銀    座 

  銀座を歩く。
カメラの清水商会 天賞堂の鉄道模型 東銀座のレストラン エスカルゴ。 歌舞伎座。 足を伸ばして築地場外 寿司清本店。  ホテル西洋の場所にあったテアトル東京。  煉瓦亭のカツレツ 山野楽器 木村屋総本店の酒種あんぱん。  銀座ライオン ビールつぎの名人海老原さん 思い出が尽きない街。



  初めて銀座を歩いたのは中学生のころだった。
銀座は眩しかった。 街行く人は みんな大人で 大きく見えた。 交通博物館の帰りに立ち寄った天賞堂の高級鉄道模型に ため息をつくばかり。 永遠に手が届かない 絶望的に並ぶゼロの数。 私は 銀座を一人でぶらつく 少し変わった子供だった。  

  高校生 
カメラ片手に銀ぶら  ピクルスとマスタードが効いたマクドナルドのハンバーガーを頬張り、歩行者天国を行ったり来たり。 アルバイトして やっと買った一眼レフは 中古だけれど 私の宝もの ミノルタ SRT-101。 布幕フォーカルプレーン シャッターの音に感動。 大型がゆえに 後退しながら跳ね上がるミラーと 分割測光のためのcds を入れるために おでこが張り出したような形になったペンタプリズム。 Nikon と反対方向に回転する交換レンズ。 巻き上げレバーの中心軸に設定されたシャッターボタン。 緑がかったコーティングのRokkorレンズ。 個性的なカメラだった。 今は ミノルタ・・・というブランドは消えてしまったけれど。 

  オーディオ各社の技術を競ったショールーム
レンタルレコードを指定して視聴室へ。 45分間 素敵な個室とオーディオセット 銀座の空間を 無料で占有できるという楽しさがあった。 聴きたい新作レコードは、だいたいここで楽しませてもらった。 一枚2000〜2500円のLPレコードは気楽に買える金額ではなかったから。  秋葉原のラジオ会館でカタログを集めては 銀座のショールームに通い 音楽を楽しんでいた。  テクニクス Lo−D Aurex・・・ あのブランドは今はどこへ・・・。 

  時は流れ と ブランドの変遷
KONICA Minolta CONTAX TOPCON MIRANDA RICHO MAMIYA AKAI SANSUI TRIO TEAC AIWA 精密・光学・電子機器 高品質な ものづくり大国にっぽんの隆盛を支えた多くのブランドが この20年の間に姿を消したり 名前を変えたり。 一方で新たに台頭する 新しいブランド。 AURA  B&O  殆どが個性的な海外製品というのは寂しい。 カメラはコンサバで 資産価値の高い精密機器から プログレッシブであるが 価値の変化が激しいデジタル機器へと変わった。 半分ぐらいコモディティーに軸が移っているのかもしれない。
シャネル ティファニー サルバトーレフェラガモ ヴィトン ディオール 銀座は今 高級ブランドの花祭り。 この30年間を ブランドの変遷から読み解いてみると 品質が良くて壊れない規格品の大量生産から 一つは半ば消耗品の領域に進むものと もう一つは個性的な商品に枝分かれして行き 次第に人と違う自分を意識する消費に遷移している。  これは経済的な成功や所得水準の上昇とともに 起こる現象なのだ。 エモーショナル エコノミー 経済は感情が動かしている。 富の拡大と行動経済学なる学問が台頭するのと無関係ではない。 

  時間は 大学のころに戻って 
デートで歩いた銀座。 日比谷の映画館街 有楽町シネマ1や テアトル東京 テアトル銀座 映画館の宝庫だった。 映画を見た後は三笠会館のティールームへ。 チーズケーキとお茶とおしゃべりを楽しむ。 あの当時 チーズケーキは時代の最先端・・・おしゃれで 美味しいトレンドだった。 とりわけ 三笠会館のチーズケーキは 仲間内でも ちょっと有名な存在だったのだ。 懐が寒くても楽しめる 裕福で大らかな時間と空間。 お金があればニュートーキョーのビアホールにくりだした。 黒ビールとソーセージ。 あの雰囲気で飲むビールは格別の味がする。 

  Nikonのカメラ
そういう中にあっても 銀座に行くたびに 必ず気に留めていたのが Nikonのカメラ。 やはり 憧れの一品なのである。 いつかはNikon ・・・と心に決めていた。 一時 カールツァイスのレンズに引かれてCONTAXを使っていたこともあって Nikonを手にするまで 20年以上かかってしまった。 (もちろん銀塩。) Nikon を買うなら銀座で・・・と決めていた。 仕事帰りに通いなれた清水商会へ。 Nikkorレンズを通した光は 硬質で緻密な映像を紡ぎ出す。 大きさ・重さ・形状はバランズがよく カメラを構えてシャッターを押す瞬間に合わせて 最適なチューンをしてあると思わせるほど 自然なのだ。  チタン幕のフォーカルプレーンシャッターの音は やや大きめだが 心地良く心に響く 官能的な手ごたえがある。 これだよ Nikon は。  満足の極みである。 しかし旅行に持ち歩くには嵩張るし重い。 

  社会人。 
入社した会社は 銀座にもオフィスがあり 時折 私は四丁目界隈を ネクタイにスーツを着こんで 急ぎ足で歩くことになる。 On Duty の目線で歩く銀座は、時間の流れも急ぎ足。 お金はあるけど 時間が無い。 昼間の銀座は楽しむ場所ではなくなっていた。 夜。 東銀座のエスカルゴで夜景を楽しみながら一杯。 ライオン銀座店のホールで 飲むビール。 そうした時間が、私の楽しみに変わっていた。 

 黄色と黒は
1980年代 晴海の国際展示場で開かれるイベントの往き返り・・・私にとって 銀座は通過するだけの街になっていた。 晴海の国際展示場も 今は 幕張やお台場やみなとみらいに場所を移し 銀座はもっと遠い街になって行った。 銀座の輝きは バブルの崩壊とともに いっそう失われたように感じられた。 黄色と黒は勇気の印・・・24時間働けますか?   1980年代後半〜2000年代前半 私の目線は とりわけ ビジネスと海外に向いていた。 銀座は、ますます 遠いものになってしまった。

  カウントダウン
それは突然やって来た。 いつものように急ぎ足で いつもの道を歩き 交差点を曲がると・・・突然 定年が視野に入ったのだ。 まだ先の事と 意識もしていなかった。 しかし ここで思いついたのも 何かの吉祥・・・ではないか。 スラストレバーを少しだけ戻してみよう。  

妻と二人で散策する昼間の銀座は楽しい。 てんぷらの名店でゆっくりと昼の食事を楽しみ、並木通りをふらつき、気に入った靴を買い求め、懐かしい三笠会館でティータイムを過ごす。 一階奥のイタリアン バル La Viola 。 チーズケーキは・・・イタリアン ドルチェ と エスプレッソに代わったけれど・・・  

お帰りなさい  私達の時間。 



スラストレバーを戻すと 景色が変わる。 

お気に入りの音楽ジャンルの幅が広がり 興味と関心の間口が広くなっていく。  ビジネス視点にも変化が生まれ 気づきが訪れ 創り上げるプランも変化する。 

メンタルモデルの変化は 人の生き方や可能性も変えてしまう・・・ 魅惑のドアを開ける 魔法のおまじないなのだ。  

この先も メンタルギアは 自分で切り替えてみよう。 きっと 楽しい時間がすごせるはずだから。

遠くへ行きたい・旅物語
Travel to Myanmar
Mr. Yang. All right resreved .