プロム

アンコールワットにやって来た。
車を降りると子供たちが寄って来る。 
夜明け前である。 あたりは暗い。 
アンコールワットの大伽藍は暗闇の中で まだ見えない。  

お堀を越え石の山門をくぐり伽藍の中に入った。 正面に五つの祠塔が見えるはずなのだが、影さえ見る事が出来ない。 祠塔の高さや 遺跡の左右の広がり 距離感など 把握する術が無いほどの漆黒界である。 子供の頃から聞いていた アンコールワットは目の前にあるはずなのだ。  車を降りてから周囲には、みやげ物を売る子供たちが纏わりついている。 多くの観光客は山門をくぐると 階段を下り 正面の参道を進んで行く。 子供たちもその集団に纏わり 移動する。 

「アシモト キヲツケテ。」 「コレゼンブ 1ドル。」  

子供たちは 手に竹製の笛などの商品を持ち 同じ台詞を繰り返す。
私は 階段を下らずに 山門の左に寄って立ち止まり 彼らをやり過ごして 動きを眺めていた。 多くの子供たちは一団となって行ってしまった。 私の周囲には1ダース残った。 私は壁沿いに左へ移動し 小さい階段のあたりで 夜明けを待つことにした。 下りの階段の上に立ち 前を見ていれば 彼らが視線に入ることは無く 売り込みも気にならない。 妻は更に壁伝いに移動して 子供たちから逃れる考えのようだ。 私の周囲にも物売りの子供が居たが 無視したり 買う意思の無いこと示すうちに 次第に減って行った。 最後に男の子が一人残った。


彼はワンパターンの台詞を連呼するでもなく、商品を見せるでもなく、ずっと私のそばに居た。 周囲に子供が少なくなったので 私は石段に腰を下ろし夜明けを待った。 彼もゆっくりと私の左隣にやって来て腰を下ろした。 一緒に夜明けを鑑賞しましょう・・・という態度だ。 何だ この子は・・・?。  しばらくすると彼は日本語で話し始めた。

「アンコールワットは初めてですか?」
「そう 初めて」
「太陽は 塔の右 出ます。 でも ここから ちょっと遠いです。 もっと前に移動した方がいい。」

知らん顔して退散願う。 しかし 彼は続ける。

「カンボジアも初めてですか?」
「うん」
「アンコールワットだけでなく たくさん遺跡があります。 一週間では無理。 日本人だいだい二〜三日。」
「・・・」
「ホテルはどこですか?」
「タプロム」
「市場の近く。 知ってる」

もちろん たどたどしいのだが 他の子供たちと明らかに違う。 少々の驚きを感じ 彼に興味が湧いてきた。

「お前 日本語うまいなぁ。 どこで覚えたの?」
「へへへ ありがとう。 日本語は日本語学校で勉強します。」
「毎日 学校へ行っているの?」
「学校は週二回。 先生は日本人。」
「へえ〜。」
「どれぐらい 勉強したの?」
「二年」
「うまいもんだ。」
「もうすぐ夜が明ける。 五塔が見えてきた。」
「ごとう・・・?」
「Five tower 」

彼が指差す方向には 薄明るく紺色に変わり行く空を背景に アンコールワットの五つの祠塔のシルエットが浮かび上がってきた。 子供の頃から話に聞いていたアンコールワットが 目の前にある。 静かにシルエットを眺めていた。 無言で眺めている時 彼も黙って 静かに景色を鑑賞させてくれる。 写真を撮るにはまだ暗い。 もう少し彼と話をしよう。

「お前 名前は?」
「プロム  P ・ L ・ O ・ M   Plom」
「プロムは どうして日本語を勉強しているの?」
「カンボジア貧乏。 食べるには働かないと 勉強したいけどお金が必要。 だからお土産を売っています。 外国人が多い。 日本人が多い。 外国語 日本語 しゃべると 楽しい。 」
「プロムは頑張っているんだね。 君は何を売っているの?」
「写真と本。」

そう言うだけで 商品を見せるそぶりは無い。 紺のチェックのシャツに黒い肩掛け鞄 身なりもいい。 目つきも態度も落ち着いている。 物腰は穏やかでジェントルだ。   

「プロムの商品を見せてごらん」
「これは日本語の本 これは写真 写真の本。」

おずおずと鞄から取り出し 見せてくれた。

「お前 これをいくらで売りたいの?」
「10ドル 三つで30ドル 」
「高ぇ〜な〜。」
「写真は全部本物・・・アンコールトム タプロム バンテアスレイ 全部本物。」

写真は発色がいまいちだが コダックの印画紙に焼き付けた本物のようだった。 本は日本で発行されたもので 上智大学の先生の解説入りだった。 どうふうにして ここまで流れてきたのか??? 

「だけど 高いよ。」

周囲は明るくなってきた。 日の出も近い。 妻も戻ってきた。 

「5塔全部見える場所がある。 きれいに見える場所。 案内します。」

一緒に行って見る事にした。 中央の参道をゆっくりと進み、池の手前を左に入る。 朝の空気が気持ちいい。 池の端に大きな木がある。 その木の下から 寺院を眺めるアングルで プロムはニコリとして言った。

「5塔 Five tower 」

そこは朝日を背に 五つの祠塔が 池に映る場所だった。 大きな木の枝が上から覆いかぶさる向こうには、あたりを朝陽が薄赤く染め アンコールの大伽藍が池の中に広がっていた。 

「プロム ありがとう。 」
「へへへ。」
「プロムはいくつ?。」
「11歳。」
「勉強好きか?」
「ハイ」
「日本語の勉強を続けたいか?」
「ハイ」
「お前が勉強続けられるように さっきの土産を買ってあげる ただし30ドルは高い。 全部で15ドルだ。 いいか。」
「Yes Ok です。」

勉強を続けて欲しかった。 しっかり生きて欲しかった。 
彼と妻と三人で参道を戻る。 朝食をとるために一旦ホテルに移動する。 車までプロムがついて来た。 彼は 次は南大門で会いましょう・・・と言った。 朝食後 アンコールトムに行くことになっていた。 アンコールトムを囲む城壁のゲートで会いましょう・・・手を振って分かれた。

朝食は スクランブルエッグとフランスパンとコーヒー。 
カンボジアのフランスパンは美味しい。 日本でもめったに食べられない程の味だった。 本場フランスでは主食という事から 価格に関する法律の関係もあるらしく 中々美味しいフランスパンは食べられなくなったと聞く。 カンボジアでは 旧宗主国フランスの良き置き土産・・・とびきり美味しいフランスパンが残っている。  イギリスが支配した地域には 紅茶と鉄道と郵便局が残り、フランスが支配した地域には フランス料理とフランスパンが残った・・・。 旧バタビア・・・インドネシアでは、オランダの不平等な教育システムの話を スカルノ ハッタ の伝記か何かで読んだと記憶している。 インドネシアの子は学校の試験で満点をとっても60点。 後からバタビアに侵攻した日本はそういうことはしなかったようだ。 インドネシアでの対日感情がそれほど悪くないのは こういう先人の行いのおかけなのだろう・・・と想像する。  戦前の台湾では、日本人も台湾人も平等に教育の機会が与えられ 成績次第で 平等に日本の国立大学への門も開かれていたようだ。 李登輝さんは そうして京都大学で学ぶ事ができた一人と聞く。 台湾の親日感情の一端なのかもしれない。 人がした事は 後の世代まで尾を引く。  良き因果律を作ると 子孫を助けることができるのだ。  

朝食後、南大門に行く。 プロムの姿は見えなかった。 大勢の観光客 土産売り で゜混雑していた。 ウエディングドレスにタキシードのカップルがいた。 ゲートの前に広がる ナーガの欄干の前で 蝶ネクタイにスーツの若者に囲まれて祝福されていた。 遺跡の中で結婚式をあげるカップルが多くなった・・・という話を思い出しながら 彼らの幸せさうな姿を眺めていた。 神々と阿修羅の綱引き 南大門の上の四面仏にカメラを向けた。 
後ろから背中を叩くやつが居る。 プロムがニコニコして立っていた。 彼は片手を上げて

「ハーイ」
「やあ 商売はどうだい? 」
「まあまあ 次はバイヨンね。」  
「お前 行き先みんな知ってるのか。」
「バイヨンの次 バプーオン ピミアカナス その次ゾウのテラス スラスラン 最後はプノンバケン 」
「お前にとっては毎日の事だもんな。」
「へへへ。」
「もう 土産は買わないよ。」

彼はそんなつもりは無い・・・と表情を硬くして 強く首を横に振った。  
プロムゥ〜 お前 かわいいねぇ・・・。 
それから 行く先々で プロムはどこからともなく現れて ニコニコ挨拶を交わしにきた。 しばらくしゃべると 風の様にいなくなる。  

プノンバケンは 平坦なこのあたりの地形で 唯一の丘である。 夕方はここから日没を眺めるのが お約束のコースになっている。 雨に浸食され 岩がごろごろした坂道を 汗だくになって登り 頂上で夕焼けを待った。 アンコールの平原に散らばっていた観光客の半数が集まったと思える様な 今日一番の人出で 頂上は大混雑だ。 座る場所を確保して夕焼けを待つことにした。 これではプロムに会えない。  
背の高い土産物売りの少年につかまった。 今日のビジネスは厳しかったのか 殺気だっている。     

「土産は買ったからいらない。」
「買ったなら証拠を見せろ。」
「ホテルだ」
「嘘だ」

この野郎 お前からは絶対に買わない。 しかとする。

「誰から買ったか言ってみろ・・・」
「プロムだ」
「嘘だ」
「お前の知ったことか」

そこへプロムがやって来た。 プロムは事情を察して そいつに何か言った。 すると嫌な物売りはどこかへ消えた。  プロムもすまなそうな顔をして消えて行った。  ドロンとした メリハリの無いサンセットショーだった。 すっかり嫌気がさして 薄暗い下り坂をよろけながら下山した。 何気なく足を乗せた石がごろりと動いた。  ひざの力が抜けて よろよろと尻餅をついてしまった。 何十年ぶりだろう・・・尻餅。 ・・・無様。

丘の下は観光客のバスや車でごった返していた。 チャーターした車を探すのも大変な状況だった。 早くホテルに帰って シャワーを浴びて アンコールビールで さっぱりしたかった。 車に乗り込みドアを閉めると 窓を叩く奴がいる。 プロムだ。  いつの間にかやって来て ニコニコ立っている。 窓を開け プロムに言う。

「やあ どうした? プロム 」
「おみおくり・・・」 
「ありがとう プロム 勉強続けろよ。 元気でね。 」
「Thank you Good by Mr.Yang..   サヨナラ」

手を振るプロムの姿が小さくなっていく。
さわやかな思い出をありがとう。 プロム。

1999年 11月  カンボジア アンコールワット



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2009年 6月 追記
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 カンボジア アンコールワット訪問から10年。  あどけない表情をしたPLOMも21歳になっているはず。 どんな青年に成長したのだろう。 落ち着いた瞳と穏やかで人懐こい人柄はそのままだろうか。。。

 シュエムリアップからアンコールワットに向かう道沿いにアンコールクッキーを焼いているお店ができたと聞いた。 それは日本人が経営するお土産物屋さんを紹介するTVだった。 経営者は コジマ サチコさんとおっしゃる日本女性。 落ち着いたものごしで会社経営にあたり カンボジア人の若い部下と自然体で接する姿が紹介された。 そこは経営者 毅然とした空気を纏っているが 不思議と緊張感を伴っていない。 彼女はリラックスした中に凛とした雰囲気を持っているのである。 

 1999年11月 アンコールワットを旅したとき 現地の旅行会社で働く 若い日本人の女性がいらした。
どう見ても20台の若い女性が 何でこんな所で働いているのか・・・不思議に思った。 1999年当時のカンボジア・シュエムリアップは 電力事情も良くなく 今よりずっと不便な処だった。 市場では山積み野菜 一羽まるごとの鶏 地べたに並んだ川魚・・・食べ物はここで調達して暮らして行かなければならない。 彼女は鶏一羽を買い求め さばいて 火をおこして 料理する生活を平然と行っていた。 というよりそういう生活を楽しんでいるふうでもあった。

 彼女は ファビーという名の現地の女性を指導しながら ツーリストサービスに励まれていた。 彼女は カンボジアで働く事 カンボジア人と仕事をする事が心から楽しい様子だ。  彼女は 素敵な暖かい笑顔で話し掛け 初対面の人の心に 自然に す〜と 入り込んでしまう魅力を持っていた。 けっして相手を緊張させることはない。ポジティブであるが 自分の事を喋るのではなく どちらかと言うと 相手の話を良く聴いていて その話題について応える場面が多かった。 それは豊富な知識を必要とする。 しかも知識をひけらかすようなことはない。 カンボジアや近隣諸国の歴史についても 良くご存知だった。  聞き手の立場で人と接しながら ポジティブな印象を与えるには一回り大きな器が必要だ。   20台でWILLを持ち 知識も人間力もたいしたもの・・・こんなに頼もしく感じる若い日本人に 海外で出逢った事に驚いた。 

 その人は コジマさん という名前だった。  アンコールクッキーのHPで コジマ サチコさんのお顔を拝見すると 人懐こい笑顔に見覚えがある。 彼女の自己紹介を見ると 1999年 アンコールワットで旅行業につかれた・・・とある。 ほぼ 彼女に違いない。  10年前に シェムリアップでお会いした素敵な若い女性は さらに素敵な人に成長されたようだ。 


WILLを持つとすべてが変わる。 


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