330「ギン坊(2)」
329「ギン坊(1)」
328「気まぐれ車(2)」
327「気まぐれ車(1)」
326「時計・計時」
325「小鳥」
324「おいらん芋」
323「連句と泥棒」
322「創作・太郎譚」
321「言葉の南京玉すだれ」

340『くらし片片()

数日で4月というのに、雪が降ってきた。履いたもののスタッドレスの効果も発揮できなかった日産プリメーラ君も、異常な暖冬が過ぎてようやく春を迎えようとするこの時季に、霏霏として降ってくる雪には驚いたことだろう。

尤も朝方だけで間もなく止み、5センチほど積もった屋根や庭先の淡雪はすぐに消えた。白い芽を吹いてきた株立ちの楓はふるえ、椿の花芽は身を縮めている。

季節もヘンなら、世の中もヘン。ガソリンの暫定税率を廃止すると自動車をより多く使用するようになって、CO2排出が増える。環境に悪影響を及ばすといっていたものが、自家用車やオートバイの高速道の土・日は1000円乗り放題、ガソリンをじゃんじゃん浪費して景気を上向かせようという。この場合のCO2排出はどうなるのか。

レジ袋を使わないようにし、マイバッグを使えという。レジ袋、つまりポリエチレン製の手提げ袋ほど重宝なものはない。軽くて安くて、そのうえ強い。使い勝手もよく、繰り返し使用に耐える。色も多彩に印刷できる。レジ袋を最初に考案した人はノーベル賞ものである。それほどの優れものだ。

言われているCO2の排出量は、車一台が消費するガソリンのそれと比較して、計算できないくらい微微たるものという。「レジ袋悪者論」というレジ袋をターゲットにする運動はだれの謀略か。一般庶民の目にふれやすいレジ袋、そのレジ袋の排出するCO2を槍玉にあげ、そのかげで、CO2大量排出の自動車産業への攻撃の矛先をかわす。めくらましするやつがいる。

何が有用で、何が無用か。優先順位はしっかり決められているか。一貫性をもって物事がはこんでいるか。世の中も人間も場当たり的で、わけても政治が機能しなくて、税金の使い方がわらずに、給付金として2兆円を漫然とばらまく。

嗚呼、今回のコラムは「ぼやき漫談」になってしまった。(09/03/27)

 

339『くらし片片()

「蟹眼鏡」という眼鏡がある。横長の楕円形のレンズを二つ用いて、金属でつなげた簡易な眼鏡である。むかしからあるらしいが、そもそものルーツが南蛮渡来か国産かは知らない。ともかく高級なしろものではないことは想像がつく。

10数年前のことだが、老眼の進んできた筆者は眼鏡をあれこれと買い求めた。そのとき蟹眼鏡も通販で手に入れたが、商品の詳細や写真などほとんど目を通さず、現実の蟹のように目が飛び出すものと決めてかかっていた。

そんな眼鏡はあるはずもなく、四つに折り畳めるのはうれしいが、使い勝手はいまひとつだった。それでも背広のポケットにらくに収まるので、石川県の津幡町の連句大会に持参した。重宝した。

あの蟹眼鏡、どこにいってしまっただろう。紛失したか仕舞い忘れたか。今朝の夢は蟹眼鏡のお化けだった。蟹の二つの目が威勢よく飛び出し、潜望鏡のように周囲を見渡した。夢にみて、はじめて理想の蟹眼鏡と相成った。

庭の椿の蕾がふくらんできた。名称は忘れたが、30余年以前に坂田種苗からエンピツ大の苗木を取り寄せて植栽したもの。数本のうち多くは枯れてしまったが、一本だけは立派な庭木に育った。木の丈は約4メートルで、赤・白・桃、絞りの咲き分け、きれいな花容である。

当地の椿の開花はこれからだが、北九州は散り始めだという。ある連句の友は長年にわたって椿を丹精に育て、それぞれの花を一輪挿しに挿して洋間に飾り、写真に撮って送ってきてくれた。豪華で華麗な花から野生種らしい素朴な花まで30種くらい、色もさまざまなみごとなものだ。

伺えば椿を丹精のほか、猫ちゃんが三匹いるそうで、それも野良ちゃんの面倒をみているうちに飼い始めたらしい。この方のほか、北九州のもう一人の連句の友も、猫を飼っているとお聞きしたことがある。知り合いの連句人で、だれそれは猫を飼っていたっけ?などと記憶の糸を手繰り寄せる。

不思議なことに、猫を飼っている連句人はおしなべて連句が上手である。そういえば物書きに猫好きが多い。小説を考えたり詩歌を嘯いたりするデリケートな心の「胎動」を、犬のように人間に対してひたすら従順で忠誠でなく、猫の性情である傲慢でわがままでも可愛さのあるところが、くすぐるのだろう。

河童寓にもギン坊という猫がいる。あるじはむろん、連句が上手だと自惚れている。(09/03/24)

 

338『くらし片片()

「吾に尾のあらば凭れて春逝かす」という句は、筆者の代表作にしたいと自分では思っている。下五を「宵の春」とか「春夕べ」とかの別バージョンもあるが・・・。

尾てい骨は、そのかみ、人間に尻尾があったことの名残だといわれる。もしも人間に尻尾があったら、もしも人間に尻尾が再生したら・・・これは好奇心旺盛な詩人のみならず、普通の人間も少なからぬ関心を寄せることだろう。

尻尾があって凭れること、座れることが可能なら、多くの場合に椅子やソファーがいらない。東京ドームは座席なしで、収容人員をぐんと増やせる。国会は衆・参院とも議事堂内のスペースを狭めることができて、加えて議員削減となれば至ってすっきりする。

モデルの独特な歩き方が見せ場でもあるパリコレも、様相をいっぺん。いかに、モデルの尻尾を魅惑的に見せるかがポイントになろう。ユニクロも尻尾の部分がパンツと「別仕立て」になるので、どうしてもプライスを挙げざるを得ない。

ネールアートがあるくらいだから、シッポアートがないわけはない。未開国ではペニスサックが流行った一時期があったらしいが、シッポサックは文明国でもご法度にはできまい。

幼稚園児どもの口争いは「お前の母ちゃん出臍」では済まず、「お前の母ちゃん○○シッポ」と、いささか卑猥な言語が飛び交うことになりはせぬか。

話が脱線してしまった。

「頬杖」という言葉がある。肘を立てて手のひらで頬を支えること。つらづえ、かおづえ、ともいう。脳味噌が重いわけでもあるまいに、頬杖をついて、よしなし事を考えるのが好きだ。好きだとよりいうよりも体がラクチンだから。ある文豪のそんなポーズもあったっけ?

その連想で、文机に座って作業するとき、仮に尻尾があって臀部下の片側に差し込んで、突っかい棒になればどんなにか楽だろう。また、あるときは庭に出て尻尾に凭れかかり、暮れなずむ夕空を眺め、暮れゆく春を惜しむ。春はまだ中頃だが、つらつらそんなことを考える今日この頃。

尻尾ついでに・・・。愚庵に「留学中」のギン坊というアメリカンショートヘアの猫には、長い立派な尻尾がある。猫が尻尾を振るのは、苛立っている、怒っている、と聞いたが、その他にも感情を表現しているようにみえてならぬ。何物かに興味のあるとき、ご飯が貰えてうれしいときも尻尾をふる。振り方がビミョウに違うが、たしかに尻尾をふるようにみえるのだ。

もしも人間に尻尾があったら・・・また話はそこに戻るが、「尾は口ほどに物をいい」ということになるだろうか?(09/03/21)

 

337『くらし片片()

「ふすま」に手首が挟まってしまった。手があるのに、ふすまの戸が威勢よく閉められ戸と柱のあいだで圧し潰され、激痛がはしったのだ。自分の手が挟まってひどく痛いのに、それを平気で眺めている自分がいる。

閉まったふすまを、誰か開けてやれよ。開けてくれたのか。なんだって?男が死んでいるって?手だけで体がないだって?それは大変なことではないか。

これはエライことになったと頭を抱え込んだら、目が覚めた。最近このような不条理な夢をよくみる。ほとんど連夜にわたって「オムニバス映画」みたいな夢をみるが、全部と言いたいくらい、それは悪夢。先だって左肘を病んだので、手にかかわる夢をみたのだろうか。

フロイトの本を読んでみたい。漱石に「夢十夜」という短編があったが、これも再読してみたいと思う。

「猫の草」という鉢植えの草を買ってきた。13センチ角くらいの再生紙でできた茶色の鉢に、10センチ余の早苗に似た青い草がぎっしり。なんでもこの草は猫が食べてもよく、飲み込んだ毛玉を吐き出させる効果もあるとか。

飼い猫のギン坊が、ローズマリーの葉やカランコリエの芽や、万両の赤い実を食いちぎって食べそうになるので、この子はベジタリアンの気があるのかしらと家人が求めてきた。

ところがギン坊は「猫草」の匂いをちょっと嗅いだだけで、後はそしらぬ顔をきめこむ。猫は気ままな動物である。人間も猫くらいに気ままになれたら、いいのになあ。そして筆者もペットとして誰かに飼われて生きてみたい。飼い主は誰かって?選べるならむろん「Godさん」さ。248円也。

「草」ついでに書くと、斜向かいの花屋さんから、「へんてこりんな鉢植え」を家人が購入してきた。名状しがたいもので「へんてこりん」というほかない。20×10センチ余の楕円形で、ネズミ、ブタ、オヤジ、サルなどのキャラクターで、水に漬けて窓辺の日向におくと芽が出てくる仕掛け。家人は「オヤジ」など見たくもないと「ネズミ」を求めたという。

水に漬けたのちに霧吹きでときどき噴霧。しばらくすると「猫草」とほとんど同じような草が生えてきた。現在はネズミの背中のネットの隙間から、つんつんとイガクリ頭のように繁茂してきた。1050円也。

名前は知らないが「猫草」と「ネズミ鉢の草」、この二鉢が窓辺を陣取っている。つんつん伸びるだけの単なる草だが、若い緑が目を休めてくれる。潤いを与えてくれる。(09/03/10)

 

336『HPの七年間』

「河童文学館」というホームページを開設し、きょうで七年になる。七年の歳月が流れたかと思うと、そぞろに感慨深い。俳句や連句や、現代詩やエッセーなど「同人雑誌的」なコンテンツで、映像や音声などパソコンの恩恵を全く利することのない、いわば利器の「鬼っ子」のようなホームページである。

したがってアクセスが殺到するなど、世が転覆しょうとも起こるはずもない。最初は一日のヒット数が「3」とか「5」とか「0」とかで、一ヵ月を集計しても「190」。一年でも「3100」くらいだった。

営業ではないので、たとえ千客万来のアクセスがあったにしてもフトコロが温かくなるわけではない。だが、そうはいっても、アクセスが多いと晴れがましい気分になる。「客人」の顔は見えなくても、筆者や共同制作者の作品に目を通してくれたのだろうと想像するとうれしい。ちょっと興味をもって「ひやかし」だけにしても、それはそれでありがたい。

「動きのないHP」というものは廃墟のようで、うら寂しいもの。「動きのない」とは更新がない、ヒットが増えないものをいう。3年で「1万」に届かなかったら、ホームページを止めてしまおうかとも考えた。

連句の友のAさんは、みずから「河童文学館・広報部長」を名乗って、大会があると東奔西走して「おもしろいですよ」と宣伝してくれた。そのおかげでアクセス数がうなぎ上りに増え、いまでは年に「2万」を数えるのではないか。「動き」があると励みになり、連句のつづきを繋げようと更新もする。

7年もつづけていると、体に手に頭になじんでしまい、パソコンが壊れて使えないときなど、禁断症状を覚える。連衆のTさんに「連句を休みたくなりませんか?」と訊かれたが、連句も筆者にとってすでに「麻薬」であり、連句を巻き進めないと禁断症状がでるのである。

品格のない話をすれば、アクセスがいくら多くても食えない。カスミを食っているわけではない。しかし逆に、いかに満腹であろうとも、こころが空腹ではこれまた生きてゆけない。そんな「一方の糧」が連句であり、ホームページというシステムなのかもしれない。つらつらと、そんなことを考える今日この頃。

青年期に現代詩の同人誌を出していたころとは、発表のかたちというか、読み手への提供方法について隔世の感がある。世間では弊害もいわれているパソコンだが、筆者「パソコン万歳派」である。(09/02/20)

 

335『ギン坊()

オリンパスのデジカメは、いいカメラだ。猫は金輪際うそはつかず、猫である吾輩がいうから間違いはない。このデジカメで、吾輩の可愛いプロフィールが10数枚撮影された。ケーブルによってパソコンにも取り込むことが出来、巧くゆけばホームページに開示できるかもしれない。

このデジカメは吾輩がプレゼントされたもの。吾輩が、河童先生やお河童先生に撮ってもらったのである。河童先生がすでに撮影した分を「再生」して眺め、よく映っていると言っていた矢先、河童先生の左手の肘に激痛が走った。痛みは治まってきたらしいが、作業はなかなか進まない。

それやこれやで、デジカメの撮影もパソコンにつなぐお勉強も、中断になってしまった。しかし吾輩はいたって元気なので、安心してください。

外は寒いが、ガラス越しに入ってくる日脚は伸び、とても暖かい。午後は吾輩にとって天国で、マットに寝そべって毛繕いをしたり、うたた寝をしたりする。ときには河童先生に凭れかかって鼾をかくこともある。(09/02/17)

 

334『ギン坊()

サッカーの練習があった。サッカーボールを左右の前脚で交互にはじき飛ばしながら、ゴールをめざす。サッカーボールとは殻付きの「ピーナッツ」、ゴールとは廊下の東と西の「終点」である。

理解できない向きがあろうから、もう少し詳しく書いてみよう。今日は節分で、わが学び舎でも「豆まき」が執り行われた。お河童先生が、各教室や魚肉解剖室や先師礼拝堂や雪隠にピーナッツを二・三粒投げこみ、大きな声で「鬼は外、福は内」を連呼。学生である吾輩も先生にしたがって、「鬼ニャーモ、福ニャーモ」と猫撫で声を一オクターブ上げた。

この行事にて吾輩も恙なく学業が修められ、身につけるべき躾が修められ、河童先生やお河童先生を襲う鬼が追い払われ、福が齎されるのであれば勿怪の幸いである。

さて、ピーナッツは人間さんの食べるものらしいが、一粒5億円もすると、米国のコーチャンちゃんが言っていた。昭和51年のロッキード事件のこと。そんな高価な豆を投げるとは!

ま、それはともあれ、吾輩にとって軽くてキックしやすく、殻のなかで豆がかさかさ鳴るピーナッツは得がたい「ボール」なのだ。ねずみの「ねず子」以外に貴重なすぐれものを見つけた吾輩は、欣喜雀躍ならぬ「欣喜猫躍」したもの。

「ピーナッツ・サッカー」は翌日の午後の体育の授業に取り入れられ、廊下フィールドを隅から隅まで使って駆け回った。

ペットショップには「毛玉」「ネズ公」「ケセラン」「パサラン」「ボンボン」などの「猫だまし」グッツを売っているが、見え見えの商業主義は嘆かわしい。お仕着せの玩具は払い下げにしてほしいもの。「ピーナッツ・ボール」の面白さを見つけるにつけ、そんな感想を持つのであった。

来週からいよいよ河童先生の授業がはじまる。「進化論」だそうで、身が引き締まる思いだ、ニャー。(09/02/07)

 

333『ギン坊()

いたずらに日がすぎてゆく。人間にとって1日24時間と、猫である吾輩にとっての1日24時間とは、どのような時間の「バイト」(単位)であろうか。

とまれ、吾輩が留学して「ひとり」暮らしをはじめて、まもなく1ヵ月になる。近況報告もままならぬ忙しさ、不馴れな寄宿舎でもあって、1日を送ってほっとするまもなく、朝を迎える。

吾輩は階下の寮に移動し、二段ベッド(ケージ)を買ってもらうことになった      。縦横が63×93で、高さが121センチ。スチール製のパイプが3センチ間隔に縦縞状にならび、下段は大きなトレーで屋根つきトイレが入り、上段は小さめのトレーで我輩の「食事処」兼「寝室」。

ケージ内の上段のトレーには、真っ白い、ふかふかしたマットを寮母さんが敷き詰めてくれた。夜はここで就寝するが、昼間は廊下や教室にも自由に出かけることが可能だ。二階から階下に移ってきたので、河童先生やお河童先生の足音や衣擦れの音が身近になり、つい甘えて「ニャーモ、ニャーモ」と鳴いてしまう。

吾輩は朝の6:30頃は目が覚める。洗面所の小窓から外の明りが入ってくるので、「ニャー、ニャー」と発声する。お腹が空くのでご飯が食べたい。何としても早く食べたい。朝の時間は、人間さんも猫さんも忙しい。約1時間は人間も猫もてんてこ舞い。朝の決まりごとや、ご飯や、雲子や疾呼の片付けや。それなのに吾輩は「鳴いてばかりいる子猫ちゃん」なのだ。嗚呼。

寒中休みで休講か、河童先生が風邪気味か、その両方かもしれないが、授業ははじまっていない。吾輩は寮生活のあけくれなのだが、昼間はうつらうつらと微睡む。ときには河童先生の膝によりかかって微睡むのである。(09/01/31)

 

332『ギン坊()

「ぺたん、ぺたん、ぺたん」。この音は何の音かって?実際の音は「ぴしゅ、ぴしゅ、ぴしゅ」と聞き取れるのだが、これはガムテープを小さく切って衣類や炬燵布団に押し当て、猫の毛を付着させて除去する音なのだ。

賢明な読者はすでに想像されたと思うが、吾輩の「猫っ毛」が寄宿舎をはじめ教室の隅隅まで飛散している。付着している。お河童先生は散らかった毛が嫌いらしく、5×7センチの「テープ片」を炬燵や机などに「仮付け」して置き、毛を見つけると「ぺたん、ぺたん」と叩いてくっ付ける。テープに接着力がなくなってくると、ゴミ箱にぽいと捨てる。

「猫って、どうして、こんなに毛が抜けるのでしょうね」と、お河童先生は愚痴をこぼす。当事者の吾輩にこぼされても・・・毛が抜けないように努力することなんぞ出来はせん。

お河童先生がD2から「猫ブラシ」を買ってきた。ピンクの柄で6センチ角のブラシは可愛く、ブラッシングの感触は悪くない。お河童先生は、アビ兄イはブラッシングを嫌がったが、ギン坊は嫌がらないで、むしろ気分よさそうにしている、と吾輩を観察して独りごちた。

購入したブラシを当ててくれるから、「ぺたん、ぺたん・テープ」は無用と思いきや、そうではなのだ。ブラシは毛を毟り取って付着させるものでなく、毛根をマッサージするためでもあるようだ。相変わらず浮き出た毛を「ぺたん、ぺたん」を使って取り去るのだ。

かくして、寄宿舎や教室のあちこちにガムテープの「護符」が張り付けられる。護符は神仏が加護し、さまざまな厄難から逃れさせる札だが、吾輩は幸いにもブラシも「ぺたん、ぺたん」も嫌いではない。少なくてもアビ兄イよりは拒否反応を示さないらしい。

東京のボスも姐さんも以前に寄宿舎を訪れたとき、コートや洋服の猫毛取りに「ぺたん、ぺたん」をやられたことがあるという。災難除けの「おまじない」という部面もなきにしもあらず、か。

「ギン坊、おいで」と、いきなり「人語」で河童先生に呼ばれる。「なんでしゅか?」と吾輩は「猫語」で返事して馳せ参じる。「抱っこして、爪を切ってやる」と先生。吾輩は、抱っこが大嫌い。爪きりが大嫌い。首根っこを掴まれるのも嫌。それで脱兎のごとく、いや「脱猫」のごとく逃げてしまった。

河童先生、そしてお河童先生の悩みは尽きないが、ともかく吾輩は元気で修学している。きょうは大安。あしたは大寒。吾が眷属の平安を祷る。(09/01/19)

 

331『ギン坊()

吾輩が留学し、寄宿舎暮らしをはじめて10日になる。「学猫」、つまり学生という身分の猫である吾輩は、環境になじむのも当然ながら早い。

最初は慣れない二階への上り下りに脚がもつれたが、いまでは肉球をとんとんリズミカルに響かせて駆け上り、下るときは体重を上半身と下半身に分散させるように首振り尻振り、音もなく駆け下りる。その姿を「優雅なる猫舞」とはやしたてられる。

吾輩の修学する教室には主として階下があてられ、河童先生とお河童先生(女教師)に教えを請う。

40センチのプラスチックの棒切れに長い紐を取りつけ、先にネズミがぶら下がっている教材。この教材は以前にアビ兄イが使用したもので、皮製で毛の生えている「小ネズミ」なのだが、利休鼠色の毛皮はすり切れて肌が露出。だが、内臓がカラカラと音を発し、自在に暴れまわるので、ハンティングのよき獲物になる。

河童先生は教室のマットで「利休鼠」をブンブン振りまわす。吾輩はこざかしい其奴を狙い澄まし、気合もろとも跳びかかる。鋭い歯で噛みしだく。「まいったか!」と吾輩。「チュー」と降参する其奴。これでハンティングの腕は上がるというもの。

二時限はお河童先生。お河童先生は「利休鼠」をぶら下げて、うなぎの寝床のように長い廊下を突っ走る。吾輩は先生に遅れてなるものかと全力疾走する。「ギンちゃん、ギンちゃん、そら走れ!」と先生。「もう無理ニャー。子猫だから無理ニャー」と吾輩。お河童先生は37キロと痩せているくせに体育系で、吾輩をしごきにしごく、鬼先生だ。三往復すると「二人」ともへとへとになる。

きのうのことだった。「利休鼠」の尻尾がむしれてしまい、お腹もパンクしかけた。教材が使えなくてはと、河童先生が炬燵のオペ室でメスを使って手術、縫合してくる。そのついでに新教材の「大ネズミ」を作ってくれることになった。これは期待がもてるぞ。

休み時間が終わってチャイムが鳴り、我輩は階下に下りてきた。河童先生の手元には「小ネズミ」と仕掛けは同様ながら、ネズミとは似て非なる「大ネズミ」がいた。「それではギン坊くん、ハンティングしてみろ」とネズ公をけしかけ、吾輩に歯向かわせる。

「痛テテッ」痛いなあ。吾輩は鼻柱に「ネズ・パンチ」を食らってたじろぐ。たしかに皮製で、尻尾もある。おまけに内臓は「鳴物入り」で鈴のような音がする。センスは悪くない。が、この重さは何とかならんか。

吾輩がそっぽを向いたせいか、河童先生は大ネズミを進化させるべく内臓の一部を摘出し、縫合や抜糸の傷跡をカモフラージュするため黒色のマジックインキで斜線を数本ひいた。「大ネズミ」は痩せ細ったが、これはどう見ても槌の子だ〜。

このとき、吾輩は肉球で、はたと膝を打った。河童先生によって、「大ネズミ」の遺伝子が組み換えられて「槌の子」になった。今日の授業はハンティングのスキルでなく、ポスト・ダーウィンの『進化論』だったのだ。(09/01/14)

 

330『ギン坊()

河童王は吾輩を「ギン坊」と呼ぶが、吾輩がなぜに「吾輩」と自称するのか。すでにご案内のように夏目漱石著『吾輩は猫である』があまりにも有名で、猫が物をいったり物を書いたりする場合、「吾輩」といわなくては治まりがつかないのである。

人間を「現代人」というなら、吾輩は「現代猫」であり、しかもアメリカンショートヘアなので、「僕」という呼称がふさわしいかもしれない。だが「僕カア」などと発音すると、なんとなく『裸の大将』の芦屋雁之助扮する山下清みたいになってしまう。それやこれやで、「吾輩」で押し通すほうが格調も高くてよかろうと思った。

さて、吾輩が「おひとり様」として寄宿舎「河童寓」でくらしはじめて、まだ三日目。一日に二回のご飯は「朝8時」「晩8時」にほぼ決まり、雲子2回に、疾呼2回、それも「猫砂」を丸めると結構大きな固まりになる。寮母さん、つまり「お河童」さんは、「ギンちゃん、山盛り雲子したわね」と愚痴りながらもせっせと片付けてくれる。「臭いの、悪いね」と吾輩。とまれ体調はよろしい。

きょうは、明日の「資源物」排出に備えて、新聞紙や菓子箱や酒のダンボールを束ねる日。河童おやじは荷造りにとりかかる。このような作業こそが吾輩の出番だ。「河童大王さん、猫の手も借りたいのと違うの?お手伝いしてやるよ」。

「ギン坊にできるかな」。

吾輩はダンボールを爪で引っ掻き、ポリエチレン製のひもを銜えて、荷物のまわりを一回りする。「疲れたニャン。でも、お仕事は好きニャン」。

――河童王は文机のノートパソコンに向かって、なにやらはじめる。キーボードを片手で三本指、両手で六本の指を使って叩いている。吾輩はその傍らで眺めている。画面のロケット形のカーソルを目で追う。「これ、カーソルっていうんだよね?」と吾輩が猫語で問いかける。河童おやじは返事もせず、キーを叩いている。

「さて・・・」。吾輩はやおら背伸びし、立ち上がって、キーボードのキーのひとつを肉球で踏みつけた。身をひるがえした。そのときパソコンが「ポン」と鳴った。

「おー。むつかしい言葉の変換ができた」と河童おやじは、いたく感動している。「そうだよ。むつかしいことは、吾輩にまかせなって!」と、吾輩は気分をよくする。因みにその言葉は次の通りである。「ォ;pお」。これは嘘ではない。異星人からのまぎれもない伝言である。

このようにして吾輩は、いつしか寮長さん寮母さんとも馴染んできたし、可愛がられていると思う。それもひとえに吾輩の人懐っこさに起因するところ大であろう。(09/01/07)

 

329『ギン坊()

「それじゃ、ギン。行ってくるね。さよならね」とボスがいって、吾輩の鼻先に人差し指を突きつけた。「分かったよ。クンクン」と吾輩。「ギンちゅん、元気でね。いたずらしないでね」と今度は姐さんがいって、喉元を撫でてくれた。「分かったよ。いい子にしているよ」と吾輩は目を細めて応じた。

お正月も三日の午後3:45頃だろうか。吾輩は「分かったよ」と生返事したが、本当のところは現状認識していなかった。しばらく惰眠をむさぼって階下におりると、ボスも姐さんも、アビ兄もニアっ子もいないではないか。蛻(もぬけ)の殻ではないか。

このとき吾輩は、はじめて自分のおかれた環境を理解した。教育界に夙に知られる山国の名門校に、吾輩は「留学」したのだった。寄宿舎はS湖に程近い瀟洒なかまえの建物で「河童寓」といい、寮長は河童王を自称してエヘンと威張っている。河童の皿は凹んでいて水が容れられるはずが、寮長のそれは光ってはいるが、水など容れられる代物ではない。吾輩の関与すべきことではないが・・・。

ここで吾輩のプロフィールを簡単に記そう。

アメリカンショートヘア。毛色はシルバータビー。年齢推定生後8ヵ月、体重約2キロ、男の子。「ウイキペディア」には、愛情深く人といるのが好き、活発で社交的な面もある。運動神経は鈍いが記憶力だけはよい、などと収載されている。

吾輩のボスは、吾輩を「トロイ、オバカ」とおちょくるが、かれは人を見る目がない。いや「猫を見る目がない」。昨今エンタメ界をにぎわす「お莫迦系」と一緒くたにされてたまるものか。

とまれこうまれ、江戸のボスと江戸の姐さんは、吾輩を猫族の模範にすべく留学を許してくれた。さらなる「愛情、活発、社交」を学習させるため。そして高貴なるキャットマナーとして、「開かずの間には入らない」「みだりに人を噛まない」「トイレ以外では糞尿をしない」「がつがつ食わない」「バタバタ駆けない」など習得させるため。

話が前後し、平仄の合わないところもあろうか。それは吾輩が「マタタビ酒」をぐい飲みしたせいだ。明日からはキチンと「ニャン子する」から今宵は許せよ。

寮長さん、つまり河童王は小さな歳時記を炬燵の上に広げて沈思黙考、ときどきボールペンを走らせて、一行(ひとくだり)。どうやら、それが俳句というものらしい。吾輩はソファーからひょいと跳んで、歳時記に乗っかり、歳時記を体毛の下に隠してしまう。たった一行なんぞ吾輩にだってできるぞ。そんなの屁のかっぱだ。河童王は歳時記を隠されて俳句が詠めず、吾輩の毛並みを撫でるしか仕方がない。

申し遅れたが、吾輩の名前は「ギン」。毛色「シルバータビー」に由来する。江戸では「ギンくん」「ギンちゃん」と呼ばれていたが、河童おやじは「ギン坊」「ギン之介」と呼ぶ。

突然「ギンちゃん、ご飯ですよ。カリカリですよ」と吾輩を呼ぶ声がする。あのソプラノ音域の声は、寮母さん(寮長の奥さん)に相違ない。そういえばこの人「おかっぱ頭」に近いよね。吾輩はまだベビーのくせに「大顔」で、人様の顔のことは言えないが。ま、とりあえず、この辺で。(09/01/05)

 

328『気まぐれ車()

フジ・キャビンの後釜として選んだのは「スバル360」、俗にいう「こんにちは、スバルです」。軽自動車の名車として誉れ高き富士重工製、ワーゲン似の丸ポチャのボディー、丸ハンドル。車体カラーは太平洋ブルー。4人乗り。

ブレーキをかけたとき、フロントグリルの辺りがピョコンとお辞儀する。ボンネット全体が前傾し頭を下げたようにみえるので、そんな綽名がついたらしい。サスペンションはソフトで、軽ながらセレブな気分もある。スバルはパワーもあったし、エンジントラブルも殆どない車だったが、約2年で乗り換えた。

次は「日野コンテッサ」。バス・トランクの日野自動車が提携先のフランスのルノーの技術を生かして開発し、1961年から販売開始。コンテッサ名はイタリア語で伯爵夫人、設計デザインはミケロッティの手になる。車名にふさわしいまことに優美なスタイルで、カーマニアの垂涎の的だった。排気量900CC、五人乗り。

コンテッサにはマニュアル式と電磁式ノークラッチがあり、筆者はノークラッチ式を購入。筆者の記憶では、自動変則のトルクコンバーターはアメ車にはあったが、国産車は一部の高級車にしか採用されていなかった。したがって電磁式に不安はあったが・・・。

スタイル抜群、それに普通免許で乗るあこがれの乗用車だったが、不安が現実になった。クラッチなしでレバーだけを操作して変速するのだが、急発進したり変速時に衝撃があったり、しかしそれは運転技術でなんとかカバーできた。

だが、あるとき、市内の山の手の高木地籍に用事があって路傍に駐車した。用事も終わっていざ発進というとき、レバーを前進のギアボックスに入れてアクセル噴射。ところがどうだろう、車がバックするではないか。一瞬おのれの思考回路を疑った。おれは気が触れたのではないかと。恐ろしいことに、後輪は崖下をめざしていた。桑原くわばら。

筆者は機転を利かしてレバーを後退に入れ、アクセルをおもむろに噴かした。コンテッサはゆっくりと前進するではないか。かくして「後退」でのろのろと「前進」しながら、家路につくのであった。

翌朝、日野自動車の営業所に修理を依頼。サービスマンが平身低頭すると思いきや、「よくあることで」とこともなげに言い放った。嗚呼。だが、こんにち、つらつら思うに、この国の乗用車の黎明期はこんなものだった。

機械物、つまりマシンは気まぐれ。ときにはお茶目、ときにはへそ曲がり。ラジオもテレビも故障すれば先ず「たたく」。これが修理法のイロハのイという時代(ホントかいな)。それで大方は直ったので、マシンは子どもの躾、体罰にどこか似ていた。ある意味で感情移入するので、可愛いくもあった。昨今はICだかコンピューター制御だか知らないが、叩いても「うんともすんとも」言わず、可愛げがない・・・。

・・・尻切れトンボみたいに「変」なところで、今年のコラムの最終回を擱筆する。この世が「変」なら、尻切れで掉尾を飾るのも乙じゃないか。変だろうと何だろうと、屁の河童だ。(08/12/27)

 

327『気まぐれ車()

コラム「326」の時計の「乱針さん(乱心さん)」は、シャラ忙しい師走に聞かされる話かと顰蹙を買った向きもあるかもしれないが、「顰蹙派」はメールをくれないので知るよしもない。

一方で兵庫のYさんには莫迦うけで、イタク盛り上がってくれた。ご自身のコレクションの200万円の高級時計について、さらには時計に話しかけて暮らす日常のさまをルル話された。時計を単なるマシンでなく、人格あるやに接するところなど、ここにもアニミズムの「アニミスト」ありの感を深くする。ことはついでと「気まぐれ自動車」について書いてみる。

筆者は20才のころ(今から50余年前)、三輪乗用車「フジ・キャビン」(5A型)を入手した。乗用車といっても排気量125CCで、ツーストロークのオートバイエンジン。二人乗りでボディーは軽量なFRP製、車体の色は淡いグリーン。セルモーターなんぞなく、キック式で蹴飛ばしてエンジンを始動させる。総重量140キロ。富士自動車製、22万円也(今なら220万円か)

木枠に収められ、大型トラックに載せられ、横浜は追浜工場から信州諏訪の自宅前に降ろされた。運賃8000円。(木枠を外す荷解きのとき、人垣ができてお巡りさんが出動した)

設計は戦前に日産ダットサンに係わった人で、トヨタより先んずることはるかパイオニア的な国民車として熱烈なファンもいたが、1955〜1956年にかけて国内で85台売れただけで、オッ潰れてしまった。車体はFRP製、即ちガラス繊維を職人が接着剤で貼り合わせるのが手間取り、生産遅延が原因のひとつだとされる。(「ウイキペディア」にて「富士自動車」(富士重工業ではない)で当たればカタログ数値や写真も見られる)

この乗用車、現在でも街を走れば振り向かない人はいないだろうが、当時地方では車といえばバスかトラックの大型車、乗用車ではハイヤーのクラウンかグロリアかデボネア。社長や医者の乗るフォード、ヒルマンミンクス、フォルクスワーゲンを見掛けるくらい。したがって道行く人も窓辺の人も、みんながアッケにとられていた。宇宙から降りてきたUFOとは、これか!と。

フジ・キャビンは3年ほど乗ったが、ドライバーとしては悲喜交交だった。先ず峠がスムーズに登れない。海抜約700の諏訪から900の塩嶺峠を越えるのに2回は休憩させる。休憩「する」のではなく、キャビン君に「させる」のだ。夏は路肩の木陰に車を止めてエンジンルームを開け、持参の団扇でぱたぱたと扇ぐ。自分は汗みどろでも扇いでやる。熱したエンジンに冷えた濡れ手拭をかけてやる。しばらく休んで登坂するが、再びエンジンは喘ぎに喘ぎ、力尽きてストップ・・・。マシンが命がけなら、ドライバーもまた命がけのドライブだった。

県外などの遠乗りは利かないので諏訪盆地か、せいぜい往復50キロまで。どこに行っても駐車すると人だかりがして、写真を撮らせてくれとせがまれる。ヒッチハイクのフランス青年や療養所の美人看護婦と撮ったことも。それに交通整理やパトロールのお巡りさんには必ず停車させられる、彼らが車を見たいがばかりに・・・。間違えて兄キの免許証を提示しても、気も漫ろな警官が見過ごしてしまうありさま。(つづく)(08/12/24)

 

326『時計・計時』

当庵には各部屋合わせて時計が9コある。9コのうち2コはテレビの表示だから時計とはいわず、時刻というべきか。全部集めても二束三文、6でも7でもない時計だが、ひねもす時の流れを教えてくれる。

メインの掛け時計2コのうち、リビングにある外形が十二角の時計は昼間の時報を小鳥の声が告げ、夜間は文字盤が星座になって燦然と輝く。機能はスグレモノだが、電池の消耗だろうか、郭公もミョウにかったるい鳴き声。夜間も星が隠れてしまった。これ12分進み。

洋間にある掛け時計は八角だが星も鳥もなしで、アラビア数字の時刻をこれみよがしに誇示する。9分進み。その他は約10×12センチのシチズン製の置時計が、寝室や二階に無造作に置かれてある。3分進みと、2分遅れが。

2台のテレビは画面や画面枠外にも表示され、オートマチックに誤差を修正して正しい時刻を知らせる。ある面ではありがたいが、いらぬお節介と取れなくもない。時計を見て「お前さん、3分進みだったっけ?」と会話できなくなってしまうもん。

先達ても電車の時刻に合わせて駅に向かうYさんが、ご自分の腕時計を見て「これ5分進んでいるから」と余裕綽綽。そのとき、洋間の「八角さん」はYさんより4分勝っていた。いや進んでいた。

ところで、筆者の採り上げたいのは、直径10センチのプラスチック製のちゃちな時計。安物ながら秒針もあり、目覚まし機能もあり、蛍光塗料なのか文字盤がへんに美しい。筆者の机辺の講談社カラー図説『日本大歳時記』のならんだ本棚の傍らにある。くだんのYさんも気付いたと思うが・・・。

この時計が「乱心」を起こした。一昼夜で3時間遅れる。電池がなくなったのだろうが、ひどく遅れるじゃないか。観察していると秒針が一旦停止し、しばらくのちコチコチと時を刻む。これでは遅れるわけだ。そして翌朝さらに眺めていると1秒進んで、2秒バックしているではないか。3時5分だったものが1時13分。エネルギーが切れたら、止まれ。バックするやつがあるか。「乱心」でなく「乱針」じゃないか。

逆さ廻りの時計が、時計博物館で売っているという。遊び心のアイテムか。でもしかし・・・ずっと考えていたことが首をもたげる。われわれの世界に「とき」というものはあるのか。人間が適当に「ときの概念」をこさえたに過ぎないのではないか。

本川達雄著『ゾウの時間ネズミの時間』は、ゾウに流れる時間とネズミに流れる時間について書かれている。たとえば人間とゾウと、同一な時間が流れてゆくだろうか。生命体として、あるいはエネルギーの消費などを含めて「とき」と生物はいかに係わるだろうか。

それよりも何よりも、「とき」が逆回転する「とき」があるのではないか?「乱心時計」が示唆したものは筆者にとって大きい。(08/12/21)

 

325『小鳥』

今年は愚庵を訪れる小鳥が少なくなった。原因は分からないが強いて上げると、初夏の頃だろうか、隣接するNTTの鉄塔に鳶が巣をかけた。雛が生まれて親鳶が四六時中ピーヒョロ、ピーヒョロと鳴いていたので、小鳥たちが寄り付かなくなってしまった。

多分それに相違あるまい。あるとき庭に鵯の毟られた羽と乾いたミイラの破片が見つかったことも。ピーヒョロなんて鳴くけれど奴らは猛禽。侮れない鳥である。

子の鳶が、地面に金属のハンガーをこすり付けるような声で鳴きたてる、そんな日が二三ヵ月つづいて、どこかに飛んでいってしまった。鳶の巣も空の巣状態らしいが、鵯も鶸も四十雀も、鳩ポッポも雀さえも飛んで来ない。訪れることが極端に少なくなった。

白鳥の飛来の季節を迎えた。数羽の白鳥と亜鳥の訪れがローカル紙に載っていたが、着水後まもなく塩嶺峠を越えて雲隠れした。飛来地の岡谷の湖畔は鴨類の天国で、芋を洗うような賑わい。だが、白鳥の姿は見えない。

北海道と東北で、白鳥から鳥ウイルスが見つかったというニュースが去年流れた。白鳥から他の鳥や人間には伝染していないそうだが、餌さやりは追い追い中止という方向らしい。野鳥の会や自然保護の団体の方針ということだ。

鳥も人間も住み難くなった。鳥ウイルスを知ると人間は鳥に対して恐怖を覚え、餌さをもらえた鳥が貰えなくなったりする。可愛かったものが恐ろしくなり、鳥は鳥で理不尽な扱いをうける。

でも、だが、小鳥は可愛い。ご無沙汰の四十雀が愚庵の前庭を訪れた。三羽であっち見こっち見、七本がすっと起立する台杉の樹幹を飛び廻る。敏捷に小枝から小枝へ。ツーピイ、ツーピイと鳴きながら。どうもがいても飛べない人間の憧れは、飛べる小鳥に託されるのだろう。(08/12/12)

 

324『おいらん芋』

「おいらん芋」(花魁芋)をご存じだろうか。サツマイモの一種で、ちょっと細身で皮は紫色、中身はそのままだと真っ白だが蒸かすと透き通るようになる。ねっとりした触感で、甘くておいしい。細いやつを生のままカリカリと噛んで、甘さが後からジワッとくる、そんな食べ方もいける。

敗戦から昭和25年ころにかけて、かなり生産されていたらしいが、最近はとんと見かけない。そもそも昨今ではイモは人気食材でなく、最大のリーピーターであった女性陣からそっぽを向かれてしまった。焼芋、蒸かし芋、芋きり、大学芋・・・「戦後派の食のコンテンツ」も衰退の一途をたどっている、らしい。

筆者は、イモ、カボチャ、ダイコンを一定の割合で主食にしてきたジェネレーションだが就中、イモについては特段に世話になった。「代用食」という言葉があったが、当時多くの家庭で主食の座を奪っていたのである。

「栗よりうまい13里」といわれるイモの種類は知らないが、「金時」はホクホク系で、甘みもあって夙に知られる。むろん金時も食べたのだがなぜか、おいらん芋が忘れられないのだ。

「芋野郎」とか「芋姉ちゃん」とか、イモのもつイメージはよろしくない。侮蔑の意が込められ、莫迦にしたような呼び方である。果物にセレブ系が多いとすれば、芋類はたやすく口にできるという安手の庶民派。それとイモを食べると屁がでるから、それも侮蔑に関係しているという説もある。

「日本酒の肴に、イモ」。・・・日本酒の肴には塩辛いものを当てるのが多数派だが、筆者はイモを肴に酒を聞こし召す。イモと酒があうというのではなく、先ずイモを頬張って、やおら盃を傾けるのである。

これは先祖伝来の、DNAがなせるリアクションなのだ。親父もよく酒を飲むまえにイモを齧っていた。それは生来の胃弱のため、胃袋をアルコールで痛めないためにイモを先行させて防御したものだ。それなら断酒すれば、という向きもあろうが・・・。

冒頭に「ちょっと細身で皮は紫色」と書いた、おいらん芋。細身もいいが幾分太めもわるくなく、皮が赤みを帯びた品種もある。蒸かし上がると、しっとりと紫紅色に透ける、エモ言われぬ美しさ。侮れないスイーツながら水気も多く・・・。それよりもナニよりもネーミングがよろしい。

胃袋はいかれていても、酒の旨い季節である。(08/12/05)

 

323『連句と泥棒』

連句と泥棒は夜やるもの。夜に限るらしい。(「連歌と盗人は夜がよい」。連歌を詠むのは落ちついた夜が適当だという意を、盗人の夜仕事にくらべたもの。狂、蜘の糸「また―と申す事も御座る程に、思ひ立った事で御座る」。『広辞苑』)

宵の口の8時に眠くなる人もいるので、それは扨措き、連句はどこでやっているのか。いずれの空間で額を寄せ合ってひそやかに行われているのだろうか。

国民文化祭の連句部門「いばらき大会」の作品集がきたので、試しにページを繰って調べる。連句人が会場に集まって俳席を設けて巻いたもの、インターネットやファックスなどの通信(文音)で巻いたもの、この二つに分類してみた。記入してなくて分類できないものは除外。俳席の後に文音で満尾したものは両方にカウント。筆者の数え違いがあるかもしれない不確かな数字ながら、「俳席」が約170巻、「文音」が約100巻だった。

170対100、この数字をどう見るかはそれぞれだろう。例えば江戸時代の俳諧はどうだったか。確認ができないので単なる推測に過ぎないが、恐らく100%に近く俳席だったのではないか。飛脚を立てて付句を寄せたという話は聞かない。また、それとは別に、満尾した作品はどのように「処分」したのだろうか。「文台引き下ろせば反故」といったから、廃棄してしまったか。駄作はポイしても、マシなものは捨てるに忍びなく後世に遺そうとしたか。国文祭の作品集のように、草双紙に載せて配布したか。いやいやそれはないだろうが・・・。

ほとんどの作品が巻くには巻いたが捨て置かれた江戸時代が、幸か不幸か平成時代は、投稿した約30%以上が入選・大賞として作品集に載せてもらえる。選ばれたとは言い条、六でも七でもない作品が、である。300余年は隔世の感がある。

国文祭など大会を視野に入れる連句人が多くなったので、「古典」の良いところは残しつつ、古典的な考え方から軸足を多少でもスライドすべきではないか。座の文芸という雰囲気を尊ぶことはそれとして、文学としての高みを目指す方向へ。

例えばその企みとして二例、()発句を立てるに当季と限定しないこと(四季を使いたい)()国文祭は一回限りだから開催地に挨拶もよいが、毎年開かれる大会に挨拶は不要のこと(地名の選択肢を持ちたい)(作り手が無視すればよいかもしれないが、それでは没。選者の意識改革がないと進まない)。・・・これだけでも世界がひろがり風穴が開けられるだろう。風通しが悪いと文学は間違いなく廃れる。

その意味で「形式自由」「独吟可」という要綱で募集する大会は斬新で、文学の高みへの一つの風穴だ。優れた作品が輩出したかどうかは、まだ即断できないけれど。

因みに「いばらき」の大賞17巻のうち、文音が11巻、俳席が5巻、俳席後に文音が1巻だった。(総量としてカウント済)。大雑把にいうなら、優れた作品は文音から生まれるということだろうか。(08/11/29)

 

322『創作・太郎譚』

「太郎ちゃん、エンピツは肥後守優等ナイフで削らなくちゃダメでしょ」と、お母さん。

「ハーイ、わかりやちた」と太郎ちゃん。柘植の瀟洒な勉強机にちょこなんとお座りしている。

「『わかりやちた』じゃないでしょ。ちゃんと『わかりました』というものよ」。

「そりゃ家には、純金製のエンピツ削り器があるわよね。でもナイフも使えない生徒がいるって言うじゃない。太郎ちゃんを、そんな子にしたくないもん」。

「ハーイ、わかりやちた」と、チョット見には素直に見える太郎ちゃん。

返事はよくても「わかりやちた」という口癖をかたくなに直さない太郎ちゃん。神童と謳われ、末は博士か大臣かと「期待の★」であるので、口癖にはとやかくいわないのであった。

「おたたさま、指切っちゃった。怪我(かいが)しちまった」と、子供ながらにドスの利いた声を張り上げる太郎ちゃん。

「あらあら、お血が出ているわ。ホータイ巻き巻きしましょうね。イタイノ、イタイノ飛んでけ!」つづけて、

「でも太郎ちゃん、『かいが』じゃないでしょ。怪しい我と書いて、『ケガ』って読むのよ」とお母さん。

・・・時は流れ、更にときは流れ、元厚生次官宅連続襲撃事件が発生した。「痛ましい事件で亡くなられた方のごめい福をいのり、怪我(かいが)されている奥さんの回復をいのり・・・」と述べられた。

「未曾有」を「みぞゆう」。「踏襲」を「ふしゅう」。「頻繁」を「はんざつ」。「詳細」を「ようさい」。「有無」を「ゆうむ」などと、訓読・音読の境界線をぶっ飛ばす、いわば口語界のビッグバンを目指してきたらしい言語に強い氏が、ここに「怪我」を「かいが」と訓むという晴れがましい金字塔を打ち建てた。

末は博士か大臣か。言語学の博士の道は諦めたようだが、大臣どころかそれよりも更なる高みにあって建国に君臨しながら、言語の世界にも多大な貢献をされる、まさに古今「みぞゆう」な此の国の豊饒な姿なのである。筆者を含めて此の国にあることの至福に浸る、今日この頃であるのであった。(08/11/24)

 

321『言葉の南京玉すだれ』

連句とかけて、「言葉の南京玉すだれ」と解く。こころは「言葉による宇宙のパフォーマンス」。当然ながら、これだけでは言い尽くせないが・・・。

南京玉すだれをご存じだろうか。「アッさて、アッさて、さては南京玉すだれ」という掛け声で始まる日本の大道芸、歴史ある伝統芸能の一つである。演者が20〜30余センチの竹製の小型のすだれをもち、歌にあわせて踊りながらすだれを変化させ、橋や釣竿、枝垂れ柳や旗などに見立てる。

「さて、御免こうむりまして、近頃、京、大坂、江戸、三ヶ所にて流行りしは、唐人、阿蘭陀、南京無双玉すだれ。竹なる数は、三十と六本、糸なる結びは、七十と二結び。竹と糸との張り合いをもちまして、神通自在に操ってごらんに入れます」などと口上を述べ、道行く人や観客を楽しませる。

ところで南京玉すだれを連句に置き換えてみると、「竹」は付句であり「糸」は付合である。「竹と糸との張り合いをもちました」とは、竹である「付句」を動かしつつ糸である「付合」で緩めたり急かせたりバランスよく操る技。つまりデリケートな「張り合い」によって南京玉すだれも連句も成り立つといっても過言ではない。

「竹なる数は、三十と六本」は奇しくも歌仙三十六句であり、「糸なる結びは、七十と二結び」とは、付句は前句だけでなく後ろの句のことも考えよ、言葉の結び方を考えよ、という意味に解釈したくなるというものだ。

「すだれ」が描き出す、「橋」「釣竿」「枝垂れ柳」「旗」などは万物の一断面であり象徴であるだろう。演者は巧まずして(演者自身はそれと気付かないで)万物を、そして宇宙を見せている。観客もそれが万物や宇宙とは気付かないで見物するのであろう。

連句とは何か。付合とは何か。筆者の師はそれについて語ることはなかった。経験を積めばわかってくること、自ずと会得できることとしか仰らなかった。しかし筆者は連句や付合の「姿形」を言葉にしてみよう、理論的に捉える手掛かりを得ようと考えてきた。それは未だ果たせないでいるが。

「南京玉すだれ」は演者がいて、観客がいる。演者を連句に当てはめてみると捌と連衆という制作者側。一方で真に観客という立場の人間は連句に存在するか。読者が一応観客に相当するかもしれないが、連句作品は当事者周辺か結社を中心とした、ごく限られた一部の人しか読むことはない。連句を巻くことを興行とは称しても、ほとんど観客不在なのである。

ここに連句の文学的な水域の低さがあり、評釈やきびしい批判精神の入り込む余地の少なさがあり、今度問題にして行かねばならないことだろう。(08/11/18)

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