雨あがる   山本周五郎   ハルキ文庫   667円  2008年 8月 一刷


雨あがるは 黒沢明監督が映画化を考え シナリオを書いたもののだが、映画化する前に監督は亡くなられてしまった。  その後 黒沢組が 寺尾聡 宮崎美子を主演に映画化し監督に捧げている。  この本は その原作である。  

黒沢監督は 映画化する際 見終わって清々しい気分になること・・・としている。 
原作は山本周五郎の短編である。 無類の腕を持ちながら 優しく 腰が低く 世渡りが下手で 浪人生活を抜け出せない三沢伊兵衛。 今度も 川止めで苛立つ貧しいもの達に食事を与えるために賭け試合をしたことが災いとなって 仕官のチャンスを潰してしまう。   剣術の腕は申し分ないのだが 賭け試合を理由に仕官が出来ないことを告げに来た老職に 妻は言う。
 
「夫が賭け試合をしたのは悪うございました。  夫も賭け試合が不面目という事ぐらいは知っていたと思います。 知っていても やむにやまれず行うことがあるのです。 大切なのは 何をしたかという事でなく 何のためにしたか・・・ではありませんか。」 

仕官に失敗して旅を続ける二人。 美しい景色を見て勇み立ち 新たな希望に置き換え笑うふたり。 そこで物語りは終るのである。 


ある人と・・・人を見極める・・・という話をしていたときの事

「何を言ったかではなく 何をしたのかを 見ればその人がわかる。  良く判っていなかったり 口先だけで何もしない人をより分けられる。」
「いやいや 何をしたかではなく 何のためにしたか・・・という見方もある。 実は雨あがるという映画があって・・・」

というやり取りから映画を見ることになった。 映画を見た後で 物語には三つの終り方があるという話を耳にした。 一つは殿様が思いなおし 召抱えたくなって追いかけ 主人公に追いつくというもの。 二つ目は 殿様が追いかけるが 主人公は国境を超え美しい景色に気持ちを新たにし 殿様が追いついたかどうかはっきりさせない終り方。  三つ目は 殿様が追いかけるという話は無く 美しい景色を見て気持ちを新たにする・・・というものなのだそうだ。 映画は二番目のシナリオになっている。 

するとなんだか 原作も読んでみたくなったのである。  黒沢明が原作を読んで琴線に触れ ローズアップしたくなったところをシナリオに書いたのだろう。 では自分はどういうところに興味が湧くのか知りたくなったのである。



原作には 主人公が持つ能力の要諦が書かれている。 


「石中に火あり 打たずんば出でず・・・」 


原作の一部を引用させて頂く・・・

石中の火を打ち出す一点・・・ その一点を見出した時 勝負が決まるのである。
三沢伊兵衛は剣術も柔術も極めて無作為で無類に強い。 格別に珍奇な手を労するわけではなく 極簡単に まさかと思うほどあっけなく 勝負がついてしまう。  

心に残ったのは この様に表現された技の奥儀だった。 

万人が同じ景色を見ている。 けれども その中から汲み取るものが違う。 多くの場合 物事には勘所というものがある。 ここを抑えれば間違いなくことが運ぶとか 流れが決まるとかという要である。 古来合戦では潮目とか 陣形の要とかがあって 名将とか名軍師はそれを見抜いている。 

多くの人が参加するプロジェクトも然り。 一人ひとりに専門があり役割があって動くのであるが 一人ひとりの仕事がきちんと進むだけでは事を成せない場合がある。 組織的な仕事では複雑なネットワークの中に 潮目とか天王山が潜んでいる。  管理工学でクリティカル・パスと呼ばれるものに近いが 多くの場合 目に見えず もっと奥が深い。 それを見出して きちんと計画に織り込み 自由にできたときに 石から火を打ち出すことができ 針の穴を通すような成果が訪れるのである。

様々な事象が複雑に重なり絡み錯綜している様は 一見収斂できないように見える。 そんな時 問題解決のポイントは 最も複雑に重なり集中したところか その周囲にあるものなのだ。 

石中の火を打ち出す一点は 何処にでも存在する。 同じものを見ているのに気づかないでいて しかも 言われて見れば あっけないほど簡単である。  気づかないでいながら 教えられても 当たり前すぎて拍子抜けしてしまい その価値に気づかない。  

見い出すには鍛錬が必要だ。 何度も場数を踏んで 精進して身に付ける能力である。 標準的なマニュアルがあるわけでなく 能力育成の手順があるわけでもない。  

川中島で上杉・武田が睨み合っているとき両雄が見ていたもの 上杉謙信が北陸で織田と刃を交えたとき謙信が見ていたもの 赤壁で曹操と対峙したとき諸葛孔明が見ていたもの 本能寺の変で織田信長が身罷ったとき黒田官兵衛が見たもの 姉川の合戦で浅井勢の前衛 磯野丹波守の突撃を見た竹中半兵衛  織田信長が桶狭間に見たもの。 

皆 石中の火を打ち出す一点 を探し 待ち 見ていたのではないだろうか。


蛇足ながら 原作 雨上がる には 雪の上の霜 という続編がある。  三沢伊兵衛と おたよ夫婦のその後のお話である。  雨あがるを執筆後 しばらくして書かれた続編が 同じ短編集に収められている。  技量と器量のかみ合わせがよろしくない主人公の ちょっと哀しく微笑ましいお話が続く。 



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