―師 水谷真一画伯追想―
師は、大正6年和歌山県南端の黒潮の来る町、太地町に生まれた。
日展・新制作・全日本職場美術協会理事・東京新宿中村屋KKリアル
トンにて美術サークルを設立して絵画指導にあたった。
昭和55年中央での全ての職を辞して奥さんの故郷茅野市北山に移住
し八ヶ岳が最も美しく見える場所にアトリエを構え、弟子をとらず作品
制作に没頭した。私は特別に先生のアトリエに出入りさせて戴いた。
地元への協力という事で茅野市美術展の審査等にもあたり厳正な審
査を貫いた。しかし平成2年9月18日癌により絵一筋の生涯を閉じた
享年 72歳だった。

師は色彩の魔術師といえる人だった。混色には特別なこだわりを持
っていた。今のにわか作家は絵の具のチント表示の意味を知ってか知
らずか気にせず作品を描く人もあるが師はそれをしっかり使い分けて
いた。その上植物性・鉱物性の絵の具やオイルには神経質なまでに気
を使い色彩の持つ美しさを追求していた。例えば植物性の絵の具に鉱
物性のオイルを使うと年と共に色彩が鉱物性オイルに侵され色彩劣化
すること、鉱物性オイルは画面にクラック(ひび割れ)が入りにくい
という長所があること。それに対し植物性のポピーオイルは絵の具の
持っている美しさを壊さないで作品に適度な光沢を与えるなど優しい
オイルなのだが、このポピーオイルは素人がいい加減に乱用するとク
ラックが大量発生して絵の具が剥がれてしまう危険がある怖いオイル
だ。しかし先生は敢えてこのオイルに拘り、クラックが出ないよう徹
底した下地作りから作品制作にあたった。プロとしてのプライドを持
ってのことなのだろう。最近ここまで物質の持つ性格を理解して描く
作家は数少ないように思える。
作品審査も厳しかった。あたりまえのことだが温情で審査すること
などは論外だった。私に賞などは絶対にくれなかった。
私のおごりかもしれないが明らかにまさった作品でも他の人に与えた
ように思えた。見ず知らずの他人が色々な思いと感性で一生懸命描い
た作品を審査するということがどういうことであるのか後ろ姿で示し
てくれた人だった。
「伊藤君は人物をしっかり描きなさい」最後にそう言って他界した
先生の生き様に恥じない自分でありたいと日々思うのです。
師は東京方面で沢山の方々の指導にあたっておられました、もしこの
HPを見て思い当たる方がおりましたら、エピソードーなど聞かせて
戴けたら嬉しいですね。
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