バーン カニタ

タイ料理は ハーブの香りで始まる。 口に含むとさわやかな酸味と甘みが口の中に広がる。 続いて 遠雷のように辛みが轟き始め 辛さは雷鳴の様に駆け巡り 雷鳴の向こうから じわじわと旨味ががやって来る。  旨味の余韻を堪能しているうちに 次の一口が食べたくなるのである。  ビールも進む。 ただし 食べすぎにご用心。 辛味の素 唐辛子のカプサイシンは ほとんで消化できず・・・効き過ぎると下痢っぽくなる人もいて、出るまで辛いカプサイシン・・・。  私が食べた世界三大辛料理は・・・ 四川省の成都 陳麻婆豆腐店で食した 赤黒いマーボー豆腐  タイのバーン カニタで食したタイ料理  サンノゼで食した 韓国料理 ・・・ 共通点は 出るまで辛いカプサイシン・・・  


タイが大好きな叔父がいた。
日本の企業を定年退職した後、バンコクへ移り住み、技術コンサルタントをしながらタイの暮らしとゴルフを楽しんでいた。  タイにいる叔父とも再会したくて 1998年 年末年始 タイに行った。 電話でタイの会社に連絡し バンコクで食事する事にした。 

待ち合わせ場所のインペリアル クイーンズパーク ホテル のロビーに現れた叔父は、日に焼け ラフなポロシャツ 素足にサンダル・・・バンコク ピープルになっていた。 せっかくバンコクに来たのだから タイ料理が食べたい・・・という私に

「本当にタイ料理でいいの?  じゃあ 地元の人が美味しいという店に行ってみよう。 」

と意味ありげに言い タクシーを止めた。 ホテルと同じ スクンビット地区にある店で 近いのだが 通りをはさんだ反対側だから タクシーの方が楽なのだそうだ。 タクシーはスクンビット通りから Soi(わき道) に入り 落ち着いた住宅街を進むと 高級な邸宅をそのままレストランにしたような バーン カニタ ( Baan Khanitha ) があった。 店内は落ち着いた調度品に囲まれ 美味しそうな香りがした。 客は裕福そうなタイ人が多い。 テーブルに案内されると 叔父は 僕らの希望を聞きながら 慣れたタイ語で注文を始めた。 何がいい? と聞かれても トムヤムクーン以外の料理は知らない。 ほとんど叔父にお任せすることにした。  次々と運ばれてくる料理で テーブルは一杯になった。 シンハビアで乾杯。 ザボン(柑橘.類)のサラダ ヤムソムオーから試してみる。 辛くてさわやかでうまい。  ヤムソムオーは ザボンと野菜と木の実やエビなどを合わせ スパイシーなドレッシングがかかっている。 叔父の説明によると ザボンは バンコクの西 ナコーンパトムあたりが有名な産地らしく 特に美味しく 一月はザボンのシーズンで特に良いのだそうだ。 実は前日 ナコーンパトムにある 有名なプラパトムチェディーに行ったのだ。 ザボンの皮をむいてラップをかけたものが あちこちの露天で売っていて 食べてみたが 渋みや苦味の無い とても美味しい甘い夏みかん。 とても気に入っていたのだが あれをサラダにする発想はすばらしい。 

素焼きのなべに入ったトムヤムクーンは 想像以上に辛かった。 しかし甘く酸味があり 癖になる辛さと美味しさがある。 妻はあまりの辛さに一杯で降参し 甘い魚のすり身揚げを食べている。 魚の形のお皿に盛られた 魚の姿揚げ炒め風の プラーカポン パット キーマオも激しく辛味が強いが 後から旨味がやってくる。  東南アジア 木陰のさわやかな風の様な酸味と甘み モンスーンの様な辛さ 黒い雲の切れ間から差し込む光の様に ふわふわと消えていく天使の様なさわやかな余韻。  
感動の夕食だった。   

食事の途中で 叔父は 

「クロスターにしないか? 」

と言い出した。 クロスターの緑のボトルを手にして言った。

「俺はいつもクロスターだ。 ゴルフの後もクロスターが旨いんだ。」

日本にいる時 叔父の話す姿をあまり見た事が無かった。 いつも黙って にやにやして 人の話を聴いていた。 無口だと思っていた。 お酒は飲めないと思っていた。 しかし 今日は ディナーの中心に叔父がいた。 旨そうにビールを飲んで 食べて 語り 笑っていた。 ほとんど 叔父がしゃべっていた。 

自分は寒い新潟で育ったけれど 暑いタイ・バンコクが大好きだ。  こっちには友達も多い。  ゴルフ仲間はすぐ集まる。 ゴルフの後のクロスターが旨い。。。 
大伽藍 アンコールワットの話、 枕木一本進むごとに人が一人死んだ 泰緬鉄道建設の話、 賢い象の話、 現在働いているタイの工場の劣悪な環境の話。。。  三時間の食事会は 叔父の独り舞台だった。  

叔父さん 美味しいタイ料理をご馳走になり どうもありがとうございました。 
ホテルまで送ってくれた後 叔父はタクシーで帰って行った。 

その後 タイは何度も行ったが、タイ料理の印象とか 良し悪しの基準は ほとんど この時 バーンカニタでの経験が基準になっている。



1998年12月〜1999年1月 タイ バンコク

追記・・・・・
その後 叔父は体調を崩してしまった。 
叔母が迎えに行き帰国。 大学病院に入院した。 数ヶ月の闘病 治療が功を奏して 夏には 一時帰宅できるまで回復した。  久しぶりの自宅で 大好きなビールを旨そうに飲んでいたそうだ。 一時帰宅が終わり病院に戻って 再び具合が悪くなってしまった。  治療も及ばず 叔父は 旅立ってしまった。 
感動の食事は 叔父との最後の晩餐になってしまった。

叔父の冥福を祈り 合掌。

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