蘇生

   (一)

 十一月半ば、出勤途中のことだった。
 車を運転中に突然、胸が痛くなった。それから歯も痛くなった。
(なんかおかしいぞ)
 不安に思いつつも運転は続けられた。そして午前中は仕事をした。
 昼休みに血圧を測ったら平常値だった。その時は胸の痛みも収まっていた。
(何もなかったか。よかった)
 しかし夕方から再び胸が苦しくなり、一時間ほど早退した。
 夕食は軽く済ませた。風呂は入らなかった。
 夜中は胸が痛くて寝苦しかった。何度か目が覚めた。

   (二)

「ここが痛んだけど」
 次の朝、起きてきた妻に、左胸を押さえながら言った。
「何だろう。よくわからないけど、念のためKクリニックへ行ってみたら」
「N病院はダメだろうか」
「紹介状がないとね。あるいは救急搬送の場合だけ。でもK先生なら何かあったら紹介状を書いてくれるから」
「まあ、車の運転もできそうだから、たいしたことはないよな」
 同意の言葉を期待して返事を待つ。
 ところが妻の口から出たのは意外な病名だった。
「そうね。心筋梗塞だったら運転はできないから」
 命題的にはたぶん正しい。
 つまり、運転ができるならば心筋梗塞ではない。
「心筋梗塞?」
 病院併設の老人健康施設に勤めている妻は、恐ろしい病名を平気で口にする。

 Kクリニックの検査では特に異状は見られなかった。ただし血圧は上が八十で下が五十とかなり低かった。
「設備の関係で、これ以上の検査はできないから」と、紹介状を書いてもらい、それを持ってN病院の救急外来へ行った。
 血液検査、心電図、血圧測定と順調に検査は進んでいった。そして、最後の検査となるCTが終わった。
(特に何もなかったかな)
 服を直してベッドから降りようとしたら、戸が開いて大勢のスタッフが入っていた。
「えっ?」
 何が起こったのかわからない。とっさに立ち上がろうとすると、
「動かないで下さい」
 大声で制止された。
 何人かに抱きかかえられ、ストレッチャーに移された。
「すぐに手術します」
 耳元で言われた。そのまま手術室へ直行となった。
 服を脱がされ、手術着に着替えさせられた。
「力を抜いて下さい」
 体に何かをされている。だが、目で確認することはできない。されるがままに任せていた。
 音は聞こえる。胸も痛くない。
 処置は続いている。自分の周りに何人いるかわからない。目は閉じていた。

 そのうちに苦しくなってきた。
(痛い)
 胸が締め付けられるようだ。
(痛い、痛い)
 息をするのも苦しい。
 そして意識が消えた──。

 どれだけの時間「消えていた」のかわからない。
 だが「蘇生」した瞬間だけは覚えている。
 急に明るくなり、急に音が聞こえた。
 音も光も全くない深い穴蔵から、いきなり放り出されたような感覚だった。

 カチャカチャと音がする。
 安堵の声も驚きの声もしない。
 片付けているのだろう。手術は終わったのだ。

 ストレッチャーに乗せられて手術室を出たら、妻の姿があった。
 不安げな、でもどこか安心したような表情をしていた。妻が小さくうなずく。私もうなずく。
 そのときわかった。
 ああ、心臓が止まっていたんだなと。
 意識が消えていた間、夢は一切見なかった。
 三途の川も、先に逝った人も出てこなかった。
 あの世なんかない。全くの「無」だ。
 ゼロではなく空集合だ。死ぬとは何もなくなることだ。

 妻からあの時のことを聞いてはいない。
 後で会社の同僚に聞いた話では、私は死んだことになっていた。
 数時間後に訂正されたらしいが、妻も自分の行動を覚えていないのだろう。
 のんきなのは、亡くなったはずの本人だけだった。

 その晩は集中治療室で過ごした。
 腰の辺りから、カテーテルの管が入れられている。
 寝返りをまったく打てないから、じっとしていると腰が痛くてたまらない。
 胸の痛みも肩の痛みも歯痛もない。痛いのは腰だけだ。とにかく寝苦しくて長い夜だった。

   (三)

 集中治療室には窓がない。
 ベルトで体をベッドに固定されているから、時計を見ることもできない。
 看護師が交代したことで、朝になったのだとわかった。
 昨日の朝はいつも通り、家で出勤の準備をしていた。だが、一日経った今日は、病室のベッドの上にいるとは。
 食事は全く受け付けなかった。
 水差しで口に運んでもらう水だけがうまい。
「これはどこの水ですか?」
と看護師にたずねると、
「あそこ」
と彼女は、すまなそうに水道を指さした。
 昼食も食べられなかった。
 夕食はマンゴーだけ食べた。
(こんなに、おいしかったっけ?)
 甘さとみずみずしさが口の中に広がる。
 この味を絶対に忘れないだろう。
 口の中が荒れてパサパサしているので、おかゆもおかずも熱い汁もまったく受け付けない。
 夕食の後で、カテーテルの管を抜いてもらった。
 消灯後は寝返りを打っていいと言われた。
 しかし、昼間寝過ぎたせいか、夜は寝付かれなかった。

   (四)

 二日経って、朝食は牛乳のみ受け付けた。
 昼食は缶詰のみかんを数個。それ以外は口の中が拒否をした。
 午前中は横になっていたが午後は起きていた。
 起きてスリッパを履く。ベッドのふちに腰掛ける。立つことはしない。また寝る。また起きて腰掛ける。
 この程度のリハビリでも疲れる。
 夕食の冷そうめん、リンゴゼリーは完食した。久しぶりにまともなものを食べられた。

 これまでの経緯を振り返ってみると、運良く生きているのだと思う。
 例えばあの日出勤してしまったら。
 例えばKクリニックではなく別の医者へ行っていたら。
 例えば運転中に意識を失ってしまったら。
 例えば詰まっている血管が破れてしまったら──。
 何か一つでも「例えば」に該当していたら、この世にはいなかったかもしれない。

   (五)

 夜中に起きないよう、昼寝をせずにいたせいでようやくまとめて眠れた。
 昨日はベッドから足を出して座るだけのリハビリだった。
 今日の午前中は立ち上がるだけのリハビリ。それだけでも大変だ。疲れてしまう。体力がここまで低下したのかと焦りを覚える。
 午後は初めての歩行。と言ってもベッドに沿って三方向を往復しただけだ。
 これだけで息が上がった。

   (六)

 入院から五日が経過した。
 まだ集中治療室を出ていない。
 ここにはテレビもスマホも新聞もないから、世間のことがまったくわからない。
 冷たい水の中に自分がいて必死にもがいているとか、そんな夢ばかり見てうなされている。
 口の中が徐々に回復してきたら、あまり水を欲しなくなった。しかも、水がまずく感じる。
 あれほどうまかった水道水なのに。
 午前中に院内を五十メートル歩く。歩く前後で血圧を測る。携帯用の心電図は常に装着している。どちらも異状はなかった。

 ようやく尿管を外してもらった。
 これまでは尿意をもよおさなくても、浸透圧により自然に排泄されていた。
 食事はほぼ通常食。おかゆが食べられるようになった。
 味覚が戻り、口の中の粘りも徐々に消えてきた。

 栄養指導を受けるため、十五時過ぎに妻が来た。
 先生の話によると、血管はかなり詰まっていたようだ。ゆっくり治して新しいスタートを切ることにしよう。
 犠牲は大きかったが、これからは自分だけの人生だと割り切ろう。
 いつものように二十一時就寝。音が気になるエアコンは切ってもらった。それでも夜中にトイレ三回。自力では行けないので、その都度ナースコール。
 このときだけは申し訳ないと思う。

   (七)

 作家だからと自分に言い聞かせ、この状況を悲観しないことにした。
 この経験が新しい物語を生み出してくれるのではないか。
 客観的に、あるいは俯瞰的に自分を見つめている自分がいる。
 何かを書きたくてたまらない。

 六日目にして初めてのご飯。おかゆではない。
 朝のうちに院内を百メートル歩いた。昨日よりも歩ける。
 白米を食べたせいか、お通じの気配があった。自然にそして大量に出てスッキリした。入院してから初めての排便だった。下腹部が軽くなった。
 それから洗髪をしてもらった。

   寝て起きて食べて出して寝て入院
   リンゴはむ命のしずく舌で受け
   寝て起きて腰痛持ちの海鼠(なまこ)かな
   寝返るは腰痛持ちの海鼠かな

   胸は痛くないですかと問われ
     痛いのは腰だけですと即答す
   ここならば諏訪湖の花火がよく見える
     望み叶いてベッドに伏す吾
   栄養指導生活指導受けている
     第一種衛生管理者の資格持つ吾

 思いつくままに句や歌を詠む。形式や文字数にはこだわらないで、まずは素直な気持ちを言葉にしてみる。

 職場(病院)でトラブルが発生して今日は来られないと、十九時過ぎに妻からの伝言があった。
 こちらは完全看護なので大丈夫ですと、心の中で伝言をする。
 夕食後はやることもなく、やってもらうこともない。
 体に何が幾つ付いているか、何本刺さっているかわからない。恐いから見ようともしない。
 自分には一生に一度のことであっても、大病院にすればいつものことだろう。絶え間なく新しい患者、自分より重症の患者が入ってくる。
 寝汗をかく。
 冷たい枕に変えてもらう。
 今日も腰が痛くてなかなか寝付かれない。ならば起きていた方がいいだろう。
 相変わらず朝までが長い。昼間も長いけれど。

   (八)

 胸の痛みを覚えてから丸一週間が経過した。
 人生にターニングポイントがあるとすれば、間違いなくこの入院がそうだろう。価値観が変わった。
 入院の日を基点に、ステップ一からステップ九までゲートが決められている。それに当てはめると、ペースは早くもなく遅くもなく今日はステップ五。

 血液検査のため、入院してから初めて病棟外へ出た。
 容態が安定したせいか、会う看護師の「大変でしたね」の言葉も滑らかになる。自覚はないまでも、本当に大変だったのだと思う。
 体に管を入れ、そこから血管にステント(金属のチューブ)を入れて広げる。医学の進歩に感謝する。
 一昔前なら「享年五十八」で終わっていたかもしれない。
 いや、一昔前でなくてもタイミングが悪かったら……。

 午前中のリハビリは二百メートル歩行のみ。
 入院時にバッグに入っていた本は「ペーター・カーメンツィント」(ヘッセ)と、「日曜俳句入門」(吉竹純)。
 普段からどんなに急いでいても、本だけは鞄の中に入れている。
 どちらも娯楽とはほど遠いので、少しずつ読み進めてようやく読了した。
 窓のない部屋で一週間が過ぎた。
 この景色にもなじんできたと思っていた夕方、突然部屋替えを言われた。
 そして一時間後には四人部屋へと移動した。諏訪湖に面した四階の部屋だ。

 外は見えるけれど、室内はあまりにも殺風景だ。スタッフもめったに顔を出さない。
 たまに来ても、やることだけやってすぐに出て行ってしまう。
 会話はほとんどない。
 大相撲に例えれば、横綱待遇から一気に幕下へ転落したような感じだ。
 それでもここはデイルーム(談話室)が近いし、そこまでは無理なく歩けるので、マイペースで静かに過ごすにはいいかもしれない。色々とやろうとせず、静かに過ごすことだ。
 夕食はベッドサイドではなく、諏訪湖周辺の夜景を見ながらデイルームで取った。
 湖畔に立つ高層ホテルのレストランよりも眺めがいいと言ったら言い過ぎか。
 食べていたら対岸から花火が上がった。どこかの祭りだろうか。

 十九時過ぎに妻が寄った。デイルームがあるからゆっくり話せる。
 それにしてもここは静かだ。
 オープンだった救急病棟では、スタッフの往来が頻繁で、その都度声をかけてくれた。体は辛かったけれど、コミュニケーションがうれしかった。
 病人にとって一番の薬は会話なのだと思う。
 手取り足取り、かゆいところに手が届く。すべてやってもらった。思えば幸せだった。
 今は何もやってくれない。それは回復した証なのだが、何とも複雑な気分だ。

   (九)

 検査があるので朝食はなし。
 書類には「入院の予定十日間」とある。順調なら退院は明後日だろうか。
 この病棟ではWi─Fiが使える。
 暇に任せて、というか勇気を出して病気について調べてみた。
 それによると──
 急性心筋梗塞の発症率は、年十万人あたり十一人。つまり約一万人に一人は毎年発症する計算だ。
 そして発症した場合の突然死は三十〜四十%。
 無事病院に収容された場合でも十%前後──
 この事実を知って、運がよかったと思うよりもぞっとした。

 一本残っていた点滴の針を抜いてもらった。これでもう、体に刺さっている物は何もない。
 昼食はいつもように一人デイルームで取る。
 食べ終えて戻ろうとしたとき、かつて同僚だったKさんに会った。奥さんが入院したらしい。お決まりのあいさつを交わしただけで、詳しいことは聞かなかった。

 パッチワークのように断片、様々な表現(小説、句、随筆など)を貼り合わせて、全体として一つの大きなテーマが浮かび上がる作品が書ければ──。
 そんなことを考えている。

 午後はシャワーを浴びた。
 一週間ぶりに自分で自分の体を洗った。体が軽くなったように感じる。明日はいよいよ入浴ができるらしい。ステップ六を順調にクリアした。
 妻が来ているときに主治医と会い、相談の結果、明後日の退院が正式に決まった。十日間の入院という計算になる。
 当たり前のことだが、これだけ「健康」なのだから、これ以上置いておく必要はないだろう。けれどもう少しここにいたいような……。
 消灯後しばらくして向かいのベッドが慌ただしくなった。
 バタバタが収まったのでそっと起き出してみたら、新しいベッドに変わっていた。その人の荷物もなくなっていた。六時間くらいしかここにいなかった。
 どこへ行ったかわからない。

   (十)

 ついに四人部屋に一人だけになってしまった。もっとも、すぐにベッドは埋まると思うが。
 ケータイの使用制限もなく、Wi─Fiが使えるので通信代がかからない。昔は病院全体がケータイ厳禁だった。暇つぶしにケータイばかり見ている。無料の『青空文庫』ばかり読んでいる。
 昼食は通常食で、豚カツが出た。もうラーメンでも焼き肉でも食べられそうだ。
 ともあれ、ここで余生をどう生きるかじっくり考えるときだろう。早期発見早期処置で助かった。今までほど動けないかもしれないが、それで十分なのかもしれない。がんばりすぎないことだ。

 念願の入浴。十日ぶりに湯に浸かった。
 夕方には家族が揃った。東京から来た娘も元気そうだった。年末に松本でシャンソンのライブを行うので、会場の下見に来たついで(?)に寄ってくれた。数ヶ月後に大学受験を控えている息子も元気そうで安心した。
 明日は自宅へ帰る。
 くれぐれも調子づかないように。病人であることを忘れずに。自分に言い聞かせる。
 入院して今日で九日。「考えること」くらいしかやることがなかった。前半はほとんどベッドの上で動くこともできなかった。
 それでもペンとノートと活字(本)さえあれば、入院生活も苦痛ではなかった。
   何がほしいと問われ
    メモ帳とペンと即答す
 手術室から集中治療室へ移り、初めて妻とした会話はこんな感じだった。
 退院したら、いきなりではなくて徐々に戻そう。徐々にでいいから。

 入院最後の晩、消灯の前に夜景を見ようとデイルームへ行ったら、Nさんが疲れた表情でポツンと座っていた。
 声はかけなかった。

   (十一)

 入院してから初めて熟睡できた。
 夜中に一度トイレに起きただけで、夢でうなされることもなかった。
 入院して数日間は、仕事の夢ばかり見てうなされていた。
 今は仕事の夢を見ない。
 帰ってからどうなるのか、どうするのか何も考えられない。
 数時間後には退院するけれど、何をしていいか、どれだけしていいか、それもわからない。
 朝はデイルームで取る最後の食事。
 湖畔を歩く人、走る人、救急車のサイレン、真っ白な北アルプス。
 時間だけがゆったり、ゆっくり流れている。

 十時に退院し、あとは家でのんびりしている。
 十八時にベッドが届いた。このベッドは傾斜を変えられて、心臓への負担を減らせる。手術をした翌日に妻が注文したらしい。
 この先ずっとこのベッドを使うのだろうか。
 現実に戻ると、自分が急に歳を取ったように感じる。
 家族揃って普通に夕食を取った。
 入浴して二十二時過ぎに就寝。

   (十二)

 一カ月間の自宅療養を経て仕事に復帰した。

おわり