写真/文
財団法人 八十二文化財団発行
「地域文化 No.65 2003.夏」より
大隅流建築継承者
宮大工棟梁
 小松 金治
 
 

 

 15歳のとき、大隅流の石田房茂棟梁(諏訪市)のところへ弟子入りして、この道50年。
「昔は孫末代までもつ家を造ったし、そういう家を造るのが大工の仕事だった。今の家の寿命は20年とか30年とか自分の代さえおぼつかないようなことになってるら。世の中、おかしいんじゃないかと思うだよ。大工も建築士も一番大切な木のことを知らんで家を造っとる」
「材木の置き場だけで六カ所あるけんど、どこに何が置いてあるかすべて頭に入っているよ。木は自分の子どもや孫と同じ。愛情をかければそれに応えてくれる、かわいいもんだよ。朝の5時になると、子どもたちが待っているので様子を見に行くら」
「すべての木に人間と同じ個性があり、それぞれ違う。素直なのもあれば曲がったり、突っ張った木もある、人間と同じだぜ。木のなりを見て、それを生かすのが大工の仕事だよ。けんど、そういう大工が絶滅しそうだ。誰も持っていかないクセのある木を買ってきて、生かす工夫をする。普通なら見向きもされない木をどうやったら生かせるか考え、適材適所に使ってあげるのはとっても楽しいだ。『俺のない知恵をしぼって考えるから、おめえもがんばってくれ、しっかりしろよ』って木にいつも語りかけるだよ」

 大工の仕事は墨付け半分、刻み半分。
「基本は墨付け。若い者にはまず、『墨付けが出来るようになれ』と繰り返し言います。基本さえ出来れば、後は小さかろうと大きかろうと同じ。けんど最近の大工は墨付けはもちろん、鉋も使えん人が多いよ。プレカットっていう機械、コンピュータで材料の木が全部用意されて組み立てるだけになっている。そういう人は一生、墨付けも鉋も使えずに終わっちゃう。急所をしっかり覚えとかんと何十年かかってもいい大工にはならんね」
「俺は大隅流だから“縄だるみ勾配”は譲れないね。縄だるみ勾配は縄を棟から軒先まで引っ張って出来た、そのたるみの曲線のこと。まさに女性の曲線美だね。この方法はご先祖の柴宮長佐衛門や矢崎善司のころからの伝統を聞いている。頑張ってこの足跡は受け継いでいきたいもんだね」

「職人らしくいかなきゃ。その心意気が大事じゃないかい。だんだんそういう職人が減ってきただ」
「2年、3年とかかった仕事が完成したときの喜びは格別だな。生まれてきてよかったと感激するだよ」
「5年間の修行時代は夢中だったね。最初の丸2年はもっぱらお子守と百姓の仕事だっただよ。とにかく一生懸命やった。あとの3年で大工の仕事をさせてもらったが、最初の雑用が今でも役立っているだ。仕事先で、キュウリのあんばいはどうかと作物の出来具合の話をしたり、奥さんと赤ちゃんの話をしたりすると棟梁がなぜそんなことを知ってるのって驚かれるね。そこで、また施主さんとも仲良くなれるずら。世の中のおかげで一人前になったとつくづく思うね」
「施主さんと親戚同様のつきあいができなければ、いいものは建たないだよ。だから、昼飯なんか忘れて行っても『外で食べてきます』なんてダメ。その家で食べさせてもらえるような関係にならなきゃ」

 
大きな仕事は泊り込みになる。
施主の心尽くしの宴席で修行時代のお子守を演じて場を笑わせる。