたび脅す。「ナイフにかけちゃあ、ちとウルサイんだよな。○男はイギリスの鋼製アーミーナイフ、△男はフランスのチタン製の折畳みポケットナイフ、おいらはモチのロン、アメリカ製の革の鞘付きハンティングナイフさ。お前なんか焼きの浅い、錆付いた切出しナイフだろうがよ」。問い詰められたチビッチョは「校則で<○禁>じゃんかよ。ナイフなんかあるもんけ」と、不貞腐れたように逃げの手をうつ。

とある昼下がり。担任の先生が、「このクラスではないが・・」と前置きして次のようにいった。「生徒のなかにナイフを持っているという風評がある。みんなも知っているようにナイフの所持は厳禁で、家で使っていた小刀類も両親に預けるように、親御さんを通じて連絡もした。この学校に、そんなウワサがたつこと自体嘆かわしいことだから、みんなのポケットやカバンを調べることにする」。

―さてさて、それから旬日して・・・。とある日曜日の昼下がり、校庭のポプラの大樹の下で。

くだんの餓鬼大将が、三、四人の息のかかった取り巻きを従えて、チビッチョを声高に詰問している。「おい、ナイフをどこに隠した?さっさとナイフを出してみい。セン公(先生のこと)がいくら「白」「灰色」といっても、おらっちは「黒」と睨んどるぞ」。

「それじゃ聞くが」とチビッチョも窮鼠猫をかむで、「大将はナイフを持っていて、なんで許されるのか。セン公が咎めだてしねえのは、なんでか。こんなことがあってええのか」。「お前の質問にいちいち答えねえぜ。おらっちの理由、セン公の理由さ」と、大将が肩を怒らせていった。「お前がナイフを隠すことが、<悪>なんだ」。

餓鬼大将はさらにつづけた。「しかし日は暮れる。いつまでもセン公の<査察>を待っちゃおれん。ゲームは終わった。おらっちがお前を丸裸にしてやるぜ!」。(03/02/08)

 

『ごみ物語』52

「物が捨てられない」「物を蒐めたがる」、このような性情の人種が多いらしい。あれこれ買い込んで使用したもの、使用しないもの、什器や衣類からマヨネーズやカップ麺まで、足の踏み場もないほど部屋中に散らかして憚らない。食いかけて放り出したものは、腐敗して悪臭を放つ。生来の無精が昂じたという原因もあり、片付ける決断(取捨選択)がつかない心的・病的なものがあるとされる。

蒐めたがる方は、ごみステーション、資源物置場をあさる。使えそうなナベやカマ、手提げ鞄や古帽子など。一旦廃棄されたものなので誰も文句はいえないものの、家の内外はごみの山になり、近隣は悪臭、火災の危機にさらされる。

実は、こうした「ごみ屋敷」「ごみ騒動」を採り上げるワイドショーや特番がある。ある番組ではレポーターが、ごみ屋敷のアルジに接触したり、行政に働きかけて片付けさせる仲介に入ったり、何カ月もかけて取材。ヘンクツな「ごみ主」も、レポーターの心根にほだされて聞く耳を持つようになる。けっこう視聴率が高いそうな。

「ごみ」、これは一体何だろう。ごみとは、ちり、あくた、ほこり。また、つまらないもの、無用のものをいうが、ごみも概念(イデア)的には「もの」である。

他方で「もの」とは、形のある物体をはじめ、人間が感知しうる対象をいい、形を持たずとも、たとえば「憑き物」のようなもの、「物と事」、人間である「者」をも包括して指し示すことばである。

ごみの概念と、ものの概念とは密接につながっていて、往き来自在な「複線レール」になっているのである。

A・ビアスは『悪魔の辞典』(「失うこと」)で、こう言っている。「(失うことは)われわれが持っていたもの、あるいは持っていなかったものの喪失」だと―。

現代は飽食の時代といわれる。食にかぎらず、あらゆるものが氾濫している。たとえば日本。これほどの物質の潤沢さは、おそらく有史以来だろう。何でも在ることは、何にもないことより、はるかに幸福だと誰もが思うかもしれないが、果たしてそうか。ビアス先生ではないが、「持っていなかったもの」さえ、気付かずに失ってしまったのでは?(03/01/31)

 

『名前』51

世の中には変わった名前、おもしろい名前の人がいるもので、「阿井植夫」(あいうえお)と名乗る若い男がいて、その許婚の女が「垣久卦子」(かきくけこ)だという、嘘のような本当の話がある。

長い名前では、落語の前座ばなしの「寿限無、寿限無、五劫のすり切れ(ず)・・・長久命の長助」。―檀那寺の住職からつけてもらった男児の名で、親が子に語りかけるたび、延々とこの名を呼んで、お客を笑わせる。

女性では、「山の中いろはにほへとちりぬるを・・・ゑひもせす子」という50音の長さ。当人は大幅にはしょって、「いす子」で済ませていたらしい。

名前とは、人間が個人的にもつ名称であり、姓と名の組み合わせによって個人の識別や法的な登記などに使われる。自称、他称や、その両方をふくめての愛称、芸名、ペンネーム、あだ名、四股名などあり、死ねば戒名までつけられる。ありがたき幸せというべきか。とどのつまりは、偽名、戯名の類の匿名という、いわば雲隠れするための「名前」すらある。

葛飾北斎は幼名を時太郎といったが、為一、卍、画狂老人など、生涯にわたって20数度も号を改めた。殻を脱ぎ捨てて、新しい画境を拓くための心機一転の試みだったろうか。雅号、筆名は誰に文句もいわれず改名できるが、本名はそうはまいらぬ。

現在でも改姓、改名はできないことはないが、かなり難しい。珍奇、難読など「正当な事由」がある場合に限られる。改姓が許された例として、「狼=おおかみ」「百足=むかで」「素麺=そうめん」etc.・・・

―さてこの度、法務省が人名漢字の枠を大幅に広げるらしい。さまざまな名前があるほうが楽しいから、結構なことだ。

因みに筆者は、本名の何百倍も「KENNSUI」を酷使しているが、その他にハンドルネームが二つあることは、当ホームページの「御触書&横顔」に載っている。二つは主として「妖界フィールド」を探検するときに使う。妖怪ファンなら遭遇するかもしれないが、最近は多忙でままならない。(03/01/24)

 

『御神渡り』50

諏訪湖に五年ぶりに、御神渡りが(御神渡りの候補が)確認された。「御神渡り(おみわたり)」とは、湖が全面氷結したあとに寒気のために収縮し、割れ目が生ずる。そこに湖中の水が上がって再び結氷、朝になって気温が上昇すると氷が膨張して割れ目を圧縮し、氷を持ち上げる。この盛り上がった亀裂をいう。

この亀裂は、諏訪大社上社の男神が、下社の女神のもとに通った軌跡だとする伝承が古くからあり、「神が渡る」、すなわち御神渡りというわけだ。「諏訪湖・御神渡り」の起日などの記録は500年以上にわたって保存されていて、気候変動の資料としては世界的に有名である。

神が湖上に降りる上社(諏訪市側)の起点を下座(くだりまし)といい、地上に上がる下社(下諏訪町側)を上座(あがりまし)という。2、3本の亀裂の走り方や方角、それに交わる「佐久之御神渡り」などによって、天候、農事、吉凶、世相などを占う。

暖冬というのか、ここ何年かは氷の張らない、いわゆる「明けの海」がつづいた。が、以前の諏訪はまことに寒く、御神渡りは毎冬の現象だったし、氷の厚さも今では想像もつかない3、40センチはあった。スピード・スケート大会や、小型の車で氷上に乗り込むこともできた。むろん穴釣りもできた。

御神渡りのとき岸辺に耳を澄ませていると、亀裂の走る「キーン、キーン、シャキ、シャキ」という金属的な音、男神が小急ぎに渡っていくであろう鹿革靴(?)らしき足音が聴こえたものだった。

―現在の氷の厚さは約10センチ、せり上がる氷の嵩は約50センチ、2本のカーブする氷筋に、斜めから新たな1本が交差して、御神渡りの候補とされている。あす(1月19日)、地元の八剣神社の宮司、総代、大総代経験者の古役による「拝観式」が行われ、正式に御神渡りとなるのである。そして、宮内庁、気象庁に記録が送られるということだ。(03/01/18)

 

『シジュウカラ』49

地方のちっぽけな都市とは申せ、国道20号線沿いの拙宅のまえは車の通行がひきもきらない。ネコの額ほどの前庭、裏庭があってダイスギ、ヤマボウシ、カクレミノ、カエデなどが植栽されている。こんなところにもヒヨドリ、シジュウカラ、カワラヒワ、スズメなどの小鳥がくる。歓迎しないカラスも、また筆者は見なかったが、家人の確認でキジも訪れたという。

それには理由もあって、思い出したように撒き餌をするからだ。手造りの餌さ台は朽ち果てて庭木に凭れかかっているが、シジュウカラはかつてこの家で餌さにありついたことを覚えているらしく、テリトリーというか、食餌ルートというか、ときどき訪れる。訪問、いや慰問してくれるならと、餌さを撒くというわけだ。

シジュウカラは二三羽、多いときは七八羽群れをなしてくる。スピッツ、スピッツと金属的な鳴き声を発し、敏捷に動き回る。7メートルくらいのカエデの株立ち、梢から地面に、地面から梢に上下にストンと飛ぶ。ほとんどの鳥は「欽ちゃん飛び」で、(萩本欽一さんが、両手を翼のようにそろえて舞台を斜めに跳ぶさま)ある程度の角度を必要とするが、シジュウカラは全くと言っていいほどに垂直飛翔。こんな舞い方の鳥も多くいて、筆者の認識不足かもしれないが・・・。

彼らの好物は落花生。バターピーの塩やバターを拭き取ってやっても食べるが、食害が心配。で、加工しないピーナッツを細かく砕いて与える。口にくわえて小枝に止まり、両の肢にしっかり挟んでくちばしでチョン、チョンとつつき、忙しくついばむ。小さいかたまりを更に小さくして呑み込んでいるらしい。食べ終わると必ず、くちばしの左右を枝にこすりつけて拭い、飛んでいく。そんなかわいい生態がガラス越し3メートルに眺められるとは、有り難きしあわせである。

―ある日、朝まだき。お茶を淹れて一服していると、コツコツと音がする。外壁のボードに何かが当たるような、叩くような音。ふたたびコツコツと。しばらくすると、シジュウカラが二三羽飛んでいくのが、ガラス越しに眺められた。「そういえば餌さ、忘れていた!」

「コツコツ」は、餌さをオネダリするノックだったのか?まさか。しかしそうかもしれないぞ。そんな自問自答しながら、茶腹で腹ポンになってしまった。(03/01/11)

 

『写楽した!』48

あけましておめでとう。2003年冒頭のコラムではあるが肩肘張らず、例によって独断と偏見と、粛々とすっとぼけて書くほかに手はない。とまれご愛読をお願い申し上げる。

1「ブッシュさん」。軽快というか軽薄というか、声優にはとても使えないエガラッポイ声で、敵対する国や宰領を名指しで「悪の枢軸」「ならず者」呼ばわり。声の質と脳の質が相関関係かどうか。これが大国の大統領の言葉かと耳を疑うばかり。

2「ムネオさん」。刑事訴訟中にて真実は見えないが、国会に於いて「そのような事実は断じてありません」「ここで明白にして置きます」と自信満々に言い放った答弁。巷間いわれる悪行が事実だったら、ムネオさんにとって言葉とはいったい何だろう。

3「耕一さん」。ダブルのノーベル賞はめでたい。その一人の田中耕一さんは若くて、工場の作業衣であらわれ、どぎまぎとマスコミ対応。らしくない(外見上)受賞者で、「ノーベル賞概念」を崩したところが快かった。もっとも耕一さんも、日を追ってマスコミ馴れしてしまったが、「紅白」の審査員を辞退したのはよろしい。すべて言いなりにはならんぞ、という白星。

4「ジョンイルさん」。聴きたくもない北朝鮮の素っ頓狂なテレビニュースの声。雑技団の女子供の思いっきり作った破顔。とどのつまりは、菜っ葉服でポンポンと手を叩くキム・ジョンイルさん。ミサイル、餓死、独裁。この落差は埋められぬ。

5「愛ちゃん」。マスコミは「さま」に決まっているらしいが、このコラムは「ちゃん」でいく。(不敬罪もマスコミでは生きている!)テレビに映る愛ちゃんは、五本の指を上に向けて小さく揺する。揺するように振る。それが掛け値なしにかわいい。手を振る一族に生まれ、生涯にわたって手を振りつづけることだろう。

「写楽した!」とは、「魂消た」「睨みつけた」「ふざけた」の言い換え語。写楽の描いた、おなじみの「三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛」の大げさな表情からの慣用句で、一部媒体に於いて使われている。5人の話題のタイトルとする所以である。(03/01/03)

 

『サルとザリガニetc.』47

先週「猿騒動」のコラムを書いたら、後日譚を聞かせてほしい旨のメールをいただいた。興味を持ってもらってありがたいが、その後当市の猿は杳として行方がしれない。「山のおやじ」は山に帰ったのかもしれぬ。

猿のあとに蟹(カニ)というのも「猿蟹合戦」のネタ合わせめくが、ザリガニがひそかに繁殖している。諏訪湖中を源湯とする温泉が一般家庭にも引きこまれているので、排湯が各河川に流れこむ。冬は川から湯気が立ちのぼり、水温も高いのに相違なく、子どもが戯れに放流したザリガニが棲みついてしまった。

ザリガニは北海道、東北の渓流に棲む日本固有の種であり、よく見かけるのはアメリカザリガニで、主にペットとして飼われる。体調は15センチ以上にもなり、朱赤色を帯び、貪欲な雑食性、1回に400個以上の卵を生む。タスマニアオオザリガニは、45センチに達するという。数の少ないうちは別段問題もないが、大発生して河川にうごめいたら、いささか不気味かも。

ついでにいうと、グッピーや、その他の熱帯魚も確認されている。そして尤も問題視されるのは、諏訪湖もご多分に漏れずブラックバスの繁殖。最近では稚魚をふくめて10万尾と推定され、漁業関係者は駆除にやっきとなっている。在来種の危機も叫ばれる。

―話変わって鳥のことだが、ウミウやカワセミが諏訪湖や街の河川に棲息して巣をかける。片や海の鳥、片や渓流の鳥である。カラスやスズメはシティーバード、何をか況んやだが、街に棲んではおかしい鳥が街にいる。テリトリーが街中心に向かってきているように思われる。(鳥類研究者はデータ−蒐集中という)

サルの事情、ザリガニの事情、トリの事情。ちかごろ動物たちの珍しい「事情」が報告される。人間のエゴや不用意な行為が生態系を乱していることもあるし、かれら動物たちの環境への順応もあるかもしれない。あるいは「かれら」の進化、はたまた地球の何らかの変化。・・・

耳目を凝らすと、「かれらの事情」の不思議な出来事が多いが、このリサーチは来る年のわれらの課題だろう。(02/12/27)

 

『猿騒動』46

隣の町の猿騒動が、全国ネットのテレビ・ニュースで放映されて話題になった。兵庫の句友から、お宅のほうは大丈夫ですかと訊ねられ、こちらは市だからと、返答にならない返答をした。

「猿騒動」というのは、山の手の住宅区域に大きな猿が出現して、女性ばかり23人に襲いかかり、噛みついたというもの。山に隠れていたかと思うと軒先にあらわれ、足や尻をかまれて出血。救急車のサイレンが山々にこだました。被害者はほとんどがお婆さんで、一人だけテレビ・レポーターの若い女性が・・・。いずれにしても雄猿で、ペットで飼われた履歴から女性に遺恨があるのでは、という専門家のコメントも流される。

その後、猿は雲隠れしてしまい、町当局のとりあえずの「終息宣言」と相成った。

ところが、どっこい。今度はわが市にお出ましになり、目撃情報が数件寄せられたとの報道。人口五万そこいらであるが、ちょっとした商業ビルや高級ホテルが建ちならび、民家の密集するわが市。こんなところに猿が?!

テキは、jR駅構内にある「足湯」に、市民文化センターに、日赤病院に、湖畔の大手スーパーにと出没。行動範囲が広くて捜索、捕獲の警察署員や農林課員をふりまわした。素早くて追跡できず、写真班の撮影もままならず、どこか民家の植え込みに潜んでいるのでは、との目撃者の弁。(12月21日現在)

猿は「招かざる客」のカテゴリーだが、人畜に特段の被害がなければ、ヤジウマ根性というのか、筆者など騒動を歓迎する気もなくはない。あちらノーベル賞で町興しなら、こちら猿騒動で全国区にというわけ。

いやいや、ジョーク。とまれこうまれ、猿は日吉(ひえ)神社の神の使いとされ、山の神とも尊ばれる。庚申信仰もあるではないか。それに霊長類でもっとも人間に近いのだから、目の敵にせずとも共生できないか。(テキもさるもの。甘いアマイ!)

余談だが、大伴旅人(おおとものたびと)の酒を讃(ほ)むる歌に、「あな醜賢(みにくさか)しらをすと酒飲まぬ人をよく見れば猿にかも似む」がある。酒を誉めつつ、猿を小莫迦にしているだけの下手な歌だ。ま、そういうなら「猿顔」は避けたいので、晩酌はつづけることにする。(02/12/21)

 

『夢(3)』45

フロイトは20世紀のはじめに『夢判断』という著書を著した。これは夢に関する学問的、体系的な貴重な研究で、かれによると、無意識は夢にあらわれるものであり、夢の探求こそが無意識にたどりつく道だと考えた。そして「夢には歪曲されて意識に上がってくる夢と、歪曲されないで無意識にとどまっている夢とがあり、夢は二層構造から成り立っている」という。

一方でユングは、夢のもつ機能的な働きとして「補償作用」というものを挙げた。かれにとって夢とは、意識の状況に対する無意識の係わる相互作用の発生ということ。たとえば、内気な人が夢のなかでは勝気な行動をとる。これは「意識の片面を無意識である夢が補償している」というのである。

夢の分析は心理療法など精神科医の重要なテーマであり、夢は無意識の境域からのメッセージであるといわれる。

「私が、私自身を知らなかった」「私の知っている私は、私自身ではなかった」という、人びとの心の潜在的な境域の「放置状態」から病気は発症する。無意識と意識の結びつきで、心身の健康が得られるとユングは述べているのである。

いずれにしても、夢は人間にとって不思議な現象であり謎にみちた現象であり、その解釈は多様をきわめるが、多くの文化を通じて大きく二分される。その一は、夢は睡眠中のからだから遊離した霊魂の経験だとする観念。その二は、先に述べたように、夢は神のお告げであるという観念。

「眠っている人を急に起こすと魂が肉体に帰れなくなり、重病になってしまう」。―こうした「遊離魂」の観念がアニミズムになり、宗教の出発点になったと、イギリスの人類学者タイラーは説く。

「断夢実験」という、夢をみない夢をみさせない実験を試みたそうであるが、人間心理に悪影響を及ぼしたというレポートがある。このごろ夢をみることの多い筆者だが、今夜も夢をみるだろうか。吉夢ならよし、たとえ悪夢であっても楽しもうぜ、と覚悟を決めている。(02/12/13)

 

『夢(2)』44

正月元旦から二日にかけて見る夢を初夢といい、その夢によって、一年の運勢を判断しょうとする風習がある。

「一富士、二鷹、三茄子」(さらに「四葬式、五火事」とつづくそうで)これが吉夢の代表、宝船の絵を枕の下に敷いて寝ると、見ることが出来るといわれる。

また獏枕といって、バクを描いた紙を枕下に差しこんで寝ると凶夢をみない。中国の古い俗説の、バクは夢を食う動物だということからきている。

古代人は夢を重要なものと考えたらしく、かれらは夢に神の姿を見、声をきき、夢を通して神を崇(あが)めた。それは「夢告=むこく」ということばにも現われ、神の聖なる意は夢を介して伝達されるという考えが一般的である。したがって「夢解き」、つまり夢を解読する専門職も洋の東西を問わず存在した。それは未開の地や辺境の民族のみならず、世界各地に広くあったとされる。

聖書のファラオの夢に対するヨセフの解釈、聖徳太子の法隆寺の夢殿などは、夙に知られる。

また「夢占=ゆめうら」という、夢による占いもある。夢の内容を或るひとつの予兆と考え、次に起こるであろう出来事をさまざまに予測・予知する。

たとえば歯の欠けた夢をみると、身近の人が死ぬといわれるのは「欠ける」連想が起因し、火事の火や煙に縁起の悪さはあるが、「煮炊き」の連想のご馳走が食べられるから、吉夢の範疇に入るという。つまり夢による判断、「夢判断」である。

夢は正夢であるとか、逆夢であるとか言って、夢にみたことのが現実になったり、反対に現実とは逆さになって現われたりする。

夢の吉凶についての判断はいろいろあるが、たんに都合のよい勝手気ままな解釈ということでなしに、人間心理の両面性や、融通無碍の捉え方、さらには「夢と現実の融合」のための、ショックアブソーバー(衝撃緩和装置)の役目とも思われのだが、どうだろうか。(02/12/07)

 

『夢(1)』43

曲がりくねった小路を抜けて、駐車する車のところまで行きたいのだが、道に沿う垣根の茨のとげが両肩にちくちく刺さる。手助けしてくれるはずの兄貴は、背後から小突くように押すだけ。垣根にぶら下がる、着飾った宮廷の女たちは、筆者に向かって何やら口口に問いかけてくる。

やっと自家用車まで辿りついてドアを開けようとしたとき、警官姿の親父があらわれ、「無免許は許さん、出直して来い」とキーを取り上げてしまう。そこで目が覚めた。夢だった。

夢の直後は、とげが刺さって血が吹き出た状態や、女たちの衣装の柄、親父の制服やバッジなどのデテールを覚えていたが、すぐに忘却の彼方へ。

亡き親父は警官ではなかったし、宮廷の女たちも場違いのシーンに登場したものだが、ここ三週くらいにわたって、筆者の両肩の腱が疼いていたのは現実。十日ほどまえに調べることがあって宮廷絵画を見たのも現実。チンプンカンプンで何の脈絡もない夢だが、自分では「根拠の物件」がちゃんと確認できる。夢というものはふしぎなもの、ある意味で空恐ろしい現象だ。

  思ひつつ寝(ぬ)ればや人の見えつらむ夢と知りせばさめざらましを(『古今和歌集・恋』)

こんな古雅な、嫣然たる微笑みの世界につながるもではないけれど、思いがけず晩年の親父に出会い、兄貴の声もきいた。ストーリーがおもしろい、有益な情報でもなく、ただ単なるウタカタの「仮想体験」に過ぎないのだが、しばらく面妖な異次元に浸ることができる。(むろん、覚めてからの感興だが・・・)

夢とは、睡眠中に体験される感覚の心像であり、多くは視覚によって現われるが、視覚、嗅覚、触覚、味覚なども係わるとされる。よく夢には色がないというが、実はそんなことはなく、色彩のある夢も往々にして見るという。そんな実験もあるらしい。(02/12/01)

 

『小人説話』42

小人(こびと)とは、伝説や物語に出てくる体の小さい想像上の人間で、侏儒ともいう。身の丈一寸から三尺くらいが多く、日本のみならず世界各地にそれぞれ伝承し、説話が残っている。

平賀源内『風流道軒伝』(1762)には、小人島という島の人は一尺二寸(36センチ)で、一人では鶴がくわえて空に飛んでゆくので4〜5人連れで歩くとある。また中国の『神異経』にも、鵠国の男女は八寸くらいなので、海鵠(白鳥のこと)に一口で呑みこまれてしまうが、腹のなかで300年生きると記述がある。

人間から生まれた小人の話では、親指大の人間で、子どもの冒険をテーマにした「親指太郎」があり、ヨーロッパに広く分布し、インド、トルコにも伝わる。『竹取物語』の「かぐや姫」、『御伽草子』の「一寸法師」なども小さ子物語のカテゴリーだ。

神々にも小人がいて、ジャイアント大国主命が国土をつくるとき、海の中から手助けしたのはこれも親指大の少彦名神。神話では名高い神が「異形の神」とリンクし、手をたずさえる例もある。

小人の多くは超人的な知能をもち、頭がでっかく、顔青ざめ、ひげを生やしている。いたずら好きで道化者で、人を助けて幸福をもたらすが、愛想はあまりよくない。森の精霊であったり、呪術を使う先住民であったり、一部では洞穴に棲んで人に祟りもする。沖縄諸島の小人(ケンムン、キジムーナなど)は民家の木に棲みついて、その家を栄えさせ、いなくなると衰えるといわれる。

人間は自分とは違う、異なった人間(小人)の力の協力によって生かされ、幸福になり、逆に不幸にも遭遇すると考えた。はるか遠い国に異なった人間が棲んでいて、ときに神格に近く、ときには妖怪に近く、そのどちらをも往来した。そうしたものを創り上げた。

このコラムの前回の『巨人伝説』で、人間心理の成り立ちには「非理」の役割も大きいと書いたが、非理、すなわち道理に合わないストーリーの神話、説話によって私たちのイデア(概念)が叩き壊される。一旦は壊されて、じょじょに再構築されてよくことが精神衛生にもよいのだ。

法螺話(ほらばなし)は心を解放し、浄化させる。(02/11/22)

 

巨人伝説』41

そのむかし、身体がとび抜けて大きく、強力無双の巨人がいたらしい。なにぶん身長や体重の測定器具もない時代なので目測で、口伝てに伝わってきたのだが。・・・

「口惜しいったら、ありゃしない。八頭身のわたしの方が高いに決まっているのに!」と、女神が憤慨した。女神である富士山と、男神の八ヶ岳が背丈を比べて、富士山が負けた。二つの山に長い樋を渡して水を注いだところ、水は富士山に向かって流れたというのである。柳眉を逆立てて蹴飛ばした頭が割れ、八つの峰になったのが八ヶ岳だという伝説。

阿弥陀如来が行ったこの「背比べ」には後日譚があり、八つになってしまって悲嘆にくれる兄を見て、妹の蓼科山が泣きくずれ、こぼした涙が諏訪盆地に流れこんで諏訪湖になった。さらに諏訪湖を埋め立てようと、巨人の「ダイダラボッチ」(大太法師のこと)がモッコで土を運んでいたが、重すぎて天秤棒が折れてしまう。ぶちまけられた土が、大泉山と小泉山になったという御負けがつく。

巨漢の伝説、民話は全国至るところにあり、東日本では「ダイダラボッチ」、九州地方では「大人弥五郎」が夙に知られる。山を担ごうと足を踏ん張ったときの窪みの沼、丘に腰を下ろして磯の大ハマグリを掘り起こす等々の伝承がかずかずある。面白半分の笑話、法螺話と思われがちだが、じつは神話からはじまっているという説が有力で、出雲の「国引き」神話に見られるように、天地創造から神々が「日本列島の二次的な加工」を施したというのだ。(三次的加工としてダム建設、デベロッパーによる山削りが挙げられようが、こちらは夢のない話である)

また、沖縄の大始祖神の「アマンチュウ」は、日と月を天秤棒の両端にぶら下げて歩き廻ったという。神は途方もなく大きな存在であり、神への信仰と畏怖がユニークな巨人を創造し、伝説を残した。

現代では一見ばかばかしいが、山を神に、山を動かす巨人を造りあげるというロマン、このロマンが心の豊かさを培うはず。人間心理の成り立ちには「非理」の役割も大きいのである。伝説、民話が少し見直されているという。(02/11/15)