<「できるだけのことを」という意味について>

 「できるだけのことをして下さい」という言葉は、「最善を尽くす」という意味で使われることがほとんどだと思います。しかしさまざまな理由により、この「できるだけのこと」の意味合いは一つにしぼれないことが多いのです。理解の内容がずれていると、時に大きな問題に発展することがあります。ここではおもに患者さん本人ではなく、「まわりの人」を対象に、起こりやすい問題を説明してみます。

<法律に基づいた考え方>
 現在の日本の法律では、医療は生命を維持するための方法があれば、それをしなければならないし、一旦始めたらやめてはいけないことになっています。たとえ重病で命が終わりに向かう状態であることを本人も家族も納得していて、静かに過ごしたいと思っていたとしても、病院にかかった時には生命の長さを最大限に伸ばす治療をしなければならないのが原則なのです。
 簡単な治療で、苦痛なく命の長さが伸びるのであれば、それは良い治療です。しかし身体に余裕がなくなっていると、命の長さを伸ばすにはかなり大変な治療が必要になり、気管に管を入れる人工呼吸など、本人にとっては苦しい治療が必要になることもあります。そのような場合には、受ける苦しさに比べて得られるメリットが大きい場合にのみ治療をすべきだとは思うのですが、日本の法律では苦痛を伴っても「命を延ばす治療」を優先することになっています。また、一度始めるとそれを中止することは犯罪扱いされます。
 これは日本の法体制が未熟であることの表れですが、法律は基本的に「命を長くすること」を最優先する立場だということは理解していただきたいと思います。

<医療の立場>
 医療は多くの場合、患者さん本人やご家族が一番納得していただける経過と結果になるようにしたいと考えています。しかし「できるだけ楽に過ごしたい」とか「これ以上の命の長さは求めない」という希望があった場合にそれに従うと、上に書いた「法律に基づいた考え方」に反する場合もあります。その場にいた本人・家族・医療関係者がすべて「命の長さは求めない」という考え方に同意していたとしても、それ以外の人が「医療の使命を怠った」と告発すれば、医師は医師としての義務を果たさなかったと警察に捕まる可能性もあります。
 このような事情から「命を延ばすための治療を最優先しない」ことに異議を唱える人がいたり、方針が決まっていないような場合には「命を長くする治療を最優先」せざるを得ないというのが、現在の医師の置かれている立場です。

<本人の気持ちと周囲の気持ち>
 「できるだけのことをして欲しい」というのは、多くの場合「まわりにいる人たち」の気持ちです。患者さん本人が「第一の当事者」ですから、命が長く続くことよりももっと大事なことがあると考えているかもしれません。それはたとえば、時間の長さを求めるよりも「楽であること」を求めるとか、物理的な時間よりも「誰とどのような時間を過ごすか」だったりする場合もあるということです。
 治療をすれば以前のように元気な身体に戻る可能性が高い場合には、そのための治療を最優先しても異論はないでしょう。しかし、そうではない場合に「何でも治療が最優先」としてしまうと、患者さん本人が大切にしたいと思っていた「家族水入らずの静かな時間」が治療によって失われてしまうこともあります。

<「できるだけ」の意味をはっきりさせる>
 このように考えてくると、ただ単に「できるだけのことをして下さい」と言っただけでは、「最大限命が長くなるためのこと」を最優先し、それ以外のものの価値は退けられてしまう可能性が、今の日本では高いことがわかります。良かれと思って「できるだけのことを」と言って、結果的に悲しくつらい経過にならないためにはどうすればいいでしょうか。
 一番大切なことは、丁寧なコミュニケーションを成立させることです。ここまで書いたような問題があることを理解し、その中で自分たちはどのような医療を求めているのか、主治医と考え方のズレはないか、それを確かめていくのがコミュニケーションの役割です。主治医と考え方の大きなへだたりがあるようならば、そのままにしておくと大きな後悔を生むことになりかねません。
 「できるだけのことをして下さい」と最初に言っても、途中から「苦痛が効果を上回るようなら、苦痛がないようにすることを優先して下さい」と、若干の方向転換をすることも可能です。状況は変化するものですから「最初に決めたこと」にこだわり続ける必要はありません。「誰のために何をしているのか」を考え、その時その時に応じたベストの判断をするのが良いと考えています。
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