コラムその「7・8」

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128「仲達が死んだ」
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なぞなぞ』160

ことば遊びの一つに「なぞなぞ」がある。地方によって「なぞ」「なじょなじょ」などともいう。「何ぞ」という問いかけが名詞になったものと言われる。なぞなぞで遊ぶことを「なぞをたてる」とも「なぞをかける」ともいう。

古代ギリシアでスフィンクスが問うたという、「朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足で歩くものは何か」というなぞかけは夙に知られるところ。因みに答は「人間」で、赤子のときは手と足で這い、成長して二本足で歩き、老いては杖を用いることから。

なぞなぞには問いかけに対する答だけの二段の方式と、「なになにとかけてなになにと解く。その心は」という三段方式がある。

「百軒長屋に釜ひとつ」ってナ〜ニ。答は「汽車」で、二段方式。

「比丘尼にかんざしとかけて、ひとりで飲む酒と解く」「その心は」「さすところがない」は三段方式である。

「風が吹けば桶屋が儲かる」は何段論法かにわかには分からないが、なぞなぞの親戚筋ではなかろうか。

風が吹くと砂ぼこりが出て盲人がふえ、盲人は三味線をひくのでそれに張る猫の皮が必要で猫が減り、そのため鼠がふえて桶をかじるので桶屋が繁盛する。

思わぬ結果が生じる、あるいは、あてにならぬ期待をすることのたとえ。

「イラクにライターひとつ」ってナ〜ニ。・・・「?」。

「ブッシュに電気カミソリとかけて、お菓子と解く」「その心は」・・・「?」。

「民営化されれば、薬局が儲かる」。・・・「?」

以上「なぞなぞ時事問題」を出したが、みなさんの「解答」はいかがだろう。(05/09/02)

 

『言葉アラカルト』159

本音と建前という言葉がある。言葉は明瞭だが真意が一向にわからない、伝わらないということもある。

行政の担当者や政治家の言葉は、誠意をもって受け止めているようで、実ははぐらかされる。巧くあしらわれてしまう。言質をとられないように、責任の所在を明らかにできないようにする手法であるのだろう。

>「前向きに」は、遠い将来には何とかなるかもしれないという、やや明るい希望を持たせる言い方。「鋭意」は明るい見通しはないが、自分の努力だけは印象づけたい時に使う。「十分」は時間をたっぷりかせぎたいこと。「努める」は、結果的には責任を取らないこと。

「配慮する」は机の上に積んでおく。「検討する」は、検討するだけで実際には何もしない。「見守る」は他人にやらせて自分は何もしない。「お聞きする」は、聞くだけで何もしないこと。(長野日報「八面観」)<。

話は変わるが、次のような文章を読んだ。(長野日報「ことばの不思議19」郡千寿子氏)

>日本では、犬の鳴き声は「ワンワン」。でも英語では、「bowww(バウワウ)」です。鳴き声が、日本と英、米両国とで違うはずはないのですが、人間が言葉で表現すると、全く別になってしまうのは面白い現象ですね。

ところで、スズメの鳴き声を、「チュンチュン」と思っている人は多いでしょう。しかし、鎌倉時代の辞書「名語記」には、「すずめのなく、しうしう」と記されています。江戸時代の俳諧書「風俗文選」には、「からすのかあかあと鳴きくらし、すずめのちいちいと同じ事さへづるに」と、また別の表現になっています。

大正時代に作られた唱歌「すずめの学校」では、「ちいちいぱっぱ、ちいぱっぱ、すずめの学校の先生は、むちをふりふりちいぱっぱ」ですね。

国立国語研究所が1955年ごろ行った方言調査では、関東、中部、四国、九州では「チューチュー」が使われており、「チュンチュン」と表現するのは近畿を中心とした地域だけでした。この近畿流がほかの地域に広がったのは、ネズミの鳴き声と同じ音になるのを避けた結果かもしれません。

何気なく使っている擬声語ですが、定着するまでにはこうした道のりがあったのですね<。

さてさて、筆者がたずさわる連句では言葉がいかに本来の意味とすれ違っているか、現実や事実からそれているか。すれ違うことやそれることを敢えて試みることを含めて、面白い問題があるそうだが他日にゆずる。(05/08/30)

 

『ピアノマン後日譚』158

イギリスの海岸で保護された「ピアノマン」がメディアを賑わせてから約四ヵ月になる。楽譜を小脇にかかえてスクッと立ち、心持ち首をかしげてこちらを窺っている。何かを訴えるというのではなく、ただここに自分が在るという感じに立ちつくす写真。なんとはなしに、人間の悲しい過去や暗部を秘めているような、印象的な写真である。

ピアノはプロ級の腕前、記憶喪失ということでニュースは世界に広がったが、身元はなかなか確かめられなかった。ところがこのたび、謎のピアノマンの身元が確認された。ドイツ南部の人口約50人の村に生まれた農家の長男、アンドレアスさん(20)だった。アンドレアスさんはインターネットが趣味で友人は少なかったそうだが、精神障害者の施設で働いた後、家族にパリに勉強に行くと告げたという。ピアノは弾けるがプロ級ではないとも、また同性愛者だとも付け加えられている。

アンドレアスさんが精神障害者のふりをして、イギリスの病院の医師らを欺いたとして多額の入院費の返還を求められる可能性があると報じられている。

「ピアノマン」のふりをしたのは芝居だったというのだ。果たしてどうだろう。彼のお父さんは否定しているのだが・・・。

ところで精神障害者のふりをして医者が騙せるのだろうか。逆に、「仮病」の「患者」に何ヵ月も治療をつづけてよいのだろうか。この辺のことはとんと分からない。

「うそ」を100回繰り返すと「ほんと」になるという西洋の俚諺がある。

それはともかくとして、「ピアノマン」について報道するときテレビはバックミュージックとして、効果音としてピアノ演奏が流されている。その効果があってか、「ピアノマン」の来歴は下手な小説よりもイマジネーションが掻き立てられる。メディアというものの姿、その恐ろしさや在り方が浮かび上がった今回の事件だが、「ピアノマン」のあのポーズのあの写真は「うそ」でなく「ほんと」だ。すでに彼アンドレアスさんは、「ピアノマン」なのである。(05/08/26)

 

『日暮PC(26)』157

8月19日。秋はさびしい。あまつさえ今年の秋はさびしい。連句はユーモア、諧謔を詠む文芸なのでギャップを感じてしまう。心にギャップを感じてしまう。

8月18日。夜間にこおろぎが鳴いている。ふと目覚めると枕もとから程近く、弱々しくすだく声が聴こえてくる。秋だなあ。ふたたび寝入って、明け方目が覚めるとこおろぎの声は聴こえなかった。

7月、哀しくて淋しくて愚かな出来事が発生した。それを「日にち」が癒してくれる。「日にち薬」とはよく言ったものだ。そしてこおろぎも癒してくれている。

8月17日。おお、記憶すべき9月11日。今年のこの日に衆議院選挙があるのだが、郵政民営化に反対した候補に、自民党執行部はさまざまな人物をぶっつけている。マスコミは「刺客」などと言っている。名前や顔の売れた女、インパクトのある女、テレビで露出した男などなど。

こうしたタレント候補は従来の参議院選挙には見られたが、衆議院でこれほど多くは初めてではないだろうか。マスコミはこれまた「小泉劇場」などとはやすが、肝心のマニフェストがお留守である。政治が面白おかしく語られるだけ。

ある意味でこれは恐ろしい現象だ。「めくらまし」の現象の裏側で、粛々と何かが進んでいるように思われてならない。

自民党は郵政民営化が争点の選挙としているが、国民投票ではないのだからそれは認めない。争点は政党が決めることでなく「選挙民」が決めることだと筆者は思う。

8月16日。T君の病状は快方に向かっていた。元気になってほしいものである。

8月15日。T君が体調をこわす。病状を見極めるため、家人が出かけなくてはならない。そんな事態のために、本来は16日の寺参りを14日に済ませた。やはり病状思わしくなく、きょう家人は出かけた。花火の夜だ。(05/08/20)

 

『日暮PC(25)』156

8月12日。きのう「舌先三寸」の例文を引いた。きょうは「口」について引いてみよう。

「口の幅が目の幅の二倍あるのは、莫迦の証拠である」。(JC・カリエール『珍説愚説辞典』「口が教えてくれるもの」「婦人観相学入門」より)

8月11日。郵政民営化法案という「踏み絵」で自民党内の対立構図を描き出そうとしている。それを「テレビ劇場」で上演しようとしている。

「舌先三寸ではどうにもまるめ込めぬ政治の縺れを歯でもってほどいてみせる方法」(A・ビアス『悪魔の辞典』「戦闘」より)

「郵政民営化」だけを争点にする選挙はない。筆者は認めない。外交も景気も年金も税金も・・・こちらこそが争点だろう。騙されてはならないと思う。

8月10日。衆議院が解散した。参議院で郵政民営化の法案が否決されたため、可決された衆議院が解散になってしまった。これは一体どういうことだろうか。総理は郵政民営化にやっきになっているが、それなら否決の参議院の解散をするのが筋ではないか。素人にはわからないことながら、ヘンテコリンな話である。

江戸の敵を長崎で、自爆解散などといわれているが、危険な人物が総理になったものだ。就任当初から筆者には危惧があった。威勢のよい単純なフレーズを発してフィーバーを起こしたものだが、あれは危うい潮流をつくると思っていた。

8月8日。「脾肉の嘆」という言葉がある。(蜀の○備が馬に乗って戦場に赴くことのない日がつづき、ももの肉が肥え太ったのを嘆いた故事から)功名を立てたり、力量を発揮したりする機会にめぐまれない無念さをいう。

息子はオートバイが好きだが、仕事が多忙のこと、その他の事情もあってオートバイから疎遠になっている。それでも朝早起きしてツーリングをしたいという夢を持っている、らしい。

ももの肉が肥え太ったかどうかはともかく、いささか無念であるのだろう。「桃尻」という言葉もある。馬ならぬオートバイの座席で、巧くドライビングポジションが取れるようお尻のケアも必要だよ。(05/08/12)

 

『日暮PC(24)』155

8月5日。少年期、筆者は悪にあこがれていた。悪事に走ることを夢見ていた。てのひらに余る大きな木製パイプを持って写真に収まり、カウボーイハットを被り、また空気銃でビンなどを撃ったこともある。極道ではなくマフィア。悪いことを仕出かして、しかるのちに丸い人間になってゆく。罪は悔いないが、償って老いを迎えるのだ。

しかし、もって生まれた性格は如何ともしがたい。格好だけしてみても悪事には染まらなかった。悪友もできなかった。それでも老いにある現在、償うことはあまりにも多い。償いは悪事にだけあるのではない。

8月3日。「さきたま連句大会」事務局から手紙がきて「まひまひの巻」が大賞とのこと。この巻は昨年のいまごろ当HPの「俳席」で巻いたものである。10名に近い連衆でまとまりにくい面があったが、逆に連衆それぞれが優れた付句を出してくれて出来栄えよい歌仙となった。

楽しむことを主体で巻いて、そのあと反古という連句作品はあまたある。が、筆者は現代連句として、文芸として芸術性の高いものを目指している。その年の十本の指に数えられるものを目指している。「楽楽連句」では各大会において何巻かの作品がそのレベルに達している。(当然ながらイマイチということもあるのだが・・・)

私たちの連句は現在の日本の、いわゆる「現代連句」の十本の指、遠慮して二十本の指に数えられる水準にあると「自負」できる。これは筆者の空威張りでなく入賞数などの数字が示しているし、連句協会の人たち数人も認めていることである。

自慢話は照れるが、ご存知ない方もいるので思い切って書いてみた。今回は「俳席」からははじめて受賞した。

8月1日。就寝するとき、左回りに体を三回ぐるぐると回転させる。しかるのち眠りにつく。そうすれば悪夢を見ないですむという。「異星」から送られてきた犬が人語をもって人間に伝えた。これは「犬」という洋画の内容からとった。筆者も就寝時に試みているが、あながち出鱈目とも思えない。(05/08/05)

 

『日暮PC(23)』154

7月30日。

ある貴婦人が聞いたとさ

これ見よがしな鍵穴に 耳押し当てて 中の話を

中にゃ二人のおしゃべり女 きままな噂にふけりたり

話題の種はこれいかに その貴婦人のことだった

一人の女がいったとさ「わたしの亭主の目から見りゃ あの人こそは覗き好き しかも酔狂な尻軽女」

もうそれ以上聞く耳もたず

憤然として即刻に耳を放していうことにゃ

口とがらせていうことにゃ

「嘘八百で 品性穢され

とても聞くには耐えられません」とさ

ゴピート・シェラニーの「立ち聞きする」という詩より。

来客あって暑中の洋間で話をする。埒のあかない話、道筋の入り口にも辿り着けない話でくたびれる。

7月27日。

きわだってみじめな

鉄板の上で 申し分なく焼かれ

有名たらんと欲した者をば見よ

満足なるか? なるほど 彼の焼き網は金めっき

そして身をよじる姿は高く賞賛される

ハサン・ブルブディの「有名な」という詩。

筆者も鉄板の上にいるのだろう。焼かれることになるだろう。女もまた鉄板の上にいて焼かれるのだろう。身をよじる姿は悲惨なはずである。「悲惨」は「賞賛」に値することだ。

7月25日。

呼吸の作業と縁を切り

全世界とも縁を切り

狂える競争一直線

終局まではひた走り

金色のゴールにつけば

そはなんと空穴ならむ

スクワトール・ジョーンズの「死んだ」という詩。

これが人生か。人生の結末か。(05/07/31)

 

『ヒヨドリ日記』153

7月22日。今朝、不明だった幼鳥の2羽が「チチチチ」と鳴いて筆者は目がさめた。裏庭だった。親鳥は下枝から枝に枝移りさせようと必死になって誘導する。枝移りの遣り方を教える、餌さを与えつつ。

7月21日。ヒヨドリの抱卵・孵化など観察ができないため、これまで予測的な書き込みだった。きょう朝の10時ころ、4羽が一斉に巣を飛び立った。

それからが大変だった。隣家に屋根の職人さんが来ていたし、2羽の親鳥が夕方の7時半頃まで幼鳥の飛翔訓練をさせた。地面や樹木の下枝をよろよろと枝移りする4羽を誘導した。その甲斐あって2羽の幼鳥は地上6メートルの電線まで飛べるようになったが、生育の遅れている2羽は行方がわからなくなってしまった。親鳥の涙ぐましいばかりの奮闘に心打たれた。夕闇、筆者も家人もくたくたに草臥れた。

7月20日。肉眼で確認したが、ヒナは大きな嘴をあけて餌さをねだる。生後7日〜10日くらいか。3羽。ことによると4羽かも。

7月18日。ヒナが育っている。2羽か3羽。親鳥の餌さを運ぶ回数が殖える。小さい鳴き声が洩れる。

7月17日。息子は「仲達」という名前の猫を飼っていたが、この春に死んでしまった。懇ろに火葬し葬儀し、遺骨の一部は家で守っているという。当時は何も手につかない憔悴の日を送ったが、その心の空洞が埋めがたく「アビ」を飼うことになったという。

故郷の両親の家に巣をかけたヒヨドリと、アビを飼いはじめた都会の息子と、鳥と獣で「鳥獣戯画」。「戯画」は、愚かにあたふたと生きている筆者家族が漫画チックなのであろう。

7月16日。ヒヨドリのヒナが誕生した。間違いない。親鳥が餌さを与えている。斜めから、しかもガラス窓越しに観察するので大変分かりにくいが親鳥の動作でそれと知れる。

話は変わるが、息子が「アビ」という猫を飼いはじめた。アビシニアンという家猫の一品種である。アビシニアンはアフリカのアビシニア高原、エチオピア高原が原産地といわれ、古代エジプトの壁画に描かれている猫とも。短毛で、一本の毛が色違いになっていて、毛先ほど色が濃い。

アビシニアンという品種から「アビ」と名付けたそうだ。茶系の体毛。生後六ヵ月、3キロ、♂。日本生まれなので、現在のところゲーズ語(古代エチオピア語)では話しかけていないという。(05/07/22)

 

『ヒヨドリ日記』152

7月15日。ヒヨドリの巣の近くにスズメがくると、ヒヨドリは追っ払う。抱卵中で神経質になっているせいかもしれない。今朝はドバトが屋根のあたりで「クッククック」とくぐもった声で鳴いていた。ヒヨドリがドバトを追っ払ったかどうか、筆者は朝の床にあって確認してない。

7月14日。

白と蒼をないまぜの日常 言葉

出し抜けに訪れる大いなる歓喜 だが

7月は残酷な月だ

ぎらぎらと輝く太陽と

階上から望む木の間隠れのみずうみと

1年のときの流れ そして

何があって 何がなかったのか 都会の片隅で

蒼ざめた7月 白く濁る7月

言葉は日常に戻れない。

「残酷な7月」というタイトルの詩だ。

ヒヨドリの鳴き声はいろいろある。それについて詳しく書く余裕がない。

7月13日。ヒヨドリは間違いなく抱卵している。母鳥とおぼしき鳥が四六時中巣にこもっていて、いちにちに数回父鳥らしきが訪れる。交代しているのではなく、母鳥に餌さを運んでくるようだ。電線やダイスギに止まってけたたましく鳴き、それから巣に駆けこむ。しかるのち飛び立ってゆく。ヤマボウシの葉が茂っていて詳しい巣の様子はわからないが。

ヒヨドリは元気だが、この「コラム」は二週間ほど休んでしまった。我慢できないほどではないが体の痛みと、すっきりしないアンニュイな心と・・・。

だがそんなことは昨日今日はじまったことではなく、半世紀ものお付き合いだ。それは詩を書くことで、俳諧の俳に遊ぶことで乗り越えてきたつもりである。それとは次元を異にした世俗的な事柄だが、そのことについてはいずれ書く機会もあろう。いまは心を鼓舞するため、ヒヨドリのけたたましい鳴き声を、びんやりと聴いていたい。ヒヨドリのかわいいヒナが生まれてほしい。(05/07/16)

 

『ヒヨドリ日記』151

6月30日。

「♪コキリコの竹は 七寸五分じゃ 長いは袖の かなかいじゃ マドのサンサは デデレコデン ハレのサンサも デデレコデン」の歌い出しで知られる「コキリコ節」は富山県民謡。その歌詞の三番は「♪向いの山に 鳴く鵯(ヒヨドリ)は 鳴いては下がり 鳴いては上がり 朝草刈りの 眼をさます 朝草刈りの 眼をさます」。

この歌詞を教えてくれたのは、富山県の山本兄である。6年ほどまえのことだろうか。この年の夏は、河童寓のカエデの株立ちにヒヨドリが巣をかけた。兄との文音のランニングコメントに添えてくれたのであった。

波状にとぶこの鳥の、飛び方が歌われている。群をなしてうるさく鳴き立てる鳥というイメージがあるようだが、たびたびの来訪と、のんびりしたコキリコ節によって筆者のお気に入りの鳥となった。

降りつづく雨。ヒヨドリはどうやら抱卵中らしい。

6月29日。ヒヨドリが帰ってきた。ときどき上空で鳴き声がして、もしやと思っていたが、巣から首をもたげる姿を目撃した。一羽がじっと巣を守っているようすで、卵を生んでいるか、それとも抱卵しているか。これで狭庭にヒヨドリが巣をかけたのは4回目。無事にヒナが誕生して巣立ってほしいもの。ともかく、ほっとする。

スズメ目ヒヨドリ科のヒヨドリは、アフリカ、東南アジア、インドなどに生息。14〜28センチの鳥。うち日本には、ヒヨドリ、シロガラシの2種で、寒冷地以外では移動せず一ヵ所に棲む。

この鳥は秋に群をなして山から人里に移る。青灰色の広い翼を羽ばたいては、体につける動作を繰り返して大きく波状を描いて飛ぶ。虫や木の実、花の蜜を食べる。鳴き声は「ひよ、ひよ」「ひいよ、ひいよ」。

因みに「ひよひよ」は弱々しく動くさま。幼稚のさま。赤ん坊。赤ん坊の衣服などにもいう。「ひよひよのうちは亭主にねだりよい」(柳樽初)。ヒヨドリに関係ないことながら・・・。

6月28日。ヒヨドリが河童寓の前庭のヤマボウシに巣をかけた。21日の当コラムに書いたのだが、心ひそかに期待していたように巣をかけたのである。ところがそれを知らない家人が巣篭もりのヒヨドリを驚かせてしまい、数時間は空の巣状態に。

巣の底部は白っぽいビニールを敷き、棒切れを組んで紐のようなもので形作っている。地上から3メートル、玄関の斜め前。ヒヨドリ〜カムバック!(05/07/01)

 

『日暮PC(22)』150

6月23日。フクロとかハコとか、カンとかビンとか、いわゆる容器が好きである。好きというよりも、捨てられないと言った方が正しいかもしれない。しゃれた菓子箱、形のおもしろい酒瓶、意匠のすてきなブリキの海苔函など。家人はデパートの紙袋、老舗のポリエチレン手提げ袋、そして菓子箱も。

再利用のためもあるが、ある種リスのような蒐集の「習い性」でもあるだろうか。動物も人類も、生命維持のための「収集本能」があるといわれる・・・。

「ハコ」といえば、「入れ子」「入籠」なる言葉がある。大きなものから小さなものへ、箱を順次に重ねて組み入れたものをいう。子どものころ、そんな「組み箱」のお気に入りを作ったことを思い出す。一番小さな箱のなかに何を入れたっけ?

6月21日。河童寓の隣家の軒端にツバメが巣をかけた。それは毎年のことであるが、子ツバメが鳴いてにぎやか。4羽のヒナが三角、四角に口を大きくあけ、親ツバメに餌さをねだっている。巣立ちが近いらしい。

ヒヨドリのペアが当寓の庭をしきりに訪れる。猫の額ほどながら前庭と裏庭があって、シラカシ、ヤマボウシ、カクレミノ、ダイスギ、カエデが植栽されているのだが、ピーヨ、ピーヨと鳴きつつ前庭から裏庭へ、あるいはその反対に飛び移る。門戸すれすれに、リビングの玻璃をかすめて仲良く飛翔する。鳴き声に張りがあって、喜びに満ちているようだ。

それに引き換え、しゃきっとしない筆者。心も身もしゃきっとしないこと、おびただしい。しかしながら、よくよく考えてみるとこの年齢で心も身も打てば響くように反応していたら、それはそれで神経がまいってしまう。悩みの種になってしまう。赤塚不二夫の「天才バカボン」のパパではないが、「これでいいのだ!これでいいのだ!」。

6月19日。歌仙の文音がはじまる。連句は数え切れないほど巻いたが、発句を作って捌くとき、あるいは脇句を付けて連衆として参加するとき、いささかながらも意気込みを覚える。それは小さな握りこぶしで、遥かなる未知の世界の、時空の扉をそっと叩くような・・・。

多くの場合、その握りこぶしは足掻きで終わるのだが、興行のはじめの、静謐ななかでの緊張感が持てるうちは連句をつづけて行こうと思っている。今日は大安。(05/06/25)

 

『孕み句』149

連句人はご存じのことと思うが、「孕み句」という言葉がある。「あらかじめ作っておく付句」のことで、「手帳俳諧」ともいう。連句は即興の文学であるので、その場で付けるのが正しい方法。しかし俳席などで付ける順番になっても案が浮かばず、流れが停滞して迷惑をかけることがある。そんなときのために、初心者はあらかじめ考案した付句を手帳に書き留めておく。

「常々目に見、耳に聞く事、是はよいはいかい(俳諧)と思ふ事を長い句と短い句にゆるりと案じて拵()ておくじゃ」(「俳諧仕様帳」)。と古人が書き残こす。

「孕み句」は主として長句・短句の二・三句セットをいうが、筆者の場合は単語と、それに付帯する語を手控えておく。ただそれだけなので厳密には「孕み句」の範疇には入らないかもしれないが、一旦は筆者の頭脳のなかで「その単語」にかかわるイメージが浮かんだので、その付句は孕み句といえるのではないか。

どんな単語を、どんな言葉を書き留めているかと問われれば、至極つまらないもの。日常何気なく浮かんだ言葉だとか、洋画を観ていて俳優がしゃべったセリフだとか、現代詩を読んでいて見慣れないがインパクトのある言葉とか・・・

たとえば、「モアイ像似」(の伯父さん)。「水パイプ」(マフィア・恋)。「両性具有」(恋の呼び出し)。「クスクス料理」(海外酒食)。「白亜紀の女」()。「花鳥の使」()。「逆引き人生」(述懐)。「Q熱リケッチャー」(病体)・・・特殊な素材、特殊なイメージなので付けるチャンスはまれだが、苦吟のときに救われることもある。

旧聞に属するが、とある男が列車に忘れ物をしてしまい、慌てて交番に届け出た。置き忘れた革鞄は後日届けられたのだが、鞄のなかにあった手帳のことで問題が発生。手帳にこまごまと書き込まれていた「謎めいた言葉」の数々、これは符丁ではないか、暗号ではないかと巡査に職務質問された。

男の身元がわかって犯罪やスパイ容疑は氷解したのであるが、この手帳の「謎めいた言葉」というのが「孕み句」だったという。終戦のちょっと前の出来事で、筆者の俳諧の先生が書いておられた。(05/06/17)

 

『日暮PC(21)』148

6月10日。「ジェネレーションY」なる若い世代が、あるいは読者層というべきものがあるそうだ。活字離れが進んで出版業界はここ何年かにわたって右肩下がりだが、一方でケータイやパソコンで小説やエッセーを読む若者中心の世代があるというのだ。

彼らの読むものは横書きで、むろんケータイ、パソコンを通して読むのだが、活字として出版もされている。ある作家の小説は合計で270万部も売り上げてベストセラーになった。出版元も従来の出版社でなく、新しい考え方なり方法なりをとっているらしい。

小説そのものの評価は即断できないし、ケータイやパソコンでの媒介手法がよいとも悪いともいえないが、「新しい革嚢」が誕生した時代であることは肝に銘じておくべきだ。連句界においては「古い革嚢」でよいのだが、新しい酒が求められていると筆者は思う。ハードでなくてソフトだろう。

6月6日。「全国連句いなみ大会」の事務局から筆者捌の県知事賞「鰤起しの巻」のふりがな、ルビを振ってほしいと「披露用の原稿」が送られてきた。7月3日の大会における、琵琶弾奏の正確さを期するためだ。

「雪吊」は「ゆきつり」でなく「ゆきづり」。「洗い髪」は「あらいかみ」でなく「あらいがみ」。「牡鹿」は「おしか」でなく「おじか」etc。声に出して弾き語りする、披露する立場にあれば神経を使うだろうなと、いまさらながら想像させられる。

薩摩琵琶で有名な寺本拳嶺氏が、歌仙「鰤起しの巻」の弾き語りをしてくれる。薩摩琵琶は剛直な音色によってあるときは激しく、またあるときは静謐にかき鳴らされ、心を揺り動かすといわれる。大会が盛況であるよう念じている。(「拝見したい」というメールをもらったが、7月3日の大会以降に当HPの「連句」「最近の受賞作品」に発表します。お楽しみに)

6月5日。セルバンテスの『ドン・キホーテ』が世に出てから今年で400年になる。ミュージカル「ラ・マンチャの男」の脚本を書いたのはD・ワッサーマン。そんな彼が「自分の台本で最も重要なセリフ」というのは、「騎士なんて300年も前からいない。それは事実なのだ」と諭されたドン・キホーテが鋭く切り返す言葉だ。「事実は真実の敵である」。

目に見えて容易に認識できるものより、理念が象るものの方が重大というわけだろう。詩歌に当てはめると「事実より詩的真実」ということだろうか。(05/06/11)

 

『日暮PC(20)』147

6月4日。「ずいずい ずっころばし ごまみそずい」、誰もが一度は口ずさんだことのある童謡だろう。歌は「ちゃつぼにおわれて とっぴんしゃん ぬけたら どんどこしょ」とつづく。江戸時代の「お茶壷道中」に関係があるらしい。5日には塩尻市の奈良井宿でお茶壷道中が再現されるという。だが、この「ずいずい」、お茶壷道中ではないという説もある。「篭目篭目」「あんたがたどこさ」「とおりゃんせ」とともに謎解きがさかんだ。

6月2日。「ガードレールに謎の金属片」というニュースが駆け巡っている。全国で1万数千箇所(3日現在)のガードレールに金属片が突きささり、当市でも95箇所が見つかっている。

金属片は長さ5センチから30数センチまでの先端が尖った三角形のもが多く、ガードレールのつなぎ目やボルトの取り付け部分から出ているケースがほとんど。事故車両のパーツだとか、暴走族のいたずらだとか取り沙汰されているが不明。国土交通省は調査委員会まで立ち上げ、謎はなぞを呼ぶ。

話はコロッと変わるのだが、バンパイア、つまり吸血鬼は血という流動食だけで生きているので、さらに高カロリーのため食の摂取が不規則になるので、犬歯が汚れたり歯茎が痒くなったり、差し歯やクラウン(金冠)が痛んだりする。

彼らに歯ブラシを使ってプラークを除去する習慣はなく、したがって階段の手すりなどにこすりつける。吸血鬼伝説が多い東欧の館のバルコニー、金属製の手すりに損傷が多いのはこれに起因するらしい。彼らのしわざなのだ。

週明けにもガードレールの損傷と金属片について、調査委員会に知らせようと思っている。

6月1日。5月28日に、いきなりパソコンが壊れる。HPの更新のため書き込んだ「コラム」をサーバに転送したところ、うんともすんとも音なし。強制終了・再起動をかけて別のページを転送したがダメで、ウェブ上でも見られなくなってしまう。そして、とどのつまりはパソコン本体も使用不能に陥る。すぐさまサポートセンターに預けて治療してもらい、きょうめでたく退院の運びとなった。

いかなる作業中に「禁断症状」が出たかが重要らしいが、あれこれ手を施してくれた末に初期設定にもどすことになった。PCクリニックも「問診」がモノをいうようだ。

病み上がりのパソコンは動作や様子が変わって戸惑うが、血の巡りの鈍いマシンだったのが、せっせ、さっさと仕事はこなせる。はかどる。見違えるようになった。奥方もよろず、こんな塩梅にリニューアルされるとよいのだが・・・。もっとも敵は敵で、殿方がこんな塩梅にリニューアルされることを願っているのかもしれない。(05/06/04)

 

『日暮PC。(19)』146

5月27日。「全国連句いなみ大会」で富山県知事賞をいただいた。これは最優秀賞であり、琵琶で演奏しながら歌仙「鰤起しの巻」の披露をしてくれるという。

井波の名刹・瑞泉寺には、1996年の国文祭と2000年の第2回「全国連句いなみ大会」の二回参加させてもらった。琵琶演奏による披露も伺ったが、このたび筆者の捌く歌仙がその栄誉に浴することになるとは想像だにしなかった。ありがたきしあわせだ。体調が悪くて参加できないのは残念だが、連衆の方が代役をつとめてくれる予定になっている。うれしいことである。

5月25日。レッサーパンダがスクッと立ち上がる。二本足で立って、あたかもポーズを取っているかのようだ。そんなかわいらしい画像がテレビを賑わせている。ニンゲンもある日スクッと立ち上がって、二足歩行になったのだろうが、今後も進化とともにさらなる「二足動物」が殖えるかもしれない。

「ピアノマン」も「レッサ−パンダ」も、素材の趣はキョクタンに違っていても、どちらもテレビ向き。謎解きのおもしろさ、姿形のかわいさで、ついつい観てしまう。が、その隙に世のなかで重大な事態が起き、変化が進んでいないだろうか?そんな危惧をいだくのである。心配性とも、ちと違う。うっかりすると、飛んだしっぺ返しを受けてきた世代なので―。

5月24日。「ピアノマン」がテレビを賑わせている。ところはイギリス、正装でずぶ濡れの若い男が発見され、どうやら記憶喪失らしいが、ピアノを弾かせるとプロ級の腕前だという。怯えたような顔の写真がテレビに流される。「謎の男の正体は?」と興味を煽るスタンスである。

かつて「記憶喪失」の人物を登場させた小説や映画があって、このテーマは人の心をひきつける。かの男の心の旅路、その行程はいかがだろうか。記憶喪失といわずとも、筆者にも「心の旅路」がある。誰にもあるかもしれない、傷んで辿れない記憶の旅路が・・・。(05/05/28)

 

『連句宇宙』145

連句とは何か。筆者にとって連句とは如何なるもので、それに如何に係わってきたか。そんな自問自答を折にふれて繰り返してきた。折にふれてといっても突発的にちょっと考えて、すぐさま放擲したようなありさまだが。

連句は森羅万象を表現するものというが、そう言ってみたところで要領を得ない。しかし小粒でも連句は殆どすべてを描ける「伸縮容器」であろうし、「特殊ツール」であろうと思う。描けていないことは逆に拙劣な作品と言えるかもしれない。

ある流派の連句人の多くは、日常的な素材やイメージの付合に終始している。例えば風景の句が付けられると、さらに地続きの風景がつく。人物が登場すると、さらにその周辺の人物や話題がつけられる。時代的には現代で、地理的には日本。過去も古典も外国もときには描かれるが、それも日常生活からの発想が多いのである。

筆者の考える連句は、あの世もこの世も自在に行き来し、日本のみならず世界各地が描かれ、時代の上り下りも難なくこなし、イメージが融通無碍に繋がってゆくもの。つながってゆくためには非日常の世界に日常的な世界を折り込んだり、「付合システム」を利かせたりして、木に竹を継ぐことがないようにするのである。

ある流派が「日常的な素材やイメージの付合に終始」と書いたが、それとても間違いではない。連句の意義・意味はいろいろあるのだから。一部肯定、二部否定、連句を捌いていてときどき「自己矛盾」に陥る。これでいいのか。われながら何を考えているのか。考えることと反対の方向に進んでいるではないかと。

しかしこれではならじと、おのれを取り戻す。これまで曖昧ではあるが築いてきた「わが連句観」を再確認する。

そもそも連句を巻くとは、そもそも連句とは。こんな命題がたやすく解けるわけはないが、次にキーワードをあげる。

筆者にとって連句を巻くとは「時空を超える」「言葉によるパフォーマンス」「三界お出入り自由」「アニミズム党員になる」「たよりにする如意棒」「片目で覗く凹凸レンズ」「苦しいときの卜占」「望遠鏡・顕微鏡」・・・・・

筆者にとって連句とは「精神安定剤にして精神洗浄剤」「精神リセット器」「意識・無意識への漂流」「言語によるビタミン剤」「参加型一瞬芸」・・・・・

そこで「付合システム」が鍵をにぎる。付合システムとは「蕉風理念」の「移り」「匂い」「響き」「位」の余情付けだ。前句の意味や内容にべったりと付けていては跳躍できいが、余情付けという「エア・クッション」によって世界が広がるのではないか。連句宇宙が描けるのではないか。ああ悩ましきは連句!(05/05/21)

 

『日暮PC。(18)』144

5月13日。きょうは13日の金曜日。緑の山にかこまれた美しいクリスタル・レイクでの惨劇。殺人鬼ジェイソン。ホラーの名作といわれる「13日の金曜日」という映画がある。

13日と金曜日が重なると、なぜ不吉なことが起きるのだろうか。キリストを裏切ったユダは13人目の弟子。またキリストが磔にされた日は金曜日だった。ただしバイブルには「吉・不吉」という概念はなく、輸入されて日本的な尾鰭がついたのか。

とまれこうまれ、筆者拙者の体調がよろしくない。朝から歯が痛い。きのうの歯科大での治療が起因だろうか、歯がずきずき疼く。50キロほど運転しただけで肩ががくがく、こちらも疼く。「行動」はきのうのことだが、結果はきょう、すなわち13日の金曜日だ。

さらにこの日、芳しくないことが勃発するのか。来るならば、来てみるがよい。ちょっとやそっとの痛みには負けないぞ。なんて強がって・・・。

5月9日。いまさらながら、表現者にとって「仮名」は有り難いものである。漢字は「真名」(まな)ともいうが、漢字にかわる「仮の文字」として「仮名」(かな)と称されている。

仮名には平仮名とカタカナがあるが、平仮名の「あ」は「安」、「い」は「以」の変化したもので、そもそも草書の漢字の崩し書きをもとに作られた。他方、カタカナは漢字の「へん」を略したもので「ア」は「阿」の「こざとへん」、「イ」は「伊」の「にんべん」がもとになっているといわれる。

ところである俳誌に、「ある言葉」に対して漢字表記がいいか、平仮名表記がいいか、ということが書かれていた。作句意図で、「ここは仮名」という以外はなるべく漢字を使用するのがよいという主旨だった。なるほど一般的にはそうかもしれない。そうかもしれないが、そんなことまで結社が会員に教示するのかと驚いた。

漢字表記か仮名表記かは詩歌を詠むものにとって重要な事柄で、表現の訴求性、文学性に係わることと思われる。表現者みずからが考えることで、結社や主宰が決めることではないのでは。

因みに久保田万太郎は平仮名を多用した。ホワッと柔らかく抒情的な俳句が多い。平仮名にすることが、万太郎の一つの表現手法だったのだろう。革新的な俳句には漢字にカタカナ混じりもある。言語は意味を超える、わけても短詩形においては。(05/05/13)

 

『漠然たる不安』143

この頃ときどき、ド忘れする。旧知の顔を思い浮かべても、名前がとんと出てこない。記憶力がいささか曖昧に、ものごと慌てると誤認識し、目が悪くなったせいか文字を見誤る。なんとなく自信がもてず、近い将来に痴呆になるのではという不安にかられる。「痴呆症」(認知症)は痴呆になったことを自覚できないから、ほんに嫌いな病気。病気に好き嫌いはいえないのだが・・・。

漠然たる不安。芥川龍之介は将来に対する漠然とした不安から自殺したという批評家がいたが、「漠然」はある意味で死の恐怖の深いところを衝いた言葉かもしれない。

A・ビアスは『悪魔の辞典』で、「幽霊は内心の恐怖の外に現れた、目に見えるしるし」と述べている。そして、ジェイリッド・マクファスターの次のようの詩を掲げている。

彼は幽霊を見たり

その恐ろしきもの!

塞ぎいたり 彼の辿る道をば

足とめて 逃げ出す隙もあらばこそ

地震起こりて

幽霊見し目をもてあそびぬ

早起きの善人の倒れるがごと

彼は転びたり

されどかの恐ろしき幻は動くことなし

立ちしままなり

己が視界は踊りし星々を

彼が夢中になりて打ち払えば

こはいかに

見えしもの柱なり   以上

ドイツの詩人ハイネは、幽霊の異常な行動を説明して、幽霊もわれわれが彼らを恐れると同じように、われわれを恐れているという意味の誰かの独創的な説をあげている。

ところで筆者が幽霊を見たというわけではないが、夢はよく見る。その夢は、難所に遭遇してもがき、あがくというものが多い。まさに、「その恐ろしきもの、塞ぎいたり、彼の辿る道をば」という感じなのだ。筆者は漠然たる不安は確かに抱えているのだが、死の恐怖なるものは、さしてない。

「鬼籍」は異界への「出生届」であろうと思う。あの世という世が在ることに疑問はさしはさまない。(05/05/07)

 

『日暮PC。(17)』142

4月28日。「アーモンド」という言葉が、喉のあたりにつかえていて出てこない。リスではないが筆者もときどき食する木の実だが、この名称が浮かんでこない。「あれを食べよう、ピーナッツ、ココナッツ、ナタデココ・・・」。家人もあきれ、すわ認知症かと慌てる。そこでなんとか覚えようと、「あー主水!」→「あーもんど」(「有明の酒屋の主水=もんど」のイメージ)と吾が記憶装置にセットする。これで現在のところなんとかOKだ。

右、左を認識するのにも一瞬、あるいは「二瞬」遅れる。これは今始まったことでなく、物心ついた頃から。「箸をもつ手が右」と覚えないと戸惑ってしまう。言ってみれば右という概念を具象化して認識する。なんちゃって、簡潔にいうならばオバカなのだ。今日はくだらないことを書いてしまった。

4月24日。朝刊に目を通すと、「ウイルスバスターに不具合」という大見出し。トレンドマイクロ社の配布したソフトによって何万件ものPCが接続不能になった。恐る恐る筆者のPCを立ち上げてみる。例によって動作緩慢だが辛うじてセーフ。ひとまず安堵。

コンピューターのウイルス対策のため、3年ほど前から「ウイルスバスター」を使っている。小さいながらHPをもっているので、訪問者に迷惑をかけてはならず、効果があるならと購入し継続。

それが製品テストや検査の甘さで、ユーザーをトラブルに巻き込むソフトを配布したとは何事か。ワクチンどころか、トレンドマイクロ社が毒薬を送りつけてきたと言っても差し支えない。わがPCは無事だったとはいえ、憤懣やるかたない。

4月23日。この日姪っこが結婚した。筆者は「晴れの日の佇みにあれ花明り」という祝吟を贈った。家人は「よき人を得て花馬酔木鈴をふれ」の祝吟を添えた。幼稚園、小学生時代にはよく遊んでやったもの。それを現在でも覚えていて添書きをくれた。甥っこ姪っこは大勢いるが、上の子達はそろそろ50歳。筆者自身の年齢はさておき、いまさらながら驚愕。なんだか浦島太郎の心境である。

4月21日。手短なところで花見をする。車を20分走らせると「水月公園」という桜の名所があり、一目千本とはゆかず100本くらい、天然記念物の優れた大木があるわけでもはない。だが、花色が大変にきれい。高台なので青い諏訪湖をバックに眺められる。公園までの142号線の桜のトンネルもすばらしい。

「高遠城址」もよいのだが混雑するので敬遠し、ここだけ一回見物すれば堪能する。花より団子()というが、車なので団子はよくても酒はいただけず、家人と花を賞翫して帰る。(05/04/29)

 

『日暮PC。(16)』141

4月20日。「聖霊よ来りたまえ」の歌をラテン語で歌いながら、システィーナ礼拝堂へ行列して進む。ヨハネ・パウロ2世の死去にともなう、次期ローマ法王のコンクラーべ(選出会議)が行われた。投票権をもつ80歳未満の115名の枢機卿によって投票される。無署名でなお且つ筆跡がわからないように、また3分の2を超える得票者が出るまで繰り返されるシステムだ。

ミケランジェロの『最後の審判』で有名な礼拝堂、そこは外部からアクセス不可能の「密室」なのだが、神の御許にあるのだから不正なんぞ想像だにできない―。

ここで話は変わるのだが、連句協会もこんな感じに役員を選んでもらえないか。現役員の息のかかった者が次期役員になりがち。いやいや不正があるというのではないが、格調高く聖霊に見守られながら選出してほしい。そして煙突から白い煙を出してほしい。

4月18日。都下渋谷でいま、方言がナウい。小娘たちの間で熊本や名古屋、大阪や北海道の方言が使われている。熊本や名古屋の出身でもないのに、「ばってん」「みやー、みやー」と会話に取り込むのがおしゃれ。ケータイでもやりとりする。各地の方言を蒐集して方言「豆字典」を作った女高生もいるらしい。

「うっつかる」は当地の方言だが、ご存じだろうか?「マロニエの幹にうっつかって詩想にふける」「貴男にうっつかっているだけで幸せ」。息子の嫁さんはこの言葉がおかしいらしくて息子に訊ね、息子が「翻訳」する。肉体をもって「凭れかかる」という意味。動詞。息子はソファーに凭れかかり、嫁さんは息子に凭れかかって、「これが、うっつかる、よね」と言ったような気もする。なんせ酒を呑んでいたので筆者の記憶もあいまいだが。

ついでにいうと、「飛びっくら」は「駆け競べ」「競走」のこと。「200メートル飛びっくら」などと使う。「飛びっくら」は「飛び飛びに建つ蔵か」と、他県人から質問された。とまれ方言は貴重品で、標準語をよそよそしくさせる異化効果がある。連句でもなるたけ使いたい。使い方によって言葉は多義性をもつ、いわば言葉の土壌がでんぐり返しされ「畑打ち」される。活性化される。シブヤのギャルに賛成したい。

4月17日。「日暮PC」は兼好法師『徒然草』の冒頭の「つれづれなるままに日暮硯に向かひて」によるが、日記のようなものブログのようなもの。が、ブログや日記では物足りなくてつけた。

ネットをのぞくと、前言はつくが先行ページもあるので、「日暮PC。」と「。」をつけておく。「モーニング娘。」「。」に習ったのである。因みに「ドラえもん」も、「ドラ」はカタカナ、「えもん」が平仮名でないと正式名称にはならない。

コラムの、いわばサブタイトル。何でもよろしいのだが、書けるときは一つのテーマで書き、書けないときは「日暮PC。」。つれづれの戯言、ziziの私生活、退屈のときは遠慮なさらず、ウインドーを閉じてくだされ。(05/04/21)

 

『日暮PC(15)』140

4月11日。庭のツバキが八分咲きで、大変きれいだ。30余年以前に、エンピツほどの苗木を横浜の坂田種苗から取り寄せて植えたもの。生育は遅いようだが、それでも樹高3メートルに。単色ピンクとピンク系の混じり、単色の赤と白の咲き分け、大ぶりながら上品な花容で気に入っている。

ほとんど毎朝、ヒヨドリのペアが訪れて花芯を突く。蜜を舐めている。あの図体では物足りない量の蜜しかないと思うのだが。

4月13日。当ホームページ「河童文学館」が20000ヒット。ちょうどこのとき、偶然にも覗いていた。「2」と「0」が四つ並んで、何となくすっきりした気分。みなさんご訪問ありがとう。これからも頑張りますので、よろしくお願いします。

4月14日。中国で反日デモが起きている。日本大使館に投石し、日本関係の企業やレストランのガラスが割られた。熱血それ自体はわるいことではないが暴挙・暴動はいただけない。中国人、韓国人、ブラジル人は頭に血がのぼりやすく、わけても中国人は凄まじい。

反日デモは学生が主体とされるが、共産主義政権への不満をそらすために行われた江沢民時代の「反日教育」のタネが実をむすんで、バランスの悪い思想形成をもたらした。自由で柔軟な考え方、個々人から発せられる民主主義的な考え方の「主軸台」を持ち得ない者たちが、民族の昂揚しやすい性格と相俟ってわれを忘れて行動する。それが次第にエスカレート。

中国側はこの暴挙の原因は日本にあるとの言い分で、警官や機動隊に見て見ぬふりをさせる。一方で日本は、冷静な対応をと言いながら静観を決めこむ。中国は偏向的政治の残滓を引きずっていて、というよりも政治が劣悪で未だ近代国家の体をなしていない。他国の大使館への暴挙にも謝罪せず、これでは世界に相手にされなくなる。

同時に日本も戦争責任や教科書問題など対応が拙劣で、これからも靖国参拝、竹島、常任理事国入り問題など大変だ。

血の気の多い民族と、なあなあ対応の国と―。たとえ日本が譲ってみたところで、中国はカサにかかって粗暴に昂揚するに違いない。つまるところ筆者私見では、これは今後50年も100年もつづくだろう。国民の多くが代替わりして感情が希釈され、やっと、はじめて明るい兆があらわれか?

4月16日。南安曇郡豊科町の犀川ダム湖に、まだ200羽の白鳥が留まっている。540羽が飛来して越冬、2月中旬にはシベリア方面に帰るはずなのに。水温の低さが原因と取り沙汰されているが、果たしてどうだろう。本当のところは白鳥に聞くしかないが、餌付けもあって居心地よいのかもしれない。(05/04/16)

 

『日暮PC(14)』139

4月4日。筆者の俳号の「硯水」(けんすい)のいわれを、ときどき訊ねられる。何気なしに訊ねたのだろうし、エピソードがある訳でもないので、ちゃんと答えていないような気もする。もとより、どちらでもよろしい事柄だが・・・。

硯水の漢字をばらした「石」「見」「水」という三つの言葉が好きだった。石の無機質な悠久のイメージ、水の流れと生命を培うイメージ、それを生きとし生けるものである己が見ている。また水石とか石庭に興味を持ったこともある。坐禅に憧れて、この三つの語から連想をひろげたこともあった。

「硯」(すずり)という言葉があっても、知る人ぞ知る悪筆の筆者なので、「書を嗜まれるのですか?」という質問は受けたことはない。硯水と号したのは13歳頃からだったと記憶する。14歳のときに新聞の俳壇にこの号で俳句が載っている。

硯水は「すずりの水」のことであるが同時に「けんずい」の読みもあって、上方語で「定まった食事時以外の飲食。とくに昼食と夕食の間の飲食。おやつ」をいう。また大工の隠語で「酒」のことでもあるそうな。『物類称呼』にもちゃんと出ている。「間水」「建水」の字もあって「間食」(けんしい)の訛とされる。

じつは硯水が「酒」「おやつ」であることを知ったのは比較的最近のこと。詩人の塩原経央氏が「硯水さんはお酒からつけたのでしょか?」と手紙をくれ、教えてくれた。自分のことなのにとんと知りもせず―。それからしばらくは「今宵は硯水をかたむけよう」とか、「お三時であるぞ、さあ硯水だ」と悦に入っていた。

4月8日。「おーいお茶」の伊藤園から貴殿の俳句が二次予選に通過した。ついては自作か未発表か、氏名や年齢の確認などしたいと。確認作業は以前に入賞したときもあったので、むろん自作で未発表であるのだが、にわかに心配になる。俳句のような「短詩」はだれかがどこかで既に発表しているかもしれず。類句があるかもしれず。盗作は恥ずかしいので心配になるのだが、これは心配しても仕方がないことだろう。なお俳句はいまここで発表できない。入るか落ちるかしたら発表するかも。

4月10日。朝方、目がくらくらして、陽炎のようなものが動きまわる。POに通電したが揺れていてよく見えない。メールの返事も滞っているし・・・。しかし目が駄目では話にならない。脳はどうだろうかと「あいうえお」を言ってみたり、二大国の大統領の名前、ことはついでと英国の首相の名前を言ってみたり、いずれも正解。狂ってはいないらしい。が、しばらくは伏せっていた。一時間ほどしたら、嘘のようにスッと治った。以前にもこんなこと、あったなあ。(05/04/11)

 

『日暮PC(13)』138

3月27日。ひねもすパソコンに向かっているわけではないが、ヒマができたので何気なしに検索する。ところが思いがけない「邂逅」となった。筆者の詩集『器』が古書店で売られていたのである。思潮社、1968年12月25日初版発行。贈呈署名、少々痛み。1500円。NET古書の赤羽耕心舎、というもの。

30余年以前、思潮社の「現代詩手帳賞」を受賞したのち500部発行され一部は商業ベースにのり、200部は著者負担になった。買取分は新聞や雑誌の文芸部、詩に関心をもつ作家たち、知り合いの詩人たちに贈呈。手元に10冊くらい残っただろうか。それは、そのまま忘れてしまっていた。

4年ほどまえのこと、歌手の上條恒彦氏が筆者の「森では」(当HPの「詩」のコンテンツに掲載中)という詩を新聞で読んで、詩集がいただけないだろうかと手紙がきた。上條氏は「森では」の傾向の詩なら曲をつけて歌ってみたいと考えられたようだが、筆者のその他の詩はとても「歌うこと」には向かない。それはともあれ、わが「書庫」を探してみると残部が少々。そこで上條氏と、当時参加していた詩誌「エウメニデス」代表の小島きみ子氏に差し上げた。

ネットの古書店に流れたものは、30余年前に筆者が署名してどなたかに贈呈したものらしいが、それが「少々痛み」はあっても健在であったことに驚きを禁じえない。定価は900円、600円のプレミアムがついたのも、ええじゃないか。

3月30日。連句(文音)が満尾する。進行中一部は手直しするが、一応巻き上がったものを「満尾稿」と筆者はいっている。以後が捌のほんとうの仕事になる。

日時をおいて、ときどき眺める。作品から離れることで自分のなかに第三者の目が育まれ、他者の目をもって眺められるようになる。初案のままに措きたいのはやまやまだが、全体の足をひっぱる付句があってはならず、レベルの高みを目指すことは文芸の使命。「校合」したり、ふたたび初案に戻したりと繰り返す。イメージが去来し、やがてじょじょに収斂してゆく。熟成を待つ。そして「定稿」となるのである。

すべてが終わると、またぞろ、懲りもせず連句をはじめてしまう。これって「連句依存症」かもしれない。

4月1日。きょうは何の日?きょうはプロ野球のセントラル・リーグの開幕日。応援するチーム(横浜ベイスターズ)があって「セ」には興味がある。それはともかく今日、筆者にも幸運の女神がほほ笑んでくれて、「ジャンボ宝くじ」が当たった。新聞で番号を確かめたら1000万円が当選。むろん生まれてはじめてのことだ。「やったぞ!」。(05/04/01)

 

『日暮PC(12)』137

3月20日。つい最近のことだが、山形県新庄市に電話して「全国連句新庄大会」開催の可否を伺った。いずこの市町村も同じだろうが財政難が伝えられていたので。幸いにも開催にむけて準備しておられるそうでほっとした。

連句の活動は地味でマイナーなもの、募集や大会や作品集など手数のかかるもの、それでいて門外漢からは「費用対効果」(こんな尺度が巾を利かせている)などゼロに等しいと見られる。石川県の「津幡大会」が中止になってしまったが、自治体主催でなくても不景気で尻込みするところがあり、合併や不況は連句の敵である。

3月23日。いま話題の企業買収のなかで、「パックマン」なる言葉が出てくる。それはさておき、ナムコのアクションゲームのファミコンミニ「パックマン」は口が大きく、一見おとぼけ蛙にみえる。なんでも「走る」「飛ぶ」「撃つ」のシンプルな行動ながら、性格の違う4匹のモンスターを交わしつつ、迷路内のエサを食べつくす。ピンチになったらパワーエサで一発逆転。単純だが奥が深く、世界中のファンを熱狂の渦に巻きこんだ。

ところで「妖界」には「二口女」がいる。頭の後ろに、もう一つの口がある女だ。継子を憎んで食べ物をあたえずに殺したとき、二口女が生まれる。

「あるけちな男が、飯をあまり食わない女房を求めていると、そのとおりの女が来て夫婦になったが、食わぬにしては米が減る。おかしいと思って男はある日出かけるふりをしてこっそり天井に上がって中のようすをうかがった。すると、女房の頭にはパックリと口があいていて、にぎり飯をポイポイほうりこんでいた」(水木しげる著『日本妖怪大全』)

企業買収のパックマン、政界のパックマン。権力や金銭の力学を利した、さまざまなパックマンがいる。その亜流もいる。それら巷のパックマンは「何食わぬ顔」をしているのが相場だ。ちかごろの恐怖の正体はまことにもって複雑奇怪。

3月24日。書きわすれたが、「食」とは、ある天体が背後にある他の天体を隠す現象。日食、月食のほかに、星食、惑星による衛星の食、連星における主星と伴星の食などもいう。

宇宙でもソフトバンクやジミントウみたいに、「パワーエサ」をパクパクと食べているのだろう。勝ち進む健康体は、ほんに「食が進む」ことよ。(05/03/26)

 

『日暮PC(11)』136

3月14日。宮芳平という画家がいる。亡くなったから「いた」というべきでだろうが。新潟に生まれ育ち、諏訪の地で半世紀にわたって過ごした。作品数は2600点に及ぶという。芳平の代表作に『椿』があり、縦が2メートルの大作で東京美術学校在学中に描いたもの、90年も以前の作品だ。展覧会に出品したが落選したのであった。

ところで芳平と親交のあった森鴎外は、芳平を主人公にして『天寵(てんちょう)』を書き、その冒頭に『椿』のことが登場する。じつは『椿』は長い間ゆくえがわからず幻の作品だったが芳平没後に発見され、修復されて9年前から一般公開されている。

宮芳平は美術の教職にあったのだが、諏訪高女で教鞭をとっている折、筆者の母親が生徒であった。そんな関係で芳平が職を退いてから、それも相当な年月を経てから芳平の訪問をうけた。それは氏が洋画のほかに「校誌」に現代詩を掲載し、筆者が詩を書いていることを知って訪れたものだった。氏と筆者の年齢差は40歳くらい、内容は全く思い出せないが話がはずんだ記憶がある。

芳平の絵は、北アルプスの山並みを望む安曇野の「豊科近代美術館」に収蔵されている。見に行こうと思いつつ果たせないでいる。

3月16日。そのかみ、人間の移動や情報の手立ては歩くことによった。乗馬や駕籠、飛脚や瓦版もあった。やがて汽車や自動車や飛行機に、郵便や電報や電話、新聞やラジオやテレビになった。最近では有人ロケットやインターネットなど。まことにもって速い、速い。速いから、地球も宇宙も小さくなってしまった。

ラジオが主流でなくなったように、テレビも追い追い主流の座を明け渡す。電報が主流でなくなったように、郵便も座を奪われていくだろう。インターネットを含むIT産業は幕が明けたばかりで、無限の広がりを見せる予感がする。テレビも今後10年くらいは辛うじて主流を保ちつづけるが、ITの技術を仰がねば凋落も早かろう。そう、テレビとITの「融合」ですね、キーワードは。

「インターネット&テレレンジ」なるものがありまして・・・「スイッチ」など押さなくても近寄るだけで個々人の朝の体温を感知して「通電」し、いまでいう「チン」すれば、馥郁たるコーヒーの香り、焼き立てトーストや温泉卵が飛び出してくる。オプションでスクランブルエッグでも可。むろんテレビはお仕着せでなく、こちら視聴者の観たいものが観られる。前以って「テレクリニック」で受診すればお薬と白湯も出てくる、近未来は。・・・これが「双方向性」というITの売りであるのだ。

ニッポン放送やフジテレビといわず、どこも経営陣は古色蒼然。シルバーシートの返礼で、若手に席を譲るのもいいじゃない。この国、閉塞感に覆われているもん。(05/03/19)

 

『日暮PC(10)』135

3月5日。啓蟄。日記で確かめてみると啓蟄の日に、家のなかでよく虫をみつける。ここ3年、遡ればもっと何年かにわたって啓蟄の日に虫をみたような記憶がある。愚庵は寒冷地にあるので、3月はじめは寒いのであるが。

昨年は蜘蛛だった。体の柔らかそうなグレーの蜘蛛で、スローモーション映像のような動きであったので、広告のチラシに乗せて「外出」させた。今年はよもや虫をみつけることはあるまい、絶対あるまい、なんせ朝はマイナス8度だもんな。だが、やっぱり、蚊が舞っていた。コタツで朝刊を読んでいたら「ぶーん」と羽音、コタツ板にとまった姿はまさしく蚊。「刺さない蚊」であった。本能的に季節を感じる「虫」の凄さか、はたまたマーフィーの法則のたぐいか。

3月7日。こんなお噺が伝わる。そのむかし壱岐の島は鬼が島とよばれ、四万の鬼どもが人びとを苦しめた。そこで都は、百合若大臣に二万の兵を授けて鬼の討伐をさせたそうな。

百合若は壱岐にわたり、鬼どもを相手に大奮戦してほとんどの鬼を退治。しかし鬼の大将の百毒王は生き残り、百合若と百毒王の一騎討ちとなったのじゃよ。

百毒王は金棒を振りまわしたが、百合若は持ち前の腕力で百毒王の首を打ちおとした。・・・

筆者の俳諧の友が壱岐に旅をされ、風土記の丘におけるガイドの言葉を伝えてくれた。「壱岐の島には鬼が棲んでいたという横穴(古墳)が200もある」。さらに以下の『鬼伝説』も送信してくれた。

「鬼は村人に悪事の限りを働いていたところ・・・勇壮な「百合若大臣」が退治してくれました。鬼たちはこころから改悛し『どうかこのままこの島に棲まわせてください』と大粒の涙を流して泣いた。

あわれに思った神様が鬼たちを『雲丹』に化身させて島の磯辺に棲む事をお許しになったが、戒めの意味で雲丹の殻はあくまでも醜い姿にし、中身は鬼が流した涙のような美しい色のお造りになったのだ」と。

鬼は首だけになっても生きているそうで、「四万の鬼の討伐」の後日譚のような伝説であった。しかしながら雲丹に化身せられ、その涙が美しい色のお造りになったというのは哀れをさそう。神のご慈悲、鬼のあわれと、物語して残す人のあわれと。・・・(05/03/12)

 

『日暮PC()』134

3月3日。雛まつり。鳥づくしスワンスワンの付句に「歌羅頻伽」なる言葉を使った句をいただいた。別の連衆から「読み方がわからない。迦陵頻伽と同一の鳥なのでしょうか?」という質問を受けた。

「からびんが」とよむ。迦陵頻伽(かりょうびんが)と同じ鳥。サンスクリット語「kalavinka」を音訳して10余の呼称があり、このうち広辞苑には迦陵頻伽のほか、歌羅頻伽、迦鳥、頻伽鳥、頻伽、迦陵頻が収載されている。とお答えした。

この鳥は仏教で雪山または極楽にいるという想像上の鳥、妙なる鳴き声をもつとされる。ヒマラヤ山脈に棲む薮鶯に似た小鳥で卵のうちから美しい声を発し、やがて上半身は美女に下半身は鳥の姿のまま飛翔する。

連句的に述べれば、広辞苑に載っていれば言葉として立派に市民権がある。たとえ載っていなくても是非とも使用したい言葉は注釈をつけて使う。心情的に述べれば筆者、拙者、こんな美しい鳥に出会えるなら試しに死んでみるのもよい。もっとも極楽に行けず、地獄に落ちるかもしれぬが・・・。

3月5日。作田教子さんが『耳の語法』という詩集を出版した。『境界からの光、声、そして文字へ』につづく第三詩集である。おめでとうと申し上げたい。倉橋健一さんの書いている栞の、作田詩は「心理詩」であるという捉え方に同感できる。言い得ている。

倉橋さん読み解きのなかに「既視(デジヤ・ヴェ)現象」という言葉が出てくるが、作田さんの詩には確かに視聴覚の部面で「あるもの」と「ないもの」の両面を見聞きしているところがある。

詩人の五感(五官)があって感じ取る力と、自分の外側に存在するであろう世界が等しいレベル、あるいは濃密なレベルで連結できる。自(人間)と他(外界)とつなぐ融通無碍な通路があるのではなかろうか。(自分があることで外側があり、自分がなければ外側もまたない。という唯識の考え方)。彼女の詩にはそんな融通無碍な「ビザ」があるように思われるのだ。

「息が吹き込まれる/おとになる/あなたの息は映しだされ/あなたの内側を透かすための/骨は鏡になる/腐乱していく肉の底で/刃にもなれる/切り立った骨を/あなたに開示する」。

「わたしのただひとつの武器/わたしのただひとつの火//の鏡に/映しだされる/刻まれた音符」。『鏡のおと』後半部分。

帯の前半部分は省略するが、心身を打楽器のように捉え、また鏡に映し出している。「骨笛」という造語もある。明らかに「わたし」と吊り合う「外側」とが表裏一体をなす。そんなところに作田詩のおもしろさが読み取れるのだ。(05/03/05)

 

『日暮PC()』133

2月20日。きょうは「河童文学館」というHPを立ち上げて丸3年になる。カウンターボックスを覗くと、合計18703のヒットが数えられる。俳句、連句、現代詩などのコンテンツのHPでは多いほうだと友人が励ましてくれた。

初年度は3000余だったことを思うと、お客さんの数はうなぎ上り。ヒット多発でも管理人のフトコロは温かくならないがココロは温かくなる。大いに励みになる。みなさんのお陰である。

筆者にとってHPとはいったいなんだろう。詩歌や連句は一般人からみれば趣味だろうが、筆者の場合は趣味の範疇に入れることには違和感がある。筆者の生きている証のメッセージであり「皮膚感覚」のようなもの、良くも悪くも馴染んでしまっている。途切れたときは「不在」ということだ。不在には「ハード不在」も「ソフト不在」もあるが・・・。

とまれこうまれ通過点、がんばって更新してゆきたい。

2月23日。郵便の到着が少なくなった。ダイレクトメールをふくめて、愚庵への郵便受けの総量が年年減っている。それに引き換え民間の宅配便は多くなり、雑誌や贈呈本などは郵便公社に取って代わった感がある。メールの普及で手紙離れも著しい。

2月24日。電話の使用料はこれまで日本テレコムに支払ってきたが、このたび基本料もNTTからテレコムに移動。他社の値下げ攻勢にNTTも値下げしたが、それでも愚庵の場合テレコムのほうが安い。細かいことに拘るわけではないが、これまでに値下げ出来たものを「独占」時代は放置し、また親方日の丸的なところも好きになれない。(経営方針も改善されてはきたが)。利用者のためを考えていない部面があると言わざるをえない。

2月25日。サプリメントが好きだ。といっても筆者ではなく、家人が、である。「コエンザイムQ10」という、侍がおどけて奇声を発したような呼称のシロモノがその一。何でも、ほとんどすべての細胞に存在して、生命活動に不可欠のエネルギー産土に欠かせない成分があるといわれる。

製薬会社や茶園や化粧品会社など、あまたの企業がマーケットに参加。これを服用していれば近未来、ニンゲンは死なないともいう。そんなサプリメントがあるだろうかと疑いつつ、筆者はせっせとそれを呑んでいる。(05/02/26)

 

『日暮PC()』132

2月14日。バレンタイン。諏訪湖の諏訪市寄りに初島という小さな島があり、ここに「イルミネーション・フォー・ラバーズ」というバレンタインの電飾が飾られた。円錐形の大小二つのハートで彩られる。テレビやネットではバレンタインが喧伝されるが、当市では宣伝などほとんど見かけない。今年はじめての試みという。

この日筆者はチョコレートのプレゼントを受けた。わが「青の時代」はバレンタインの行事はなく、従ってチョコのプレゼントは初めてではないにしても面映ゆい。何となくきまりがわるい。とまれ、エキゾチックなブランデーと林檎の香りが美味だった。

事の序でにつらつら思うのだが、クリスマスは電飾のツリーやジングルベル、Xマスカードなどおしゃれで絵になる。詩になる。そこにゆくとお寺さまは手をこまねいていまいか。お盆は絶好のチャンスなのに。「迎え盆前夜」(別称「ルーツ・イブ」)、「般若心経一味箋」(「ハラミタ・カード」)、「仏舎利大福」(「ホネホネ・ケーキ」)、「念仏唱和」(「オシャカ・コーラス」)など仏教のビッグバンが切に待たれる。(菩提寺の和尚さんにお説教されるかな?)

2月16日。スワン・スワンが死んだ。諏訪湖の白鳥が二羽死んだのだ。横河川の河口近くの渚、餌さ場のマコモをかこむため、あるいは波消しのために打ち込んだ木杭があるのだが、これが原因だった。「八」の字になっている杭と杭のあいだに首を突っ込み、狭くなっている上部で首が締められて抜けなくなってしまった。二羽とも幼鳥らしいが北帰行をひかえての死はかなしい。

2月17日。当市で「行き倒れ」があった。年のころは60歳くらいの男で背丈は180センチ。諏訪インターに程近い赤沼という地籍で、数十冊の本の入ったショルダーバッグを肩に路傍に倒れていた。意識がなく入院後に死亡したという。警察の発表では本の種類は不明だった。

新聞報道を読んで、筆者はどんな本か知りたいと思った。ひょっとして、その男は筆者自身かもしれないと一瞬思錯覚したのである。(そんな古典落語があったっけ)

バッグのなかに芥川龍之介『河童』、志賀直哉『小僧の神様』、寺田寅彦の随筆なんぞが入っていたら筆者に間違いなし。はた迷惑かもしれんが適当に葬ってやってくれ・・・。筆者「青の時代」には、野垂れ死にあこがれていたものだ。(05/02/19)

 

『日暮PC()』131

2月7日。長野県の山口村が岐阜県中津川市に合併する。平成の大合併ではじめての越県合併ということもあり、長野県議会でもめにもめた。2000人余の村民の多くは合併賛成だが、「県民であり続けたい方方を守る義務がある」と、田中知事は議会への議案の提出を拒んだのである。しかし村民の意向と県議のごり押しで、知事は国に合併申請を出さざるを得なくなった。

二月十三日には合併が現実のものになる。島崎藤村の生誕の地は長野県の旧中山道の馬籠宿(まごめじゅく)でなく、中津川市馬籠宿となってしまう。クイズ「文豪・藤村は何県の生まれ?」「岐阜県!」ピンポン。っていうことだ。

これといった観光資源を持たない中津川市は早くも「中津川の馬籠」のPR着着、ガイドマップを作ったという。

住民にとって合併が生活の利便性につながるということ。村の財政の貧困ということ。それはあろうが、そうだからと言ってこれでよいのだろうか。長野県側から考えて、資産や文化が失われることにならないか。国は交付金を餌さに合併を奨めるが、合併することで、地名など含めた小さな町や村のよさが失われてしまう。残るのはどこにもある没個性的な「市」だろう。日本列島の「金太郎飴化」でいいのか。

筆者の住む市でも五市町村の合併話が持ちあがったが、一抜け、二抜け、住民投票も行われてご破算になった。喜ばしいかぎり。

2月9日。ダーツが流行っているそうな。壁にかけたダーツ盤に向かって「矢」を投げる。計算の仕方がいろいろあるらしいが、中心が高点ということ。愚庵にはダーツはないので、書き散らしの句稿をまるめて屑篭に投げこむ。筆者、これがお得意で3メートルくらい離れていても百発百中、ナイスピッチング。悪い気はせぬ。

2月11日。「鳥づくし」の連句を巻いている。酉年に因んで鳥の固有名や羽毛や風切り、ヒヨコやスクランブルエッグなど鳥に直接に係わる詞を入れて詠みこむ。全句に入れる。鳥の個体名や漢字などは「五句去り」で。式目はきちんと出して。筆者の捌であるが、これは相当に難儀なもの。

あまつさえ約束事の多い連句、何でそんな七面倒くさいことをするのか、と聞かれるとしばし返答に窮する。過去にも「恋づくし」「鳥尽し」「魚賦物」に連衆として、あるいは捌として参加したが、こうしたストイックな状況に身を置くことは一種修行のように思われてならない。敢えていうなら「言語による禅定」か。西脇順三郎はたしか、詩人は詞の石工だと言っていたが・・・。(05/02/12)

 

『連句とは』130

有名な譬えに「散文は歩行なり」「詩は舞踏なり」がある。このカテゴリーで分類すると俳句は何だろう。連句は何だろう。

俳句は一行詩ともいい、一本足で直立している感じで「舞踏」ではない。とはいっても「や」「かな」「けり」など48文字の切れ字で「脚立」「二枚腰」のスタイルを備えている。

歩行とか舞踏とか足の運びの分け方でいうなら、俳句は子どもの遊びである「足けんけん」だろう。片足を地面から離し、離したその足でバランスを保ちながら着地の足でけんけん跳ぶ。この「運動体」はまさに俳句的といって差し支えない。

言語の機能面から考えて、俳句という文芸をどんなふうに眺めたらよいか。そんなことを筆者は、繰り返しくりかえし自問自答してきた。俳句は作るというが、吐く、捻るともいう。この語句から俳句が唐突に出現するもの、曲がってようやく出現するものと受け取れる。一瞬芸であり、呪文であり、判じ物でもあるだろう。

さらに連句は、人間の足の運び方でいうなら何に譬えたらよいだろうか。これも子どもの遊びで譬えて「なわ電車」はどうだろう?車掌や乗客の爪先は向き向きであるが、みんな「なわ」の輪のなかにあって協力しあう。心を合わせなければ脱線し転覆してしまう。「運転士」がおのずからなる方向を選んで出発進行。警笛や急ブレーキもあるかもしれないが、「なわ」からはみ出ないよう各々が気をくばる。みんなが守るべきものを守っていれば、「団体旅行」の気分が味わえる。

「歩行」「舞踏」「足けんけん」「なわ電車」、このようなそれぞれ異なった文学のフィールドでは言語の機能は一様ではない。一つのものではない。言語のもつべき守備範囲、ポジションが変わってくるのである。

「足けんけん」「なわ電車」の短詩、あるいは短詩のかたまりでは、散文のように意味や思想を追わないで「他の事由」によってつながってゆく。「他の事由」とは、とたえば「切れ字、省略、語勢」「匂い、移り、響き」など。形式を利して俳句なら俳句、連句なら連句という宇宙観をつかみとる。

フランスの思想家ロラン・バルトは、「俳句には意味がない」「意味の波も流れも生じはしない」(『著作集7記号の国』みすず書房)と述べている。

ここで、当コラム129「ロシア・フォルマリズム」の最後にかかわるのだが、連句にはストーリーや意味など必要なく、付け筋さえほんとうは邪道で、「言語によるサプリメント」が意識を、そして下意識をさらさらと流れてゆく。からだを元気にしてくれる。それが究極の連句の目指すものではないだろうか。(05/02/05)

 

『ロシア・フォルマリズム』129

きょうは一つ堅い話をしよう。おもしろくなければ当然、読んでくれなくても構わない。なぜなら筆者の備忘録のためもあって書き記すので―。

「ロシア・フォルマリズム」は、1910年代の半ばから20年の末にかけて、ロシアで文学者や言語学者が起こした運動である。文学作品を自立した言語世界ととらえ、言語表現の方法と構造の面から文学作品を解明することで、文学固有の批評原理の確立をめざした。

メンバーであるモスクワ言語学サークルのヤーコブソンは、「文学に関する学問の対象は文学ではなく、文学性、つまり、ある作品をして文学作品たらしめているものなのである」と述べているように、それまでの文学研究が文化史や社会史、あるいは心理学や哲学に拠っていることに激しく反発した。

文学作品のこのような自律性の強調は、当時の未来主義者のザーウミ(超意味言語)による詩、キュビスムの絵画などと軌を一にするものであり、「何が」書かれているのかではなく、「いかに」書かれているかがまず問題であった。

またシクロフスキーは、芸術の目的は事物を異化・非日常化することであり、芸術の手法は知覚を困難にし、長引かせることにあるとも述べている。具体的な成果として、詩の分野に関するものが多いが、散文に関してもプロット構成の手法、語り、パロディーなどの面で注目すべきものが少なくない。

しかし「反マルクス主義である」との批判、非難に抗しきれず、やがて挫折を余儀なくされる。このフォルマリズム狩りは、のちに映画や音楽にも及んでゆく。けれどロシア・フォルマリズムの成果は30年代後半のプラハ構造主義に批判的に継承されるとともに、やがて60年以降の構造主義、記号学の発達のなかで、ふたたび注目を集めることになる。以上は水野忠夫編『ロシア・フォルマリズム文学論集1・2』(せりか書房)より抜粋・要約。

現代詩のあるべき姿や方向について、筆者はロシア・フォルマリズムに興味をいだき小論文を書いたことがあった。そしてロシア・フォルマリズムは、現代の連句に対しても多くの示唆に富んでいる。

A 連句の式目は確かに「何が」ではあるが、句を付けることは「いかに」を最重要視する。連句の「見立て」「見立て換え」は異化や非日常化することでもある。連句の表現の「文脈」は散文と違って大げさな跳躍や省略をするので、ザーウミ、つまり超意味言語に一部通じるとことがあると思われる。

B 連句の研究において文化史や社会史、あるいは心理学や哲学はほとんど意味をなさない。意識の流れや下意識を追うことのほうがより意義が大きいだろう。(05/01/29)

 

『仲達が死んだ』128

1月19日、仲達が死んだ。仲達はチュ−タの愛称をもっていた。仲達の名のいわれは、司馬懿(しばい)の字(あざな)。「死せる孔明、生ける仲達を走らす」で、息子たちが飼っていた雄猫の名前である。

この猫はある獣医師から息子がもらったそうで、東京で可愛がっていた。この正月に帰省したときは筆者と酒を酌み交わしならが、ケイタイに保存してある写真を見せてくれた。

仲達は一度だけ当庵にきたことがある。息子がプラスチック製のバスケットに入れて帰省したのだ。白と黒のブチの猫だが、白い部分の多い鼻先のあたりに黒い丸い点があるのが特徴的で、毛糸のひもにじゃれてダイビングしたり、二階への階段を駆け上がったり、テレビの裏側をすり抜けたりのやんちゃだった。

息子は仲達と4年あまり生活をともにした。生活を共にすれば相手が猫であろうと、あるいは猫だからこそ情が移るのかもしれない。生活のおりふしで、仕事や人との付き合いに疲れたとき、風邪などで伏せっているとき、「心」通い合うものがあったのだろう。

仲達はいっときデブちゃんになったが、近頃はおヤセに。心臓がわるいとかで、薬を飲ませていると言っていた。「いつか別れるときが来るよ」と、筆者はお節介にも息子にその覚悟をしておくように伝えた。

それからまなしの仲達の死。息子の電話からは、聞き取れないほど傷悴しきった声がきこえた。

息子が幼少時、羽を痛めたカワラヒワを保護して飼ったことがある。介護の甲斐があって羽は回復し、アワやヒエを食べるようになったが、ある日突然死んでしまった。鳥篭のなかで冷たくなってしまった。息子は松の根方に「ピーちゃんの墓」を建て、泣きながらエレクトーンで「美しき青きドナウ」を弾いた。

こんな経験は多くの子どもにあるのかも知れないし、生き物の死にショックを受けることは多いかもしれない。が、息子は小鳥や動物の死に対してとりわけショックの度合いが大きい。そしてそれは髭面の大人になっても、あまりかわらない。そういう筆者も生き物の死にはまことによわい。胸に焼け火箸をあてたように、じんと熱くなるのだ。

話はかわるが、息子の嫁がすでに血統書付きのギョロという名の猫をつれて嫁いできたのだが、息子もギョロと心を通わせているに違いない。仲達の死の悲しさは消えないにしても・・・。チュ−タの葬儀は23日に執り行われる。(05/01/22)

 

『ネズミとサル』127

ネズミも日本語とオランダ語の聞き分けができるそうだ。特別な訓練をした結果、人間とサル以外でははじめて異なる二つの言語を区別できるようになったという。スペインの研究チームが発表したと朝日新聞に載っていた。

64匹のネズミを16匹ずつの4グループに分けて、日本語とオランダ語の文章を合成音声などで流す。さらに複数の人物、特定の一人の音声で流すなど、条件をかえて聞き分け訓練をくりかえした。そして訓練で使っていない文章で実験した結果、合成音声と特定の人物の声なら聞き分けができた。

リズムや抑揚を手がかりにしているらしい。こうした実験で同じように能力が実証されているのは人間とタマリン(小型のサルの一種)だけと報じている。

筆者の知るかぎりではタマリンだけでなく、ゴリラも「言語認識眷属」に入れてよいだろうが、それはともかくとして、ネズミの「言語サミット」参加は正月にふさわしいニュースだ。

ネズミもサルも、どちらかというと嫌われ者、否かなりの嫌われ者といった方がよい。しかしながら両者とも干支の一員であり、歳時記に住民登録されているチャンとした奴らである。

俳句をたしなむ人は知っているだろうが、ネズミは正月三が日「嫁が君」という。忌み言葉であるが、ネズミは古くより大黒さまの使いとされていた。ネズミそのものではないが、「鼠大根」「鼠の尾」「ねずみのこまくら」「ねずみのふん」などの植物、「鼠花火」という花火もある。

一方、サルは「猿廻し」があり、50年くらいまえには正月に家家を廻ってサルに芸をさせ、心付けを受け取る芸人がいた。関連の季語には「猿酒」「猿の神供」「猿の腰掛」「猿柿」「さるすべり」などがある。

さて筆者は以前に、鳥が思わぬ速さで進化しているのではないかと書いた。その伝で、ネズミやサル、その他のもろもろの動物たちも相当のスピードで進化している。これ、疑いのないことだ。研究が遅れているだけと思われてならない。

筆者はアニマティズム(あるいはアニミズム)を信仰的なレベルで考えたくない。クジラもマツムシも、スミレもケヤキの新芽も生きていていのちがある。動植物によせる人間の情感。これは季語の生命線であり、それぞれ固有の霊魂や精霊などの霊的存在であるというアニマティズムがあってこそ、俳句も連句も世界観がもてる。宇宙観がもてると思うのだ。

日常にかかわるレアな問題として「鼠害」「猿害」はあるにしても、それはそれとして、アニマティズムをさらに深めるもの。すなわちネズミの言語の聞き分けは筆者にとってビッグニュースだった。(05/01/15)

 

『鳥について』126

今年の干支は「酉」、すなわちニワトリである。「鳥類」といえば特にニワトリやキジをさす場合もあるので、逆に酉とは鳥だという考え方も成り立つだろう。新聞やテレビで鳥の話題がにぎやかだ。

鳥は日本文学において、花鳥とか花鳥風月とかいわれ、日本の自然美を形づくる景物であり『万葉集』には、ウズラ、ウグイス、シギ、カモメ、ニオドリなど、あまたの名がみえる。

『古今集』では数がしぼられてくるが、タヅ()、カリ、ホトトギス、ミヤコドリ、チドリ、オシドリなど。『古今伝授』「三鳥」のイナオホセドリ(稲負鳥)、モモチドリ、ヨブコドリもある。

また神の使いにもなり、八幡宮のハト、熊野神社のカラスなどは夙に知られている。

人間にとって鳥は、食糧としての野鳥、家禽、スポーツや生業の狩猟などある。さらには鷹匠、鵜飼、ペット飼育など多岐にわたるが、人びとの「想像ワールド」において鳥が果たす役割は大きい。古くからの古今東西の神話や伝説の数は枚挙にいとまがない。

鳥が空を自在にとぶ姿、とりどりの色彩、それにもましてそれぞれの独特な鳴き声。人びとにとって鳥とは神秘的な存在であり、天にまします神の化身、ないしは神の意を伝達する使者と考えたとしてもふしぎではない。一例として、吟遊詩人ホメロスのギリシア英雄伝説の「占い鳥」はワシであり、ゼウスやアポロの意思を伝えるための詩を書き残している。

また古代エジプトにおいては、鳥のとぶ姿は、人間が死後にその霊魂が肉体から離れて空を飛んでゆくものだと考えた。こうした考えはコンドルについてのインディオの信仰にも見られるが、ひるがえって、日本神話の日本武尊(やまとたけるのみこと)の霊が白鳥(スワン)となって大和国に帰ったという話も、「鳥霊魂」信仰のカテゴリーに入るように思われるがどうだろう。

話変わるが、筆者の考案した連句形式「スワンスワン」(二羽のスワンの水上姿をアラビア数字「22」に見立てて全22句)は月花の定座のほか、「鳥」を詠む決まりがある。鳥は定座にしないで22句のうちのどこに詠んでもよい。またスズメでも、カリョウビンガ(迦陵頻伽)でも種類は問わないが、ただし一句だけ。スズメもカリョウビンガも生きとし生ける物の平等のいのちだという考えから―。

日本文学、分けても古来より詩歌に詠まれてきた美の象徴である鳥が、現代連句で無神経に詠まれているのが残念でならない。鳥は月花に匹敵するような尊ぶべきもの、それは間違いない。そう考えながら筆者自身も、一巻に二句もいただいたことがあったっけ。

酉年のはじめにあたり、ホオジロがこのように鳴くという言い伝えから、「一筆啓上仕り候」。(05/01/07)

 

『日暮PC()』125

12月25日。「行橋市」から「国民文化祭ふくおか」の連歌大会の作品集が送られてくる。募集した「第三」の入賞作品と実作会作品、それと資料などである。筆者が応募した「第三」は選外だったが、「ボックス連歌」にははからずも入選した。

「ボックス連歌」は世吉連歌という形式で44句。最後の10余の句所で付合を楽しませてもらった。ファックスを利しての興行で、送付されてくるものに、長句や短句をつけて返送する。しばらくすると結果と次案の募集。

連歌はまったく初めてではなかったが、夏の二ヵ月ほどを考案にいそしんだ。

連歌とはなんだろう。連句をやっている者にとって、連歌とはなんだろう。いささかでも連歌と俳諧の違いを知りたくて応募したのである。和語と俳言はおもてに現われる違いだが、もっと大きなこと、知りたいことは付合、付け方。前句にかぶせるように付けることに少なからずおどろく。

12月28日。連句の上達は付句をたくさん作ること。たくさん作って作って、捨てること。一見ムダ撃ちに見えても、必ずや得るものがあるはず。たくさん作る人は間違いなく上手になる。作句の鍛錬によって、多くの事柄がかなり自在に詠めるようになる。発想を換えて転じられる人、世界を広げられる人でないと連句には向いていないかもしれない。

12月31日。筆者のPCは「FUJITSU」のデスクトップ型。購入して4年になるが、動作がすこぶるニブクなってきた。以前に不用なものを捨てたらハードデスクが壊れてしまった。爾来ゴキゲンを損ねないよう、そっと使っている。さわらぬ神にたたりなし、虎の尾はふまぬことにしている。

「日暮PC」も「5」。この広い空のもとで、ひとりでも目を通してくれる人がいればと駄文を書く。ありがとう。(04/12/31)

 

『日暮PC()』124

12月19日。何気なしにテレビ「新婚さんいらっしゃい」(桂三枝の司会)を観ていたら、平宗星さんご夫妻が出演されていてびっくり仰天した。宗星さんは秋田県のとある短大の助教授で、シェークスピアの研究をされ、単身赴任と伺ったことがある。奥さんはたしか茅ヶ崎にお住まいで、演劇に携わっておられるとも。

テレビによるとお二人とも46歳。奥さんは再婚で、エピソードを交えて新婚ライフを吐露された。宗星さんはお人柄も(お顔も)ボウヨウとしておられ、まことに愉快な方。ユーモアを解するというより「ユーモア発信元」といってよい。コメディアンの平○○さんのご親戚(筆者はこの部分を聞き落としてしまった)とかで、うべなるかな、である。

宗星さんは、秋田の連句の友のご紹介で一時期当HPの「ライブ連句」や「かっぱ句会」に句を寄せていたが、多忙ゆえかお休みで残念。俳味たっぷりで、連句界にほしい人物である。

12月20日。賀状を投函した。機嫌のわるいプリンターなので、いつお釈迦になるかわからない。したがって稼動するときに仕事をしてもらわなくては。それで12月はじめに着手。

インストールされている「筆ぐるめ」のステロタイプの絵と、鳥獣の三つ物。約100枚プリントアウト。

手書きのころは大変だった。がんらい万年筆の持ち方がへんで、書痙になってしまったことも。PCのワードを使うようになって、まことにラクチン。受ける人は味気ないだろうが。

12月23日。兵庫の連句の友が「元興寺(がごうじ)」の資料を送ってくれた。「百済瓦(くだらかわら)」「世界遺産」「元興寺」「化け物総称のガゴジ」という流れ、キーワードで右脳のポケットにいろいろと詰め込ませてもらった。

「ガゴジ」「ガゴゼ」は、元興寺の鐘楼に鬼が棲んでいたという伝説から鬼の異称。鬼のまねをして、親のいうことを聞かない子をおどし、いさめる言葉でもある。鬼から発して化け物の総称の一つになっており、広辞苑にも載っている。

ついでながら、人は幼児期に鬼や妖怪や幽霊の怖さ(さらには手足のもげた昆虫や動物の死)を認識させることが、「通過儀礼」として必要ではないだろうか。最近のいのちを軽視する若者たちを見るにつけ、つらつらと思うのである。(04/12/25)

 

『日暮PC()』123

12月12日。拙庵には鉢植えのサボテンがある。5年前に約20センチのものを購入し、現在は草丈90センチ、幹の直径が10センチ。成長はよいが中途くびれて傾き、すこぶる不安定。したがって、植え替えができない。

皮手袋をはめてもトゲが痛くて、一度試みたのだが断念した経緯がある。夏はバルコニー、冬は室内に放置してある。しかしこれが、発育良好。将来どんな姿態を見せるか、どんな生育をするか皆目見当がつかない。サボテンも人間同様将来はわからない。

12月14日。「連句観」という言葉をきいたことがある。「小説観」「評論観」はほとんど耳にしないが、連句観なら、かろうじて市民権が得られるだろうか。

連句観とは連句に対する考え方、連句が如何なるもので、それに如何に対するかという観念といえよう。小説や評論のあり方は掴みやすいが、短詩形は判じ物のようなところがあって難しい。短詩形のなかでも連句は捉えどころのないもの。ヌエのようなものだ。しかし捉えどころのなさが逆に連句の連句たるところ、連句のおもしろさでもある。

()連句の席が楽しい。有意義である。運座での人との出会い、結びつきや話し合い優先で、内容は二の次でよい。

()出会い語らいもよいけれど、作品のレベルが低くては満足できない。文台引き下ろせば反古ではなく、両立でなくては。

()作品の文学性を重要視する。共同制作である以上は人とのつながりも大事だが。

連句に参加する人たちは、三つのパターンに分けられるのでは。どちらが正解だとも不正解だともいえない。だからいずれでもよいとは言えないのだが・・・。

次に連句が表現する世界は?

()日常に即した誰にも分かりやすい言葉で、見えやすい世界が描かれればよい。

()なるべく式目にそって句材を選ぶが、総体として描く世界が不充分でも納得する。

()共有できる範囲でむずかしい素材も用い、非日常の世界をも取りこんで深みをめざす。

さまざまな「連句作者」がいるわけだが、少なくても捌は自分の考えをもって当たるべきだろう。「連句観」それ自体が連句であると思うのだ。(04/12/18)

 

『日暮PC()』122

12月6日。いわゆる「ドリル」が流行、ベストセラーになっているらしい。さきごろ、家人が書肆に出かけて買ってきた。『百ます計算』(徹底反復)。『脳を鍛える大人の音読ドリル』(名作音読・漢字書き取り60日)。『脳を鍛える計算ドリル』(単純計算60日)以上の三冊である。

ちょっと覗くと、簡単な足し算や引き算の計算、書き取りや音読。また「赤い色」で、「みどり」と書いてある平仮名を「みどり」と読まないで「赤」と声に出して答えるテスト。そんな人を小莫迦にしたような、騙し絵的なドリルなのだ。

なんでもこれを日日反復して学習すれば、ボケに見舞われることはないという。テレビなんぞもそれを言い、家人もいうのである。みんながいうなら多分そうなのだろう。ストップウオッチで所要時間を計りつつ、繰り返し繰り返し学習。筆者もこの年齢になって、勉強させられる破目になってしまった。

12月8日。庭にペアのヒヨドリがくる。お目当てはウメモドキの実である。食べやすい枝から食べ、残り少なくなってきた。一羽できて「ピーヨピーヨ」と相手を呼び、二羽そろってから啄む。

クルミを餌さ台に置いたら、シジュウカラもきた。一羽だけで淋しげである。

12月10日。すでに何年かに亘って感じていることながら、きな臭い匂いが立ちこめる。それも、ここにきて風雲急だ。イラク特措法があれよあれよという間に制定され、人道支援の名のもとに自衛隊イラク派遣がなされ、さらには一年の派遣延長も決まった。

憲法改正への動き、日の丸や君が代に反対する教師の処分、自衛隊官舎に派遣反対ビラを配った市民の逮捕、首相の靖国参拝。そしてやっぱりというか、テロに対応という大義名分で「武器輸出」まで言い出すありさま。

「戦争はシステム」であるとは、戦争についての書物で述べられている。戦争は一朝一夕にはできない。戦車や戦闘機がなくてはできない。丸腰でもできない。ありとある「戦争用具」と「司令部」を欠かすことができない。人びとの目を逸らしつつ、戦争用具をそろえ、司令部を平和事業のように見せかけ、着々と準備して置く。怠りなくそうすることが、多くの為政者だという。

戦争は二度としない。参戦はすまい。戦争の悲惨さを語り部は語ってきたが、こんにち、きな臭いこの国の「言動」に気付かない人が意外と多いような気がする。戦争のはじめは、常に平和のためという言葉が使われる。(04/112/11)

 

『日暮PC()』121

11月29日。国民文化祭「ふくおか」の連句作品集が届く。見た目よりずしりと重いが、これは筆者にとって「連句」に感応する重みだろう。それぞれの大会の作品集を手にすると気持ちが一段落、ほっとする。うれしい。わけても会員や筆者の捌が入賞すれば。

これからゆっくりと眺めたい。現在の会員や、かつて連句仲間だったが疎遠の人、お互いに教える立場になって文音が疎かになってしまった友など、懐かしい名前がみえる。

付句をつける。句を案じるということ。いつも、そして長年にわたって、輝くようなく句が考案できるものではない。アスリートやミュージシャンたちの煌めきが一時期であるように、付句でもそれは言える。優れたセンスをもって付ける期間が過ぎると、テクニックでかわしたり、類想で逃げたり・・・。

作家や詩人とて同様だ。それでもいささかなりとも新しい創造や詩性を深める人もいるだろうが。

12月1日。「平成連句競詠」の作品集が、ある方のご好意で送られてくる。これもゆっくり精読したい。誤植や追加などを実行委員会に連絡。「P、S、」として、「連句協会系の大会の連句もおもしろいが、組織も詩的にも金属疲労。風穴を明ける貴会を応援する」としるす。「平成」にはついてゆけない部面もなしとしないが、新しい詩は新しい仕組み生み、新しい仕組みは新しい詩を生み出すだろう。

12月2日。シルバーセンタに庭木の剪定をしてもらう。これまでの造園屋さんは手早いが雑で、人はいいがお喋りで往生していた。シルバーは技術が・・・と懸念していたが、長年盆栽をやっているとういおじさんが、きれいに、さっぱりしてくれた。

按配よく剪定されたヒメシャラにシジュウカラがきて、スピッツ、スピッツ鳴きながら枝移り。シラカシにはヤマバトらしきが、クック、クック。鳥は枝の張り方も見ていたのか?

12月4日。「ブログ風に」というコラムを5回書いたが、「ケン様の私生活が覗けておもしろい」というメール。「一つのテーマの方がよいのでは」というメールもいただいた。筆者は「虚実」の「実」を書くのが苦手だが、しばらくはこれで・・・。

ただしタイトルは、「日暮硯に向かいて」ならぬ「日暮PCに向かいて」。略して「日暮PC」としたい。(04/12/05)

160「なぞなぞ」
159「言葉アラカルト」
158「ピアノマン後日譚」
157「日暮PC。(26)」
156「日暮PC。(25)」
155「日暮PC。(24)」
154「日暮PC。(23)」
153「ヒヨドリ日記」
152「ヒヨドリ日記」
151「ヒヨドリ日記」

150「日暮PC。(22)」
149「孕み句」
148「日暮PC。(21)」
147「日暮PC。(20)」
146「日暮PC。(19)」
145「連句宇宙」
144「日暮PC。(18)」
143「漠然たる不安」
142「日暮PC。(17)」
141「日暮PC。(16)」