タチレクのけだるい風   四回目のミャンマー

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四度目のミャンマー。
タチレクにやって来た。
タイとミャンマーの国境の街。

  タイ 北方の薔薇 チェンマイから車で4時間。 霧に包まれたチェンライを通り過ぎ、タイ側の国境の町 メーサイに着いたのは お昼前だった。 

  メーサイのタイ側イミグレーションで パスポートチェック。 ミャンマー側 タチレク 掘っ立て小屋の様なイミグレーションで パスポートにスタンプが押される。  欧米人の一人旅のおっさんが ミャンマーの入国審査官に 「ミンガラーバー 」 と大声で喋り始めた。 「タイでお金使っちゃったから スッカンピンだぞ〜 ミャンマーは初めてだぞ〜 」 とか大声で喋っている。 誰も相手にしない。 おっさんはばつが悪そうに黙ってしまった。 
このおっさん 酒臭え〜。 

  陸路で国境を超えるのは始めての経験だった。



  タチレクに入ると 市場が続く。 土産もの屋 食料品 衣料品 生活雑貨 庶民的な雰囲気の店が並んでいる。 タイから物価の安いミャンマーに買出しに来ている人がたくさんいる。 特にミャンマー製のお菓子がお買い得なのだそうだ。 強い日差し 木陰の下 典型的な国境の交易都市という風情が続く。 近寄ってくるタバコ売りの少年。 物乞い。 いかにもミャンマー人という顔立ちの オート三輪の運転手が 客待ちしている。

  パゴダに行きたい。 丘の上のパゴダまで往復 20Bでチャーターする。 オートバイの後方を二輪にして 二人掛けのシートに作り変え 簡単な屋根をつけた 陳腐なトクトク。  ぷるぷる しゅるしゅる・・・情けないエンジンの音。 ギアを入れ と ガクンと揺れて ゆるゆる動き始めた。 ギアをセカンドに入れる。 一向にスピードは上がらない。  明るい日差しの下 片側二車線の大通りに出る。 道はでこぼこ。 車は少ない。 ギアは三速のままだ。 どうやらギアは三つしかないようだ。 人々がゆったりと歩いて行く。 わき道からトクトクが出てきて 合流してくるが スピードが遅く スローモーションの絵を見ているようだ。 道の両側に連なる商店の建物は低く 暑く けだるい午後の風邪がふいている。  こういう景色の中に身をおいていると 遠く昔 記憶のかなたに沈んでいた 子供の頃の思い出が湧き上がってくる。

  お金は無いが 時間だけは豊富にあった 小学生の夏休み。  縁側で仰向けに寝ころんで 生暖かい風に吹かれていた。 青い空と輝くような白い雲が見える。 庭の欅から ジ〜と蝉の声が聞こえる。 太陽に照らされた地面は乾いて 細かいひび割れが出来ている。 そんな大地には 蟻が大名行列をつくり せっせと働いていた。 私は 40日の夏休み 暇に任せて ナポレオン 勝海舟 エジソン 豊臣秀吉 等の伝記物、 青銅の魔人 怪人二十面相 等の江戸川乱歩小説 ミステリー小説を読みあさり、世界地図や小学館図鑑・・・ 26冊の平凡社の世界大百科事典等を 風通しが良くて涼しい玄関に座り込んで眺めて過ごす小学生だった。 

  ある日 地図を見ていたら・・・自分の住んでいる町のはずれまで 隣の町の境まで 行って見たくなった。 自転車に乗り 6キロ離れた 市の境界まで行ってみることにした。 そこには大きな川が流れていた。 その川が隣の市との境界だった。 川原は広大で 運動公園と ゴルフ場になっていた。 土手の上から遠く眺めると 平日の昼下がり 夏の暑い盛り 河川敷には人の影は無く 欅の葉が風に揺れていた。 地面に コントラストの強い影を映していた。 

  私は 仲間が集まり 徒党を組んで繰り出す 盆踊りや夏祭りには まったく興味の無い子供だった。 大人のお仕着せの子供会も馴染めなかった。 集団生活の第一歩・・・幼稚園から 私は群れる事が嫌いだった。 そこにはガキ大将を頂点にした 子供の社会ピラミッドが見えた。 それは 数十年経った今も変わらないのかもしれない。  

  トクトクに乗ってタチレクの風景を見ていると ・・・記憶のかなたから ・・・夏がすぎ 風アザミ・・・井上陽水の 夏休みが聞こえてくる。 遠くセピア色の向うに沈んでいた記憶が 戻ってくる。 旅は私に 不思議と 気持ちの良い 心の瞬きをする時間をもたらしてくれるのだ。


2006年 2月


タチレクの市場通り・・・両側に商店が並んで テントを張ってあったり ごちゃごちゃとしている。 その雑然 茫漠として掴み所の無いような雰囲気が 原宿の竹下通りの雰囲気に似ていると感じるのは 私だけだろうか?










遠くへ行きたい・旅物語
Travel to Myanmar
2006-200
7 Mr. Yang. All right resreved .