〜 農業生物資源研究所 北杜市編 〜 ☆北杜市の研究所のご案内
本拠地は筑波ですが、こちらでは原種保存の養蚕のみを行っている昆虫遺伝研究チームとなり、春〜秋にかけ私も通います。
明治前までは真っ白な絹糸は中国から輸入し、その糸は西陣等で武家や豪商が召す格の高い織物に使われ、国産繭の使用はありませんでした。
幕末の財政難頃より自国繭に目を向け始めましたが、それまでの長い期間は輸入に頼っていました。
昭和初期までの養蚕は色々な原種が混合し、姿かたちはマチマチ、更に色蚕の方が白蚕よりも多かったそうです。
ちなみに沖縄には琉球原種がいました。
良質な蚕は近代まで中国管理下だったため、朝鮮等から雑多な原種が日本へ渡ってきたと考えられています。
( しかし、朝鮮繭はとても小さく糸も2デニールと通常より1/3も細いものなのですが、糸質は実は大変均一で細く美しい糸なのだそうです。
平安時代の甲冑の組紐に使われていたことが最近になり分かってきたようで、「それは糸として渡ってきたのではないかなぁ。」と職員の方が話されていました。)
日本の繭は紀元前200〜明治近くまでの長期間劣等繭だったことになるのですが、絹の長い歴史の後方で日本はオリジナル品種と生糸生産に取り掛かります。
具体的には沢山の原種が混沌と生産されていた状態を明治前後から昭和初期にかけどんどんと整え、国を挙げ良質な繭と製糸技術向上を目指し、世界一優れた生糸生産国へとなります。
現在でも多くの原種、品種を保持し一時は日本が保有する蚕種を中国が密輸(?)するという歴史と逆転な現象も懸念するほどでした。
結果的には日本のとても有能な技術者達が渡ってしまい、中国では再び良い品種と糸が生産され杞憂に終わりました。
( 蚕の祖先であるクワコには日本在来種もいますが、日本の蚕のDNAは中国のクワコと同一であり日本のクワコとは異なるといいます。
それは中国がシルクの始まりであり、そしてそこから世界へ広がったことを物語っています。)
蚕の持つ多様性は、長期の国内養蚕により日本らしい原種へと変貌していきます。
小石丸のように小さい俵型が日本原種に多く、おおもとの中国にはあまりいません。
また、ヨーロッパへ渡った蚕はとても大きく(そしてどんくさいそうです)日本、中国、ヨーロッパとそれぞれなんとなく風貌が異なります。
蚕はとても従順であり飼育担当によっても少しふっくらしたり、九州に預けていたのが戻ってきたら同じ種かと疑うほど顔立ちが変わっているということも珍しくないそうです。
なんとも柔軟な生き物です。
数千年人間と共に歩んできた蚕ですが、野外では生きることのできない深窓の昆虫です。
試験場ではしつこい私の質問に嫌な顔一つせず丁寧に教えていただきましたが、初心者級の知識だったため分からないことすらよく分からない状態でした。
そのため大まかで断片的な記述に留まっています。
今後も私の誤解による訂正や新しい記述の可能性はありますが、まだまだ知りたいことは沢山あり自分の興味に従い記録していく予定です。
追記 何が蚕の優良?劣等?と思われた方に。。
これらは人間側の都合による識別であり、一つの繭から多く糸がとれることや、病気にかかりにくいことなどがポイントになります。
例えば、日本の原種は丈夫なものが多いが糸量はかなり少ない、ヨーロッパのものは病気がちだが大きく糸量が多い。
これらを掛けあわせ丈夫で糸量の多い種が優良となり、つくるのです。
蚕は(可哀そうですが)人のために繊維や医療の分野で現在も研究、改良されます。
☆クワコ
☆蚕飼育から知った環境問題
☆現代の糸、昔の糸 原種生繭のふとり糸