<尊厳死の意思表示カードについて>

 長野県茅野市では、市民の活動が中心になって、「尊厳死を希望する人にはそれに沿った 医療を提供する仕組み作り」をおこなっています。尊厳死については法制化の動きも加速 していますが、安楽死と混同されたり、理解が不十分なことによって、不要な混乱も生じ ています。この文は諏訪中央病院がある「諏訪郡医師会」の広報誌に、活動への理解を深 める文章を書いてほしいと請われて書いたものです。
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「尊厳死の意思表示カード」について

諏訪中央病院 平方 眞


 茅野市の「いのちの輝きを考える会」では、独自の「尊厳死の意思表示カード」の発行 を始めました。新聞で紹介されたこともあり、大きな反響を呼んでいます。その反面、「実 際に尊厳死を望む人を診る場合、どうすればよいのか」などの混乱も生じているようです。
 尊厳死については、日本尊厳死協会が法制化を求める請願書を十三万八千人の署名とと もに衆参両院議長に提出。国会側でも今年春、超党派の国会議員でつくる「尊厳死法制化 を考える議員連盟」(中山太郎会長)が発足し、尊厳死協会の法律要綱案をたたき台に検討 を始めています。一方「安楽死・尊厳死法制化を阻止する会」という団体も設立されるな ど、議論が白熱してきています。
 そこで本稿では「尊厳死」とは何か、尊厳死と混同されやすい「安楽死」とはどこが違 うのか、尊厳死が問題になるのはどのようなときか、「いのちの輝きを考える会」がどのよ うな目的を持ってこの活動を始めたのかなどについて、ひととおり解説させていただきた いと思います。楽な気持ちでお読み下さい。

尊厳死について
 今回「いのちの輝きを考える会」が発行した「尊厳死の意思表示カード」は、おもて面 に氏名、登録日、住所と電話、いのちの輝きを考える会の連絡先が書いてあります。裏面 が「尊厳死の宣言書」になっており、そこには次の三つの項目が書かれています。
(1)私の病が、現在の医学では不治の状態にあり、死期が近いと診断された場合には、死期 を引き延ばすための延命処置は、一切お断り致します。
(2)但しこの場合、私の苦痛を和らげる処置は、最大限にお願いします。そのための副作用 で、死期が早まったとしても一向にかまいません。
(3)私がいわゆる植物症に陥り、なお意識の回復の見込みがないと、2名以上の医師が診断 した時は、家族の同意を条件に、一切の生命維持装置を止めて下さい。
 以上、私の正常な精神状態の時に宣言しました。この宣言に従ってくださった時、一切 の責任は私にあります。

 この宣言書は基本的に、「日本尊厳死協会」が出している「尊厳死の宣誓書」と同じ内容 です。
 (1)は医療を長年支配してきた延命至上主義に抵抗するための文と見ることもできます。 医療・医学は飛躍的に発達してきましたが、多くの人が信じているような「医学がどんな 時でも命を助けてくれる」というのは幻想に過ぎず、いまだに不老不死を達成していませ ん。その現状から考えれば、「命の終わりがすぐそこに来ていて避けられない時でも、命の 長さを伸ばすことが絶対的な善であり、それ以外の医学には本質的な意味はない」と考え るのは現実を無視しています。実際の現場では、どんな時でも延命第一で治療に当たると いう医師は少ないのではないでしょうか。
 (2)の苦痛の緩和については、まだ普及が十分でない印象があります。症状を和らげるた めの「緩和医療」は着実な発展をしてきており、上手に行えばそれによって命が縮まるこ とはほとんどなくなってきています。しかしそのためには緻密な薬剤の調節が必要な場合 もあり、薬の使い方が上手くないと命が縮む可能性を否定できません。「尊厳死・安楽死の 法制化を阻止する会」が問題にしているのもこの点で、薬が行き過ぎれば「尊厳死」では なく後に述べる「安楽死」になってしまう危険があります。
 (3)は解釈が問題になることが多い文です。植物症=植物状態とは、意識活動を行なう部 分の脳は活動を終えているけれど、生命維持に必要な脳(脳幹)は生きている状態のこと で、栄養を補給すれば生きていけます。この状態で水分や栄養の補給を止めることは餓死 させることになるので、法律家の解釈では生命維持措置の中にこれらは含めないとする解 釈が今のところ多いです。しかしこの文を読んで同意した一般の人は、多分そうは思って いないだろうと思います。「まわりのこともわからない、人の世話になるだけの命ならなく てもいい」と思って署名したものの、実際に植物状態になったら何年もただ生かされてい る状態になる可能性があるわけです。この点については、どこまでを尊厳死として認める か今後議論していく必要があります。
 ここまで読んでいただいてわかるように、尊厳死の考え方というのは「このまま行けば 命が続かなくなることは確実」な場合にのみ問題になってくるものです。命が助かる可能 性があれば、治療を優先することを妨げるものではありません。ましてや「この人は死に たがっている」ことを示すものではありません。つまり尊厳死とは、積極的な治療をして、 結果的に命が続かなくなることが確実となった場合にのみ、考慮すべき問題なのです。
 一般の医療現場では、今まで通りの対応で全く問題はないでしょう。そして、尊厳死を 選ぶかどうかが問題になる事例というのはめったに生じるものではなく、またそのほとん どは病院で起こるものです。「いのちの輝きを考える会」の活動によって人々の関心が高ま ったからといって、頻繁に問題に直面するような事態にはなりませんので、とりあえずご 安心下さい。

安楽死について
 尊厳死と安楽死は混同されることも多いのですが、明確な違いがあります。安楽死の定 義は、「患者の自発的な意思に基づき、医師が医療行為を用いて積極的に死に至らしめるこ と」とされています。つまり安楽死とは「患者に頼まれて、楽に死なせること」なのです。 安楽死には医師が死を意図して行動することが必要なわけで、延命のみを目的とした医療 行為をやめて自然な死を迎える尊厳死とは、根本的に考え方が違います。
 安楽死に必要な医療行為としては、意識を消失させることと、生命が続かなくなる処置 をすることの両方が必須です。この二つが揃わなければ、「安楽」死とは呼べません。モル ヒネの致死量は痛みを取る量の百倍以上必要と言われていますし、塩化カリウムや筋弛緩 剤では意識があるまま死を迎えることになり、大変な苦痛を与えることになります。安楽 死をさせるのは、非常に大変なことなのです。
 日本の法律では安楽死は認められていませんし、いわゆる「安楽死事件」はいずれも苦 痛を伴って死を迎えさせる方法を取っており、実際には安楽死に当たりません。東海大病 院事件の横浜地裁判決(平成七年)では、安楽死を認める要件として@耐え難い肉体的苦 痛があるA死期が迫っているB苦痛を除去する方法を尽くし、他に方法がないC本人の意 思表示がある─の四点を挙げています。しかし緩和医療の発達によって、この四要件を不 足なく満たすことは、まず不可能であるというのが実感です。
 私は緩和ケアを仕事としている関係上、安楽死の依頼を受けることが結構あります。一 つの例として、患者さん本人から「先生には十分やってもらって感謝している。でも生き ているのはもういい。命が終わる薬を使って欲しい」と言われた場合を挙げてみます。こ のような時に私は「医者だから命を終わらせる方法はいくつか知っているが、それを使え と言われるのは『あなたには二本の腕があるのだからそれで首を絞めてくれ』と言われて いるのと同じです。だからそれはできません」と答えます。
 別の例として、症状緩和のための薬だけを投与していて昏睡状態が長く続き、疲れた家 族が「この状態で生きていることは本人も望んでいなかった。命が終わるようにして欲し い」と言われることもあります。この場合は「今使っている薬は、楽な状態でいられるよ うにというものだけで、無理に命を引き延ばそうというものは一切使っていません。つま り、今はご本人の力だけで生きているのであって、何かをやめれば命が終わるのではなく、 命が終わるためには何か手を下さなければなりません。人としてそれはできないので、最 後まで私たちも付き合いますから一緒に見守りましょう」というように答えています。
 安楽死というのは一見美しい言葉ですが、現実にそれを実行するのは、解釈はどうあれ 殺人であることには違いありません。「自然に任せれば命が終わる」状況で尊厳死を選ぶか どうか悩むのとは、全く問題の次元が違うのです。

尊厳死が問題になる場面
 死を迎える原因にはさまざま理由がありますが、現在は「癌」が最多となっています。 しかし癌で尊厳死が問題になることはほとんどありません。それは、命が終わる状況に対 して準備をする時間があるからです。病状を全く本人が認識していない場合は別ですが、 病状が把握できたところでゆっくり考えれば、自分の命をとことんまで生かし続けてほし いのか、尊厳死の宣言書にあるような死を望むのかをはっきりさせておくことができます。 それをきちんと伝えておけば、本人の望む通りの締めくくりかたができ、尊厳が守られま す。そのように考えると、癌で命が終わりになるのもあながち悪いことばかりではないと いえます。こういう場合に尊厳死の宣誓書がトラブルの種になることはほとんどありませ ん。尊厳死が受け入れられやすい状況であるといえます。
 諏訪中央病院の前々院長であった故・今井澄先生は私に、「命を延ばすための点滴などは、 一切しないで下さい。人間、ごはんが食べられなくなったら終わりだと思ってますから」 と言われました。また、「老衰で死にたい」というのも、今井先生がよく言われていた言葉 です。これらの言葉を頼りに、できるだけ老衰に近い経過で、命が終わるまで楽に過ごせ るように最大限の努力をしました。宣言書はありませんでしたが、見事な尊厳死になって います。
 現実に尊厳死が問題になるのは、突然襲ってくる事故や急病の場合の方が多いのです。 予期せぬ事態で急に意識のない状態まで悪化して、医療機関が手を尽くしたけれども植物 状態になってしまったような場合、家族が「助からない状態になったら治療をやめて尊厳 死させてほしいと言っていた」と言っても、それを証明する文書がなければ医療は延命治 療をやめるわけにはいきません。このような事態は、可能性は少ないとはいえあり得ない ことではないし、予想ができないからこそ準備が重要になります。
 そして、このような状態になるのは、ほとんどが救急で病院にかかった時です。「尊厳死 を選ぶかどうかが問題になる事例はめったに生じるものではなく、またそのほとんどは病 院で起こる」と書いたのは、このような意味合いです。

「いのちの輝きを考える会」の活動の意図
 今回の「いのちの輝きを考える会」の活動は、医療に混乱をもたらそうとか、医療に反 抗しようという意図は全くありません。今回のカードは今のところ法的、医学的な効力は 持っておらず、「自分らしい最期のために、患者自身が意思を伝えられる手立て」としての 意味を持たせることを目的としています。つまり、自分の命の終わりについて全てを医療 者任せにするのではなく、「自分はこうして欲しいと思っている」という意思を表示する手 段を提供するということです。  「いのちの輝きを考える会」は、茅野市の保健補導員の勉強会からスタートした市民の 会です。医師や宗教家を講師に終末医療について学習を重ねるうち、地元の医療機関と密 着し、尊厳死の意思表示ができるシステムづくりの実現を目指すようになりました。数年 にわたって入念に準備を重ね、茅野市医師会とも連絡を取り合い、今回のカード発行に至 りました。
 どんどん登録してもらって皆が尊厳死を選ぶ社会になって欲しいという意図があるわけ でもありません。「登録制度ができたことをきっかけに、家族や親族間でタブー視しがちな 終末期の処置について、もっと話し合ってほしい」というのが意図するところの中心にあ ります。「尊厳死を望む人、延命措置を望む人とさまざまな形があっていい。大切なのは患 者本人の意思で、自分の病気に責任を持って考えていくこと」ということが主な目的です。

尊厳死の法制化の動きについて
 最初に書いたように、尊厳死を法制化しようという動きがあります。誤解されやすいの ですが、尊厳死の法制化は医師に義務を課すものではなくて、尊厳死の意思を尊重した医 師が法的責任を問われないように、医師を守ることを目的としたものです。
 日本尊厳死協会が衆参両院議長に提出した請願書では、「延命だけを目的とした治療が、 苦しみを強制し人間の尊厳を冒すことがある。患者本人がこうした治療を拒んでいる場合 には、患者の意思を尊重し、治療を停止した医師の責任を問わないことを、法的に保証す るように」ということを求めています。
 このような動きが出てきた背景として、これまでの判例では、尊厳死と認められる状況 で、その場にいた家族も医療者も尊厳死に納得した結果の死であっても、誰かが告発すれ ば「延命治療の義務を怠った」という判決が多くなっているという事実があります。これ では、本人の意思を尊重して良心から尊厳死を支えた医師が、悪者になってしまいます。 「訴えた者勝ち」という状況にもなり、医師の立場は窮地に立たされてしまいます。
 今回のカードを提示されたからといって、医療機関が尊厳死をおこなわなければならな いという拘束力はありません。むしろ法解釈の上では、尊厳死の意思表示をされたとして も、医師が自分の身を守るためには延命治療はやめられないのが現状なのです。これでは 尊厳死の意思表示は有名無実になってしまい、真剣に考えた結果が反映されないことにな ってしまいます。
 「安楽死・尊厳死の法制化を阻止する会」という会もあり、法制化阻止にやっきになっ ています。この会の主張は前にも書いたように「適切でない症状緩和によって命が無闇に 短縮される畏れがある」ということが含まれており、そのような事態が生じないように、 医師は症状緩和医療の腕を磨く必要があります。しかしそれ以外の主張には的外れなもの が多い印象です。だいたい、「安楽死・尊厳死」とひとくくりにしていることから考えても、 十分に考慮して設立された団体だとは、私には思えません。

おわりに
 今回の「尊厳死の意思表示カード」の発行に至った経緯と、その意図するところが伝わ ったでしょうか。助かる時にも死なせて欲しいという無茶な要求をするカードではなく、 どうしても死が避けられない状況の時に、できれば静かに命を終わらせて欲しいという意 思表示をするカードだということです。
 つまり、医療現場での対応に難しい問題を持ち込む心配はまずありませんし、今まで通 りの対応をしていただくことを妨げるものでもありません。ただ、命が終わりそうな状況 になった時に、患者本人の気持ちに寄り添うきっかけにしていただければ、これ以上の幸 いはないと考えています。
(2005年7月)




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