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伊藤 傳
―Itoh tsutae―

いつの日か私は縄文にドップリ浸かっていた
自分でも気づかないうちに
心の中でその細胞は静かに増殖していた
描く作品は風景であり
    静物であり
        心安らぐ女性像の筈だった

縄文のビーナスは遥かなる時を越えて復活した
魂が魅せられ
我が手は自ずとその偶像を描きはじめていた
時は流れ

近代開発の大きな波は
私の足下に否応なくやって来た
私の足もとの縄文が次々に失われていく
この現実は縄文が心の中で大きな面積を占めていたことを
強引に気づかせた
足下の遺跡一つ守れない者に
縄文を愛する作家の資格などない

発掘は既に終わった
手元にはバラバラの炉石と散乱した土器片が残った
いつか必ず一隅に炉を復活
古き歴史の足跡を残したい
この かなる昔
人々の 歴史があったことを     

     そして

後に続く 子等が誇れることを信じて・・・・










  1950年 長野県茅野市に生まれる
.......    アートの世界を志向し油彩画は元新制作会員水谷真一氏に師事
  油彩画、アクリル画を経て現在ミクストメデイアの制作を続けている

―個 展―
 
1988年 第1回個展 茅野市文化センター
          
「 ふるさとの自然に抱かれて、今 」
          
1998年 第2回個展 茅野市文化センター
          
「 諏訪の祭と縄文 」
          
2002年 第3回個展 岡谷市「悠遊館」 
          
「 遥かなる縄文 」
―所属団体他―
 
ニ紀会所属(長野ニ紀会員)
           
信州美術会評議員
           
諏訪美術会委員
           
茅野市美術協会審査員
           
第49回長野県美術展本部会計
縄文に魅せられた作家展主宰
茅野市新市民会館建設及び周辺整備基本計画策定委員
           
縄文文化輝く会理事
―グループ展―
 
茅展  分野の違う7名により毎年年末に開催
―賞―
 
美術会創立30周年記念賞、市長賞、教育委員会賞、画廊賞他
平成7年 茅野市教育文化功労賞

―希望―
 
長峯遺跡のささやかな復活
個展を美術館でなく考古館で開催したい
―アトリエ―
 
〒391-0301 長野県茅野市北山8530
 



           
E-メール  johmon@live.jp
           
ホームページURL http://www.lcv.ne.jp/~johmon/
   


師 水谷真一画伯追想

  師は、大正6年和歌山県南端の黒潮の来る町、太地町に生まれた。
日展・新制作・全日本職場美術協会理事・東京新宿中村屋KKリアル
トンにて美術サークルを設立して絵画指導にあたった。
昭和55年中央での全ての職を辞して奥さんの故郷茅野市北山に移住
し八ヶ岳が最も美しく見える場所にアトリエを構え、弟子をとらず作品
制作に没頭した。私は特別に先生のアトリエに出入りさせて戴いた。
地元への協力という事で茅野市美術展の審査等にもあたり厳正な審
査を貫いた。しかし平成2年9月18日癌により絵一筋の生涯を閉じた
享年 72歳だった。

 師は色彩の魔術師といえる人だった。混色には特別なこだわりを持
っていた。今のにわか作家は絵の具のチント表示の意味を知ってか知
らずか気にせず作品を描く人もあるが師はそれをしっかり使い分けて
いた。その上植物性・鉱物性の絵の具やオイルには神経質なまでに気
を使い色彩の持つ美しさを追求していた。例えば植物性の絵の具に鉱
物性のオイルを使うと年と共に色彩が鉱物性オイルに侵され色彩劣化
すること、鉱物性オイルは画面にクラック(ひび割れ)が入りにくい
という長所があること。それに対し植物性のポピーオイルは絵の具の
持っている美しさを壊さないで作品に適度な光沢を与えるなど優しい
オイルなのだが、このポピーオイルは素人がいい加減に乱用するとク
ラックが大量発生して絵の具が剥がれてしまう危険がある怖いオイル
だ。しかし先生は敢えてこのオイルに拘り、クラックが出ないよう徹
底した下地作りから作品制作にあたった。プロとしてのプライドを持
ってのことなのだろう。最近ここまで物質の持つ性格を理解して描く
作家は数少ないように思える。

 作品審査も厳しかった。あたりまえのことだが温情で審査すること
などは論外だった。私に賞などは絶対にくれなかった。
私のおごりかもしれないが明らかにまさった作品でも他の人に与えた
ように思えた。見ず知らずの他人が色々な思いと感性で一生懸命描い
た作品を審査するということがどういうことであるのか後ろ姿で示し
てくれた人だった。

 「伊藤君は人物をしっかり描きなさい」最後にそう言って他界した
先生の生き様に恥じない自分でありたいと日々思うのです。


師は東京方面で沢山の方々の指導にあたっておられました、もしこの
HPを見て思い当たる方がおりましたら、エピソードーなど聞かせて
戴けたら嬉しいですね。




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