コラム「その5・6」
100「ようこそ!幽霊さん」
99「白い鶴を見た」
98「半死人」
97「猫の幌馬車」
96「ドイツゴイ」
95「辞世」
94「鳴くな小鳩よ」
93「巨象消ゆ」
92「ドミノ倒し」
91「拷問史」
90「二つの映像から」
89「諏訪の殿様」
88「諏訪の万葉の歌」
87「鳥インフルエンザ」
86「氷点下23・1度」
『ブログ風に(5)』120
11月26日。風邪は大丈夫と自己診断したが、誤診だったようだ。頭のシンが痛い、クビも痛い、やる気が起きない。映画の観すぎかもしれない。遅れている「校合」が5巻ほどある。催促されることはないが、それだけに何とかせねば・・・の思いもしきりなり。師走に入ってから、がんばろう。
11月23日。きのうにつづいて、「続・夕陽のガンマン/地獄の決闘『特別復元版』」というマカロニ・ウエスタンの超大作を観る。
瀕死の南軍兵士から、ある墓地に隠された20万ドル金貨の情報を聞いたブロンディとフト−コ。だが、悪党エンジェル・アイも同じ金貨を探していた。・・・金貨をめぐる3人の男が虚虚実実の駆け引きを展開する。これもクリントン・イーストウッド主演で、3時間はしんどいのだが、見応えがあった。
当然ながら目が疲れやすいので、一旦ビデオに取ったものを30分くらいずつ小刻みに観る。それで1日かかってしまう。
筆者にとって、西部劇やマカロニ・ウエスタンとはいったい何だろうか?むろん好きではあるが、娯楽とか息抜きとかいうことと、いささか違う部面があるような気がしてならない。
ストリーは至って単純、そして稚拙。ヒーローの姿形もステロタイプ、ニヒルが売りで人間的な深みなどあろうはずもない。だが、筆者の意識下には「西部劇の時空の流れ」のようなものが必要に思われてならない。映画を観ることでその「時空」を自分自身に「刷り込んで」いるのかも知れない。ふと、そんな風に思うのだ。
11月22日。風邪は回復に向かっているが、さりとてすっきりした気分という訳ではない。原稿を書く気になれないから、炬燵にあたって洋画を観る。こんなときでないと、なかなか映画も観られない。閑人のくせに時間がないのだ。
「夕陽のガンマン」という65年制作のマカロニ・ウエスタン。若いモンコと初老のモーティマーは、脱走犯を捜す賞金稼ぎ。殺人犯インディオ追跡をめぐって初めは対立するが、協力し合って賞金を山分けしようと決める。やがて彼の情報を入手する。・・・脱走犯を追う賞金稼ぎ同士の復讐と友情を描く傑作。クリントン・イーストウッドが想像もつかない若さ。ニヒルで渋い、しぶとい演技をみせる。(04/11/28)
『ブログ風に(4)』119
11月20日。米マイクロソフトのビル・ゲイツ会長に送りつけられる迷惑(スパム)メールの数は1日で400万通という。世界最大手のソフトウエア会社の創業者で、資産家である氏が標的になるのはウベナウベナ。ところで本人のメールボックスに届く迷惑メールは数通。「迷惑メール駆除システム」が奏功するためだとか。
ゲイツさんよ、筆者もお宅の製品を愛用しているので、その「駆除システム」を使わせてくれませんか。
筆者のメールボックスにも、多い日で約10通のスパムが送りつけられる。以前は1通ずつポインターで抓んで捨てていたが「アウトルック・エクスプレス」の場合は、迷惑メールを選択して「メニューバー」の「メッセージ」から「送信者を禁止する」をクリックする。以後はその送信者からのメールが送られても「削除済みアイテム」入るようになる。続けてしつこく送る輩には、これだけでもお掃除は格段にらく。大方の人は知っているだろうが・・・。
筆者のHPには「参加コーナー」があるので見学者もいて、メールをくれるサポーターもいるが、一見さんは「件名」などでそれと確認できない場合は開封しない。怖い世の中ですからね。
11月19日。風邪を引いている感じはほぼ年中あり、四、五日前から「来たな」とは思っていた。しかし大したことはあるまいと、高を括っていたら症状が悪化。朝目覚めると、ホホからアゴにかけて痛くてだるい。肉がそげて、骨が突き出てしまったのではないか。「お岩さん」になったのではないかと。
それでも「殺したいなら、殺すがいいさ」「風邪しきのことで死ぬものか」と、起床してPCに向かった。越中富山の配置薬「赤玉」は飲んだが。
11月18日。「痴呆症」という表現には蔑視的な意味がふくまれるから、「認知症」に切り替えるという。意見募集で、行政用語として「痴呆」が使われた場合に不快感を「感じる」と答えたものが56・2%で、「感じない」と答えたものが36・8%だったと厚生労働省。「意見」では、たぶんいつでも、そういうことになろう。しかし「言葉狩り」が行われるとき実は本質が隠されて、口当たりのよい見せ掛けを作る作業がすすむ。これまでに見てきたことだ。魔女狩りのように言葉狩りがされ、平和になりましたか。思いやりのある豊かな世の中になりましたか。(04/11/21)
『ブログ風に(3)』118
11月12日。アラファト議長が死去。かれの業績は偉大。そしてターバンがよく似合う人である。水玉模様みたいな、正確には水玉でなく線でつながっているのだが、白地に黒の玉状の模様をあしらったターバン。それを右肩からダラリとたらす。なかなかおしゃれ。
ブッシュの衣装はセンスが悪い。いつも冴えない青系統の背広を着用。ゴルフや視察などではブルゾンを着るが、これもセンス的には雑誌に載せられないと、ある服飾評論家が述べていた。
ビンラディンはアラブ風な衣装で生地のよしあしは不明だが、視覚による映像としては先端をいっている。主張があり、センスがあって筆者のお気に入り。
アラファト、ブッシュ、ビンラディンについて刺激的なことを書くつもりだったが、後者二人は生きているので問題があり、取り止めて「おしゃれ談義」で逃げた。
11月8日。諏訪湖に白鳥が訪れた。といっても二羽だけだが、湖心の空高く旋廻したり、湖水を斜めに横切ったりしている。ときには滞在エリアの河口付近をうかがう。毎年滞在する横川川河口には人工の中州があり、枯れかかってはいるものの水草も繁茂。見馴れたホームグランドのはずだが、人影を警戒しているのだろう。
いずれは百羽を越えると思うが、白鳥の飛翔するさまは実に美しいもの。「白鳥の湖」。
11月6日。テレビが壊れてしまった。ビデオ内蔵型のテレビの、ビデオ機能が故障してしまったのだ。筆者は「スターチャンネル」に加盟している洋画ファンで、月にすれば15本は観ているだろう。それが全く観られなくなるのは精神の軟禁状態といったところであり、これは困ると新しいテレビをエイデンに発注した。ビデオ機能だけのトラブルで一般映像に問題はないのだが、8年がんばったからご苦労さんだ。
専ら洋画だが、ジャンルの選り好みせず何でもござれ、雑食性である。映画の起承転結や序破急、観客へのアピールなどが、筆者が連句や詩を書くうえで大いに力になっているように思う。というわけで、単なる娯楽を創造の動機付けに。尤もそれは映画だけでなく演劇、狂言、落語、漫才などの類も参考になっているのだが。(04/11/13)
『ブログ風に(2)』117
11月5日。10日に一回くらいのペースで、歯科大に通院している。はじめては一寸した歯痛だったが、受診しているうちに別の場所の不具合が出て、いつのまにか常連さんになってしまった。病名は歯周病など。
治療時間は20分〜30分で大して痛くないのだが、目に見えてよくなるというものでなく、根元の治療が終わったと思ったら、ほかもおかしいという診断。早い話があちらこちらガタガきているのだろう。医師はとても親切で、道中のドライブを楽しみつつがんばろうと思っている。
11月3日。部屋の中からの紅葉狩りというのも乙なものだ。玄関のドアの磨りガラスには、前庭のヤマボウシの真っ赤な紅葉とカクレミノの黄葉が映る。リビングの窓には株立ちのカエデの赤と茶、和室の障子には、ウメモドキやヒメシャラなどの葉の色が映し出される。こう書くと大したお屋敷に聞こえるかもしれないが、「猫額」ほどの狭庭。
あまり外出をしない筆者は、部屋にいて紅葉を鑑賞している。ガラス窓越し、あるいは障子越しの紅葉の温かな明るさ、微妙な色合いが気に入っている。じかに野山で目視する紅葉と違ったものが、ここにはある。「陰影礼賛」という言葉があるが、蟄居の身には派手なものより微妙な色彩の移ろいが心落ちつく。この方がずっとゼン(禅)でっせ。おしゃれでっせ。
10月30日。一見少年みたいに見える男だが、年のころは30歳も後半か。真新しいチャリンコに乗って、道路の右もひだりも関係なく通行する。突然ななめに横断する。なんの意味もなく嬌声をあげる。某月某日、ドラックストアの店員さんにからんで大声で悪態をついていた。この男凶暴につき、筆者はマイカーを運転していても目を合わさないようにしている。
この街でも先日、3000円欲しさにコンビニ強盗をした外国人がいた。銀行に押し込めば大金があるのに、なんでコンビニか。やるなら銀行強盗と、筆者は青年のみぎり思ったもので(西部劇の観すぎか)、コンビニ強盗には疑問符がつく。全国ニュースでも、これまでのガイネンでは考えられない人殺しがひんぱつ。
郵便受けの名前や番地も取り除く。道路に面したカーテンは昼間だけ開ける。電話では名乗らない。玄関に大きなドタ靴をならべる。そんな防犯マニュアルも。物騒な世の中になったものだ。(04/11/05)
『ブログ風に(1)』116
10月28日。「俵口」から作品集が11冊届く。連衆の方々へ送付する。応募作品は没になったり、入選したり、大賞になったり、結果はさまざま。(今回は全部入ったが)。ともあれ入選はうれしい。受賞がうれしいというより読み手と世界が「共有」できたことが・・・。読み手に理解されない、独りよがりの連句は文芸的には反古でしかない。いろいろあっても、そのためにも大会は重要だ。
10月26日。「この衣裳、とってもカワイイ」「タタミで寝るなんて、ゼンな感じ」。そんな日本語まじりの会話が通じるほど、日本文化がフランスで花盛りだそうな。日本アニメのコスチュームに身をつつんだコスプレの大会、余計なものを省いた飾り気のないスタイルを意味する「禅(ゼン)」が日常語になり、若者たちは「それってゼンだね(格好いいね)」といったふうに使いこなす。以上は「朝日新聞6国際」より引用。
奥行きは浅いが軽快なノリのジャポニズム。武器の輸出はいただけないが、こんな輸出は大賛成。
10月24日。到着した「連句年鑑」を拾い読み。連句協会員が950名で、ここ数年横ばい。実作者はこの2〜3倍。連句人口は1万人はいるだろうと。筆者の知り合いの詩人で、たまたま付句した、たまたま連句を読んだという人は30人くらい数える。その範囲でなら連句人口は3万人だろうと筆者は考える。
協会では人口増にやっき。副会長氏から会員を増やすための提案を求められたが、よい手立てがあるわけない。というよりも俳諧という性格からして「ほそぼそ絶えず」がよく、身銭をきっての会員1000名は御の字だ。朱鷺が鴉よりも多くなっては、朱鷺の値打ちがなくなってしまうというもの。
10月23日。時計の針がまもなく午後の6時をさす時分、突然がたりびしりと家鳴り。尋常でないきしみに、慌ててパソコンの電源をおとす。情報をさぐるためテレビをつけるが、逆にテレビの音が不安になってOFFに。洋間に吊る扁額仕立ての「狂言」(為一筆・北斎のこと)が大きく揺れる。
ドスンときて、さらに数回にわたって小さく前後にゆれる。なんとなく胸苦しいが、かまわず晩酌。日本酒と焼酎のローテーションだが、きょうは焼酎の日。50%お湯割りでクエン酸をちょっと入れる。地震も収まったので、飲みながらニュースを観る。新潟県中越地震、震度6強。長野県5弱、当市は3との報道。ふたたびグラグラ。胃弱・腸弱なのでもともと余り飲めないが、悪酔いしたみたい。被災地中継を観ながらは気がとがめる。(04/10/28)
『暑さと台風と熊と』115
今年の夏は暑かった。百年来の猛暑というべきか、ともかくこれまでに経験のない暑さと筆者には感じられた。
また今年は台風がやたらと多い。5月ころから来襲し、現在23号というが、上陸も10を超える。長野県は比較的に被害は少ないほうだが、台風銀座といわれる四国、九州各地では大変だったらしい。北九州や高松の「河童連句会」のみなさんに、お見舞いを申し上げます。
秋が深まって、クマがあちこちに出没。佐賀や富山や石川などで目撃され、野良仕事、きのこ採りのお爺さんやお婆さんが襲われた。こんなことはこれまでにないと、古老たちは口々にいう。富山、石川にも連句会員が多いが、連句同様にクマさんにも気配りを、いやお気をつけください。
クマは別称「山のおやじ」というが、おやじばかりか子グマも山から下りてきて餌を漁る。きっと山に餌がないのだろう。台風の影響で山にドングリが少なく、飢饉に見舞われているというマタギの報告も伝えられる。人里と深山でヒトとクマで棲み分けられていたものが、互いに要らぬ遭遇を避けるゾーンである「里山」が乱開発され、あるいは逆に放置されたため、棲み分け聖域が破壊された。
クマの身になってみると、餌を求めて下山したら柿の木に柿が熟していた。ごみ箱に食べられる残飯が匂っていた。それを食べていたら、有無を言わせずテッポウで撃たれたというわけだ。
「クマさんこんにちは」「ヒトさんこんにちは」という、いわば「出会い系さいと」がなく、いきなりガチンコ勝負となってしまう。おいらクマさんといえども怖いのだ。人面をえぐったといっても、ちょっと可愛がっただけ。爪きりがないので、爪は多少伸びてはいたが・・・。
夏が暑かったのも、台風の数が多かったのも、地球温暖化が原因ではといわれている。深山の木の実の不作も。
海岸に打ち寄せられる無数の巨大クラゲ。アマゾンの87キロというジャンボネズミ。これらは、かつて確認されたことのない生物だとニュースが伝える。
お山も暑かったよね、クマのプーさん。肥り過ぎだよ、ミッキーマウスくん。仲良くしようよ、地球の終わる日が近いかもしれんから。(04/10/22)
『付合について(二)』114
余情付け。
必ずしも前句の意味内容(句意)に付けるのでなく、どこに着目したか(付け所)でもなく、雰囲気や勢い、情緒といった言外余情をもって付ける。句と句が感応しあい、映発しあって繋がってゆくように付ける。
「移り」句勢や意味内容などが変化し、発展する様相。余情が移るような対応。
「匂い」連想される付随的な条件や状況をいう。漂う気分や情緒など。
「響き」付合のなかで情感的に緊張する付け味。交感の共鳴音のようなもの。
「位」人物や時代、場所などの品位や格式。同時に句の内容としての格や位。
余情付けは文学的に質の高いもの。前句の根っこを切って余情をもって付けるのだが、「蓮の根の糸」のような繋がりでもある。
蕉風理念の「移り」「匂い」「響き」「位」は重複している部分もあり、必ずしも定説というのではない。
以上は蕉風についての簡単に記したものである。これでは何も分からないというなら、それは無理からぬことかもしれない。また蕉風がテクストかと問われれば、よきテクストではあるが、テクスト通りの俳諧はいかがなものかと答えざるを得ない。少なくとも俳諧を文芸・文学と考えるならば。
共同制作であっても没個性でよいわけはなく、個の主張、捌きのビジョンや詩性が現れなくては作品としての値打ちがない。もっとも座を楽しみ、満尾後に反古にする作品は内容について問うこともないだろうが・・・。(04/10/14)
『付合について(一)』113
今回は連句の付合について、少しくふれてみたい。「付合」とは連歌・俳諧で、五・七・五の長句と七・七の短句を付け合せること。先に出された句を前句、これに付ける句を付句という。さらに前句と付句を関係づける契機となる語句、「寄合」よりもより広く、素材や用語のほか、情趣や心情などを含むものをいう。
付合は句と句の係わり方をいうのであるが、結果としての検証的なことばとして「付け筋」、あるいは「付け味」という言い方が付帯するだろう。句と句はどんな風につながっているか。句と句の間には一体なにがあるだろうか。
はじめに、「句と句はどんな風につながっているか」を考えてみたい。「親句」「疎句」ということばがある。親句とは句間が親密であること、付きすぎの意でもある。疎句とは句間が疎遠であること、離れすぎの意でもある。古人は「付句は付かざれば付句にあらず。付きすぎることは病なり」といった。親句疎句いずれもベストとは言えないわけだ。
また古人は「付句は前句に離れていて、しかも離れぬようにあるべし」ともいった。情感によって結びつく感応を「蓮の糸」のように付けるのがよいともいった。一言でいうなら「即かず離れず」なのであるが、これが難しい。しかしこれが付合の生命線である。
句と句のつながりをコマ送りの映像と勘違いしたり、ストーリーを組み立てたりする人がいるが正しい方法ではない。「付くこと」は作り手と読み手と共有認識なので、共有のイメージは必要だが・・・。
つぎに、「句と句の間には一体なにがあるだろうか」について。句と句の間は時間が連続して流れているものではない。たとえば「朝」に「昼」が付けられても同日ということではなく、何年後乃至は何百年後の「昼」かもしれない。同じ意味で句と句の間は空間的に特定の一箇所に留まっているのでなく、宇宙的なひろがりのなかに存在する。また地理的にも地続きということではない。
「句と句の間には、挿話があり事件が起き、場所が移り時間が流れる」。挿話や事件や場所や時間をイメージさせる、ことばによって見えない世界にいざなわれる、想像力を掻き立てられる。それがもっとも重要な連句の作業、付合の要であると思う。木に竹を継ぐような闇雲に転じるのではなく、人びとの意識の流れや感情に順応するように付けることは当然だが・・・。(04/10/09)
『いま古代人は』112
「古代人の抱いていた概念は我々の概念と違う。のみならず、ある技術を用いるのに必要な感覚さえ、我々とは異なっていた。彼らが見ていた色は我々が見ている色ではなかったし、耳で聞いていたものも違うのだ。今日、画家だけではなく、教養のある男女が魅せられる微妙なニュアンスも、古代人にはわからなかった」。
「海の色も黄昏の色も、ある種の瞳の色も、古代人にとってはすべて同じ色だった。よく訓練されていない目がそうであるように、彼らは世界のあらゆる色の総体をぼんやりと見ていたにすぎない」。
「もうおわかりと思うが、現代流行している不協和音は、彼らにとっては理性を失わせるものであり、聞いたら最後、気が狂ってしまったであろう」。
「したがって、身体的にも、心理的にも、古代人と我々の器官は隔絶していて、比較など出来ないのである」(ガストン・ラジョ著『美―歴史的美学論』の「驚くべき事実」より)。
また、フランソワ・コペーは「言う必要もないことではあるが、人間というものはどこか愚かである」とのたまう。
―近頃とみにこの国がおかしい。なにかどこか歪(ひし)んでいる。人間が、人間の心が歪んでいる。これまでも時代のふしぶしで、ぎくしゃくと歪んではいたが、ここ10年は救いがたいものがある。政治から官僚から、警察から企業から、医療から寺院から・・・。テレビカメラに向かって、世間をお騒がせしたと詫びているが、見えない氷山は如何ともしがたい。
古代人と現代人・・・。そう、現代人にはしょせん、古代人は理解できないだろう。冒頭の引用にあえて逆説的にいうなら、「教養のある男女が魅せられる微妙なニュアンス」は、現代人の歪みであるかもしれない。人間はいつまでも「古代人」でよいと考えもする。「現代人」のほうが歪んで狂っていると思うのだが、どうか。(04/10/02)
『唯識と自己中』111
小学生の40%が、地球は宇宙のどこかに固定し、その地球のまわりを太陽が廻っている、つまり「天動説」を信じているという報道があった。信じているというよりも「地動説」を教えてもらえなくて、自分の感覚でそう思っているのだろうか。コペルニクスさんも「なんで?」と、トサカにきているかもしれない。
「自己中」という言葉(それをもじった「自己虫」の造語)が横行している。自己中心的な考え方、世の中すべて自分中心に廻っていると錯覚する人びとのことである。大人もだが、小学校の高学年から中学校の生徒らが多い。
自己中は「自己中心性」という言葉から派生したものだろう。これはピアジェの用語で、事象を自分の立場あるいは一つの視点からしか分析、認識できないこと。乳幼児の思考様式の特徴といわれる。
「・・・唯識と深く関わっている考え方で、頭に入れておかなければいけないポイントがあります」(岡野守也著『唯識のすすめ』『心があるから世界がある?』以下も)
「・・・空気であれ水であれ、太陽であれ何であれ、それがあることを意識する人間・私がいないと、それらのものは実は『あるともないともいえない』わけです。私たちは、自分の心がなくても、つまり私が生まれる前にも地球はあっただろうし、私が死んだ後にも地球はあるだろうと思いますが、しかしそこをよく注意してほしいのは『〜と思う』ことです。さらにいうと『〜と私が思う』わけです。だから、私のこの命の前にも後にも、地球はあるだろうと『私が思う』という事実がなければ、あるとかないとかいえない。あるいは、私が意識することがなければ、あってもなくてもそれこそ関係がないわけです」。
「そういう意味でいうと、私たちがふだん気がつかないことですが、心、特にこの私の心が認識して初めて、私がいるとかいないとか、いろいろなものがあるとかないとかということもいえる。関係があるとかないとか、さらには意味があるとかないとかということも、いったり意識することによって意味が出てくるわけです」。
―「天動説」も「自己中」も、「唯識」と大いにかかわりがある。だが、ここでは結論めいたことは言わない。文章として無責任であるが、筆者のなかでしばらく遊泳させたい問題なのである。(04/09/24)
『返信はさて?』110
某月某日、見馴れないサイズと紙質の封筒が郵便受けにきている。間違いなく筆者の名前なので開封する。はるかオーストラリアからのエアメールだが、なんでも筆者に20000$の高額ロッドが当選したらしい。日本語と英語まじりの文面、ひげを蓄えたジェントルマンの顔写真も載っている。さしせまって手元不如意ではないものの、あるにこしたことのない「○」。ありがたいではないか。
さらに読み進むと、幾通りかのパターンの数字がならんでいて、貴方は当選でなく当選確率が非常にたかい。当選報告は何日まで、ただし権利を得るためには、2000\を銀行振り込みにて送金せよとある。美味しい話にはウラがあるぞ。これは、あぶない、あぶない。
PCのメールボックスに「未承諾広告」が連日入る。添付を付したものも多い。トレンドマイクロ社のウイルスバスターと契約してあり、「迷惑メール監視設定」は最も厳しい「高」にしてある。(「高」は安全なメールもときに引っかかるそうだ。連句の恋の付句など、キワドイものは刎ねられるかもしれない)プロバイダーのセキュリティーも作動しているはず。しかし完璧な安全なんぞないらしい。
PC購入時は知らなくて、メールも添付もみんな開封。いきなり見知らぬ裸女が現われてびっくり。PCの動作もよそよそしくなってドンク入り。以降はさわらぬ神にたたりなしで、不発弾処理というか、汚物処理というか、ポインターで慎重に削除。いうなれば「朝一」の掃除、朝の勤行だ。現在は日に10通くらい。返事をしたことはない。これも、くわばら、くわばら。
今月はじめに流れたロイター電によると、「地球外の文明からのメッセージかもしれない」という、千光年の宇宙のかなたから未知の電波を受信したとある。ちゃんとした科学雑誌の報道だっただけに関係者は興奮した。プエルトリコの電波望遠鏡がとらえた電波で、うお座とおひつじ座のあいだから発せられ、SHGb02+14aと命名された。
異星人からの信号か、地球以外の文明を発達させた生命体かと色めきたつ。仮に地球外からの通信だったらどうするか。国際天文学連合などは、「国際会議で合意ができるまで返事はしない」と申し合わせているという。SETI(地球外知性探査)という組織は、情報をおさえつつ、ひそかに国際会議の準備をしているとの噂しきり。
この電波への返信は、「あぶない、あぶない」か。「くわばら、くわばら」か。エイリアン追っかけの筆者にしてみれば、あぶないどころか、ウナ電でご返事したい気持ちなのだが。(04/09/17)
『鳥の声の信号機』109
S市の繁華街にある信号機の音は、小鳥の鳴き声である。シグナルが換わるときに「ピーッピーッピピ」「ホーウ、キューウ、ホーウ」と鳴く。二種類の鳥の声らしが鳥の特定はできない。筆者が真剣に聴いていないせいか、それとも聴覚があやしくなったのか、どちらかであろう。
プリメーラ2000を操って、筆者はよくここを通行するのだが、鳥の声が聴こえて爽やかな気分になる。それは疑いないのだが、鳥の身になるとそうも行かない事情があるようだ。
深山の渓流に棲息するカワセミが橋のたもとに巣をかけ、水辺に馴染んでいるはずのヨシキリが街中に、カッコウが雑居ビルに巣をかけたというニュースを耳にする。鳥の生態系の異変がすでに言われているが、鳥の棲息圏も移動していることも実感として感じられる。筆者は冗談をこめて「進化」というのだが・・・。
(小鳥になり換わって言うならば)、信号機が鳥の鳴き声を流すので、ボクたちワタシたちは気が気でない。「他鳥さん」のテリトリーに侵入したのではと、ドッキリする。「人工鳴声」なら聞き分けもできようが、ボクら眷属のホンマモノの声であると、一瞬足がすくんで、もとえ、羽がすくんでしまうのだ。みだりに鳥の声を流布するのはやめてほしい。ついでに言わせてもらえば、鳴き声の「著作権」にも、人類は知らん振りしている。録音したなら、なんとかせい!
テリトリー、つまり縄張りをもつ個体は、侵入してきた他の個体に対して攻撃行動をとる。しかし他個体の縄張り内においては、攻撃衝動が弱まり、不安定な心理状態に陥る。逃げる場合が多い。その結果「先住効果」がはたらき、縄張りを所有するものは、自分より強力な他個体の侵入のガードができる。
弱肉強食の動物たちが、それでも弱者を守るため、ひいては種の保存のためにこんな智恵を、神様が授けてくれたとは。
とまれこうまれ、信号機の鳥の鳴き声は自然に生きている鳥を困惑させている。そんなニュースを聞いた。「鳥の空音」は鳥たちのために止めるがよろしい。止めるがよろしいが、鳥たちも日日進化している、これも事実である。やがては信号機の鳥に「なりすまし」、縄張りをちゃっかり手に入れる、マフィアや政治献金団体もどきの鳥も現われよう。すでにモズ(他にオナガ、ヨシキリ)の巣に托卵し、モズに哺育させるカッコウの例もあることゆえ。―(04/09/10)
『芸術オリンピックを!』108
ギリシャ神話に残る、古代のオリンピックの起源には諸説ある。ホメロスによれば、トロイア戦争で死んだパトロクロスの死を悼むために行われた競技会。別の説によれば、ヘラクレスが戦勝後にゼウス神殿を建て、四年に一度行った競技が始まりとされる。
オリンピックの前身であるオリンピユア祭は豊穣と戦闘の神事であり、はじめ出場者・観衆とも女人禁制だった。(観衆のなかに女官が男装して紛れ込んでいたともいう)。
競技者である男性は、戦車競争、馬車競争以外はすべて裸で行われた。レスリングらしき、ボクシングらしき格闘技では、男同士一物を蹴飛ばしてはまかりならぬが、握ったり捻ったりしてもよろしい。円盤投げ、ホーガン投げ、マラソンなどでは一物の「ゆれゆれ対策」として獣のなめし皮を使って固定してもよろしい。ペニスサックの装着もOKという、アバウトながら競技ルールがあったらしい。
因みに男子は参加できない、二年に一度の「エライア」という女子競技会が開催された。こちらは丸裸であったかどうか、残念ながらリサーチできない。
中期の古代オリンピックではスポーツ一辺倒でなく、「詩の競演」「演劇の競演」「音楽の競技」も行われた。そもそも発祥では、肉体と精神を神に奉納するということだったといわれる。それがいつ頃からか、スポーツだけの偏ったものになってしまった。
アテネのオリンピックが終わった。競技の高揚はよいのだが、実況放送のラジオもそしてテレビも絶叫で、逆に競技がしっかり観えないきらいがあった。商業主義とドーピングと、これも行き着くところまで行った感が否めない。たとえばドーピング。興奮剤、筋肉増強剤は過去のもので、現在は血液ドーピング、やがては遺伝子ドーピングといわれる。選手のサイボーグ化といわれても仕方ない面がある。
中期古代オリンピックの「肉体と精神の祭典」。精神つまり「芸術オリンピック」の参加も検討されてよいのでは。IOCさん、俎上にのせてくださいよ。世界中の心と体が、アンバランスですものね。ペキンに「芸術オリンピック」を。(04/09/02)
『タマモちゃん』107
当家では卵のことをタマモ、愛称として「タマモちゃん」と呼んでいる。当家では、というよりも専ら筆者の用いる言葉といってよい。「舌足らず」なる語、「舌三寸」なる語もあるが、筆者の舌は三寸三分くらいあるようだ。そのこととの因果関係はしらないが、人をまるめこむことはできず、弁舌さわやかとはいえず、また舌を噛むこともままある。タマゴと発声できないで、タマモあるいはタマボと発声してしまう。「タマモ」には高貴なひびきがあるので「わがブックマーク」にいれ、ことさらに発語することも。これで通そうと思っている。ときには造語もよいではないか!
卵とはむろん鶏卵のこと。卵は物価の優等生であるし、目玉焼き、味噌汁落とし、温泉玉子、生卵、スクランブルエッグ。料理やカステラ、マヨネーズなどの材料までふくめると枚挙にいとまがない。若輩のミギリには身が立たなくなったら、卵焼きの専門店をやろうと真剣に考えたもの。
ニワトリの卵が、いつごろから食べられたかは分からない。文献によると、徳川将軍の朝食に鶏卵がみられ、例として一の膳に蒸し飯と落とし玉子の味噌汁、二の膳には卵焼きに干海苔を巻いたお外の物と記述されている。
西欧では11世紀ごろに、カトリック信仰から金曜日に肉を食べるのを忌み、僧侶は卵料理の研究をして食卓に出した。これも書き残されたもので、庶民レベルは調べようもない。
卵の栄養でもっとも特筆すべきはタンパク質だが、それはともあれ、卵はなんでかくも美味しいのだろう。筆者の世代が貧しい食生活だったこともあるが、あの可愛ゆいかたちに論及、あるいはイメージしなくて美味しさの秘密は究明できないだろう。
筆者幼少のミギリ、ニワトリを数羽飼育していた。朝には生みたての生卵をご飯にかけ、醤油をかけて食べた。手のひらに伝わる温かさと、卵の丸みとが何ともイトシイのである。シンプルでこれぞグルメの原点に相違あるまい。
そのむかし、近所にニワトリを平飼いしている商家があって、昼餉どきには縁側からニワトリが部屋のなかに入り込んで、こぼれたご飯粒をついばんでいる。家の者たちは頓着せず食事している。そんな風景が筆者の理想郷であるのだが。―
さて、鶏卵の季語はいくつあるだろうか。ざっと思いつくのは「寒卵」「玉子酒」「染卵」。
幇間が下戸のふりして玉子酒
拙吟である。(04/08/27)
『あきらめが肝心』106
ソフトボールの選手だったと思うが、延長戦の末に敗退。接戦を落としただけに、「あきらめられんわ」と歯噛みして悔しがった。また、メダル候補のレスリングの選手は体調管理に失敗したとかで、無念の涙をのんだ。「夢にまでみて諦められない」。アテネ・オリンピックのスポットの当たらない選手の報道余話である。
S市は夏の夜のイベントに寿司の食べ放題があり、三人が参加することになっていた。日頃から大食漢でならす剛の者が、テグスネひいていたわけだ。ところが、一人が細菌の感染で咽頭を腫らしてしまい会場には行ったものの、見学だけというサンタンたるありさま。運のわるい一人というのが筆者の友人で、「あきらめろ?そう簡単にいうな」。
イラクには大量破壊兵器があり、フセインはそれを隠蔽するナラズモノであるとブッシュが言い続けた。ある程度言ったなら、そこで諦めて「大量破壊兵器はないようだから、イラク爆撃はしない」と言辞のキビスを返すべきだった。優柔不断いやいや、あきらめが肝心というものさ。
「諦める」の意味は「仕がないと断念する。思いきる」であるが、「明らむ」には「明らかに見極める。事情などをはっきりさせる」の意がふくまれている。従って諦めることによって心機一転、リフレッシュして改めて取り組むという姿勢も見えてくる。マイナスのイメージばかりの言葉ではない。
―運転していたのだが、突然のエンコ。煙を噴きあげる赤いスポーツカーのドライバーのリトル・ネズミ。あきらめて帰ろうという同乗のネコに、「まだあきらめない」とエンジンの故障を直そうと試みる。ネコは追っ付けのたまう。
「だいたいな、人間がもっとあきらめることを知ってりゃ、戦争だって起きないんだよ」。
小さなネズミが繰り広げる大冒険を描くファミリー・ファンタジー映画、『スチューアート・リトル2』の一シーンである。
さて、皆さんは「何をあきらめる?」。(04/08/20)
『お化けの生態系(河童)』105
河童は妖怪のスーパースターで、日本人なら恐らく知らない人はいない。しかしながら、河童の生態や姿形のディテールとなると、人によって観察や認識にかなりの違いがある。
河童は水陸両棲の生物で5歳の子どもくらい、とがった嘴をもち、背は甲羅で、それ以外は鱗で覆われている。手足には水掻きがあり、腕は左右が通り抜けられるスライド式。頭の上には水を蓄えるための皿があり、蓄えられた水が河童の力の源泉だ。
陸上にあっても力は強いが、水中にあるときは人馬を引き込んで肛門の尻子玉を抜いたり、生き血を吸ったりする。好物はキュウリ、嫌いなものは金物、仏飯。相撲が好きでよく人間にいどむ。
河童は全国的に伝承をもち、カワランペ、ミズチ、カワコ、ガメなど名付けられ、亀や獺、猿や虎の姿を想像している地方が多い。
はじめ口碑や絵図によって伝えられた河童だが、明治期からメディアによって情報が共有化され、画一化される。河童だけでなくすべての妖怪に通じる問題だが・・・。だが、進化はつづく。
「河童連邦共和国」という、河童と遊びつつ水に親しむ「親水」、水辺や灌漑社会の大切さを考える共和国もある。小説では芥川龍之介や火野葦平。絵画では小川芋銭や清水崑、小島功が大胆にユニークに筆端にのせている。たとえば葛飾北斎の「河童釣り」と小島功の「女かっぱ」と比較してみれば、世の変遷を思わずにはいられない。そしてどちらも素晴らしいのである。
「やめられない、とまらない」のカルビー「かっぱえびせん」(これは筆者の好物じゃよ)。黄桜酒造の「嫣然たる女かっぱ」(これも好物じゃよ)。さらに巷間では「カッパクイーン」(シンクロの美女選手が水面から顔をだし、目をカッと見開くさまを見よ)。河童の好物である胡瓜からネーミングされた「キュウリ夫人」(知的レベルが高いのに、キュウリに味噌をつけて食べる女人)など、いいっ、異化効果満点の話題しきりなり。しきりなり。
おしまいに詩を一つ。高村光太郎『芋銭先生景慕の詩』。
芋銭先生が河童にもらった尻子玉は
世にもおいしい里芋となり
里芋光を放って変貌すれば
まこと観世音菩薩におはす
先生菩薩なるか河童なるか
そもそも芋をくらひて幽玄の味に徹する
此れは野人なるか真人なるか
願はくは大休老師の一識語を得て
わたくしも亦眼をひらかう
(04/08/13)
『お化けの生態系(お岩さん)』104
お岩さんといえば、鶴屋南北の『東海道四谷怪談』のヒロインである。歌舞伎の一幕は、民谷伊右衛門が、妻お岩の父四谷左門を浅草の田んぼで殺し、お岩の妹お袖に横恋慕する薬売り直助は、お袖の夫を討とうとして人違いの庄三郎を殺してしまう。
二幕では民谷の隣家の喜兵衛が、伊右衛門に懸想する孫娘お梅の恋をかなえてやろうとお岩に毒薬を贈り、ために容貌の醜くなったお岩は悶死する。伊右衛門は秘蔵の薬を盗んだ小平を殺し、お岩とともに死骸を戸板の裏表に釘付けにして川へ流し、お梅と祝言を挙げる。三幕目は、伊右衛門が釣りをしていると見覚えの戸板が流れ着き、お岩と小平の亡霊がこもごも恨みを述べる。
仇討ちや生き返りや自殺があって四幕、大詰めは伊右衛門がお岩の亡霊にさんざん悩まされたすえ、与茂七に討たれる。
顔の半分がただれ落ち、髪の毛が抜けて病苦にやせ衰えたお岩が、「恨めしいぞえ伊右衛門殿」「ともに奈落へ誘引せん、来れや民谷」という場面が見せ場だ。
時代下って、京極夏彦の『嗤う伊右衛門』は『四谷怪談』に題材をとっているが内容はかなり異なる。こちらは蜷川監督、唐沢・伊右衛門、小雪・お岩で映画化された。怪談ではなく、伊右衛門とお岩夫婦の純なる愛のストーリーのようだ。
話は「異化」してゆくのだが、ちかごろ「お岩さんになった」という言葉が流行っているらしい。まぶたの分泌腺に黄色ブドウ菌などの雑菌が感染して炎症を起こすもの。ものもらい。まつ毛の内側まで化粧するメイクをしていると、分泌腺の出口がふさがれて黒く腫れる。偏食がちの美しい女性に多いとか。因みに「ミュータントお岩さん」は丑三つ時にかぎらず、昼間でもヌッと現われるから男性は要注意。驚いて大声を出そうものなら、末長く祟られる。
階段(怪談ではない)で遊んでいて、お転婆してコケテしまい、上まぶたが黒ずんで腫れあがった女児。ママさんから「○○ちゃん、お岩さんになったじゃないの。お岩さんしちゃいけません」。○○ちゃん「もう、お岩チャンしません。ごめんちゃい」。
(「お岩さん」=「ものもらい」=「お転婆」。・・・ロシア・フォルマリズムの芸術説「異化」。ブレヒト「異化効果」)
脈絡のないことながら、楽天市場で「お岩マスク(ラバー製)」を売っている。2625円。「ゆうれいスーツ」は5040円。「カツラ&三角巾」は1890円也。お化け大会やきもだめしのイベント用、恋人たちのたわむれグッズでもあるらしい。お化けといえども消費税はいただきま〜す。
「お仕事、お疲れさんどす。お忙しいのに京都までようお越し下さいました。主人の伊右衛門が・・・」「さて、何からお話したらよろしおすか?」と、美しい某女優さんをイメージさせる文言。竹筒型ボトルの「SUNTORY」(サントリー)の銘茶「伊右衛門」のネット・コマーシャルである。
お岩さんも伊右衛門さんも、生きておすえ。(04/08/05)
『俳句でダイエット』103
ダイエットが流行っている。ダイエット食品というカテゴリーもあれば、ダイエットのためのエアロビクスやトレーニングジムもある。「美の探究者」である女性ばかりか、近頃では中年がらみの男性も痩せよう、減量しようと血眼になっている。ま、健康志向ということで結構な話だ。
そのかみ、美食をきわめた宮廷などの食生活では、肥満防止と新たなる食欲を満たすために胃袋の内容物を吐きだし、しかるのち再び宴席についたという。口中に手を突っ込んでゲロする皇帝や王妃は、あまり格好のよいものではない。
話コロッと変わるが、「陣中膏ガマの油売り」なる口上がある。ガマの油売りは、浅草観音境内奥山で居合抜きの辻売り芸で知られる長井兵助の口上を、同じく境内で独楽廻しの曲芸をやっていた松井源水が受け継いだとされる。
「サアサア、お立ち合い、ご用とお急ぎでないかたは、ゆっくりとお聞きなさい。鐘一つ売れぬ日もなし都かな、遠出山越し笠の内、物のあや色と利方(道理)がわからぬ・・・」「・・・サアサア、お立ち合い、ガマの油を取るときは四方へ鏡を立てて、下に金網を敷き、その中にガマを追い込む。ガマは己の姿が鏡に写ると、己の姿を見て驚き、タラーリタラーリと油汗を垂らす」。
ヒキガエルの皮膚腺から分泌される乳状液を「せんそ」と称し、知覚麻痺や止血に効があるとされる。薬効はともかくとして、筆者の注目するのはガマの痩せぶり、つまりダイエット効果。このような新手のダイエットがあってよいのでは―。
そこで思い及ぶのが「俳句ダイエット」。俳句を作ることを「吐く」「捻る」ともいうが、これがなかなかの難行で、たった17文字ではあるが森羅万象をイメージしながら、油汗をタラーリタラーリと垂らす。苦吟である。
俳句に限らず連句も難行で、その難行に輪をかけて「魚賦物」といって魚の名前を入れた言葉、たとえば、「尼御前貰ひ泣きするものがたり」(天魚=あまご、鱚=きすを織り込む)のような句を付ける。
また「尻取り恋のスワンスワン」は前句の語尾の音を織り込んで、すべて恋句を案じる。俳句に劣らぬ油汗タラーリタラーリだ。
行脚姿の芭蕉像に賛す、
夏痩せか非ず詩に痩せ給ふなり 宇田零雨
これは筆者の先生(故人)の俳句である。(04/07/30)
『一億円ありがとう』102
筆者の主宰する「河童連句会」に、連句の友から一億円也を寄付したいという申し出があった。大変嬉しいことであるが、実はそのことを何年もうっかり忘れていたのだが、すでに一億円は郵便振込で会宛に振り込んであるという。
連句で出世するには、連句で勲一等旭日桐花大綬章を受けるためには金に糸目をつけない人がいて、当会のみならず、どこの会派の金庫にも30〜50億の金が唸っている。忘れていたとはいえ奇特な行為を無下にできないので、会計監査の家人に言いつけて記帳だけはさせ一億円は返還した。
「♪お金はダイジだよ〜」。こんなコマーシャルが流れる。お金は大事なものらしい、たぶん。筆者などは高級料亭に行っても「顔パス」で、札びらを切ったところで押し返されてしまい、張り合いがないことおびただしい。「ボッタクリバー」で酔っ払って、一度とことんボッタクられてみたいもの。そんな不遇をかこつ今日この頃だ。
昔のお金、つまり原始貨幣は、穀物・貝殻・毛皮・塩・布など「物品貨幣」なる代物が使われた。「物物交換」からちょっぴり進化したものだろうか。わが国で初めて鋳造された銭は、和同開珎(708年発行)という。お金はそもそも、他のものに換える代替のための「媒介物」にすぎない。究極の目的物ではないのだ。つまるところ人間は誰もお金なんぞいらなくて、代替の「あるもの」を手に入れたいのだ。
大昔のお金は、きれいな形のよい小石だったらしい。渚(なぎさ)でとっときの「美石」を見つけた男は、「これをやるから、仲良くしようぜ」と言い寄って婦女子を購入したそうな。ギリシアの「笑艶集」にちゃんと載っている。
話はとぶが、自民党の橋本派にも、一億円也の小切手が手渡されたという。そんなことは忘れてしまった、私がもらったわけではないと、橋本龍太郎さんはテレビのぶら下がりに答えていた。(もし間違いならごめんなさい、橋本さん)。なんでも歯医者さんたちがくれた一億円らしいが、歯医者さんたちは「どんな代替品」を手に入れたかったのだろうか。「婦女子」ではないらしいが、想像力の貧困な筆者にはお手上げである。
しかし、一億円を忘れてしまうなんぞ、さすが橋本派は庶民派。ありますよね、筆者だって「ついうっかり」でしたもの。(04/07/24)
『独り相撲』101
ある日の黄昏時のことだった。人の顔の見分けにくいうす暗い河川敷で、それは目撃された。がっちりとした体格のひとりの男が、不可思議な動作をしていた。
諏訪湖の六斗川、葦の葉陰から表れて四股を踏み、押し合い、突き合い、相手と組み合うような姿勢をとり、しかるのち葦の叢(むら)に消えてしまった。しばらくすると再び表れて、相撲の上手投げ、巻き落とし、かいな捻り、外無双のような、いろいろな技の決まり手のポーズをとる。あたかも相手がいて相撲をとっているような、そんなファイティングポーズをとるのであった。
六斗川には河童が棲んでいるといわれて久しい。河童は相撲が大変好きで、誰彼かまわず挑んでくる。川から上がってまなしの皿にたっぷりと「力水」の蓄えられた河童は怪力で、大男でも簡単にうっちゃられて勝負にならないそうだ。
衰弱しきった河童は人目にふれやすいが、力を得て元気もりもりの河童は人間の目に捉えにくい。見えにくいのである。見えにくいが、生臭い臭いはぷんぷんさせるという。
『水虎説』という書物によると、福岡県は筑前の姪浜の久三なる日雇い男が河童と相撲をとる話がある。何匹かの河童と取り組んでいるように周囲には見えるが、河童の姿はとんと見えないのだ。そして久三という男は、「一人相撲」という妖怪になってしまった、されてしまったというべきか。
さて話は変わるが、愛媛県は大三島の大山祇(おおやまつみ)神社には、一人で相撲の技をする神事がある。
これとは別に、ひとりで相撲のまねをして銭を乞い歩く乞食を「ひとり相撲」という。
また語意的には、相手かまわず自分だけが気張って事をすること。力量が相手と比較にならないほどすぐれていて、争っても勝負にならないこともいう。
さてさて、ここまで来て、このコラムは詰まるところ何をいいたいのかと訝る方もあろう。確かに筆者は、河童という妖怪を介して別世界を覗こうとしているが、逆に河童に操れてはいまいか。独善的に独りで相撲をとっていないか。そんな妖怪になっていないか。
力量が比較にならないほど優れているとは毛頭思っていないが、独りで解決するところがある。ともかく、このコラムも100回を超えるので、自戒をこめて―。(04/07/23)
『ようこそ!幽霊さん』100
白装束の、下半身が消え入りそうな、若くて美しい女。そんなイメージの幽霊の絵といえば、何はさておき円山応挙(1733〜1795)だろう。応挙はむろんお化け専門ではないが、芸術性の高い幽霊の絵に先鞭をつけた画家である。
も一人忘れてならないのは、時代下って鰭崎英朋(ひれさきえいほう。1881〜1968)。画題「丙干夏日」は、蚊帳の隅にボッと立ち尽くす、たおやかな佳人幽霊。行灯から、か細い紫色のけむりが二筋、ゆらゆらと揺らめき昇る・・・。(両者ともムックやグラビア誌ながら、筆者のお宝である)
応挙画は世人の認めるところだが、英朋画は筆者のタイプということで、必ずしも広く知られているわけでない。わがブックマークの幽霊さん、グラビアアイドルっていうところだ。けれどスキャナーで取り込むことはできない。なんせ相手は幽霊だ。「肖像権」はともかくとして。
ところで幽霊とはなんだろう?フロイトの説を概略すると、幽霊とは自分のうちにある不安や恐怖の投影だという。西欧人の幽霊は抑圧された心理にひそむ、「言い知れぬもの」「ひずみの正体」と言えるかもしれない。
それに対して日本の幽霊は、持て余すほどの情念のかたち、恨みや悲しさや哀れさ、ときには愛しさの混在といえないだろうか。「恨めしや〜」という言葉はたんに怨念だけでなく、愛情あればこそという部面がなきにしもあらず。愛憎が表裏一体をなす。「出る身」として、「出られる身」に深く係わりたいという思いの産物なのだ。
また幽霊のカテゴリーには「慕霊」もあり、こちらは愛憎の「愛」の濃度が濃いもの。現代風にいえばストーカーに近似する。
日本の幽霊は、憎しみや恋しさの対象者へのコンタクトとしての出現であることが口承文学や物語にみられ、相手を無視しないで、ある意味では必死にコミュニケーションを取ろうとしている。西欧の不安や恐怖一辺倒に対して、日本の幽霊は、「出る身」と「出られる身」の情感の交流であるということができる。怖さのなかに憐れや妬みがにじむ―。
おどろおどろしい幽霊の登場はアンブリーバブル(信じがたく)、サプライズ(驚き)であるが、ひるがえって別の角度からは、日本人の美意識が垣間みえる。「情感の交流」から、これまでに多くの物語が紡がれ、優れた絵画が生まれた。幽霊という異界のスーパーモデルを得た絵師は、むろん冒頭にあげた二名にとどまらない。
折しも東京はお盆。そして幽霊のシーズン。今宵迎えよう。ようこそ!美しい幽霊さん。(04/07/15)
『白い鶴を見た』99
「むがしむがし
あったけずまなあ
織機川のほとり ここ新山さ
金蔵ていう正直ものだっけど
いつだったか 宮内のまちがら商いの帰りみち
別所前あたりで腕白やろこめら
大きな鶴一羽いじめったけど
金蔵もごさいがって財布はだいで
その鶴助けたんだど」
(「夕鶴の里・語り部館」より)
「むかしむかし雪深い村。与ひょうは傷ついた一羽の鶴を助ける。鶴は、恩返しに与ひょうの妻、つうとなり、自分の羽を織り込んだ千羽鶴を贈る。大金が手に入るとそそのかされた与ひょうは、つうにもっと織るように強要し、とうとう鶴となって布を織っているつうの姿を見てしまう。翌朝、すっかりやせ細ったつうは千羽鶴を与ひょうに渡すと、別れを告げ、空に飛び立っていく」
(「妖精たちのいるところ」・「夕鶴」より)
柳田國男の昔話、「鶴の恩返し」は日本のあちらこちらに見られるが、木下順二の戯曲「夕鶴」はみちのくがふさわしい。「夕鶴」は哀愁のただよう戯曲である。
それとは別に、「白い鶴」は美しい。筆者はこのたび、白くて美しい一羽の鶴の飛んでいる姿を見ることができた。むろん幻視の世界で―。朝にとぶ鶴は「朝鶴」、夕べにとぶ鶴は「夕鶴」と呼んでもよいのだろうか。筆者が見たのは「昼の鶴」であった・・・。
戯曲「夕鶴」、仮定の話として、与ひょうが、もっと織るように強要しなかったら。また、つうの布を織っている姿を覗き見しなかったら、鶴は別れを告げて、空に飛び立たずにすんだのだろうか。こんな「夕鶴異話」を描いてみたくもなる。
「大金」という欲にそそのかされての強要、また「覗き見」についても、相手に対する深い思い遣りのこころがない。夫婦だからコレシキのことでという言い訳もあろうが、逆に夫婦だからこその守るべき一線があるのかもしれない。男女の愛のベースには、ヒューマンな愛が敷き詰められてしかるべき・・・そんなことをつらつらと考えた一日だった。
世の「与ひょう族」よ、心せよ。もって他山の石とせよ。(04/07/08)
『半死人』98
人間はある日突然、事切れて死んでしまうのでなく、じつは知らず知らずに死んでゆくものらしい。このとこは筆者の専売特許ではなく、妖怪漫画でおなじみの水木しげる氏も折にふれて言っていることである。
筆者がそのことを実感しはじめたのは、かれこれ5年ほど以前。気がついたら打撲した肘から血が出ていて、血を見るまで打撲も痛みもあまり感じなかった。また発疹が臀部にできていても知らないで、掻くことによってはじめて発疹という症状を認識した。いってみれば、痛痒感が以前にもまして希薄ということ。
また心理的な面でも、五感に半透明の膜をかけたような、感覚がやや鈍くなったというか、若いころより「喜怒哀楽を希釈した」感じなのである。
「死」は生に対置される概念で、医学、生物学、哲学、宗教学、心理学などいろいろの角度からとらえられるのだが、一日に細胞が何万個も死滅するという医学的なこともさることながら、心理的な部面、感受性の鈍さには老いを意識せざるをえない。
つい先日筆者は、「ここは何処?わたしは誰?」という付句をものしたが、自分が浮遊していて名付けられないもの、そして浮遊している場所や時間さえも認識できない。あるいはそれに近い感じをいだく。見当識があやふや。これを称して「半死人」というのだ。
旦那が奥方に「あなたァ、病院にゆきませうね」と諭されるドラマがあった。そしてこのフレーズが流行ったことがある。面白半分で、このフレーズを詩の同人誌の合評に書いたことを思いだす。
つらつらと考えてみるに、そうした半死人状態は老いの特権かもしれない。青少年期はひりひりと研ぎ澄まされた状態だったが、いまはある意味で桃源郷にあるのかもしれない。このままの状態がつづくのであれば・・・という条件付きだが。
A・ビアスは『悪魔の辞典』【生存】という詩で歌う。
<束の間のとりとめもなき悪夢なり
そこではものみな空しく ただかりそめの影ならむ
添い寝の友の死神にやさしく肘でこづかれて
夢から醒めれば われらは叫ばむ「おーナンセンス」>(04/06/25)
『猫の幌馬車』97
イヌは人間と比較にならぬほど嗅覚が鋭いが、ネコも劣らず嗅覚が鋭いことをご存じだろうか。ネコに匂いを嗅がせてしかるのち、その匂いの物を探索させる。いわゆる警察犬のするようなことが、ネコにもできると言われている。
拙宅では「チュウタツ」(「死せる孔明、生ける仲達を走らす」の仲達)という名の雄ネコを飼っているが、あるとき帰省した息子が、このネコをY鮮魚店まで連れて行って匂いを嗅がせた。つまるところ、匂いで道順を教えたのだ。鮮魚店は拙宅から約80メートルの距離があるが、家人が風邪で伏せっているときなどは、おいそれと買い物ができない。こんな事態には、チュウタツが出番となる。
イヌではテレビなどでご覧になった方もあろうが、ミニチュアの荷車をネコに引かせるという寸法だ。ラワン材に屋根はベニヤ板、一部ジーンズの古布。一寸見なれば、西部劇の幌馬車。ネコだから「馬車」はへんだけれど・・・。
某月某日、例によってチュウタツに、鮮魚店で教えたハンカチを嗅がせてお使いを言いつけた。ラッシュアワー、雨がそぼ降り、信号は二箇所ある繁華街だし心配ではあったが、買い物をすませたチュウタツは無事帰館。筆者はエントランスで出迎えた。
荷車のなかには、魚屋さんが見繕ってくれた、中トロ、ミリンボシ、カツオブシが入っていた。雨に体毛が濡れてはいたが、チュウタツは何事もなかったように、ニャンニャンと甘え鳴きした。
この子はネコに似合わずお魚はあまり喜ばず、カツオブシなんぞも見向きもしない。どちらかというと、瓜揉み、粕で漬けた沢庵、ノリタマをぶっかけた冷飯などを好む。それから、やはりマタタビ、これは間違いなく好物だ。
あッ、買い置きのマタタビを切らしたことを忘れてしまった!「ニャ−オ、ニヤーオ」。忘れてしまった、ごめん、ごめん。艱難辛苦の雨中のお使い、そのおダチンのマタタビを食わせてやることが出来ず・・・。筆者は慙愧に堪えず、こぶしを振り上げた。
―そのとき目が覚めた。
この頃よく夢をみるなァ。雨が降っている。拙宅ではネコは飼っていないが西新宿の息子のところでは飼っている。名前は仲達、お魚が好きで、外出はきらいだという。念を押すことではないが、念のため。(04/06/18)
『ドイツゴイ』96
「魚には知能というものがなく、従って、考えることも策略をめぐらすことも出来ない。魚の顔を見ればそれは誰にも判るであろう」(ヨハン・カスパー・ラファーター著『観相学による人間識別法』)。
魚釣りは四季を問わないが、淡水魚の釣りのシーズンは5月から秋にかけてがよろしい。それは釣果事情でなく、気候がよくて気分がよいという私見だ。ただいま諏訪湖では手長エビの網漁が解禁になって、釣りのシーズンに入った。
筆者は少年のころ、よく諏訪湖で魚釣りに興じた。主としてエビ釣り、フナ釣り、コイ釣りであったが、ひねもす湖面に釣り糸を垂れるのは楽しいものだった。エビは半日で50匹〜80匹。フナやコイは5尾くらいだろうか。あるとき、ドイツゴイを一尾釣り上げたことがある。
ドイツゴイは、ドイツで作られたコイの飼育変種で、変わりコイの一種。鏡ゴイと革ゴイとがあるが、普通は鏡ゴイのことをいう。20センチ大で、青みを帯びて透けるような黒い色。そのスマートな魚姿に見とれた。
このドイツゴイをガラス製の水槽にいれて、窓辺で飼育した。宵闇にゆっくりと鰭を振るドイツゴイ、裸電灯のもとで泳ぐ姿はセクシーであり、幻想的であった。(むろん当時は、セクシーという言葉など知るよしもないが)。
水も魚もエロスに通じるという。そんな「学説」を長じて読んだのだが、エンジェル・フィッシュなどはさもありなん、と思われてならない。いずれにしても、鱗を光らせて泳ぐ魚は泣きたいまでに美しい。この世のものと思われないほど。見るものの潜在意識に子宮回帰がダブルのであろうか。
冒頭の引用と対比して、次を引用する。
「コーチン(インドの都市。1502年パスコ・ダ・ラマが建設した)をよぎれる川に、人形(ひとがた)の魚あり。捕らえて姿を見るに、我らと同じき男女の違ひすらありといふ。かの魚どもはきはめて賢ければ、夜、水中よりいで、焚き火の中より小石を選みて、それもて木ぎれに火をともし、火をめがけて近寄り来る他の魚どもをとらへんとぞ」(ニコラ・コンティ・ラムジオ著『航海と旅』15世紀イタリアの旅行家)。(04/06/11)
『辞世』95
辞世とはご存じのように、死に直面して、または死期の近づいたことを察して感懐をあらわす詩歌のことである。現実に臨終の場に直面して作ったものもあろうし、まもなく終(つい)を迎えるだろうことを察知して詠んだものもあるだろう。
筆者のことで恐縮であるが、20年ほど以前に、辞世の俳句を詠んだ経験がある。2〜3句作っては、B4原稿用紙(コクヨのB4原稿用紙が好きだった)に、お気に入りのパイロット万年筆で書き記す。一週間経過しても生きているので旧作は破り捨て、改めて詠んで書き遺す。しかるのち、依然として生きているので、旧作は破り捨てて新作を書きおく。
そうした作業を夏から秋の初めまでつづけた。そのときは死期を察して俳諧の師にもそれを伝えていたのだが、ついぞ死ぬことはなく、今日まで生き永らえている。まぎれもない「ビョウキ」だったのではあるが、そうではあったのだが、筆者の「死期の察知」も当てにならなかった。いま想うと、ばかばかしいかぎり・・・。
死の四日前、芭蕉の病中吟
☆ 旅に病で夢は枯野をかけ廻(めぐ)る
が辞世ということになっている。
旅びと芭蕉らしい句で、辞世にコメントは言わずもがなだが、「旅に病で」の上五の字余りがよい。
☆
露の世は露の世ながらさりながら
これは一茶の句。破天荒の一茶がどうしたことか神妙で、しっかりと心の身支度をしている。
☆ しら梅に明る夜ばかりとなりにけり
蕪村の辞世。朝まだきの白梅と、身ぬちの暗い闇と、いかにも画人蕪村らしい。
☆
人魂で行く気散じや夏野原
こちらは北斎の辞世であるが、「気散じ」は「きばらし」「気苦労のないこと」だろう。「人魂(ひとだま)で行く」が素晴らしい。さすがは北斎である。
辞世は後日みずからの手で推敲できない、厳密に言って―。筆者など必ず後悔するだろうから、俳句の辞世は詠まぬつもりだ。
『擱筆』がいい。その辺の紙切れに擱筆と書く。これに決めている、いまのところは。(04/06/03)
『鳴くな小鳩』94
「♪ 鳴〜く〜なァ小鳩よ 小鳩よ鳴〜く〜なァ な〜まじ掛ければ〜未練がからァむ〜」
大昔、こんな流行り歌がはやった。
筆者の隠棲する寓居はメインストリートにあって、車の往来がひきもきらさない。道路から奥まった部屋に文机をおき、ここで由無し事に日日うち過ぎている。
道路と文机のあいだには防音ガラスのサッシ戸があるのだが、つい先日のこと、サッシの外側の桟に小鳩がとまっていた。筆者と小鳩との距離は、窓越しではあるが1メートルくらい。小鳩は部屋のなかの佇まいを見ているようでもあり、筆者とも目が合った。確かに目が合ったような気がする。「ク〜ク〜クー」とくぐもった声、何かを訴えかけるような鳴き声で鳴いていた。
人に馴れているのか、怪我でもしているのか、それとも子どもの鳩なのか。ともかくこんな近距離で目に触れたことはかつてない。伝書鳩などよく見かける紺青色まじり灰色でなく、雉のような茶系の羽色で小柄。河原鳩は岩や岩穴に巣作りするので、これはお寺や人家に巣をかける堂鳩、つまり土鳩かもしれない。家鳩というのもあるが、じつは図鑑で調べてもなかなか特定できないのだ。
さてこの小鳩は、翌日もきて窓枠で羽をやすめ、エントランスの脇にうずくまって筆者の外出を見送ってくれた。このときも1メートルのニアミス、いな、筆者に近づこうとしていたのではないか。そんなふうにも思われてならない。
鳩はノアの箱舟の伝説では、平和と幸福のシンボル。また古代ギリシアのアフロディテ(ヴィーナス)の話のなかでは、愛と豊穣をつかさどる神神に結びつけて考えられている。
それはともかくとして、アニミズム信仰の筆者としてはこの上なくうれしい出来事だ。一期一会(たぶん)とはいいながら、小鳩と交遊を深めたのである。
「竹の中に家鳩といふ鳥の、ふつつかに鳴くをきき給ひて」(『源氏物語』「夕顔」)(04/05/31)
『巨象消ゆ』93
死期を悟った象は群をはなれて墓場にむかい、無数の骨や牙のちらばる墓場に身を横たえ、しずかに死を迎えるといわれる。誇り高いかれらにふさわしい荘重な最期の光景だろう。象をめぐる伝説や神話はたくさんあり、象の死はドラマチックに語られることが多いが、死期を自覚する姿が見られるためかもしれない。
ところで話はとぶが、筆者の俳諧の友、友というよりも畏敬の先輩にIさんがいる。「いる」というよりも、「いた」というべきか。Iさんも筆者も俳誌「草茎」に属していたが、それまで特に親交があったわけではない。
あるとき、筆者の差別語についての小文が、朝日新聞全国版の「声」に採り上げられた。作家・筒井康隆氏の「断筆宣言」の少し前のことである。筒井氏の小説などの差別語が攻撃されていたことへの反駁、氏に対するエールの文章であった。これを読んだIさんが、筆者の意に賛成する旨の手紙をくれたのだ。
それからIさんとの文通、そして歌仙の文音がはじまった。家人をふくめて交互に捌いた三吟は20巻余、他の連衆も参加しての五吟も数巻は巻き上げた。
Iさんは外国航路の船長さんだったとお聞きしたが、温和なお人柄で腰が低く、思いやりの深い方だった。一度だけ写真を送ってくれ、一度だけ電話でお声を聞いただけだったが、文面や声から、自ずからにじみ出るものがあった。
数年にわたる葉書での文音がつづき、Iさんは連句集も上梓し、連句が何よりの生き甲斐だと申しておられた。
Iさんの年齢は筆者より二回りくらい上で、ヘルスメーターをつけていると仰っていた。ときには持病がなせる憂鬱な「ふさぎ虫」に悩まされているらしかったが、明るく振舞っていた。三年ほど前だろうか、俳誌への投句を止め、あれほど好きだと言っていた文音を休みたいと申された。ご子息さんやお嬢さんがおられるのに、毅然として一人暮らし、自律をされていたのに・・・。
その後、季節の挨拶の葉書にはご返事をくれたのだが、それもある日を境にプツンと途絶えてしまった・・・。
「俳諧の先輩・後輩」、それが一番ふさわしい。私たちの間柄について、「師弟」というのはIさんが尤も望まない関係だろう。筆者もIさんを先輩と呼びたい。巨きな先輩だった。「心を通わせ合う連衆心」「飄飄とした付合」など多くを教えてもらった、付句を通じて。
いつまでも元気と思わせて、「巨象」は忽然と消えてしまった。(04/05/21)
『ドミノ倒し』92
入るべき国民年金への未加入や、保険料の未納が話題になっている。「未納3兄弟」と攻撃していた党首が加入していなかったり、閣僚が未納で「未納6閣僚」といわれて平謝りしたり。その後は日を追って「でるわ、でるわ」、雨後の筍のように「未納」が頭をもたげる。自民党50人、民主33人、公明党13人、共産党1人、なんでも「未納政局」という熟語までとびかっている。
最初はプライバシーで公表できないだの、うっかりミスだのと言っていたが、その手では逃げ切れなくなったということか。
自民党は党として公表しない方針というが、すべに50人の未納で、「これで大方出尽くし」と思う人がいたら大間違い。巷のうわさによると、同党には未納なんぞというケチなものでなく、議員でありがらが入ってはいけない厚生年金に入っているものが数名いるそうな。会社の役員などの身分で、会社が賄賂代わりに厚生年金の掛け金を払っているというのだ。
国民には保険料をきちんと納めなさいという一方で、自分たちはこの体たらく。しかも年金法を隠れ蓑にして、政治献金をせしめている(かもしれない)。
「赤信号みんなで渡れば怖くない」そうで、未納には免疫が出来つつある。それかあらぬか議員が自分の「HP」において、自身の未納ぶりを開示している例がある。
「あら何ともなや きのふ過ぎて 河豚汁」
この芭蕉句は、昨日フグを食べたが、何ともなかった。ほっとしたけれど、肩透かしを食わされた気もするという句意である。
「あら何ともなや」、未納など大したことじゃないか。うむうむ。
―そう思わせておいて、ドミノ倒しが引き起こる。何かが、何でもかでも、ドラスティックに変化しなくてはならない、ニッポンは。このままでは滅びてしまう、ニッポン。(04/05/14)
『拷問史』91
自白は<証拠の女王>とされ、自白を強要するために、さまざまな拷問が行われてきた。
中世から戦国時代にかけては、火責め、水責め、木馬責めなどの拷問の記録があるが、信憑性には問題があるとされる。江戸幕府法上の拷問と呼ばれるものは「釣責め」で、牢屋敷の穿鑿所(せんさくじょう)で痛めつけるものである。
「むち打ち」「石抱き」「海老責め」の三つが、代表的な拷問(牢問ともいう)だ。むち打ちは、囚人を後ろ手にしばって肩をうち、石抱きは、むち打ちで白状しないとき正座させ、3尺×1尺×3寸の石を膝にのせる。白状しないかぎり石の数が増えていく。海老責めは、あぐらをかかせてナワで首と両足を締めよせ、からだを海老のように曲げる。
これでも白状しないときに、釣責めを行うのである。釣責めは、両手を後ろ手にしばって、からだを宙に釣りあげるもの。
海老責め、釣責めなどの拷問は、当時でもめったに行われなかった。また拷問の行われるのは、殺人、盗賊、関所破りで、他罪が発覚してその罪状が分明であって、その罪だけで死刑が行われるべきものにかぎり、かつ悪事をした証拠が確かなのに、本人が白状しないことを要したという。(引用は石井良助氏)。
さてさて、報道されているイラクでのアメリカ兵の虐待、拷問の映像を眺めてみよう。
「1」10人ほどの全裸男の捕虜が、ニクダンゴ状にうず高く積み上げられている。「2」ひとりのイラク人が丸裸でグロッキーの状態のまま、犬のように首環をはめられている。「3」ポンチョを着て両手に電線を付けられ、奴さんのように小さな台座に立っている。よろけて台座から落ちると、通電する仕掛けだろうか。「4」公開されていないが、男女の捕虜か、イラク女性とアメリカ兵かの性行為の映像もあるという。
ここには、一般にいうところの拷問の「物凄い痛み」というものがなく、ブラックユーモアというか、ひょうきんなサディストたちの、病めるアメリカの仕業と思われてならない。由緒正しい拷問ではなく、性的倒錯したものの行いだろう。それはむろん、「政治倒錯」したものの指揮下において行われたものだろう。(04/05/07)
『二つの映像から』90
囚われの毛むくじゃらのフセイン氏が、歯医者さんらしきに歯を診てもらっている映像が流れた。さすがアメリカは人権の国で、たとえ拘束した身柄であっても、虫歯や歯周病の治療をしてくれるのだろう。
フセイン氏は顔をゆがめて大きな口をあけ、面倒くさそうに診療に応じている。口腔が赤く映っているが、本当のところ歯が悪いかどうかは、本人に確かめてみなくては分からない。気の進まぬ表情からして、どこも悪くないのかも。
だけどしかし、虫歯の検診をしてからでないと食事は上げられないといわれ、囚われの身は食事が唯一の楽しみだから、いやいや受診しているそんな感じ。そうだよね、フセインさん。
イラクの捕虜を10人ほど丸裸にして、ニクダンゴみたいに積み上げ、それをアメリカ兵が眺めて、楽しそうに笑っている映像が流れた。報道によるとおぞましい虐待、おどろおどろしい拷問も行われたそうで、殺された者もいるとか。さすがアメリカは映画の国で、これが映画なら、B級ホラーめいたドタバタ劇として、それなりの興行成績をあげるだろう。
なんの脈絡もなく、映像がとびこんでくる。テレビという「電気紙芝居」は、スイッチを入れたときから、われわれの「インナーワールド(こころの内側に隠されてゆく世界)」を決めるシステムをもつ。まして戦場は「報道砂漠」であるので、映像のインパクトは大きいと言わざるをえない。
それを一コマとして、一枚として観せられると、想像力はいやが上にも掻きたてられる。そうですよね、ブッシュさん。あなた一流のテクニックが成功をおさめたり、ときに逆に、しっぺ返しを受けたり・・・。
ブッシュ総監督の「虫歯の治療のフセイン氏」が、嗚呼、「ニクダンゴ虐待」というキツイしっぺ返しを受けてしまった。
そうして、こうして、われわれの「インナーワールド」に刷り込まれたもの・・・そうなのだ。すべては娯楽なのだ、捕虜も虐待も、そして戦争も。映像としての単なる娯楽なのだ。(04/05/06)
『諏訪の殿様』89
♪ 諏訪の殿様ぼた餅好きで
宵に九つ朝七つ
二つ残して袋に入れて
馬に乗るとて ぼたんと落とし
取るにゃ取られず 捨てるにゃ惜しく
そこで家来衆 みな目をつむる
家来まなこをつぶりもしよが
屋根の鴉が見てござる
見てござる
上記は島木赤彦の童謡「諏訪の殿様」だが、しっかりと調べて書いた訳でなく、うろ覚えであり忝いしだいである。
ところで諏訪の殿様は、信濃の国高島藩主。建御名方神の子孫、桓武天皇の子孫、清和源氏の末など諸説がある。諏訪氏(すわうじ)を称し、諏訪上社大祝となる。鎌倉時代に北条得宗の御内人となって、神党(信濃の武士団)の中心的な存在だった。
1542年に武田晴信、信玄に滅ぼされたが、本能寺の変後、一族の諏訪頼忠が旧領を回復して徳川家康に属した。のちに武蔵の国に移り、さらには上野の国に移った。1601年には頼忠の子である頼水が諏訪に帰り、二万七千石を領した。大阪の陣の功により五千石加増されたが、1657年二千石を二家に分知、三万石を継承した。分気に諏訪上社大祝諏方家と、旗本17家があった。明治に子爵となった。(淺川清栄著『諏訪史2〜4巻』ほか)。
血なまぐさい時代の殿様のライフスタイルは知る由もなく、たま諏訪の殿様の気質なども分かるはずもない。書き残されてもいない。しかしながら、赤彦の童謡からは、ほのぼのとしたものが漂ってくる。ご存知のように赤彦はバリバリのアララギ歌人。それが、あるいはそれだからこそ、飄飄とした、ユーモラスな童謡を書いたのかもしれないと思う。
「諏訪の殿様」にちゃんとした譜面があるかどうか不明だが、ある会でこれを唄うプランがあって、家人とレッスンしている。何でも輪唱がよろしいらしいが、「取るにゃ取られず 捨てるにゃ惜しく」のあたりは難儀である。舌を噛みそうになる。もともと歌をうたうことなんぞ大嫌いなのだが・・・。(04/05/05)
『諏訪の万葉の歌』88
うちひさつ美夜能瀬川(みやのせがは)のかほ花の恋ひてか寝らむ昨夜(きそ)も今夜(こよひ)も
この歌は万葉集の東歌の一つである。
万葉集の研究家で上代文学会の会員である遠藤一雄氏によると、歌の意味は、「宮の瀬川に咲く昼顔のように、私を恋しく思い、あの子は一人寝ているであろうか。昨夜も今夜も」という内容であるそうだ。「うちひさつ」(または「うちひさす」)は宮や都にかかる枕詞で、「美夜」は「宮」のことだ。
ところでこの歌は、諏訪の歌である可能性が高いと、氏は述べられる。(こぶしの会主催、諏訪の文学講座「仮説・諏訪にも万葉の歌があった」より)。
その理由として、「宮瀬川」という川はなく、「宮川」は三重県、岐阜県にあるが東国から外れるため、諏訪の宮川のほかに見当たらないことを挙げている。
また宮川の「宮」は諏訪大神を指し、万葉のころすでにこの名で呼ばれていてのではないかと推察しておられる。
「万葉集東歌」は全部で230首あり、多くは労働や儀礼などの場で歌われた民謡や酒宴の席で歌われた歌など、東国の人びとに共有された歌が主流となっている。
すべて作者不明であるが、身近な動植物その他が生きた目でとらえられ、生活に密着した素材が溢れている。また恋歌にしても、苦しい胸うちを吐露していても、どこか健康的で明るい部面が感じられるところが特徴的だといわれる。
さて、宮川といえば、御柱祭の今年の四月、上社山出しの「川越し」で御柱が越えた川である。太い柱が大勢の氏子に曳かれて、春の淡雪の降りしきるなかを悠悠と越えたのであった。宮川は御柱に清められた聖なる川ということもできる。
「かほ花」は「顔花」で、ヒルガオのことをいうが、単に美しい花のことでもある。万葉集八には、「高円(たかまと)の野辺のかほばな面影に見えつつ妹は忘れかねつも」という歌もある。
「美夜」といい、「かほ花」といい、御柱の越えた宮川に産湯を使ったムスメは、鄙には稀な美しさだったろう。(04/04/22)
『鳥インフルエンザ』87
鳥インフルエンザが山口県の養鶏場のニワトリにつづいて、大分県でも発生した。こちらはペットとして飼育されていたチャボで、13羽放し飼いされているうちの7羽が死んだという。
タイ、ベトナム、韓国、中国などで鳥インフルエンザが発生し、それが一部でヒトにも感染したと報道されたばかりである。ウイルスの感染経路、トリからヒトへと感染するウイルスの種類も特定できないまま、飛び火するように拡がった。
養鶏場ではおびただしい数のニワトリが殺され、ダンプカーから投棄されて地中に埋められた。鶏卵も同じように何十万ケースも捨てられた。ニワトリを処分して鶏舎はがらんどう、白い消毒液をまくニュース映像が流れた。
感染経路は野鳥説、関係者が国外旅行で、ウイルスを持ったトリにふれた等々いわれている。むろん憶測の域を出ないが、原因が分からないので不安をいっそうかきたてる。
たとえばカモやハト、ジュウシマツやスズメからニワトリに感染し、さらにアヒルやインコなどにも感染するのではという懸念も報じられる。ウイルスがどのようなかたちで這入ってきたか。そのウイルスは以前から存在していたものか・・・。
筆者は鳥類が好きで、子どもの頃には白色レグホンや茶系のニワトリをそれぞれ56羽ずつ平飼い、卵が毎朝食べられた。またセキセイインコ、ブンチョウも飼い、とくにブンチョウは抱卵させて一時は30余羽飼っていた。
「花鳥風月」という言葉があり、花や月とともに「鳥」は優れて美しいものの代表。生き物のなかで、もっとも人間と係わりが深いものだろう。姿形や鳴き声の美しさということでも、また食物としての滋養や旨味ということでも・・・。人間の美意識にも深く係わっていることも疑いないだろう。
鳥インフルエンザが怖いからと、ペットのチャボやウズラ、農家や学校で飼育しているニワトリやウコッケイ、多くのコトリたちを処分するのはどんなものか。
見えないウイルスは確かに怖いが、「過剰反応」してはならない。数万羽のニワトリの死骸がむざんに捨てられ、子どもたちが手塩にかけて育てたトリが捨てられる。感染したかも不明のままで―。
トリが殺され、トリが捨てられる有様を見る人びとの心には、深い傷が残る。ウイルスが見えないように、心の傷も見えにくいのだ。(04/02/21)
『氷点下23・1度』86
筆者の記憶に間違いがなければ、日本の最低気温は北海道・旭川の氷点下41度である。(報道で知るかぎり。高山では更なる低温記録があると予測されるが)
ところで筆者の住む諏訪地方の最低気温はというと、氷点下23・1度が記録されている。これは20数年前のことで、じつはうろ覚えであったのだが、先日ローカル・ニュースの「気象の話」でそのことが放送されて確認できた。
23・1度はさぞ寒かろう・・・と思われるかもしれないが、その朝の感覚として、「空気が澄んで乾いている。脳天がバカに軽い感じ」というものだった。その当時のわが寓居は築80年と古く、部屋数は10間もあったが、都市ガスや灯油のストーブもさっぱりきかない家屋だった。
話は変わるが、そのころ(幼稚園年長時)から、愚息には廊下や板の間の雑巾がけを毎朝欠かさずやらせた。「廊下がすべる〜」と息子がいって、廊下でスケートまがいの滑りをしている。温泉の湯で雑巾を洗って、固くしぼって雑巾がけをするのだが、「往路」にぬれた廊下が「復路」には早くも氷がはってツルツルにすべる。もっとも凍ることは特段めずらしいことでなく、瞬時に凍ったことが彼を驚かせたのかもしれない。
鄙の子どもたちは下校の途中で「連れション」(並んでオシッコ)をするのだが、それが瞬くまに凍ってオシッコの棒になる。その「黄色の剣」を自分の股間から取って、チャンバラごっこをする。
寒冷地は井戸端会議というのもケンノンだ。近所の嬶さんが集まっておしゃべりしていると、井戸付近は寒いから口が強張り、唾液が凍ってシャーベット状に。また下手にクシャミをしょうものなら、アゴをはずしてしまう。呵呵大笑はむろんダメで、おかしいときはオチョボ口で笑う。嬶さんたちは人の噂もあまりしない。悪口を言い合っていると、寒さで凍死するから・・・。
山道を歩いていて、部屋で寝ていて、寒さのためにそのまま死んでしまう人も多かった。「凍え死に」は季語にもなっているが、この地方では稀なことでなく、人間はいとも簡単に凍ってしまう。
家家の軒端のツララは直径10センチ、長さ3メートルにもなる。このツララをへし折って、尖った先を相手にむけて「押し込み強盗」に入ったという事件があった。ツララは立派な凶器なのだ。
―寒い話を書いた。ホラも少し混じるが、皆さん、果たして見分けられるかな?(04/02/13)