フランク ロイド ライト 【メトロポリタン美術館】

成田から直行便でJFKまで およそ13時間。
八月のニューヨークは暑かった。

 ニューヨークを振り出しに、トロント ナイアガラ カルガリー バンフ バンクーバー LA と アメリカ・カナダを東から西に横断してみよう。 旅のスタートはニューヨーク。 子供の頃 白黒テレビで見たスーパーマンは、摩天楼の街を舞台に大活躍していた。 自由の女神 エンパイヤステートビル イエローキャブの走る五番街 地下鉄・・・ まだ貧しさを引きずっていた頃の日本で育った私には 憧れが詰まった街だった。 


八月のニューヨークは 暑く・・・臭かった。
行って見ると 写真やビデオでは伝えきれない 温度感と匂いがある。 ニューヨークの場合匂いでなく 臭いだった。  朝 マンハッタンのシェラトンホテルから セントラルパークに向って歩き出すと すぐにカーネギーホールが見えてくる。 カーネギーホールの角を曲がり 東に歩いて行くと 歩道にスーパースターの手形がはめ込まれている。 このあたり、異様な臭いが鼻をつく。 どぶの臭いだ。 東京では最近嗅いだ事の無い 流れが澱んだ どぶ川の腐敗臭だった。 

ニューヨークは歩いてみると 歩道は広いが、所々でこぼこだ。 かつての先進的な街も インフラの老朽化が進んでいるのかもしれない。 道路の補修工事が多い。 名物の観光馬車が行き交う。 白いストレッチリムジンが行く。 屋根をはずし 真っ赤に塗装した観光用の二階建てバスが、客待ちしている。 バスから 腹の出た体格のいい黒人が降りてきて 何か言っている。
「Hey you ・・・ Sightseen ・・・NewYork・・・ you 」  
聞き慣れない黒人の英語。 聞き取れない。 You が ヨーッ に聞こえる。 NewYork が ヌー・ヨーッに聞こえる。 

プラザホテルの近くで セントラルパークに入る。
犬が飼い主とボール遊びをしている。 NY ロードランナークラブ主催のマラソン大会が開かれていた。 道端で飲料水を配る男が大声を張り上げて呼び込んでいる。 「 Ice cool Ice cool  Cool down 。」  双子用の乳母車を押して走るママさんランナー。  大勢が ホースで水を掛けてもらいながら走っていく。 

動物園を通り過ぎ しばらく行くと NY メトロポリタン ミュージアムが見えてくる。
入場券の簡単なメタルバッチを襟につけて中に入る。 
アメリカンウイングを探すが 入り口がわからない。 

「 I want to go to the American wing . How can I get there?」
「Yes Here is the gate of American wing . But It's not open right now .You should come here at 10AM」

アメリカンウイングには、アメリカを代表する建築家 フランク ロイド ライトが設計した家(内装のみ)がある。 
彼が設計する家は、水平方向・・・スパンを長くとり、ゆったりとしていて視覚的重心が低い。 絶妙な位置に 垂直 と 水平の直線を基調にした異なる素材のアクセントを入れ どっしりとした安定感を作る。 それは木目の豊かな棚であり、石作りの壁であり、窓であり、照明器具であり、家具や調度品である。 照明と採光は優しい。 木とレンガと壁を巧みに組み合わせて、落ち着いた色調に仕上げ 安らぎの空間を作る。 彼は、調度品の設計から配置まで考え合わせ、彼の感性で空間を作り上げている。 トータルにコーディネイトされた部屋は立体的で 繊細で ダイナミックで シンプルだ。 周辺に行けば行くほど 水平方向の直線の位置は高くなり、部屋の中に近づくと下へ下へと下がっていく。 そして目線の中心は広くプレーンな空間を作りだす。 調度品はアジアの風を感じさせる。 ステインドグラスの使い方が絶妙で嫌味が無い。 住宅の設計というレベルを飛び越え 芸術の域にある。 住宅は 彼にとってカンバスであり 舞台であり 彼にとって自分を表現する場だったのだろう。

彼自身が住んだ、タリアセンの家をご覧になった事があるだろうか? 現在残るのはタリアセンVと呼ばれる三代目の建物である。  この家に纏わる悲劇や 彼の人生の一端に触れたとき、人間臭い 温度感が伝わって来る。 もし施主の妻とのスキャンダラスな出来事がなければ 彼は日本に来たのだろうか。 旧帝国ホテルの設計は 別の人の手に委ねられていたかもしれない。 度重なる火災や肉親の死など 何度も悲劇に見舞われながらも 彼は苦悩の中から立ち上がる。 彼自身の言葉として 情熱によって 自らを奮い立たせ 一貫して追求してやまないもの・・・との記述が残っているそうだ。 さながら 風と共に去りぬ・・・廃墟となったタラの家の前で絶望し泣き崩れるが 次第に気持ちを切り替え 再起を期すスカーレットの様に。 人の一生を織り成す糸は、幾人もの人と ふれあい 何かを感じて 動き出す。 行き着く先は誰にもわからない。 それが一見 薔薇色の成功物語であっても 時間が経つと 過去の成功が起因となり、大きな悲劇になって戻って来る事がある。 一方 悲劇から始まった物語が その後の糸の絡み合いの中で、普通の人が気がつかず見落としているものに気がつく様になったり、強固な信念を生んだり、新たな仲間が出来たり、土俵際一杯で俵に足が掛かってから 必死で堪え 我慢しているうちに 結構幸せな時間を過ごしていたりする。 それらは すべて何らかの繋がり 因果律によって変化していくのだから 不思議なものである。 

アメリカンウイングで最も関心を寄せていた フランク ロイド ライトのパビリオンを見ながら そんな事を考えていた。 彼もまた 愚直な芸術家 信念の技術者だったのかもしれない。



Enchantment in the NY

■夜のヘリコプター
空から、ニューヨークの夜景を楽しみましょう。 
島耕作とアイリーンのように。 
ヘリコプターは面白い。 後方離陸ができる。 後ずさりしながら上昇し 向きを変え、真っ暗なハドソン川の上を滑り出す。 左手にマンハッタン。 青と黄色にライトアップしたエンパイヤステートビルが遠くに見える。 右手にはニュージャージーの街の灯り。 ロワーマンハッタンの摩天楼 世界貿易センターのツインタワー。 自由の女神はライトアップされ、青く浮き上がっている。 景色に見惚れて あっという間に 初のヘリコプターフライトは終ってしまった。 


■ワールドヨット ディナークルーズ
六時に船が出港。
ドレスコードはジャケット&タイ。 
妻の黄色のワンピースに、黄色のエルメスのタイを合わせ出かけた。
ゆったりとしたジャズが流れる船に乗船すると 黒服に蝶ネクタイのマネージャーがにこやかに出迎えてくれる。 すぐに二階席 前方の二人席へ案内してくれた。 大きな窓ガラスの向うに 夕焼けのハドソン川が見える。 青いドレスで着飾った銀色の髪のご婦人を連れた大柄な中年紳士。 紺のジャケットに派手なタイ 服装から いかにもアメリカ人。 テレビ映画に出てきそうな二人だった。  若いチャイニーズ系のカップルは 頬杖をついて 摩天楼を眺めながら何か話している。  

前菜のチーズのオードブルをつまみながら シャルドネを楽しむ。 スープが運ばれる。 妻はビスクスープ 私はマッシュルーム。 音楽はスローなバラードに変わった。

ディナークルーズは、ゆっくりと食事と音楽と移り行く景色を楽しめるように演出されている。 一皿を楽しみ終わると 皆席を立ち デッキへ出て 夕焼けのマッハッタンを眺め おしゃべりを楽しむ。 三階の展望デッキにあがってみる事にした。 椅子に腰掛け酔いを醒ましながら 黄昏て行くツインタワーを眺めていた。 美しいピンクのサリーを纏ったインド美人が、タキシードを着た紳士にエスコートされ サリーの裾をヒラリヒラリと翻し 優雅に歩いていく。  

船はバッテリーパークの沖合いで向きを変え イーストリバーに向って進む。 ブルックリンにかかる橋を眺める頃 アントレが運ばれてきた。 私はスズキのグリル アンチョビソース。 妻はFilet Mignon。 

「シャルドネを もう一杯ください。」

船はイーストリバーを遡り、国連ビルの手前で 180度 向きを変えた。 
あたりは夕暮れ 深く暗い紫色の空に 高層ビルのシルエットが浮かび ビルの灯が煌めく。 キャビンは暗く テーブルのキャンドルが揺らめく。 大きな窓の外 静かにブルックリンの橋が近づいてくる。 岸辺のピア・グリルの柔らかなイルミネーションが ゆっくり見えてくる。  その向うのビル郡の影が ゆったりと角度を変えて見えてくる。 近くの景色 中ほどの景色・・・遠くの景色が、それぞれのスピードで スローモーション グラデーション 移ろっていく。 スローで けだるいジャズが良く似合う。 ニューヨーク。


2001年8月 NY


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帰国して一ヶ月、帰宅してTV を見ると NY 貿易センタービル炎上の第一報。 現地の映像に切り替わった直後、二機目の悲劇が。。。  何が起こったのか理解できなかった。  言葉がなかった

同時多発テロで犠牲になられた方々 ご家族の方々に 御見舞い申し上げると共に、 お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたします。     合掌。



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