2. なまえ − 5 |
『古事記』 |
宣化段 |
石 比 売 命 |
小石比売命 |
倉之若江王 |
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欽明段 |
石 比 売 命 |
小石比売命 |
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『日本書紀』 |
宣化紀 |
石 姫 皇 女 |
小石姫皇女 |
倉稚綾姫皇女 |
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欽明紀 |
石 姫 |
稚綾姫皇女 |
日 影 皇 女 |
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『古事記』欽明段 |
『日本書紀』欽明元年正月甲子・欽明2年3月 |
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弟、天国押波流岐広庭天皇、坐師木嶋大宮、治天下也。 |
元年春正月庚戌朔甲子、有司請立皇后。詔曰、 |
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娶檜坰天皇之御子、石比売命、生御子、 |
立正妃武小広国押盾天皇女石姫為皇后。是生二男一女。 |
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八田王。 |
長曰 |
箭田珠勝大兄皇子。 |
1 |
1 |
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次、 |
沼名倉太玉敷命。 |
仲曰 |
訳語田渟中倉太珠敷尊。 |
2 |
2 |
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次、 |
笠縫王。 |
〈三柱。〉 |
少曰 |
笠縫皇女。 |
〈更名狭田毛皇女。〉 |
1 |
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又、娶其弟小石比売命、生御子、 |
二年春三月、納五妃。元妃、皇后弟曰稚綾姫皇女。是生 |
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上王。 |
〈一柱。〉 |
石上皇子。 |
3 |
3 |
1 |
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又、娶春日之日爪臣之女、糠子郎女、生御子、 |
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春日山田郎女。 |
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次、 |
麻呂古王。 |
次有皇后弟。曰日影皇女。〈(略)〉是生 |
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次、 |
宗賀之倉王。 |
〈三柱。〉 |
倉皇子。 |
4 |
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又、娶宗賀之稲目宿禰大臣之女、岐多斯比売、生御子、 |
次蘇我大臣稲目宿禰女曰堅塩媛。〈(略)〉生七男六女。 |
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橘之豊日命。 |
其一曰 |
大兄皇子。 |
是為橘豊日尊。 |
5 |
4 |
2 |
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次、妹 |
石坰王。 |
其二曰 |
磐隈皇女。 |
〈更名夢皇女。〉(略) |
2 |
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次、 |
足取王。 |
其三曰 |
臘嘴鳥皇子。 |
6 |
3 |
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次、 |
豊御気炊屋比売命。 |
其四曰 |
豊御食炊屋姫尊。 |
3 |
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次、亦、 |
麻呂古王。 |
其五曰 |
椀子皇子。 |
7 |
4 |
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次、 |
大宅王。 |
其六曰 |
大宅皇女。 |
4 |
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次、 |
伊美賀古王。 |
其七曰 |
石上部皇子。 |
8 |
5 |
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次、 |
山代王。 |
其八曰 |
山背皇子。 |
9 |
6 |
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次、妹 |
大伴王。 |
其九曰 |
大伴皇女。 |
5 |
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次、 |
桜井之玄王。 |
其十曰 |
桜井皇子。 |
10 |
7 |
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次、 |
麻怒王。 |
其十一曰 |
肩野皇女。 |
6 |
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次、 |
橘本之若子王。 |
其十二曰 |
橘本稚皇子。 |
11 |
8 |
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次、 |
泥杼王。 |
〈十三柱。〉 |
其十三曰 |
舎人皇女。 |
7 |
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又、娶岐多志毘売命之姨、小兄比売、生御子、 |
次堅塩媛同母弟曰小姉君。生四男一女。 |
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馬木王。 |
其一曰 |
茨城皇子。 |
12 |
9 |
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次、 |
葛城王。 |
其二曰 |
葛城皇子。 |
13 |
10 |
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次、 |
間人穴太部王。 |
其三曰 |
泥部穴穂部皇女。 |
8 |
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次、 |
三枝部穴太部王、 |
亦名須売伊呂杼。 |
其四曰 |
泥部穴穂部皇子。 |
〈更名天香子皇子。(略)〉 |
14 |
11 |
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次、 |
長谷部若雀命。 |
〈五柱。〉 |
其五曰 |
泊瀬部皇子。 |
15 |
12 |
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(略) |
(略) |
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次春日日抓臣女曰糠子。生 |
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春日山田皇女 |
与 |
9 |
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橘麻呂皇子 |
16 |
もっとも崇峻についても「第12子は、実際の誕生順にもとづく記載」と見ることも可能かとも思います。『続日本紀』の元明の「天命開別天皇之第四皇女」、あるいは『上宮太子拾遺記』に示された見方からすれば、生母の序列とは無関係に全部の子の中での誕生順などが記録されていた可能性はほとんど存在しないでしょうが、数字としては決して無理なものではありません。しかしそうなると欽明の男子15人ないし16人のうち崇峻が12番目となり、では崇峻より年下の4人ないし3人の王子は誰なのかということになってきそうです。 |