歴史・戦記・ドキュメント

■アーロン収容所
    会田雄次氏著  中公文庫  1973年 初版    571円
 
   戦争という特殊な環境を経験された著者は、軍隊が組織として機能している時 敗戦の混乱の時 収容所暮らしをしている時 それぞれ光る人材が変わるという事に気がつく。 極限の状態にあっても 感情に流されること無く 冷静で一定の視線で書かれた ビルマ戦線 時の経過の中での人景色描写。 戦争の中で織り成す日本人の行動を多面的に観察・研究する一冊。 



■インパール作戦  日本陸軍最後の大決戦
    土門周平氏著    PHP     2005年 2月 初版発行    1900円

   第四編 攻撃戦闘から読むと 現実に何が起こったのかが見えて来る。 その後 前編に立ち戻って そういう現実を生んだ背景や流れを読み解いていくと理解が深くなるようだ。  
特に第四章 極限の戦争 や 最終項 殿軍に居た宮崎繁三郎少将指揮下の支隊の撤退の記述は、強く胸に留まる。 極限状態のトップの行動は 前線で傷ついた同胞にどういう結果をもたらしたか。 一方で それを見て、何とかしようと苦悶した日本人がいる。  醜悪と信念。  日本人の中に あきらかに存在する二種類のDNA。  同じ陸軍士官学校を出て 将軍と呼ばれる立場にいたエリートたちの土壇場の行動を分けたものは何か。 人材の見極め 登用の難しさは、土壇場でないと見えてこない・・・その人の本質・本性。 




■坂井三郎 零戦の運命
    坂井三郎氏著  講談社   1994年 8月  初版発行 2300円
■坂井三郎 零戦の真実 
    坂井三郎氏著  講談社   1992年 4月  初版発行 1800円
■坂井三郎空戦記録
    坂井三郎氏著  講談社   1992年 12月 初版発行 2000円

  台南航空隊の零戦パイロットとして太平洋戦争を戦い 60機以上の撃墜記録を残した 日本海軍のエースである。 彼は言う。 「エースになろうとして なったのではない」 と。  相手を撃墜する事より 自分が落とされない事を必死に考えて実践したのだそうだ。 落とされないためには 敵より先に敵を発見することだ・・・だから視力を鍛える事を真剣に考え・実践したのである。 (野球のために 眼に悪いことは一切しない イチローの行動に通じると感じる。) 
「人から見れば 馬鹿な・・・と思われる事でも 試してみる しぶとく粘る・・・その積み重ねである。  その結果 人より長く飛ぶ事ができた。 60機におよぶ 撃墜記録は その結果にすぎない。」  ここに 大事なメッセージが込められている。 社会的ステータスを狙って行動するのではなく、ある信念でしつこく粘り強く研究・実践した結果 ステータスが付いてくるのが自然なのだ。 手段が目的化するのはおかしな事。 そうと判っていても 自分に媚びて来る人を可愛がり、信念で行動する扱いにくい人は遠ざけるのは 人の世の常。 ほんの少しでも それが変わったら 日本の未来は より明るいものになるのだろうか。 

歯に衣着せぬ 大空のサムライ 腹の底から湧き上がる渾身の一撃が綴られている。

  零戦のエース ラバウル転戦。   エースにも心の隙間があったのか・・・?。 ガダルカナル上空で被弾・・・重症を負い 視力も失う。 意識は朦朧とし、出血多量で咽喉が渇き 眠気が襲う。 被弾しガタガタの零戦 キャノピーに穴があいて風が吹き込むコックピット。 その時も 彼は、持ち前のしぶとい粘りを忘れなかった。
止血処置 視力回復の努力 水分補給 現在の自分の位置推定と帰還方位の割り出し 一つひとつ 冷静に 確実に対処していく。 ラバウル基地の誰もが撃墜されたと思っていた所へ 彼は帰ってくるのだ。 
奇跡は、絶対無理だと思える状況にあっても 粘り強く しぶとく 頑固に 愚直に 必要な事を一つひとつ割り出し 整理し 考え 行動する・・・ それらを確実に行う事によって 驚異的な結果がもたらされる。  
彼の背中から 彼の本から 教えてもらった。

  坂井三郎氏のように 人の言う事を鵜呑みにせず 疑ってかかる、 また 周囲の目を気にせず 独自の考えを確かめようとする、 確かめた事は 変人と言われても遣り通す・・・個性的な行動は、結果的に 戦時中のパイロットにとって重要な要素だったようだ。  戦時下の某国の軍隊で パイロット養成する時に 心理学者にパイロットとして有望な人材を選抜してもらうという話になり 意気に燃えた心理学者が自信を持って選抜したものの 選抜組は全員戦死してしまったそうだ。 それを聞いた心理学者は 信じられず 呆然としたそうだ。 彼はショックから立ち直った後で 生き残ったパイロットと戦死したパイロットの違いを分析した。
その結果 生き残ったパイロットは、マニュアルどおりに行動しない 天邪鬼な人達だったという事が判った。 人の言う事、マニュアルより 自分の経験から学んだ事を大事にする。 自分で感じた事や自分で確かめたやり方を実践しようとする。 ルールは変わるもの またルールはあっても現場適応を第一に・・・臨機応変な柔らか頭を持っている・・・そういう人が 戦時下のパイロットにとって大事な素養だったようだ。 

大空のエースになった人達の 行動・考え方を調べてみると 以外な事が判る。 説明されれば なるほど・・・と思えるのだが、そういう事に自ら気が付く 行動できる 実践できる となると 1000人の中でも数人に限られるだろう。 そう言う人材を伸ばし 登用することが出来たら、日本はもう一段上の階段を登れるのではないだろうか。


         



■失敗の本質  日本軍の組織論的研究
    戸部良一氏 寺本義也氏 鎌田伸一氏 
    杉之尾孝生氏 村井友秀氏 野中郁次郎氏 共著  ダイヤモンド社   1984年 5月 初版  2900円

   ミッドウェー作戦 インパール作戦 ガダルカナル戦 レイテ作戦 等 太平洋戦争中の日本軍の失敗について研究し まとめた報告書。 防衛大の教官を中心とする六名の研究者の共著。 当時の軍人は、日本人のエリートを擁した集団であったはず。 選りすぐりの日本人の集団を持ってしても、かくのごとき失敗を重ねる。 また それらの失敗には共通する特徴があるように思える。 最初に結論ありき・・・情報や分析結果は、都合よく 帰結させたい結論に合せようとしていないだろうか。 常に広範囲な情報収集や分析ならびに研究は、怠り無く行わねばならない。 相手の過小評価、自分に都合の良い解釈、精神論的勢いや感情論・面子は、厳に戒め控えなければならいない。 同じ日本人の遺伝子を持つ 現代の我々も そういう思考に陥る事を戒めたい。 
一方で 戒めても失敗はするものなのだ。 真に避けなければならないのは、失敗を恐れて何もしない事。 戦っている相手も失敗する。 戦いは、相手より多くの致命的失敗をした方が敗れる。 偉大な先達各位の経験から 失敗に陥りやすい癖・気質・考え方を正し 果敢に挑戦すればよい・・・と考えるのである。



■関が原
    司馬遼太郎 氏著

   関が原 上・中・下巻〜城塞 上・中・下巻 計6冊は 関が原の戦いから大阪の陣で豊臣家が滅亡するまでの物語である。 関が原では 石田三成の家老 島左近の視線を中心に時代描写している。 司馬遼太郎氏の 歯切れの良い文章 深い時代背景 人間心理眼 魅力である。 
   三成に過ぎしものが二つあり、島の左近に 佐和山の城。  当代の名士 島 左近が、如何にして年下の三成に仕えたか・・・。 歴史は勝者が作るもの。 敗軍の将 石田三成像は歪められて、後世に伝えられたことは間違いない。 


■城塞
    司馬遼太郎 氏著

   大坂夏の陣 冬の陣 の物語。  関が原に破れた西軍方の浪人衆は 豊臣家の呼びかけを受けて、大坂城に集結する。 毛利勝永 明石全登 後藤又兵衛 真田幸村 自分の力量を世に示す土俵を求めて集まった大名・家老級の浪人たち。 慧眼鋭く 戦略的思考冴え 人物掌握の魅力のオーラを放つ者 自己顕示欲の強い者 死に場所を求めて来た者・・・一方で人材不足でレベル低下著しい大坂譜代衆との軋轢 全軍を掌握し 束ね 推し進める求心力の欠乏・リーダーの不在。 当時の豊臣家の家老は、片桐且元が去り、不在の中 大野治長が担っていた。 しかし彼は 淀殿の乳母である大蔵卿の局の息子。 戦経験も乏しく、豊臣家の執事役が精一杯の器量。 年若い秀頼や淀殿を補佐し 彼らに代わって全軍をまとめる度量があるようには思えない。 光る部下の能力を活かせない 束ねられない リーダーに率いられた集団は悲惨だ。


■ローマ人の物語 U ハンニバル戦記
    塩野七生 氏著   新潮社   1993年  8月  初版    2600円

   カルタゴとローマのポエニ戦争。 歴史の教科書では一行あるかないかの出来事にフォーカス。 アルプスを越えてローマに攻め込んだハンニバル軍。 カンネの戦いで迎え撃つローマ軍。 ローマ自慢の重装歩兵を主力にした 密集フォーメーションは、ハンニバルの巧みな鶴翼包囲線に引き込まれていく。 

   後年 若きスピキオが登場、アフリカのカルタゴ本国に攻め込む。 ザマの会戦で見せた スピキオのフォーメーションの冴え。 カルタゴの象部隊の突撃力をかわし 形勢逆転。 二人の天才的な戦略家の物語。 

   しかしながら 一旦ヒーローになり ステータスを得た後の処し方が難しい。 なまじ高みに登ったがゆえに、ぼろが出て 失脚すると一層惨めな醜態をさらす。 人から嫉み 疎まれたら暗殺の危機もあるわけである。 一発当てた その後が大事なんだよ・・・ 更に賢く、必死に考えて うまく処しなさい・・・そういう教えに思えてならない。

        

 ローマ人の物語は ハンニバル戦記と ユリウス・カエサル上下 が 面白い。

■諸葛孔明
    陳 瞬臣 氏   中央公論社  1991年 初版   上・下巻 それぞれ 1500円 

  西暦で言うと 200年前後・・・中国の有名な三国志のお話。 最初はたくさん人の名前が登場し、困難するが、添付されている人名とプロフィールを記したカードが役に立つ。 次第に読み進めると 優勝劣敗が進み 登場人物も絞られてくる。 最初の膨大な登場人物を理解するというバウンダリーを超えてしまえば、あとは楽しい物語である。   弱小国の人材不足 総力戦の疲弊。 少ない人材から生まれた 少数の有能な部下も ある意味では ライバルが少なく 忠告してくれる同僚に乏しく 代替する人材が居ない為に 独善的な負の部分が増長してしまうものなのか。  

   


■台湾人と日本精神  日本人よ胸を張りなさい
    蔡 焜燦 氏著  小学館文庫   2001年 9月 初版    619円

  金を残すは下  事業を残すは中  人を残す人生こそが上なり・・・。 日清戦争の結果 日本に割譲された台湾。 欧米列強に飲み込まれまいと 富国強兵で国力を高めようとする明治時代の日本。 当時の日本は 決して裕福ではなく 日本本土のインフラとて充実はしていなかった。 困窮の中から予算を充当し 一線の人財を送り込み 自治技術 治水技術 農業技術 衛生技術など 生活基盤を整備し 文化・教育・よりよい考え方を広めようとした日本人が、台湾に残したものとは。  台湾の人たちの親日的な思いの原点とは・・・。

作物を作るは下農  土を作るは中農  人を作るをもって上農となる。




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■真珠湾攻撃総隊長の回想  淵田美津雄自叙伝 
    淵田美津雄氏著  中田整一氏 編/解説   講談社  2007年 12月 初版  1900円

  実線の指揮官として見た真珠湾攻撃 ミッドウェー海戦。 航空参謀として見た ラバウル戦 マリアナ戦 レイテ戦。  広島・長崎を目撃。 太平洋戦争を 佐官級将校の視線 リベラルな切り口で捉えたドキュメント。 命を賭して戦い 死線の淵を何度も覗き込んでは 生き残り 終戦を迎えた。  航空戦と機動部隊の戦略ビジョンを自ら開き 仮説を検証ながらも 応用発展活用ができない日本海軍。 消極的な作戦指導 巧遅拙速の原則を外す戦術など 上層部に対するオブジェクション。 冷静・合理的に指摘している。 このあたりは 日本人の限界とか閉塞感を感じる。 終戦後 公職を剥奪され 恩給もなく 友は去って行く。 戦争に負けたのは 腕っ節の勝負に負けただけで 犯罪を犯したわけではない。 何故犯罪扱いされるのか・・・ 同胞にまで白眼視され 深く いたたまれない思いが伝わってくる。  クリスチャンに改心 布教活動に専心する経緯が 本人の言葉で記されている。   文中に 編集者の解説が 上手に挿入されている。




■最後の連合艦隊司令長官 小沢治三郎 
    二宮隆雄氏著   PHP   1999年 2月 初版  1700円

  映画 連合艦隊 では 故丹波哲郎氏が演じた 小沢中将。
182cmの立派な体躯、鬼瓦の様な風貌、大勢に流されず広い視野からもたらされる独創的な着想、リベラルな海軍にあっても 一風変わった提督だったようだ。 

  海軍兵学校恒例のボートレース。 対抗戦の伝統に寄れば 各チーム毎に 腕っ節の強い剛のメンバーが選抜され、腕立て伏せで特訓したらしい。 小沢チームでは 今までの常識や慣例に反して・・・次のような方針で臨む・・・

  1.レースは長丁場 瞬発力ではなく 持久力である。 だから肺活量の大きい者を選ぶ。 
  2.ボートを漕ぐのは 腕力ではなく 背筋力である。 だから訓練は背筋強化する。 
  3.排水量が軽い方が早い。 だから できるたげ体重の軽いメンバーを選ぶ。

レースでは最初の瞬発力で遅れをとったものの 後半は、彼の作戦通りに展開、先行するボートを追い抜き、優勝したそうだ。 

  海軍軍人となった後も 劣勢の艦船で勝つためには小型艦艇による水雷戦と考えて 水雷を専攻したり、軍縮会議で制限されていなかった航空機に眼をつけ機動部隊創設に関わる。  航空機により 英国戦艦 プリンスオブウェールズ を撃沈した事。 レイテの囮作戦 アウトレンジ戦など 冷静で広い視野から生まれる独創的な 作戦指導が並ぶ。  しかし 彼が作戦指導する時には 技量・錬度・戦力が下がりつつあり 成果に結びつかない事が多くなる。  一貫して 寡を持って 衆に打ち勝つには 過去の成功事例に執着せず セオリーや既定路線にこだわらず 広く俯瞰して 独創先取の研究と実践・・・というのが持論だったようだ。







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■英傑の日本史 信長 秀吉 家康編
    井沢光彦氏著   角川文庫   2009年 3月 初版  552円

昔の仏教・寺院は僧兵を持つ武力集団で 現代のそれとはかなりイメージの違う存在であった事は知られているが、紙や油の製造・販売許認可権を持ち 特許収入の様な形で強い財政基盤を持っていた事は良く知らなかった。 それらに特許料を支払って得た特権的業者の集団を 座 と呼び そのあたりの話まで及んで 信長の行った 楽市・楽座の意味や 宗教団体との抗争の意味が見えてくる。   羽柴筑前守・・・丹羽長秀 と 柴田勝家 の一字をもらって銘銘という通説を覆す 木々の端くれとは・・・。 何を読んでも釈然としない 千利休を殺した本当の理由は・・・。  半分以上 初めて聞く話がたんたんと続く 良く知っているはずの安土桃山時代 知らないことがたくさんある。   久しぶりに面白い本にであった。







遠くへ行きたい・旅物語
Travel to Myanmar
Mr. Yang. All right resreved .