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コラム「その19」

コラム のメニュー

380「死の季語」
379「ご本人」
378「お化けと幽霊」
377「北斎点景」
376「モネとセザンヌとブータン」
375「主観乗車」
374「ダイレクトメール」
373「世論調査やランキング」
372「雪月花」
371「モミの木」

370「車はときに恐い」
369「B級」
368「自分の御守」
367「中指その後」
366「怪我の中指さん」
365「突き指」
364「裁判員制度と事業仕分け」
363「連句とは」
362「家庭の行政刷新」
361「近況あれこれ」

380『死の季語』

年寄りばかりではないが・・・今年は年寄りの受難がつづく。行方不明や熱中症など―。

住民票上は生存していることになっているが、現実には生死不明、行方の知れない100歳以上の高齢者が多いという。死んでいるのか生きているのか確認できない。死者のなかには行き倒れも少なからずいるようだ。

「行き倒れ」とは、「病気や空腹、疲れや寒さのために路上で倒れ、あるいは死ぬこと。また、その人」(『広辞苑』)とある。語意の範囲としては、行き倒れで路上に倒れ、運よく介助されて助かる者もいれば、介助もされず落命する者も含む。行路病者ともいい、また法律上の呼称として行旅死亡人という。

俳句の季語に「凍え死」「吹雪倒れ」がある。行き倒れが寒さを原因とする類例が多いので季語になったようだが、病気の延長線上に死があることは昔も今もかわりはない。季語は約5000題あり、病気を表す季語は30題くらいと比較的多いが、語意に死の意をもふくむ季語は稀少だ。冬山登山などに起きやすい事故だが、実際には町中でも少なくない。

夏の季語には「霍乱(かくらん)」がある。霍乱は烈しく吐いたり下痢をしたりして手足を震わせて七転八倒。コレラ、食中毒、急性胃腸炎、日射病などをさす、江戸時代から漢方で使われてきた病名。現今いうところの「熱中症」も、ここに括られるだろう。「鬼の霍乱」とは、鬼でも霍乱にかかると寝込んでしまう。また普段きわめて壮健な人が病気になることの喩え。

この夏は熱中症で死ぬ人が多いとか。熱中症は炎天だけでなく部屋にいてもかかる。年寄りは感覚が鈍くなっているので暑さを感じず、ご本人が気付かぬうちに死んでしまうらしい。

例えば江戸時代、凍え死や霍乱で死んだ事例はどのくらいあったろうか。日本中で行き倒れの死者の数はどのくらいあったろうか。人口比何人などという統計資料はあるはずもないが、相当数あったものと推測される。

神隠し、雲隠れという言葉があり、勾引かし(かどわかし)、人攫い(ひとさらい)、辻きりという言葉も古来よりある。昔もきっと、そのような「死」は多数あったのに相違ない。(2010/08/08)

 

379『ご本人』

志村けんの「変なおじさん」は、フジテレビのバラエティー番組で「志村けんのだいじょうぶだ」から生まれたギャグキャラクターだ。志村けん演じる墨眉にステテコ風ないでたちで、「わたしが変なおじさんです」といって腕をかざすように踊り、「だっふんだ」(脱っ糞だ)と締めて、観客をこけさせる。「わたしが変なおじさんです」と断わらなくても、誰がみても変なおじさんである。

話は変わるが筆者、さる地銀の支店に新しい預金口座を設けるべくドアを押した。新規に総合口座を開設したいというと、ご本人様ですかと窓口嬢が問う。「わたしが○○○○(筆者本名)です」と筆者は答え、三文判と一億円の札束をカウンターにどさっと措いた。ご本人様の確認をさせていただく証明資料をお持ちでしょうか、運転免許証とか保険証とかでよろしいのですが。

払い戻しならともかく、ぽんと一億円預金する筆者を偽者とおっしゃるのですかと怒鳴りたいところを、やっとこさ、こらえた。明くる日証明書をみせてやっと開設できたが、カードの暗証番号に代わって「指紋」「瞳の虹彩」「顔の静脈」などあり、どれにしましょうかと問われる。なんでもバイオメトリクスという確認法らしい。

「顔の静脈」は、百面相をした後でも払い戻せるかと訊きたいところだが、これもやっとこさ、こらえた。その代わり一億円預金はやめて一千円だけ預金することにした。

話はふたたび、ころっと変わるが、100歳以上の年寄りで所在不明の者が、全国で60数名(8月6日現在)と報道されている。

東京の足立区で111歳の長寿とされていた男性が、じつはすでに、30年も以前に死亡しておりミイラ化した状態で発見された。当人は即身成仏を願っていたというが、家族は最近になって男性の部屋の白骨を垣間見たそうな。30年前の日付の新聞がそのままあったという報道には驚かされる。ミイラと同棲という心境はいかなるものであろうか。

銀行の窓口嬢の目からみれば、筆者は恐らく「変なおじさん」であろう。111歳男性の遺族にとって、ミイラは「変なおじさん」だったろうか。そもそも「おじさん」に「変」はない。「変」は世の中や社会の仕組みにこそある。

「わたし」という存在は、何によって「わたし」なのか。わたしという「張本人」でも、身分証明書によってしか存在の証明ができないのか。

人間というもの、一度は死ねるが「二度死に」はできない。家族と行政の手によって、ミイラは晴れてふたたび死ぬことができた。(2010/08/07)

 

378『お化けと幽霊』

納涼シーズン、お化けの季節である。ところで皆さんは簡単に「お化け」というが、「お化けと幽霊と、どこが、どう違うの?」と訊かれて正しく答えられるだろうか。「どこか違うような、でも同じような」という返答が多いのではないだろうか。

辞書に当たると次のように出ている。お化けは、「1ばけもの。妖怪。変化。2死人が生前の姿になってこの世に現れるというもの。幽霊」。次に幽霊は、「1死者のたましい。亡魂。2死後さまよっている霊魂。恨みや未練を訴えるために、この世に姿を現すとされるもの。亡霊。また、ばけもの。おばけ」とある。(大辞泉)

辞書を参照してみても、お化けと幽霊の本体と印象について、なんとなく違いがありそうで、しかし双方でかぶり、きちっと峻別できていないようだ。つまり曖昧模糊としている。

曖昧模糊とした「お化け」と「幽霊」の「境界」をあえて仕分けし、言葉の棲み分けをしようという試みは、民俗学や人類学や妖怪学の間ですでに学際的にまたがって行われてきた。

「お化け」は・・・動物などが形を変えて現れる妖怪や、神仏が仮に人や動物の姿を借りて現れる変化などをいう。驚かす相手(ギャラリー)は誰でもよく、不特定多数が対象となり、出没の場所を選ばないところに特徴がある。

「幽霊」は・・・死んだ人の魂をいい、怨念や未練が強くて、亡者が成仏し得ないでこの世に姿を現したもの。多くは怨念や未練の関係者である相手(ターゲット)が限定され、出没の場所も当該者のライフスタイルの範疇から外れることがない。

共通点は「丑三つ時」をメインタイムとし、夕方うす暗くなって「誰そ、彼は」(たそがれどき)という人の顔の見分け難くなった時分から、明け方まだうす暗くて「彼は誰か」(かわたれどき)という、はっきりわからない時分までがパフォーマンスのとき。

「お化け」のパフォーマーは、野原や路傍にいきなり現れて通行人を化かしたり騙したりする。おどろき仰天するのが目的でもあるので愉快犯的で、相手をギャラリーと位置づける。したがってオーバーアクションが多い。

一方「幽霊」のパフォーマーは、個個人をターゲット(ある意味ストーカー)にして他は眼中にないので、消え入りそうな声で「怨めしや〜」と耳元でささやくだけでよい。もともと「幽体」(幽かな体)といって足腰なんぞはみえないほど。エネルギー欠乏症の「エコの身」(エコノミー)で、果たして恨み晴らせるかと思うむきもあるが、逆にノンアクションが怖いらしい。

諸説あるが、以上は柳田國男説の「お化け」と「幽霊」の違いを思い出すままに、脚色して書いてみた。筆者の記憶違いがあればお許し願いたい。(2010/07/30)

 

377『北斎点景』

葛飾北斎に「諸国瀧廻(めぐ)り 木曽路ノ奥阿弥陀か瀧」という絵がある。1833年ころの作品といわれ、約36×25センチの大判錦絵(太田記念美術館蔵)。画面の両側の緑色の草木をあしらった黄色の断崖にはさまれるように、青というよりも濃紺をバックにして純白の滝が垂直に何条も落下している。

滝の上流の切り立つきりぎしには、円形が描かれている。岩や滝との視覚バランスからいうと、この円形はすこぶる巨大な水玉に見える。青と白の地に黒の濃淡で「墨流し」のような紋様を表し、これが水のかたまりであることを窺わせる。崖の台地には旅びとらしき三人が、滝見物をしながら膳をひろげている。

この「水玉」について、「内側には、水が力をため込んでいるようで、嵐の前の静けさすらたたえている。つくづく、いびつな構図ではないか。円の中の水たまりは斜め上方からの視点で描かれ、垂直に落下する滝の水は真横から描いている。だが、これらを一緒に同一面上に並べたところに、創意がある」と、朝日新聞「美の履歴書」163で米原範彦氏は書いている。

また同ページで、太田記念美術館の日野原健司氏は次のように話す。「北斎は晩年まで表現を追及した。この絵には抽象画の趣もある。奇のてらい方が絶妙で、リアリティーのある、もっともらしい大胆なウソが魅力です」と。

これはまさに、シュールレアリスム(超現実主義)とレアリズム(現実主義)の野合であり統合であり、無秩序と秩序の厳しいせめぎあいの構図である。現実には存在しえないが、しかし画家には存在する世界だろう。「詩的真実」という詩における真実があるように、「画的真実」という絵画における真実がここにはある。人は北斎を奇想というが、北斎のなかでは哲学的な意味で「統一」されているに相違あるまい。

さて、連句とは。筆者にとって連句とは、一言でいうなら「言語パフォーマンス」。言語には意味や音律やイメージがあるが、それらを読み手の意識や下意識に流しながら展開し、繰り広げてゆくものだと思う。

「意識」の流れでは、前句を基点としての想像の範囲からの発想しか望めないが、「下意識」の流れでは想像を絶する跳躍をみせることもある。さらに「無意識」の流れ(この表現は正しくないが)からは人智を超えた世界が拓ける可能性もある。

前句を基点とした、だれもが想像でき、だれもが思いつくようなステロタイプの付合のなんと多いことか。そこに北斎の「水玉」はなく、「垂直&真横」の視点もなく、したがって誇張もデフォルメもない。あるのは、のんべんだらりとしたイマジネーションの起伏の少ない眺めだ。しかしながら、ただ闇雲に転じたり疎句がよいと言ったりしている訳ではないのだが。

「連句とは北斎である」は、筆者が連句を始めたときからの基本的な考え方である。(2010/07/15)

 

376『モネとセザンヌとブータン』

モネ「印象―日の出」47×57×3・5。

クロード・モネ。1840〜1926。

1874年、展覧会に出品されたこの作品により「印象派」という言葉が生まれた、記念碑的名作。日の出の風景を心象的に描き上げた、傑作中の傑作。

セザンヌ「たまねぎのある静物」47×57×3・5。

ポール・セザンヌ。1839〜1906。

安定した構図と、青とオレンジを基調とする明解な色彩感覚が特徴のセザンヌ。その作品は、マティスやピカソのような前衛画家たちの間に大きな興奮を巻き起こし、先進的な20世紀美術に多大な影響を与えた。

ブータン「ベネチア風景」47×57×3・5。

ウジェーヌ・ブータン。1824〜1898。

印象派の先駆者的存在となる風景画家。戸外制作での明瞭な外光表現を用いて、天候の変化や移り変わりを軽快な筆触で捉えた風景画を数多く制作。

☆油絵の立体感や光沢までも忠実に複製。印刷された複製画の上から熟練の画家の手により無色透明の樹脂を専用の筆で絵柄に合わせて凸凹を施します。何度もこの工程を繰り返すことで、油絵独特の盛り上がりを再現しています。トップアートが厳選した名画に、この高度な手法を駆使したことで、より原画に近い立体複製画として完成させることができました。以上は東京・銀座「トップアート」より。(2010/06/01)

 

375『主観乗車』

古典落語に『粗忽長屋』がある。柳家小さんの得意な演目で、小さんの弟子の立川談志も得意とする。かいつまんで紹介してみよう。

大工の八兵衛に「浅草寺の境内でおまえが死んでいた」と告げられた熊五郎。最初は笑い飛ばしていたが、八に連れられて浅草寺にきて、行き倒れの自分の遺屍と対面し、やがて自分が死亡したのだと考えるに至る。そして遺屍を抱き寄せてほろほろと涙を流す。二人の頓珍漢なやりとりから、取り巻いた人たちも成り行きのおかしさに気付く。そんな野次馬の呆れ顔もかまわず、八兵衛も熊五郎も「熊の死亡」を嘆き悲しむのであった。熊が八に問いかける。「抱かれているのは俺だが、抱いている俺はいったい誰だろう」―

談志はこの噺を「主観があまりに強いがために、自分が死亡したか否かということさえも判断できなくなった」という解釈をする。そして落語立川流では「主観長屋」の題で演じている。

「粗忽」とは軽はずみなこと。そそう。軽率なことをいう。「粗忽者」とは、そそっかしい人をいう。ところで「粗忽」の対意語はなんだろうか。沈着冷静、思慮分別あたりだろうか。

一方で「主観」を辞書にあたってみると、「認識し行為する人間存在の中心である」と載っている。ちなみに主観の対(つい)の概念である「客観」については、「主観から独立して存在する外界の事物。当事者ではなく、第三者の立場から観察し考えること」とある。

「粗忽」や「主観」という言葉の語意を踏まえて、古典落語の粗忽という大掴みの演題、談志の主観という現代的な演題へのこだわりなど、思わざる余禄がたのしめる落語ではある。

筆者が、いまは亡き垂乳根の母を自家用車に乗せて出かけたことがあった。ルート20号のメインストリートに駐車し、垂乳根は太陽神戸銀行で用事をすませてスカイライン1500に乗り込んだ。当時筆者はスカイラインを運転していたが、道路上には10台ほどの駐車があり、そのなかには奇しくも筆者所有のスカイラインと同色のボディーカラー(ブルー)のスカイラインがあった。

母は「スカイライン違い」の、よそのスカイラインのドアを開け「どうしたの。うちの車に無断で乗らないでね」と待機中の運転手を詰問したらしい。運転手はキョトンと、狐につままれたような顔をしていたそうな。筆者は慌ててクラクションを鳴らし、母を手招きして「うちのスカイライン」に呼び込んだ。母は怪訝な顔をしながらも、わがスカイラインに乗り込んだのであった。

母はしっかりもので通り、決して粗忽者ではなかった。たぶん母は辞書にあるように、「認識し行為する人間存在の中心」にいたように思う。程度の差はあれほとんどの人間は、自己中心で生きているのであろうが・・・。(2010/05/12)

 

374『ダイレクトメール』

メモリアルホール「大王城」というところから、角形A3の封筒のダイレクトメールが届いた。書類でも入っているのかドサッと重たく、薄紫に濃紺のツートンカラーの、見なれない色の大きな封筒だった。なんだろうと思いつつ、筆者は封をきった。

多色刷りのパンフレットが二十数枚入っていて、どうやら葬式や墓石や墓地の案内と宣伝らしい。葬式の部門をみると、豪華な宮型霊柩車、ライトバンの小型霊柩車、彫刻を施した柘植(つげ)の棺桶、座って入るのか風呂型の丸棺。前飾り一式、火葬具、枕花。果てはドライアイス(腐敗防止)の有無、四つ切り遺影の修正の有無など。高級とか中級とか並級とか、ランク分けされている。

等級によって金額もぴんからきりまで、月とスッポンだな。折角送ってくれたが、筆者には全くもって必要がないように思われる。いや、死なないとか死にたくないとかでなく、むしろ明日死んでもいいという心の準備はできているつもりだが、葬式にも棺桶にも枕花にもとんと興味がない。

この世とあの世は「地続き」「空続き」だから、「さよならはいらない」「坊主も経もいらない」。身近な数人の肉親が生死の点検(検屍)をしてくれればそれでいいと思っている。

筆者が一番心配なのは、自分自身が死んだことに気付かないで、連句の興行を皆さんに呼びかけたり、用事もないのにプリメーラを運転して外出したり、野村証券などに電話して株式売買(幽霊取引)をしたりしないかということ。死んだなら死んだで、地続きであり空続きであるからたいしたことではないが、それでも一段落。とりあえずの区切りはつけたい。句読点でなく「。」をつけたいのだ。

落語『粗忽長屋』は、八に「浅草寺の通りでおまえが死んでいた」と告げられた熊。最初は笑い飛ばしていたが、八に連れられてきた浅草寺で、行き倒れの自分の遺屍と対面し、やがて自分が死亡したのだと考えるに至る。そして遺屍を抱き寄せてほろほろと涙を流す。二人は周囲の人たちの呆れ顔もかまわず嘆き悲しむ。熊が八に問いかける。「抱かれているのは俺だが、抱いている俺はいったい誰だろう」。

――それはさておき、件の「大王城」から電話がきて、ダイレクトメールを読んでくれたか。詳細をご説明したいという。

「Aランク」は「宮型霊柩車で、柘植の棺桶で、遺影はカラーでコーディネーターが人相を修正してくれる。資格のある納棺師、送り人もつく」といい、150人列席、消費税込みで525万円。

「Bランク」は「○○○、△△△」で233万円・・・

「Cランク」は「軽自動車の霊柩車、棺桶はベニヤ板製の五右衛門風呂のような形。モノクロ写真で修正なし。ドライアイスなし。オプションで高校生バイトの送り人がつく」といい、35人列席で97万円。・・・「Dランク」「Eランク」「Fランク」とつづく。

生まれつき口の重たい筆者。むろん嘴(くちばし)をさし挟む隙とてなく、テレホン・マンの甲高い声にまくしたてられる。

「ただいま30%OFFのキャンペー中で大変お得です。「Aランク」をお勧めします。「期間限定」ですので、この機会をぜひお見逃しなきよう。またご利用に応じてポイントや福引券もつき、先祖代代割引料金となります。いかがですか。チャンスです。い・か・が・で・す・か!」。

甲高い声がとどろき、とつぜん夢からさめた。(2010/05/05)

 

373『世論調査やランキング』

マス・メディアなどの行う、さまざま事例の世論調査やランキングがある。さまざまな「事例」とは憲法改正の是か非かというお堅いものから、妻にしたい女優のナンバーワンとか、抱かれたい男優のランク付けとか、軟弱な調査がある。メガネの似合う有名人、ジーパンを上手に穿きこなす有名人、などのランキングまでもまま見かける。

上記の「女優&男優」ランキングは、庶民男女の品行をちょいとくすぐるもので、「メガネ&ジーパン」はメガネやジーパンのメーカーや業界の企画宣伝が透けてみえる。よく耳目にふれるのは「総理にしたい人物」ランキング。分かりそうで分からぬ、これっていったい何だろう?

美しく貞淑そうな女優がいても、妻に娶ることなどほとんど不可能。抱かれてみたい男優がいても相手は相手にしてくれず、高嶺の花だろう。総理にしたくてもわれわれに総理を選ぶ選挙はなく、政党や派閥の力学などで決まってしまう。

映画やドラマの役柄の演技や表情で、男優や女優のイメージを都合よくふくらめる。そして「疑似恋愛」を楽しむのであれば莫迦ばかしいが罪はない。国会の答弁で、社会保険庁の不正をしたものは一人残らず牢屋にぶちこむと大言壮語し、だれひとり牢屋にぶちこめなかった議員がいるが、このほうは莫迦ばかしいと捨て置けぬ。政治のことは国民にかかわってくるから。これが14パーセントとは言い条、総理にしたいナンバーワンとは。そもそも「総理にしたい」というアンケートの設問自体が興味本位であり的外れなのだ。

どのみち、このみち、こうした類の世論調査やランキングはくだらない。ある種の違和感を覚えてならない。何かが違うぞ。マス・メディアは得意になって報道しているかもしれないが、読者や視聴者ははぐらかされた思いだ。

世論調査でも政党支持率や政策の可否などは意義がある。ランキングでも人間が登場しない話題はおもしろかったりする。そんなものである。(10/04/28)

 

372『雪月花』

4月も半ばを過ぎたというのに、雪がしんしんと降りつもる。積雪約10センチ、道路も屋根も、新芽を伸ばしてきた台杉も隠れ蓑も雪をかぶっている。春の淡雪ながら雪景色である。

当地の「花便り」は五分咲きだとローカル紙が伝える。諏訪湖を見下ろす高台の「さくら・スポット」水月公園は、三分咲きとのことだ。ちなみに筆者は水月公園が好きで、花の咲くときには必ず訪れる。車からも花と湖水が眺められるのだ。

花に雪、そして折よくというべきか、月も現れる今宵。花を雪を月を同一のスポットで眺めたわけではなく、それぞれ眺めた場所は異にするが、筆者この「三点セット」とゆくりなく遭遇できたのだった。

雪月花とは、四時おりおりの好いながめ。つきゆきはな。和漢朗詠集には「琴詩酒の友皆我を抛(なげう)つ雪月花の時に最も君を憶(おも)ふ」とある。

「雪月花」は俳諧、俳句の「カナメ」である。何もとりたてて古式を詠ずるのではないが、文芸して賞玩すべき素材である。

雪月花の「雪」「月」「花」を同時に眺めることができる、賞玩できるチャンスはそう多くはない。当地の気候としては4月10日から4月25日くらいの間ではないだろうか。北は秋田の、西は北九州の連句の友だち、それぞれ雪月花が同時に眺められるチャンスはあるのだろうか。しかしこの現象が成り立つときは、気候的には変調といわざるをえないが。

――雪降りつもる爛漫の花のもと、洋傘をさして立ち尽くす美しい年老いた女性・・・。このセピア色の写真の主人公は「ゆき叔母さん」と呼ばれていた。花どきの東京に大雪が降ったという、恐らく70年くらいまえのものだ。

筆者の亡き垂乳根が「ゆき叔母さん」と呼んでいたのであり、筆者の叔母さんではない。筆者と「ゆき叔母さん」とは天文学的な年齢差であるはずだが、あの写真の美しさはいったいなんだったろう。

4月17日、東京にも雪が降ったという。(2010/04/17)

 

371『モミの木』

数えで七年に一度の諏訪の御柱祭(おんばしらさい)、その「山出し」が終わった。上社(かみしゃ)・下社(しもしゃ)の境内に建てられる巨木の「御柱」を山から伐り出し、坂を落とし川を越し「御柱休め」という場所まで曳行する。現在は「里曳き」(5月上旬)にそなえて御柱が休んでいるところである。

上社・下社合わせて16本の柱。御柱はおおよそ、直径1メートル、長さ17メートル、重さ20トンもある。八ヶ岳などから伐り出すこの巨木の種類は樅(モミ)の木である。モミはマツ科の常緑高木で、大きいものは高さ45メートル、直径2・5メートルにもなり、庭園や社寺の境内に植えられ、クリスマス・ツリーにもなる。材質は柔らかくて加工が容易であるものの割れやすく、耐久性にも劣るので家屋の建築にはあまり使われず、器具や楽器などに利用されるという。

モミの木はクリスマス・ツリーになると書いたが、古代のゲルマン民族はモミの木(ヨーロッパモミ)を神聖化し、その枝を天井から吊るしたり部屋に挿したりした。8世紀頃にキリスト教の布教に訪れた聖者がモミの木を伐り倒して改宗を説いたが、民族の樹木崇拝があまりにも強いがため逆に、クリスマス・ツリーの形として残し、キリスト教行事のなかで受け継ぐことになった。それが現在もつづいているのだ。

大きな樹木には神が宿るという信仰がある。「神木」はたんに神社の境内の木もいうが、その神社に縁故のあるものとして特に祭られる木のことをいう。また「霊木」は、神霊の宿る木のこと。

「神霊」が招き寄せられるとき乗り移ることを「依代(よりしろ)」というのだが、神霊はひょいひょいと浮遊して移行せず、手がかり足がかりを掴んでしっかりと降りられる。手がかり足がかりは、樹木・岩石・人形などの有体物であり、これを神霊の代わりとして祭るということである。

御柱と、クリスマス・ツリーとが、ともにモミの木であることを筆者は今年はじめて知ったが、神宿る木が洋の東西を隔てて同じであったのは驚きだ。

里曳きの後には御柱を境内に建てる。そのとき既に建てられてあった七年前の御柱は取り除くのであるが、その古い御柱は小さく細かくカットされ「お守り」となる。さて皆の衆よ、ご加護あれ。(10/04/12)

 

370『車はときに恐い』

トヨタ車における、意図しない急加速とブレーキの利かないトラブルが発生し、アメリカで大きな問題になっている。米議会の上院の公聴会にかけられ、トヨタ社の社長も呼び出されて厳しく追求された。

自動車はアナログ的な機械だと筆者など考えていたが、どうしてどうしてデジタル的。電子化が急激にすすんでいる。最新の高級車にはコンピューターが100個ほども搭載され、「走るコンピューター」、「コンピューターのお化け」ともいわれる。

電子制御スロットシステムの導入で、アクセルを踏めばエンジンにつながる弁や空気を送る量など調整。またアクセルを踏んだ状態でブレーキを踏めば、電子制御でブレーキが優先される装置など。これらはコンピューターが制御する。

機械だと耐久性についての概念がはたらき、劣化したり故障を見破ったりする経験則がわれわれにあるが、コンピューターは気まぐれ、それにバグ(誤り)がつきもの。恐ろしいことに彼らは前触れもなく豹変し、人智を超えた意想外の状況を呈する。

筆者の所有する日産プリメーラ2000ccは1995年5月に購入した年代物。とてもじゃないが、100個もコンピューターを搭載していない。筆者は車には素人で判断できないが、報道などの情報で検証してみると15個は搭載しているかもしれぬ。エアバッグ、オートマチック、横滑り防止装置、ヘッドライト角度調節、エアコン、パワーウインドー、カーナビなどが主たるもの。これらはコンピューターが制御している。

さて、わがプリメーラ、急加速もブレーキのトラブルもなく快調な走りをみせる。ただ、パワーウインドーの一枚が電動+力尽くでなくては上げ下げできない。パワー不足か窓枠のゆがみか。

またドアのオートロック機能が、何もしないのに「施錠」。車から下りてその辺を散策していると、突然「ガサッ」と音がしてロックされてしまう。鍵を車につけたまま車外に出ようものならアウトだ。したがって常に鍵を所持するか、ドアを半開きにしておく。欠陥車に違いないが、原因が見つけにくいとデイラーにいわれ、そのままだ。オーナーが慎重派だから、コンピューターが気を利かせて「施錠」してくれるのかも。

ドライバーの命が、落命に直結しないような欠陥なら大目にみることにしよう。だが日野コンテッサ1300cc(約45年以前)は恐い車だった。電磁式クラッチで(コンピューターではない)、あるときレバーを前進に入れるとバックし、バックに入れると前進するという奇妙な故障が発生。

折悪しく崖の縁すれすれに車を寄せて駐車し、スタートしようとしてこのトラブルに遭遇した。「バックすれば崖から落ちる」、しかし「バック・レバーに入れてアクセルを踏まなくては」・・・めくるめくような真っ逆さまの概念の転倒を、おのれに納得させるには努力を必要とした。こんな車で諏訪から松本の販売所まで走らせたのだった。あるとき車は凶器である。(10/02/28)

 

369『B級』

B級グルメという言葉がある。野球にたとえるなら、A級グルメがメジャーリーグだとすればB級グルメはマイナーリーグ。食材も調味も、調理する器具も調理人も、もう一歩という感じであり発展途上の料理といえるだろう。

逆にというか、ひるがえってというか、食材も調味も調理する器具も調理人も一流だが、「B級グルメ」というコンテンツで押し通すほうが商売しやすい部面もあるらしい。

「食」のレベルはじつに多様で、人による好き嫌いも味蕾の個性もさまざま。おまけに食材や料理人の腕前による金銭的な差異も発生する。「A級」「B級」のツーレベルのみならず、家庭料理などをふくめると多くの階級、レベルがあるのであろう。

「山賊焼き」という料理をご存じだろうか。鶏のもも肉をニンニクを効かせたタレに漬け込み、片栗粉をまぶして油で揚げる郷土料理で、長野県の松本市か塩尻市が発祥の地とされる。山賊焼きというネーミングは昭和初期からという。

このネーミングの起源説はこうだ。山賊どもは民を襲って金銀財宝を取り上げる。宝物を持たない民からは美しい娘を取り上げる。山賊の仕事である「取り上げる(とりあげる)」が、「鶏揚げる(とりあげる)」になったというのである。

山賊焼きや、おやきを信州のB級グルメに位置づけて売り出そうとする企画があるらしい。が、ここで筆者が言いたいのは料理の話ではなく、連句について・・・。

連句は「B級グルメ」のようなもの。つまり「B級文芸」だということ。B級がA級より値打ちが低いとは、筆者は毛頭思っていない。連句のえがく小宇宙が「B級」のもっている概念にふさわしいと思うのだ。連句は言葉や素材の俗を正し、雅を皮肉ったり貶めたりもする。そんな清濁ごちゃまぜのコスモロジーが連句である。そしてB級であるがゆえに、一掬の文学的な高みが求められもするのである。(10/02/18)

 

368『自分の御守』

「御守(おもり)」という言葉について『広辞苑』には、@補佐して守ること。また、その人。A子守。と出ている。また「子守歌」は子供をあやし、または寝つかせるときに歌う唄。ララバイとある。他方で『大辞泉』には@の意味のほかに、手のかかる相手に付き添って世話をすることと記される。

「年を取りゃ、自分の御守がせいぜいさ」と年寄りが愚痴っていたことを思い出す。筆者の若い時分に耳にはさんだ言葉で、年寄りの言わんとすることの真の意味がほとんど理解できていなかった。自らの身を御守するとは、いったい何のことだろうと。

病気や怪我で医者の世話になり、薬を処方されて飲んでいるという場合、病院にいったり薬を服用したりするのには、当人自らの行動に待たなくてはならない。当人が動かないかぎりことははじまらず、忘れていたり怠けていたりしては、治療は覚束ないことになるのだ。(ある一定の病状の、ある一定の見当識をもった患者を想定しての話として)

そんな「当人」を監視し激励し手助けする、もう一人の自分という存在があるのではないか。「もう一人の自分」が守ってくれなくては「当人」独りでは危なっかしくて見ていられない。年寄りになると自分が自分を守ってやる、つまり自らを「御守」することで一日が暮れていくと思うのだが、どうだろう。(10/02/10)

認知症の範疇には入らないだろう、物忘れ、ついうっかり、動作の緩慢さ、アンニュイな気分、思考の怠惰さ、こんなものが老後とともに表れてくる。むろん個人差はあるのだが・・・。

物忘れしているのではないか。うっかりミスをしているのではないか。忘れたりミスしたりしたかもしれない認識はあっても、それをしっかり自覚できずにやりすごす。

動きの鈍さ深く考えもせず、それを知っていても、何とかなるだろうと高をくくっている。塞ぎの虫が鳴きだし、集中力もなくなってくる。

しかし、そんな認識がもてるうちはまだ救いようがある。自分の間違いをただし、危険な行動は回避すべく、「もう一人の自分」が手助けしてやる。

「自分の御守」とは若いころと違って身心の働かない年寄りの、おのれへの自らのサポートかもしれない。むつかしくいうなら、自己を多重化し、自問自答してやっと「確立」しているのかもしれない。(10/02/12)

 

367『中指その後』

ひょんなことから受診することになった。前号では「ホームドクター」だの「セカンド・オピニオン」だのと臍曲がりな論旨を組み立てたが、これはむろんアイロニー。というか、逆説であったり反面教師であったりのスタンスである。根元では当然ながら、筆者も医学や医者を信じている、絶対的ではないにしても・・・。

漢方の研究等で、日本ではじめて博士号を取得された漢方医のM先生が往診してくれることになった。まだ若い先生で、夜の8:00頃、「エコー」(筆者の聞き違いでなければよいが)と称する大きな機器を車に積み込んで訪れ、指の骨や腱をレントゲン検査のように検査してくれた。

エコーのコードをコンセントに差し込み、通電して画像に骨や腱を写し、怪我の状態をこまかく説明した。骨は大丈夫だが、腱の一本は辛うじて繋がっている状態。腱が切れると手術以外に方法がないという診断だった。

漢方薬の黄色い特殊な薬を塗って、包帯でぐるぐる巻きに。なるべく使わないように、やむをえず使う場合は傷に対する、手指の角度についてのよしあしなどの指示をうけた。そして往診してくれることになった。先生は週三回大学病院にゆくので、そのときは漢方の女医先生が担当するという。

主治医の診断である「腱の一本が辛うじて繋がっている状態」はいささか心配であるが、とりあえずはほっとする。(09/12/15)

午後1:00にM先生が往診。中指・薬指の二本べつべつにギブスを嵌める。小さなポリ容器に熱湯を入れ、格子模様に透けた白い石膏で巻き、しばらくすると固まった。がっちりと固まった。

腫れは引いたり、また元に戻ったり。しかし回復途上にある。ゆっくり動かして何かに触れるくらいでは腱は切れないが、手がすべったり突然ぶっつかったりすると「パチっ」と切れる危険がある。くれぐれも注意をと。

年内はギブス使用。年明けからリハビリにはいる。順調にいっても二ヵ月はかかるという治療スケジュールを示してくれた。(12/16)

左手を使わないように車に乗り込み、2週間ぶりに外出した。右手だけで運転し、左手はハンドルにかるく添える程度にして約10キロ。家人は食料品や日用品など必要なくさぐさを大量に買い込んだ。こんなにも、いろいろな「物」がないと人間は生きていけないものか。「物」がなければどうなるのか。(12/17)

M先生の往診日。2:00に訪れる。ギブスを外して視診。ふたたび嵌める。「腫れは大分引けた。これなら風呂もよいでしょう。ギブスを外して入浴し、風呂を出たらギブスをつけるように。ギブスを外したときが一番危険だから心して」ということだった。(09/12/19)

 

366『怪我の中指さん』

突き指のことで二三人から、整形外科を受診したほうがよい、レントゲン検査をしたほうがよいと忠告をうけた。その通りかもしれない。だが筆者の「身体環境」では、病気も怪我も大変なときは医者にゆけず、回復して体調がもどってからでないと受診できないという悩みがある。もっとも「大変」を越えた場合は救急車で搬送されることになるだろうが。

「一病息災」なんぞというが、筆者生来「病気&怪我」と仲良しで縁が深いが、げんに生きているから「息災」なのかもしれぬ。それやこれやで経験的体感的に、おのれの病気や怪我の状態がわかるという密かな自負がある。かかりつけ医者という意味の「ホームドクター」は、筆者にとって「この家の医者は私」という意味に解釈している。

体で感ずる病状や、体に負った傷の深さ。みずからが自身に問診し触診し、配置薬や救急箱をあけて処置・処方する。生兵法は大疵の元というが、医者だって見立て違いや医療ミスはあろうが。

従来の主治医の治療を傍らでみていて「おまえ、それじゃ、へぼ医者だぞ」と自分のなかの、もう一人の医者がどなりつける。セカンド・オピニオンとは自分のなかに「二人のドクター」がいるということ。生身を預かるドクターとして、二人のドクターが切磋琢磨しているということだ。

余談ながら家人は病気や薬剤に詳しいというか、好きというか。セカンド・オピニオンどころか、サード・オピニオンも。「自己ドクター」を高評価して自慢しているふしもある。

就中(なかんずく)サプリメント専門のドクターも専従させ、薬剤師もしっかり置いて、疲れ目や肩こりや血液循環など筆者への処方までしてくれるありさま。花岡青洲の妻か藪井竹庵の妻か、いままでのところでは判定できないのだが。

さて肝心の突き指は・・・14日現在、手甲や中指と薬指の腫れはだいぶ引けてきた。しかし上記の二本の指はほとんど曲がらず、物をつかむことができない。また軽くぶっつかっただけで鈍痛がはしる。車の運転はできないので外出もままならない。

「自己ドクター」の診断の結果は、すべて自分にかかってくる。自己責任に帰するということだ。とまれ、とんちんかんなご託をならべるくらいだから、突き指の経過も多少なりともよいのかな?(09/12/14)

 

365『突き指』

人間の手の指は両手合わせて10本あり、「十指(じゅっし)」という言葉もある。10本は多すぎはしないか。無駄もあるだろうから2本くらい欠落しても不便ではあるまい。

親指、人差し指、中指、薬指、小指。以上5本を俗称で書いてみたが、「親指」は亭主や主人公を暗にさし示し、「小指」は妻や妾などをさす隠語でもある。また「薬指」は、薬を溶かすとき主に用いることからつけられた呼称だ。

呼称はどうであれ、ペンを持ったり箸を使ったり、細かい作業をしたり指は大切かもしれないが、不要不急な指もありそうな気がしてならぬ。「消去法」で不要な指はどの指だろうか?「指を詰めろ」と八九三(やくざ)に威され、不要な指の順番を思い悩んでいる、というわけではない。石川啄木は働いただろうが、ろくすっぽ働きもしない筆者が吾が暮らし楽にならずと、じっと手を見て、蛸の足ように多いなと思っただけである。

莫迦なことを思っていると、飛んでもないことが起きる。12月4日の正午ころ、筆者はガレージで転倒し突き指してしまった。コンクリートに咄嗟に手をついたとき、左手のさきに体重がかかって中指がグニャと。

中指の第二関節の骨がはずれ、15ミリくらい骨が骨におんぶしたような形になり、第一関節にかけて「V」字にひん曲がった。激痛としびれと・・・生憎ひとりだったので、このままではならずと食い込んだ中指を自分で引っ張った。痛みをこらえて右手で思いっきり引っ張った。4回目にやっとはずれ正常の位置に。医者には行かず、そのまま10キロほど運転し用事をすませた。

しかしその後が大変だった。中指のほか薬指も腫れ上がり、手の甲も腫れ上がってお相撲さんの手のように。おまけに内出血で黒紫に変色。買い置きの湿布や痛み止めの薬を呑んでも、疼痛はなかなか治まらない。

着替えたり、洗顔したり、両手指を使ってすることのなんと多いことか。不自由きわまりない。その後きょうまで湿布交換、鎮痛剤を服用しつづけても、おいそれとは治癒しない。

十指には無駄な指もあるだろうと、くだらぬ空想をめぐらした「咎(とが)」であろうか。人間に不要なパーツなんぞないものと知る。筆者そのかみ、中日新聞の俳壇で天位(小川双々子選)を受賞した俳句を思い出した。

・十指もて陶土をつかむ窯初め

最近このコラムで夢の話を書いたが、「突き指」が夢のなかのできごとなら、それは悪夢だから覚めてほしい。(09/12/11)

 

364『裁判員制度と事業仕分け』

ここに書いてよいものか、伏せて置くべきか。つつみ隠さず公開するご時世なので意を決し、書くことにする。

このたび筆者にも、裁判員制度による裁判に参加せよという呼び出し状がきた。今年からはじまった裁判員制度の裁判員に選ばれたのである。いくつかの厳重な理由がないかぎりは辞退できず、この制度は国民の義務である旨の付記を読むまでもなく、筆者は人を裁くのが好きで、性格的にも合っているので快く受諾した。

ホームページの更新や連句の進行は手控え、にわか勉強ながら「六法全書」をひもといた。しかし老眼には法律用語や、もってまわった法令文を読むのがこたえるし、そもそも素人を裁判員に選ぶのだから法律より常識とか人情とか思い込みを期待しているだろうしと、テキストはあっさりと放擲。

某月某日、筆者は裁判所へ。その法廷で事件のあらましを知る。被告人は万引き、空き巣、下着泥棒。ちょっと見にはひょうきんそうな中年男で、性格俳優の何某によく似ていた。筆者のきらいなタイプではない。それでも懲役1年6箇月、執行猶予3年半という判決を支持する裁判員が多いなか、筆者は即断で「死刑」を求刑した。

千に一の確率という裁判員制度の裁判員になったと思ったら、こんどは事業仕分け人に選ばれてしまった。こちらは万が一の確率といってよいだろう。筆者のような行政や経営にまったくの素人がなぜにとおもうが、行政刷新会議から書留速達で要請をうけた。

門外漢なので辞退したい旨の電話を入れたが、是非ぜひと聞き入れてくれない。裁判員制度同様に常識とか、国民的感情とかを反映することが肝要である趣旨を説明され説得された。仙谷由人・行政刷新相からも電話口で懇願される始末。(余談ながら「由人」と、筆者本名「義人」と、「よしと」同音読み。だから何だというわけではないが)

わかった、わかった。門外漢だからこそ見えるものがあり、八方睨みにして藪睨みが求められているのだなと、得心がいった。

東京まで200キロの車の運転はきついので日帰り運転代行をたのみ、刷新会議後半の第二ワーキンググループに参加。文部科学省を五名で担当する。

860余兆という国の債務(赤字)が脳の中心にあり、前日の会議の見直しに反発した科学者の言い分はいかがなものか。科学は大事だがほんとうに無駄がないのか。利権の温床もひそむという風評の科学界はみっともない。債務で国が成り立たなくなれば、それこそ「国破れて科学あり」じゃないか。

それはさておき、いよいよ仕分けにとりかかる。国民文化祭の連句部門が俎上にのる。作品募集の廃止か受賞者の旅費を片道だけに削減するか。文科省の担当者と協会会長が連歌から語りはじめ、役員は手弁当でがんばっていると。一方で仕分け人は、役員の主宰する結社から息のかかった門弟が協会役員に「天下り」しているではないか。協会体質に問題はないかと問い糺す。

会議も煮詰まって採決になり、L女史は烈しい言葉をぽんぽん飛ばすが「仕分けのジャンヌ・ダルク」と称される憂国の士で、心根は至ってやさしい。「わたしは連句部門の事業費を削らない」と主張してくれたが、それに甘んじてはならぬ。「国破れて連歌あり」じゃ仕方がないではないか。「すべて、カット!カット!」と筆者は叫んだ。

・・・・・声にならない叫び声を挙げた。このとき筆者は夢から覚めた。(09/11/27)

 

363『連句とは』

たとえば「○」「△」「□」の、三つの形があるとしよう。材質はそれぞれボール紙で、○は○同士、あるいは○と△、○と□というようにパターンを換えてならべてみよう。パターンもだが並べる間隔についても、ある程度の隙間を取ったり、ぴったりとくっ付けたりと工夫を凝らす。

材質はボール紙と書いたが、弾力のあるゴム製であったり、逆に粘着性を持たせてあったりしてもよいだろう。三つとも、形状とともに表面もまた異質なのである。並列に並べていくので当然ながら、隣り合う個所は一個所ということになる。その一個所の接点も、さきに述べたように、隙間を取ったり、ぴったりとくっ付けたりする。機械的な等間隔ではいけないのだ。

ここでいう「○・△・□」というのは連句の付句のことであり、言葉や言葉のイメージなどを比喩したものである。「材質」「間隔」は付合という、句に句を付けていくときの趣、言葉の質感や言葉がつながっていく距離感を表す。

たとえば「し」「一」「川」などの形の、毛糸や釘や竹籤(たけひご)があるとしよう。毛糸は毛糸なりの、釘や竹籤はそれぞれ釘や竹籤なりの材質の特徴や質感を持っているとしよう。

一本の毛糸は「一」のような直線を示すことも可能だが、毛糸のもつ特質として「し」のような曲線が示しやすいだろう。

釘はハンマーで打ち損じると「く」の字の形状になるほか、タテ・ヨコ・ナナメと「一」のような直線を示す。

竹籤は素材としては直線だがローソクで生焼きしながら力を加えて曲げ、「P」のような曲線を一部えがくこともできる。

ここでいう毛糸「し」の曲線とは「ひらがな」のことであり、釘「一」の直線とは「カタナカ」のことであり、竹籤「P」の一部曲線とは「漢字」のことである。

言葉が伝達する風景や状況や意味のほかに、それぞれの表記には質感やイメージなど大きな差異を認めることができる。

連句の付句は、風景や状況や意味の伝達はするがそれだけでなく、文字の形体のおもしろさ、「文字面(もじづら)」、すなわち文字の象形パフォーマンスを鑑賞する文芸でもある。付句の語尾の体言止めや用言止め、語頭のそれをふくめて賞玩する。むろんそれのみにあらず、言葉の音声の要素も大きいが・・・。

以上、連句の一部面について書いてみた。(09/11/25)

 

362『家庭の行政刷新』

予算の無駄をなくそうという民主党の試み。事業仕分けをして不要不急なものを見つけ出し、予算を削減する行政刷新会議がもたれた。無駄使いとおもわれる予算をバサッと削っていく。遅きに失した感はあるが多少なりとも成果が出るのなら、政権が代わった意義もあろうというもの。

ところで、家庭における「行政刷新」「事業仕分け」は昨今はじまったことでなく、リーマンショックをはるかに遡る以前から行われていた。家庭は国家のずっとずっと先を行っていたのである。

○国土交通省・・・マイカーを持っていても我慢して乗らない。乗る場合は燃費や道路の消耗を考えてスピードは出さず、急ブレーキを踏まない。故障事故には極力注意し、ジャフに入会しない。

○農林水産省・・・庭木の剪定は自力で行う。鉢植えは樹木か宿根草を買い求めて何年も咲かせる。廉価な豚肉を食い、トロは食わず、釣ってきた鯊や鮒を俎上にのせる。

○厚生労働省・・・処方された薬は経過よしと診れば中止し、残りは薬効をしらべて家族間で使いまわす。ホームドクターとは自らがドクターであるとの定義であり、「医薬分業」とは自己責任で医者と薬剤師の役を家庭が担うことを意味する。

○環境省・・・家の窓の開閉はひんぱんに、夏冬中心に外気と内気の換気をコントロール。ただし、冷暖房の排気は地球の安全のために室内に放出すること。

○文部科学省・・・本は購入せず図書館から借りて読む。新聞・雑誌は購読せず、インターネットかテレビで情報を蒐集する。

○経済産業省・・・たいして魅力のない「地デジ」に対し、国民的レジスタンスをする。画面の雨降りで目が疲労するときは、スイッチ切断の潮時と心得るべし。

○外務省・・・向こう三軒両隣へのお福分けを中止し、顔を合わせた折のスマイルで乗り切るべし。

○法務省・・・交通違反、隣家との境界線や屋根のせり出しのいさかい、刃傷沙汰や人殺しは割を食う。法律を犯すは益なくして損ばかり也。

○総務省・・・葬儀のための労力と費用の意義が問われ、密葬乃至は「一親等葬」が増えている。無尽化した香典、形骸化した慰霊。時代のニーズに置き去りにされた葬儀の無駄の仕分け。

○防衛省・・・家庭の「思いやり予算」とは、亭主が家計を預かっている場合は女房へのお小遣い、逆に女房が家計を仕切っている場合は亭主へのお小遣い。聖域なき刷新の一丁目一番地。亭主・女房という、男女どちらにとっても「性域」なき見直しの本丸である。これが何故に防衛省かって?予算配分を間違えると、鉄拳が飛んでくる。その鉄拳を防御しなくちゃならん。これぞ防衛省の管轄だろう。(09/11/08)

 

361『近況あれこれ』

来年は七年に一度の御柱の年。「御柱」は「おんばしら」といって、諏訪地方では大きな祭事である。いや諏訪地方のみならず日本三大奇祭の一つともいわれ、夏の季語にもなっている。

有り体にいえば、何10頓もある巨大な丸太を何本か伐採し、野山や河川や街中を曳行して神社におっ立てる。柱に藁縄を括りつけ、木遣りや喇叭とともに氏子たちが群がって縄を曳く。土俗的原始的な祭りである。

すでに今年のはじめの雪深い時分から、総代や区の役員は御柱となる樹木の見立て、神官がお祓いし枝落としなどもして準備。ローカル紙にはそんな情報が掲載される。

ところで、筆者の居住する区の神社総代や御柱の役員を決める時期になったが、なり手がいない。四十数戸という小さな区であるが空洞化はげしく、住んでいるのは高齢者ばかりで、子どもにいたっては絶滅危惧種。ひとりふたりでは、特別天然記念物にひとしい。

植木屋さんをたのんで、庭木の剪定をしてもらった。狭い庭なので一日がかり、台杉も椿も山帽子も白樫も床屋に行ってきたようにさっぱりした。

10時と3時のお茶の時間は、いずれの職人さんにとってもゴールデンタイムらしい。植木屋さんもご他聞にもれず、茶を飲みつ、茶請けをつまみつ、話に花を咲かせる。75歳。経済学部に入ったが絵が好きで授業をさぼり、親からの仕送りがストップ。絵描きは材料費が高く、本心は作家志望だったなどなど、問わず語り。

いろいろあって、現在は植木の枝を、剪定鋏でパチパチ。でも今月下旬には、駅前のМデパートで絵画展をひらく。八ヶ岳が好き、山容の移ろいを描いている、展示数はすくないがと・・・。

筆者は筆者で、野間宏が選考委員だったころの「現代詩手帳」の話、芥川賞作家の保高徳蔵の「文芸首都」の同人だった話など、関係した文芸誌の誌名をだしたが、彼はその多くを知っていた。庭木が取り持ってそんな話ができたのも稀有な縁だった。

今年の5月以来の、蓼の海にドライブした。蓼の海はS市郊外の小さな人工湖だが、なぜか「海」の字を用いる。人手があまり入っていなくて自然があふれ、小鳥たちも多く、湖水には放流した虹鱒もすいすい。観光客がすくなく気が休まる場所だ。

この湖水を3年かけて堰堤の補修をするという。現在水位を5メール下げ、設計や測量にかかっている。筆者のお気に入りのスポットだが、しばらく来られなくなる。筆者にとって工事期間3年は長い。待ち遠しい。家人はデジカメで湖畔の紅葉をパチパチ。生憎のうす曇。写真の出来栄えはどうだろうか。(09/10/20)