400「野分の巻と枯野の巻と」
399「三句の渡り」
398「俳句とは連句とは」
397「3・11」
396「懸崖の・・筆者」
395「三陸沖地震」
394「連衆心得」
393「孕句」
392「詩商人」
391「おうち句会」

コラム「その20」

390「連句は意識と下意識の綱渡り」
389「健康病」
388「連句とは何か」
387「連句・装置と運用」
386「連句カード・パスワード」
385「地デジ」
384「無政府状態」
383「向こう三軒両隣」
382「細菌性感冒」
381「8・1・9」

400『野分の巻と枯野の巻と』

≪連句評釈 歌仙『野分』の巻について≫というタイトルで小論を書いた。この巻は、高浜虚子、坂本四方太、夏目漱石による三吟歌仙で、明治37年に東京本郷駒込の漱石宅で巻いたもの。漱石はじめての歌仙といわれる。

連句の評釈、解説鑑賞が正当になされず、動もすれば応援団になったり鑑識眼が著しく曇ったりする例が多い。とりわけ余技的酔余的な作家や詩人たちの作品に対し、本業の小説や詩の業績に目が眩んで大甘な点をつけがちである。

こうした批判性の欠如は連句のためにも連句評釈のためにもならず、ひいては両者を文芸文学としての値打ちを貶めることにもなりかねない。華道や茶道の家元制度のように、伝統文学という美名のもとに流派や結社の考えを優先する傾向もみられ、批判や評価を回避するスタンスもみてとれる。

「作品」VS「読者」の対峙に手心の加わる余地があってはならず、真剣勝負のはずである。そんな考えもあって筆者は、芥川龍之介とともに好きな作家である夏目漱石の参加する『野分の巻』を俎上にのせ、遠慮なくあげつらった。この巻を連句史に残る傑作のようにいう人もいるが、本当にそうだろうか。連句人の端くれとして自分の目で確かめてみようと・・・。

ところで話は変わるが、これとは別に『枯野の巻』という作品があり、これは宇田零雨、原杞憂、永井大魚の三吟歌仙で、昭和11年に東京世田谷の零雨宅で巻いたものである。零雨は俳人で芭蕉研究者としてはじめて博士号をとり、杞憂は本名が原民喜で小説家、広島原爆で被爆し『夏の花』で文学賞を受けた。大魚は本名が佐々木基一、文芸評論家としてよく知られる。筆者はつい最近、『枯野の巻』(昭和11年『草茎歌仙第一番』)を読む機会をえた。

この巻は俳人、小説家、文芸評論家の三人からなるが、一方で『野分の巻』は俳人、小説家、小説家の三人。この両歌仙に登場する都合六人のメンバーが、大学生から若手教授、作家や俳諧研究をめざす人たちであるという共通性に注目した。年代は明治37年、昭和11年と30余年の隔たりがあるが・・・。

馬嶋春樹著に『連句への道』(中央大学出版刊)があり、このなかで馬嶋氏は『野分の巻』と比較して『枯野の巻』が段違いに優れた出来栄えだと評している。(『江古田文学』第10巻題2号)

『枯野の巻』にも季語の仕分けや時分の打越など乱雑なところもあるが、筆者も『枯野の巻』に軍配を挙げたい。零雨はわが師で書き難いが、機が熟したら評釈を書いてみたいと思っている。(2011/04/30)

 

399『三句の渡り』

連句に「三句の渡り」という言葉があり、長句短句は関係なく、三句における付けと転じのさまをいう。ある句所の三句だけを任意に採り上げ、検証したり鑑賞したりする。三句を景色や人情が渡ってゆく有様を眺める。最小単位のそれだけでも連句世界のおもしろさが覗けるということだろう。

・ 死亡届を出せと遺言

・火の玉の取扱いの許可下りず

・ ドバイあたりが燐の買占め

以上の三句は、歌仙「星の刺繍の巻」から抜粋した。次にミニ解釈をこころみる。

死亡した父母や祖父母の死亡届を出さないがため戸籍上生きていて、坂本龍馬より一つ年上の144歳のお爺さんだの、淡路島のお婆さんは最年長で164歳だのというニュースがとびかった。昨年のことである。高齢者祝い品や、公的な年金をもらうため遺族が故意に届けを出さなかったとも伝えられる。

鬼籍にありながら、現世に生きていることになっていては気恥ずかしい。それは嫌だから、今わの際に、ベッドをのぞきこむ家族に対して「ちゃんと死亡届を出してくれよ。頼んだよ」と遺言したのだろう。

「火の玉」とは「人魂」のことをいい、古来より死人のからだから離れた魂をいう。魂は青白い火を発して夜間の空中を浮遊する。燐火水素の燃焼との説があるが不明。陰火。ゆうれいび。きつねび。(「広辞苑」参照)

正式な死亡届が出されないので、当然ながら「取扱い許可証」は交付されない。「火の玉」は危険廃棄物や火気使用の取扱いのように許可証が必須である。

中東のドバイなどはオイルマネーが潤沢で、国際商品市況から金銀や穀物や燐酸などを買い占めているのだろう。世界的な燐不足が影響して火の玉取扱いの許可が厳しくなったとも言われている、真偽のほどは定かでないが。

さて、「死亡届」は無常、「火の玉」は幽霊、「ドバイ」は時事という連句の式目的な分類が成り立つ。死んでゆく者が死亡届を出せとか、火の玉の許可証とか、ドバイの買占めとか、この三句は現実真実を湾曲し誤解しているところに多くの方はお気づきだろう。

実の裏側の虚、虚の裏側の実。それを意識と下意識が掬いあげつつ識閾を渡ってゆく。既成観念をぶち壊し、精神の齟齬をきたし、蹌踉することの可笑しさ・・・。俳諧とは、おどけ、たわむれ、滑稽といわれているが、このようなものを指すのかもしれない。連句は現実の真実ではなく、「詩的真実」を詠むものである。(2011/04/20)

 

398『俳句とは連句とは』

世界でもっとも短い詩といわれる俳句とは、一体どのようなものだろうか。その短い詩が鎖のようにつながってゆく連句とは、一体どのようなものだろうか。日本固有の短詩である俳句と連句とは何かについて、俳句を作っている人も、連句を巻いている人もあまり考えていないようだ。意識していないようだ。

寺田寅彦は、俳人としても名をなしていた夏目漱石に訊いた。「俳句とは一体どのようなものですか」と。

漱石は応えた。「俳句はレトリック(修辞)の煎じ詰めたものである」「扇の要のような集注点を指摘して描写して、それから放散する連想の世界を暗示するものである」。

自然界の因果関係を追及するだけでは月並みで、レトリック(按配や酌み合せなど)を煎じ詰めて現象から本質をとらえる、と。(朝日新聞より)

「扇の要のような集注点」という漱石の言葉は肝心な点をとらえていよう。

ところで、いうならば「ポエムツール」である連句とは、一体どのようなものだろうか。連句は「扇の要」のそれぞれの「要と要」を結びつけ、つなげてゆくものではないだろうかと筆者は考える。

連句という言葉通り連句はつながってゆくものなので、当然といえば当然ながら、その際の最大の問題点は「つながり方」である。「要と要」を針金でがっちり結んでしまっては続き物になってしまい、逆に縛りがゆるくて要同士の方向が違っていては、これもまた連句として重要なシステムが機能しないことになる。

「針金でがっちり」結んでしまう付句のことを「前句の続きをいう」「前句の説明をする」といい、別のことばでは「親句」という。

それとは反対に、「要同士の方向違い」という付句は「前句との付け筋がわからない」「前句を無視して転じている」といい、別のことばでは「疎句」というだろう。

以上の二通りの両極端を避けて付けるのが、付合のもっとも重大な点であろう。連句人これに腐心するのである。(2011/04/10)

 

397『3・11』

「3・11」とは、3月11日の三陸沖に発生したマグニチュード9の大地震、そして大津波が東北地方を襲った日のことである。あれから17日が経過した。幸いにも筆者の地方でほとんど被害がなかった。連日の特番のテレビニュースを観ていただけである。

いや、観ていただけではない。長野県の北部でも東日本大震災とは震源地を異にするといわれる地震が発生し、長野県・栄村では多くの家屋が倒壊、1000を越える人が避難した。当地でも震度1から震度4の余震がたびたび発生した。従って当家でも大きな地震に備え、懐中電灯や非常袋やリュックサックをつねに手元から離さず、置き場所を昼夜移動させた。

テレビニュースは悲惨な状況をつぎつぎに伝える。家屋も自動車も呑み込む真っ黒な大津波、船を陸に押し上げて荒れ狂う大津波。そして福島県の原発数機の損傷、放射能漏れ、東電の計画停電とつづく・・・

死者、行方不明が2万数千といわれ、家族を失った避難者が映し出される。救援物資も行き渡らず、食うや食わず着の身着のままの者も。常用の薬も飲めない病人も。

住居が流失し、肉親や友人に死なれ、絶望に打ちひしがれて避難した人が、周りの人に対して優しく気遣ったりする。死者に対して生きている自分が申し訳ないという人もいた。この優しさは、いったいなんだろう。人間はすべてを失いどん底に落ち込んだとき、これほどまでに優しくなれるのだろうか。いや、こんなときだから逆に、優しくなれるのかもしれない。絶望の淵で見せる、このような優しい心に羨望さえ感じた。(2011/03/28)

 

396『懸崖の・・筆者』

「懸崖」という言葉があり、筆者の頭のなかでは懸崖といえば「菊」しかなかった。「懸崖の菊」あるいは「懸崖作りの菊」だ。ある連衆さんから付句のメールをもらって「懸崖の」につづく語をしっかりと見もせず「懸崖の菊」として治定し、ネットにアップしてしまった。ところが調べてみると「懸崖の鹿」だった。なんという早とちりの筆者か。

「懸崖」は『広辞苑』によると、@切り立ったようながけ。きりぎし。A幹または茎が根よりも低く垂れ下がるように作った盆栽。「−の菊」とある。@が事物をさす本来の言語の意味で、Aは切り立ったがけの比喩であり見立てであろう。

懸崖に類する言葉には「断崖」「絶壁」があり、この二つをドッキングさせて「断崖絶壁」として用いたりする。また別に「崖っぷち」とうい言葉もある。

余談だが、断崖絶壁はサスペンスドラマの山場の装置であり、役者にとっては桧舞台である。切り立った崖のすぐ先は波濤荒れ狂う海で、足を滑らせたら生きては還れない。サスペンスの帝王である船越英一郎は別名を「断崖の船越英一郎」といい、刑事役に扮して悪あがきする犯人を追い詰めて印籠をわたす。

さて、つまるところ筆者は・・・懸崖、切り岸、崖っぷち、断崖、絶壁(現在はこれくらいしか思い浮かばない。まだ屹度あるだろうが)、これら類語の慣用の仕方というか、人口に膾炙する頻度というか、新旧さなどについて興味があるのである。

懸崖、断崖、絶壁は漢語であろうか。言葉の生い立ちは分からないが、懸崖はみやびやかな感じもする。

切り岸、崖っぷちは和語であろう。切り岸は多分古語であり、これもみやびやか。崖っぷちは辞書によっては収載してなく、比較的新しいのかも。現実の崖の縁をさすというよりも、「人生の崖っぷちに立つ」などの慣用が多いのかもしれない。以上は筆者の単なる見当・推測なのだが・・・。

「懸崖の鹿」は「絶壁の鹿」よりも、みやびやかな「鹿」がイメージされる。(2011/03/24)

 

395『三陸沖の地震』

きょうの午後2時40分ころであろうか、ぐらぐらと地震がきた。烈しい揺れではなかったが、10分くらい横揺れして止まり、しばらくして再び揺れはじめた。壁のブータンの「港の風景」画が揺れ、ガラスに反射する窓外の景色も揺れている。

リビングの家人を呼び寄せ、猫のギンちゃんも呼んで、洋間の炬燵の辺りに座らせる。大きく揺れたら体を伏せるようにし、炬燵にもぐりこめと指示する。巧くもぐりこめなくても最低限、体を炬燵より低い体勢にすること。家屋が倒壊しても頭と体を守ろうということだ。幸いなことにその後大きな揺れはなかった。

NHKテレビ画面では諏訪地方は震度2だったが、まもなく震度4に訂正される。この揺れは「2」ではない、まちがいなく「4」であろう。やっと得心した。

テレビで地震情報を観ていたが、三陸沖方面の被害は凄まじい。マグニチュード8・8とかで、日本国内では最大級のクラスという。秋田県や茨城県の連句の友は大丈夫だろうか。メールを発信して伺ってみる。秋田は全県停電という情報もあり返答はない。

東京の息子から連絡がり、双方の無事を確認しあった。地震の発生したときは、回線がパンク状態になるので電話はほとんど通じない。パソコンかケータイのメールがよい。(2011/03/11)

 

394『連衆心得』

連句の捌きをしていて思うことがある。連衆さんの付句が治定されるとその方は、しばらく自分には治定のチャンスがないだろうと読んで次の句の提出をパスする。「一抜けた」の気分だろうか、一服している姿を見かけたことがある。たしかに一巡といって、すでに治定した人は、一座する連衆さんみんなが治定されるまでチャンスは皆無かもしれない。だが、これは未だ治定されない方に対して失礼ではないだろうか。

筆者は連句大会などで連衆として参加したこともあったが、そのときは治定された後も、その都度作句して提出した。捌きに小声で「読み捨ててください」と伝えたこともあった。未治定の連衆さんが独り取り残され、苦吟するさまを見るのは筆者には耐えられないのだ。自分だったら焦るだろうなと・・・。

また連句の流れのそれぞれの句所で、たとえ治定されなくても作句し、仮定の方向性をさぐることは連衆として得がたい宝であるだろう。一句一句によって視界や宇宙や未来が拓けてゆく連句興行のフィールドは「なまもの」を扱う現場である。連句の流れは「なまもの」であり、それを体感することが連句の理解に通じると思うのである。

付句は捨てに捨てる。沢山作って捨てることで、状況によってその句所に相応しい句が仕立てられるようになる。付け惜しみする人は連句には向かないだろう。西脇順三郎は「詩人は言葉の石工である」といったが、連句人も石工になるための、前段の作業が必要かもしれない。(2010/02/02)

 

393『孕句』

「孕句(はらみく)」とは、何だかなまなましく、いかがわしい響きをもつ。しかし、れっきとした言葉で『広辞苑』にも収載されている。「@詩文や連歌・俳諧で、あらかじめ考えておいた句。宿構の句。A転じて、以前からの考え」とある。

筆者は男性であるが、やはり句を孕ませている、頭の片隅に、手帳の片隅に。連句を始めて約三十年、はじめた当初から豆ノート二冊にぎっしりと書き込んである。ただし、この頃は豆ノートから取り出して利用することはほとんどないが・・・。

・「東海の小島の旅をこころみて

  蟹縦に這い悩む啄木」

・「天女にも洗濯女()にも逃げられて

霞の出前たのむ仙人」

・「アトリエの画家とモデルの息遣い

  一線越えず一糸まとわず」

・「UFOを捕り損なった捕虫網

   仁王立ちする崖の腕白」

・「八百もあるから一つ嘘どうぞ

   二号さんゐる石部金吉」

・「刎頚の友が女優を取り合って

乳の谷間が鞘当ての元」

何の気なしに思い出すのはこんな付合だ。孕句は一句だけにもいうが、筆者は二句セットで孕むものと考えたい。二句でこそ二人でこそ、孕むことが出来ようものを。

筆者の連句の宗匠からの話をここに書き記す。

とある連句の宗匠が、財布と手提げ袋を紛失してしまった。電車か歩行中の道か、ほろ酔い気分で定かな記憶がないという。その足で近くの警察署に遺失物届けを出したのだが、奇特な人にめぐまれ失せ物は無事もどった。だが、署の刑事から取り調べをうける羽目に陥る。

手提げ袋のなかの雑記帳が問題だった。身元確認のため警察が雑記帳を調べると、暗号のような符丁のような記述があり、スパイ容疑をかけられたのだ。刑事は宗匠をきびしく詰問した。「この元の意味を言いなさい。分かるように言いたまえ。これはソ連だろ?」。

宗匠はためらいながら「それは孕句です。わたしは俳諧の宗匠をしていて、前以て作句したものを記入しておいたのじゃ。わたしがスパイかどうかは慶応義塾に問い合わせてくれたまえ」。

刑事は席をはずし、まもなく戻ってきた。「慶応の教授でしたか。分からなくて失礼をば申した」・・・

宗匠にして大学教授の雑記帳の孕句が二句セットか一句だけか、いまとなっては確かめるすべもない。(2011/01/15)

 

392『詩商人』

「広辞苑」にはないが別の辞書には収載されている、詩商人(しあきんど)という言葉。芭蕉と其角の両吟歌仙の、其角の発句「詩あきんど年を貪ル酒債哉」がある。詩を売って酒手を稼いでいる。年を貪って老け込むという句意だ。

ここでいう詩とは俳諧のことだろう。点取り俳諧で稼いだ宗匠たちが、その金で酒を食らっているさまをいうのだろうか。また一方で、詩商人は杜甫を指しているとする批評家もいる。

筆者は詩商人とは、イメージ的に吟遊詩人に思えてならない。中世フランスの抒情詩人の一派で、各地を旅行し、自作の詩を吟誦、朗読した者たちのこと。詩を売ることに軽蔑の念をいだく人もあるだろうが、似顔絵描きは絵を売るのであるし、小説家は個個人をターゲットにはしないが人びとに小説を売ることを生業にする。

詩を売る、夢を売る。これは詩歌人の誇りとさえ思うがどうだろう。(2011/01/05)

 

391『おうち句会』

外食しないで、持ち帰りできる老舗の名品を買って、うちで食べる。あるいは食材を仕入れて「自分っち」の厨で調理して食べるのを「おうちごはん」というらしい。このバリエーションには「おうちカフェ」「おうちカクテル」もあるそうな。

外出嫌いが揃いも揃った当愚庵の住人たちが、おうちごはんならぬ「おうち句会」を始めることに相成った。名づけて「ファミリーかっぱ句会」新玉版。お題(兼題)は「嫁が君」「初日の出」「初夢」。参加者は帰省中の若年層を取り揃え、老若男女四人衆である。

屠蘇気分も抜け切らぬ1月2日の16時ころ。お題をプリントアウトしたA4用紙が配られ、「一人5句」22時までに提出せよとお触れがまわる。

「老」はそれなりの俳歴もあるが、「若」は小学生のころに俳句を作ったことがあるような、ないようなというレベル。

「嫁が君」は正月三が日のねずみのこと。「嫁さま」「姉さま」という地方もある。忌み言葉。台所でごそごそと音がするので嫁御が食の支度をしていると思ったら、ねずみの仕業だった。こんなイメージで作句すればよいらしい。

ピッピ、ピッピと音がして電子辞書「広辞苑」で言葉を調べる人や、炬燵に当たりながらボールペンを鼻につっこみ、あらぬ方向を睨みながら考え込む人など。日が暮れて晩餐会がはじまって、食べるほどに酔うほどに、おしゃべりしつつも頭の片隅で作句し推敲をしているやからがいる。

三日朝。全員がPCやアイフォーンを持っているので、主宰のパソコンのメールボックスにはぞくぞくと投句が入っていた。合計20句。作者名を伏せて俳句だけを用紙に書きこむ。互選方式で5句選び、良い順に5点4点3点・・・と点数をつける。

さてさて集計の結果。(ここでファンファーレが鳴る)

一席 嫁が君おせち引かれてねずの番    abinosuke

合計10点 (moko選5点、uribou選5点)

二席 嫁が君灯明ゆらし走り去る       tako

合計9点(abinosuke選5点、moko選4点)

三席 初日の出息の白さも忘れけり     moko

合計8点 (abinosuke選4点、uribou選4点)

ひきつづき講評。

「一席」。おせち料理が何時の間にか引かれ、品数も数量も少なくなる。誰ともしれない犯人の盗み食いを防ぐため、ねずの番をしているねずみ。嫁が君という「ねずみ」に対して「ねずの番」と掛詞して、「人獣」それぞれの暮らしぶりやイメージを置き換えて戯画化することに成功。なかなかの名句である。

「二席」。神仏に供える灯明がゆれている。きっとねずみが神棚にいて、人の気配に逃走したのだろう。悪さをするねずみだが、米俵や大黒様などにも登場する、昔からめでたいキャラでもある。

「三席」。室外に出て初日を拝するとき、周辺の空気は凛凛として神神しい。思わず洩らす息の白さも忘れるほどの、新しい年を迎える緊張感がある。新年らしい厳かな俳句だ。

かくして一席のご褒美としてabinosuke氏には、うやうやしく麦酒券がプレゼントされた。めでたし。めでたし。(2011/01/04)

 

390『連句は意識と下意識の綱渡り』

連句用語に「空撓(そらだめ)」がある。各務支考の「七名八体」にいう八対の員外として、付け所の不分明な付け方をいう。

支考は証句として「障子に影の夕日ちらつく/聟殿はどれだと老の目を払ひ」(『俳諧古今抄』)を挙げている。

これは前句の「影」を木竹の影とすれば付句は打挙げの座敷でのこと、立ち覗く人の影とすれば初聟の見参ということになり、起情の案じ方のようになるが、眼を閉じて吟じ返すうちに影のちらつく様子から、ふと老いの目払いを思い浮かべて付けたもので、意識的に前句に対する趣向を立てて付けたというものではない。

つまり、「影」の実体は何かと見定めて付けたものではなく、「ちらつく」という実体のないところから触発されて、前句のどの筋に付けるということもなく直観的に付けたものである。

無心に前句を吟じ返すうちに、前句とは何の付け筋もなく、ふと思い浮かんだ姿をもって付ける方法である。これは一句の深層に潜む本質的な情感の感合によって成り立ち、一種の直観力による思考作用によって実現される。(以上『連句辞典』より)

筆者は連句の付合とは「意識と下意識の綱渡り」だと考え書いてもきたが、さらに詳細に敷衍するならば言語をもって、「意識」「下意識」「無意識」の綱を渡っていくものといえよう。

「大綱」はむろん意識であり、下意識乃至は無意識は「枝綱」だ。これらがバランスよく付け運ばれ、コスモス(宇宙)が象られる。言語が意表外のパフォーマンスを見せるのが連句の本質であろう。

「意識と下意識の綱渡り」といっても心理的な部面だけでつながっていくものではなく、当然ながら実の句を交えての「虚と実の混交」である。連句もまた近松門左衛門ではないが「虚実皮膜」であり、実と虚との皮膜の間にこそ詩的真実があるのである。

筆者の主張のため「空撓(そらだめ)」を援用させてもらったが、空撓とは「下意識」と「無意識」の中間層を指すのであろうか。(2010/12/22)

 

389『健康病』

「健康病」という病気があるらしい。健康でありながら病気に対して必要以上におびえ、不健康の観念に苛まれ、不健康を回避するための行動にはしる自分が抑えられない。取るに足らない身心の変化や不調に思い悩み、病院や薬局へ一目散に駆け込むというのである。

テレビ番組や健康雑誌などで、健康や病気や医薬品に関する情報がとてつもなく氾濫し、健康によいとされる食料品や飲料水などが宣伝されている。さらに市役所や区役所までもが、あなたは痩せすぎ肥りすぎ、何を食べろ何を食べるな、運動せよ体操せよと、広報にながす。

確かに予防医学は必要なもので、これがあって治療医学の負担も軽減され、病気予備軍が病気にならずにすむかもしれない。それはその通りであるが、度が過ぎる部面がないといえるだろうか。

「病気」のレベルが引き下げられ「健康」のレベルが引き上げられる風潮が、最近はとくに著しいように思う。健康という美名のもとで「病気」に対して過剰反応されやすい環境にある。

サプリメント、栄養補助、健康食品、健康飲料水、医薬部外品、痩せ薬などには効能の疑わしいものがあると、わがホームドクターはいう。

こんな笑い話を一つ。

筆者以前に外科医院に通院していたとき、筆者より先に受診したどこかの奥方が、「首筋を脚長蜂に刺された」とドクターに訴えているのが聞こえてきた。「どれどれ診せて」と診察するが、それらしき形跡が見当たらないらしい。「刺されたのでなく、蜂が止まっただけかもしれないね」というドクターの諭すような診断結果が洩れ聞こえた――。

そんなこんなで、人間なんでもないときは何でもない。ダメなときは駄目である。神に祈り仏に祈っても、死ぬときは死ぬのだ。これまでに死ななかった人間は誰ひとりとしていない。長生きしたいのではなく、何がしたくて生きたいかが肝要であろう。(2010/12/12)

 

388『連句とは何か』

連句とは何か。俳諧の連歌は現代では単に「連句」というようになったが、連句協会の会員は現在900名、会員でなくても常に連句に携わって大会に参加したり、作品集の読者だったりする人を加えると3000名。連句研究者や大学の俳諧関係の授業の学生、風流韻事を好む一般人で、思いついたように連句に興味を示す人を入れると日本の連句人口は約30000名といわれる。

またドイツやアメリカで「rennku」とうたい、同好の士が集まって連句を巻くグループが10余はあるという。諸外国の連句人口はわからないが・・・。

連句は形式も作法も式目もややこしく、掴みどころがなくて鵺的な存在である。果たして連句人のそれぞれ、その連句観はいかがなものであろうか。

「1」連句は「座の文芸」であり、仲間と談笑しながら付句を付けすすむ。一期一会の俳席の雰囲気がなにより大切であり、作品の優劣はあまり問題でないと考える人がいるだろう。

「2」連句には作法や式目があり、ある部面では茶道・華道に通じる「修業の文芸」と言えなくもない。言葉を用いて知識や教養をたかめ、伝統文化の香りにふれようとする、教養講座や習い事と捉える人もいよう。

「3」連句は文芸であり文学であるから、文学性を高めなくてはならない。「文台引き下ろせば反故なり」と古人はいったが、書き残したものはこんにちに伝わっている。詩歌の一つのジャンルとして、批判や評価に耐えられなくては第二芸術と蔑まれ衰退の道を辿るだろう。

上記のように凡そ三つに分類できようが、この三つ、あるいは二つが混交した考え方、スタンスを持った人もいるだろう。むろん連句観は各自の思うままでよいが、それぞれの立ち位置によって捌であれ連衆であれ、満尾した作品にその影響は表れるだろう。

筆者は敢えていえば「3」かもしれない。(2010/11/25)

 

387『連句・装置と運用』

連句は長句と短句をつなげて巻き上げてゆく文芸で、一巻を貫くテーマはない。テーマはないが、連句が文芸として確固たる存在であるがための特質や主張とは何だろうか。

連句の基本形は、付けと転じの「三句の渡り」によって、言語パフォーマンスが顕示するもの。そこに捉えられたミクロコスモス(小宇宙)につながって、マクロコスモス(大宇宙)が出現することに存在理由があるといえよう。

「付句(A)」は、すぐ手前の「前句(B)」には付くが、一句間をおいた「打越(C)」には付かない。ABに付くがCには付かないという「装置」が連句の生命線で、そのことによって他の詩歌に見られない、独特な言語表現の空間が得られる。

ここは「磁場」に喩えられよう。マグネットは異なる極は引き合い、同じ極には反発しあう性質があるが、BをはさんでBの前後は引き合うがACは反発しあう。こうした意味や印象の三句の渡りと、その連結に宇宙的な拡がりのシステムが隠されている。

日本語の多義性や曖昧さ反語や比喩、非論理性などが連句に取っては幸いし、つながって時空を象ることができる。これを筆者は「言語パフォーマンス」と言いたいのである。

連句には一貫したテーマがないと前述したが、ストーリーはむりんときには意味さえもなく、論理性もあるわけはない。あるのは情景や人事の付句という「ピース」であり、それが連句的な「システム」で羅列してゆく。

付句と付句の関連性について。

筆者も初心のころは、この前句になぜ、この付句が付くかということが理解できなかった。しかしあるとき、付くためには言語の「運用」が必要であると気がついた。それは「移り」「匂い」「響き」「位」など、言語やその意味や印象に漂う気分・情趣・余情・余韻によって句は付いている、つながっていると理解した。

付けと転じという三句の渡りを「連句装置」といったが、句を付けるは、上記のように「言語運用」によって齎されるものと思った。(2010/11/13)

 

386『連句カード・パスワード』

連句には約束事が多い。約束事は連句用語的には、作法・式目と称する。歌仙では「表」「裏」「名残の表」「名残の裏」という形式(フォルム)からはじまって、月花の定座、二箇所の恋、四季の配置や季語の分類や季戻りなどの細かな決まりがある。

一巻に詠むべき、神祇・釈教・旅態・地名・人名など。また山岳・水辺・降物・四足など自然現象や動植物などの式目もバランスよく出さなくてはならない。

連句は約束事が多く、言葉の手足を縛られるから嫌だという人がいる。そんな言い分も理解できないわけではないが、作法・式目に則った窮屈な発想がために逆に意欲が湧くという人もいる。そもそも詩歌などの短詩形は「ストイックな縛り」によってこそ表現の詩的真実が顕示すると考えられると思う。

そのように考える人でないと連句の面白さはわからず、連句は単なる雁字搦みの難物にすぎないということになる。

さて、ここで連句の作者と読者について思いをめぐらす。連句にはいわゆる一般人的な読み手は存在せず、読者のほとんどが連句の作り手ではないだろうか。したがって読者は程度の差こそあれ、連句の作法・式目を知っていると思われ、作品鑑賞の手引きとなっているだろう。

読者の知識には作法・式目がテキストとしてあり、連句を読み鑑賞する。すでに自身の「読書カード」が存在するので、そのカードと参照しながら作品の表現を共有しようとこころみる。ときに共有できない場合は、イエローカードやレッドカードをだす。

作者もまた、読者は連句についての知識があるという認識があり、共有できるだろう共感するであろうと考えるのだ。作法・式目のほかにも、表現や言葉の措辞をふくめた「作者カード」を使って付句を案ずる。

連句のフィールドでは、前述のような「読書カード」や「作者カード」を使いながら制作され、読解されるに相違ない。連句という文芸・文学はきわめて特殊なスタイルをもつのである。

なお「カード」にはパスワードがつきもの。「わび」「さび」「しおり」「細み」「軽み」と打ち込めば、付合の扉はおのずから開錠するのではないか。(2010/11/03)

 

385『地デジ』

テレビが大騒ぎだ。地デジ化、それに伴う買い替え促進のためのエコポイント制度など、販売合戦はすさまじい。

当家のテレビは二台とも未だアナログで、このままでは来年7月に観られなくなる。電源を入れるとテレビ画面の上下で、このテレビは「アナログ」、「来年7月には観られなくなります。早めの対応をお勧めします」とテロップが流れる。

余計なお世話だ。充分観られるのにと思ったりもする。地デジでメーカーと電気店は大うけだが、消費者は出費を余儀なくされる。知り合いの街の電気屋さんを呼んで話を聞いてみた。

当家の接続はケーブルテレビだが、買い替えに当たってケーブルテレビを脱退してパラボラアンテナに変更がよいか。衛星放送とか、有料チャンネルとか、BS,CSとか。ともかく多チャンネル時代でありながら、観られる番組と観られなくなる番組がでる。録画機能は内臓か外付けか。HDかDVDかVHSか。設置場所に収まるか。テレビ環境を睨みながら価格的など損得など・・・。

さらにパソコンもケーブルテレビの回線を使っている関係上、環境の移行はなんだか大変そうである。電気屋さんは親切に教えてくれたが、聞いているだけで疲労困憊。事務手続きもさることながら、「脳内手続き」はうんざりする。ともかく筆者、引越しはきらいである。

設置場所からして、家具職人さんが精魂込めて作った作りつけの飾り棚の、テレビ用スペースが800×530ミリしかない。希望は36型テレビ以上だが、26型しか収まらない。大型テレビを買うなら飾り棚を壊すか、家を新築するしかない。

小さくて古いテレビでも満足しているのに、波風を立てないでほしい。ややこしくしないでほしい。(2010/10/30)

 

384『無政府状態』

ヒットマン(殺し屋)が、お隣に引っ越してきた。以来あれこれと事件や珍事が勃発する。題名は忘れたが、そんなB級の洋画があった。映画なら気軽に面白く観ていられるが、実生活ともなると頭をかかえこんでしまう。

我が家の地続きに四軒の棟割長屋があり、この四軒は小さな長屋ではあるが、土地が広いので庭や畑のスペースをゆったり取ってあり、長屋の住人たちは、庭木を植えたり自家菜園をしたり楽しく暮らしていた。

終戦直前のころ、この界隈でやくざの抗争があり、追われた連邦一家が長屋に押し入ってピストルをぶっ放し、青竜刀を振り回して住人を追い出した。占拠してしまった。大家である我が家には刃向かって来なかったが、我が家は四軒の長屋を事実上失ってしまったことになる。

現在この長屋には、連邦組系北海一家の舎弟や子分などが住んでいる。こんな不法がなぜまかり通ったか、警察は何をしていたのか。しかし終戦前後のどさくさまぎれであり、連邦組も以後おとなしいので放置されたままになっている。

先達て、連邦組本部のナンバーワン、炯眼の大親分が長屋を訪問した。ヘリコプターを飛ばしてきて狭庭に降り立ち、菜園のトマトの輪切りにウニを乗せてぱくぱくと頬張り、うまいうまいと連発するニュースがローカルテレビに流れていた。

地元警察は見て見ぬふりを決め込んでいる。境界とか人権とか犯罪とかの問題になると、この国は「無政府状態」になりさがる。ま、そうでなくても「あって無きに等しい政府」ではあろうが―(2010/10/20)

 

383『向こう三軒両隣』

「向こう三軒両隣」という言葉がある。自分の家の向こう側の家三軒と、左右二軒の隣家。日常親しく交際する近隣のことをいう。隣保制度の単位ともなった。滑稽本の式亭三馬作『浮世風呂』にも出てくる言葉である。

向こう側のとある一軒は氏を「中さん」といい、敷地がかなり広く屋敷も劣らず大きい。コンクリートの平屋建てで、庭も立派に植栽され、誰か知らないが庭園には胸像も建っている。

ここ十年くらい羽振りがよいらしい。おやじさんが餃子加工の食品工場を経営して輸出で莫大な収益をあげ、息子は裁縫の下請け会社の専務とかで、赤いスーツなどを着込んで、メルセデスベンツの四駆を乗り回している。

我が家と「中さん」の間には空き地があり、お地蔵さんが祀ってある。空き地は村有地と思われるが、これまで所有に関して近隣の誰もが関心がなかった。我が家も「中さん」も、左右の隣の「台さん」も「韓さん」も同様で、自分の土地から食み出して物を置いたり、野菜を育てたりもしていた。どこからも文句が出なかった。

お地蔵さんを祀ったのは我が家で、先代が向こう三軒両隣にちょっと声をかけ、石工にたのんで自然石で彫ってもらった。誰ひとりいちゃもんをつけなかったが、お地蔵さんの脇に植えた姫小松の根元から松茸が生えてから、事情は一変した。

「中さん」が、お地蔵の祀られている場所は我が「中家」に一番近いから、松茸は家のものだという。これを聞いた「台さん」も「韓さん」も黙っておらず、姫小松に毎日散水しているとか、松茸の菌を植えたとか、松茸の所有を大声で主張するようになった。

むろん我が家でも、お地蔵さんのご利益によって松茸は育ったのだから、お地蔵さんを建立した我が家にこそ松茸を食べる権利があると伝えた。「そもそも松茸問題は存在しない」と。「松茸の所有権はいうまでもないことだ」と。

しかるのち、「中家」のおやじさんがたまたま出席した村会議員の集まりで、「お地蔵さんは中家のものである」とぶちあげた。場違いの集会での、空気を読まない発言に周辺は白らけたらしい。

爾来、庭越しに顔を合わせそうになると、お互いにぷいと横をむく。隣家の「台さん」「韓さん」も無視をきめこむ。陰では悪口雑言たらたららしいが。

日常親しく交際して行かねばならない向こう三軒両隣が、こんな状態である。晩餐の土瓶蒸しにも舌鼓が打てない。(2010/10/10)

 

382『細菌性感冒』

このところ怠惰に明け暮れ、このコラムも欠稿に欠稿を重ねている。何となく「怠惰」といったが、当人はとても怠惰を決め込んでいるような心境ではない。その辺はさておき・・・。

9月12日の夜間はほとんど眠れず、20分から30分は眠れても熟睡には程遠いものだった。

13日朝の熱は38・8度。ほどなく計測すると、少し上がって39・3度。体のふしぶしがだるくて、だるくて。かてて加えて、頭がふわふわ濛濛した状態。それでもジョークに「霧の摩周湖だ〜」と無言の叫び。

ホームドクターの往診を頼む。床に臥せっていたが、正午過ぎにドクターがみえ、注射、採血をする。検査結果は翌日になるという。痛み止めや抗生物質などの投薬は、薬局から配達してもらった。

14日。注射か投薬が劇的に効いたか、熱は36・5度。しかし急激な変化のせいか、「霧」は霽れることがない。きのうから、はじめて食事が摂れた。七分粥と醤油入りオカカと卵味噌汁。・・・菅総理が再選される。

細菌性感冒という診断結果だった。15日。16日。熱は36・8度から37・8度など、ぶり返す。気分はよくないが、床に臥せるほどではない。

炬燵を掛ける。上半身に汗をかきつつ、下半身などはひやひやと寒い。自分ながら暑いのか寒いのか分からない。テレビは真夏日70余日などと報道してしるが、筆者には炬燵が必要だ。

19日。ようやく自分の体に戻ってきたようだ。病後の疲れと、夏の疲れはまだ残っているが。(2010/09/19)

 

381『8・1・9』

きょう8月19日は「俳句の日」だという。8・1・9という数字の読み、語音を別のことばに置き換えたもの。俳句人口は一口に1000万人といわれるが、俳句人口とは作り手のことだから、日本国民の10人に一人が作句している勘定になる。

上記はいささかアバウトな推定だが、たとえば五大紙はいうにおよばず地方紙や市民新聞にいたるまで、読者文芸の俳句・川柳・短歌のページがある。相当数の投稿者がいて、選考され掲載された作品を読む読者も多くいて、こうした推定もあながちいい加減とはいえないようだ。

このような「社会現象」は日本固有のものだろう。アメリカのワシントン・ポストや、イギリスのディリー・ミラーや、インドのインディアン・エキスプレス、果てはイスラエルのハーレツなどのニュースペーパーに「小さなポエム」が掲載されているだろうか。それは、まぎれもなく「ノン」。

毎日まいにち、朝刊・夕刊にわたって俳句が配布される。これはギネスに登録されるべき、稀有な出来事ではないか。

なお俳句の「盟友」でもある連句人口はどのくらいか。連句にかかわるホームページなので一言ふれておく。

公称3万人といわれる。連句の場合、実作者と読者がほとんどイコールなので実数が把握しやすいように思われる。が、連句は約束事が多く、したがって「学習途次」で制作現場に出ないので実数と虚数の判別がむつかしいらしい。ちょっと齧っただけをカウントしての公称か。

8月19日は「バイクの日」でもあるという。「ハ」と「バ」の違いながら、事柄はがらりと変わる。

筆者、俳句は8歳ころから作句していたが、それはさておき、バイクは青少年の砌、あこがれたもの。ホンダ、ヤマハ、スズキなどメーカーの製品名をそらで言えた。ホンダベンリー125だの、ホンダドリーム450だのと胸躍らせた。

だが、なんといってもハーレーダビッドソン。ハーレーダビッドソンではないが、サイドカーもよかったな。しかし、ついぞ乗ることはなかったが・・・。(2010/08/19)

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