母の旅
2004/ 3.19〜29
7年間、飛行機が嫌だと言って一度も行かなかったフィリピンだった。
ところが今回は「一度オレの会社を見においでよ、美味い果物もいっぱい食べれるぞ」そんな主人の電話に何のためらいもなく「ありがとう 行かせてもらうわぁ」と答えた母だった。

そう・・・心臓疾患のある母を連れての長旅、心配は限りなく広がる。 
医師に相談、気圧の変化は大丈夫か・温度差は大丈夫か・もし風邪でもひいた場合の対応は・等など。強行スケジュールで無ければと返事を貰い、先ずは第一関門通過〜

足の弱くなった母に折りたたみの車椅子を用意する事から
        私の孤軍奮闘(ちょっとオーバー)と心の葛藤の始まり始まり〜
下諏訪から電車で新宿まで→成田エクスプレスで成田空港まで。この間だけでも約5時間かかる。 成田のホテルに一泊して、翌朝7時には空港へ。あまり眠らない母を心配にはなるが、ここまできたら運を天に任せなきゃね。
カウンターで搭乗券を貰うと、担当者が付いてくれて車椅子でラウンジまで直行、登場時間には迎えに来てくれていよいよ機内へ。このサービスがどんなにかありがたかった事か!

轟音と共に気体が上がる・・・外の景色を眺めているが、割に平静を保っている母に「以外に度胸があるじゃん」と笑う。 機内食も充分に食べ少し眠ったようだ。

4時間のフライトも終ろうとしている時(つまりフィリピン上空になった時)「空の上には雪が沢山あるんだね」と言う母。アハハ・・・雲がまるで雪のように見えたらしい。「あれは雲、雪の塊がある訳無いじゃん」と雪の発生する状況を説明するがどうも理解に苦しんでいるようだ。 どうしてもあれは雪だと言う(笑)
ニノイアキノ国際空港に到着。 ここでも迎えの車椅子が待っていてくれて、母は別の入国口へと向かう。
私は通常の出口からとなり、日本語の通じない所での離れ離れなので心配していると、のんびり・ゆったりとした顔で乗せてもらって来る。何とマァ・・・・!人の気も知らず!

主人の迎えの車に乗り(劇的な再開を想像するでしょう?そうでもない、普通 ギャハハ)
「えらい沢山の車だねぇ」「広々した景色だねぇ」「パパ(母は昔からパパと呼んでいる)はこういう所にいるんだねぇ」  おしゃべりしながら40分程で自宅に到着。

母のベットは普段主人が使っている二階の広い部屋に用意してくれてあり、よっこらどっこいしょと手をひいて二階に上り、一休みするように言う。
( その場の写真が無い所は、主人が飾ってくれた花の写真を入れます )
愛犬 名前は”チャンシャイ”
初めてのフィリピンの夜。
夕食は外で美味い物を食べようと主人が言うが、母は「ちょっと疲れたから家で良いよ」っと。
メイドがチキンの美味しいスープとご飯・マンゴーを用意してくれたが、母はあまり食欲が無く、大好きなマンゴーは一個喜んで食べ、ベットに入る。

私達が食事を終えて母の部屋に行き、暫く話している内に、どうも母の様子がおかしい。
パジャマの着替えも出来ないのだ。 額から脂汗が滲むようになり、話し掛けても目を閉じたままで返事をする気力すら無い状態である。  アイスノンを枕にして、汗を拭いてあげ、ベットの側にマットレスを敷いて私はまんじりともしない一夜を過ごす。 もちろん主人も。
「ここで母が駄目になったらどうしよう・・・・」そんな思いが脳裏を充満させ、連れて来て良かったのか・・・母が来たいと言ったから親孝行の積りだったが、これで良かったのだろうか・・・朝までそんな思いが頭の中でくるくる回っている。
朝方トイレに起きた母、転ばないように手をつなぎ、「あぁ良かった、生きている・・・・手は暖かい」  
翌朝、「夕べは悪かったねぇ、もう大丈夫そうだからママも何処かに出かけて来て良いよ」っと。
しかしそういう訳には行かない。  朝食も二階に運び、10時にはパパイヤをあげた。
果物が大好きな母だから、「やっぱり木で熟れた果物は味が濃くて美味しいねぇ」って言いながらペロリと平らげた。  この分なら大丈夫だとホッとする。
昼食も二階でとり、一日中殆んどベットに寝ているが、夕方には起き上がってテレビで相撲を見ている。  

主人はラグナ湖一望の場所に連れて行ってくれる予定で、会社を休みにしてあったのだが、棒に振る事になってしまったが仕方ない。  夕方には母も安定しているので、二人で近くの大型スーパーに買物に行ってきた。電子レンジが壊れてしまったそうで新品を購入。日本円で8千円だ。
温めるだけの簡単な物だが、地元の家庭には殆んど無い物である。冷蔵庫も炊飯器も電化製品が何でも揃っている。 但しちょっと旧式かな?
22日(月) 会社訪問の予定の日である。
「今日はどうする?会社に行く予定になっているけど?」「そうだねぇ、疲れもとれてきたようだから行こうかな」    この初訪問に着ていく予定で持ってきた洋服に着替えると、気分も随分良くなってきたようだ。女は幾つになってもオシャレ心が大事なんだなぁ。

会社に到着。 事務所のスタッフがいつもの笑顔で迎えてくれる。
社長に現在の会社の状況や様々な楽しい話を聞いた後、現場を一回りする(もちろん車椅子で)  皆が「ハロー!」等と笑顔を向けてくれるので母は痛く感激している。 中にはプレゼントを用意して待っていてくれた従業員もいて、私も再会の喜びで笑顔満開!
大きなプレス機械がドンドンと動き、 24時間昼夜ニ交代で100人程が働いている。

会社を見る事が一番の目的だった母。  大きな会社、大きな機械、綺麗な工場内、そして従業員の暖かい出迎え。。。。「来れて良かった、パパの頑張ってる所が見れて良かった」しみじみとそう言って喜んだ。
日曜日   朝から母の体調も良く、食欲も旺盛になってきた。
「車で1時間の所だけど、パパが計画していてくれた所に行ってみる?」
「そうだねぇ、連れて行ってもらおうかなぁ」   って事になり、午前中に出発。

タガイタイという、山の頂上まで車を走らせる。 途中の沿道には果物や花を売る店が並び、帰り道で買うことにする。
途中で何度となく「ばあちゃん大丈夫?」って聞く。「大丈夫だよ」の返事を聞くが、顔色を診たり汗のかき方を診たり・・・なかなか忙しいわぁ。

この日は残念ながら曇りだったので、美しい風景を見ることが出来なかったが、頂上のホテルレストランでゆっくりとジュースを飲んで、ドライブを楽しんだ。
右下のでっかい果物。試食したがドリアンみたいな臭さで食べれなかったわ。
{  さてここで一息  フィリピンの物価を見て頂戴ね }
多分ムール貝  左隅にある缶に山盛りに入れて
 40ペソ ( 80円 )
メイドが野菜と一緒にスープにしてくれて食べたが、シコシコと美味かった。
パイナップル  1個 20ペソ (40円) 
マンゴー    1` 70ペソ (140円) 4・5個
 (
オレンジ・葡萄は差し入れの為、値段が分らない)
サンミゲルビール
350_缶  16ペソ (35円)

私は水の代用品
 (それほど飲兵衛じゃぁなくってよ ニコニコ
* マッサージ ( オイル・指圧・アロマテラピーもある)
 今回はフットケァーもしたので合わせた金額だが
両方で1時間半  450ペソ (900円)

* ネイル 
 切って甘皮処理もして
  75ペソ (150円)

* フェイシャル  900ペソ (1800円)
     
日本より随分安いでしょ?
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23日は家でのんびりテレビを見て過ごす。
私はメイドと食品の買出しに行ったり、運動不足を補う為にデパートをブラブラ。


夕食は和食レストランに。  お寿司を美味しそうにほうばる母。
「こちらでも和食が何でも食べれるから、食べ物に関する心配は何も無いねぇ、魚も新鮮だし」
日本茶も出してくれるから母は充分満足したようだ。
主人の家にはメイドのビアンカとジュディット、それに従業員が一人一緒に住んでいます。  昨年泥棒に入られたので、常に家の中に一人は残っているようにしています。 だから仕事から帰っても賑やかで、英語とタガログ語チャンポンで会話が飛び交います。
ウォーターメロンジュース
   すいかのことよ!
24日    
私がジュディットと買物から帰ると、母とビアンカはソファーでトランプをしていた。
ババ抜きだったようだ。 ほとんど日本語が話せないビアンカと日本語しか話せない母が、
まぁ〜ぁ楽しそうにやっているではありませんか! 
母を退屈させないように・・・・ビアンカは本当に良く母の面倒をみてくれた。ありがとね♪

ジュディットは毎食美味しい料理を作ってくれたり、絞りたてのジュースを作ってくれたり。
お洗濯もよくやってくれたし、アイロンもかけてくれた。
私の下着は自分で洗濯しようとすると、どうしてもやってくれると言い、手洗いをしてくれた。

彼女達のお給料は一ヶ月に8000円。 それでも食事付きなのだから会社勤めよりは優遇されているのだそうだ。   朗らかで面倒見の良い彼女達のお陰で、この旅がより良い物になったのだと感謝をしている。
25日
社長の計らいで、母の記念樹マンゴーを植樹していただいた。
母の名前を書いたプレートも用意されており、手の空いている従業員が見守る中、会社の裏手の日当たりの良い場所に植えさせてもらう。

常夏だから成長がとっても早いのだそうだ。
「来年はマンゴーの実がつくから、また見に来てくださいよ」そんな社長の言葉に、「ばあちゃん、来年も是非来ようね」と私は言った。 主人は優しい目で見ていた。

来年・・・・・・それは正直分らない。
到着した夜の状態が脳裏から離れない。。。。。。
母も「そうだねぇ」とは言うが、必ず来るとは言わない。

天国の父が 「来年も連れて来てもらえよ」って言ってる気がした。
26日
今日もゆっくりと一日を過ごす。
テレビはNHK・BS1・BS2が日本語放送だ。 民放は映らない。

丁度相撲がある時だったし、小津安二郎の映画や、山口百恵の3本の映画を見た。

母は「こんなに暖かい所でゆっくりさせてもらって、二人には本当に感謝してる」と何度も言う。  そこで私がきつい一言「帰る日には明るく笑って、バイバイ〜10月には待ってるからねぇ〜って言うんだよ。感謝の言葉はいっぱい聞いたから、別れる時にメソメソしなんでやね!」
27日
「お土産はどうする?何にする?」毎日の様に心配していた母。
いよいよ今日はアラバンのデパートにお土産探しに出かける。  買物好きな母の事だから嬉しそうだ。  「メイド達にも何か買ってあげたい」と言うので、お人形の縫いぐるみを買った。  スーツケースに詰め込める量だから大したものは買えないが、「曾孫達には・・・・孫達には・・・・」っと探し回る。 
まぁまぁ良い買物ができたかな? 喜んでくれるかな?

此処でアクシデント、主人が両替している時に「トイレに行きたい」と言う。 主人が「あっちの階段の横にあるから」と言うので探すが見つからない。なんせ広い広いデパート。「大丈夫?我慢できる?」汗だくで車椅子を押して探し回るが・・・・・駄目。もう一度主人の所に戻ると彼も心配顔で立っていた。 階下にエレベーターで降りないと無いんだったの。
あぁ間に合って良かったぁ〜   この旅でこの時が一番疲れた(笑)  
28日
さぁ、マニラのホテルに向かうのだ。
ジュディットとはこれでお別れ。 お土産に手作りのクロスステッチ刺繍の見事な作品をくれた。 別れは辛いが、来年またきっと逢えるよね。

ビアンカは母との別れが辛いと言って、マニラまで送って行く言う。 そうね、良く面倒を見てくれて仲良しになったもんね。  ホテルの部屋で別れる時、母のホッペに顔を擦りつけて、抱きついて「元気でね また逢いましょう」って日本語で言った。

夕食はホテルバイキング。  何度か泊まったホテルだが、いつも素晴らしい品揃えだ。
和食・洋食・中華・・・・なんでもある。

私は二人を送って外へ。  ビアンカはくっついて離れない。主人より名残惜しそう。
「気を付けて帰れよ、ばあちゃんを頼んだぞ」固い握手とチュでさよなら。
玄関前を案内して回る主人。
義理の仲だものそりゃぁ若い頃は色々あったさ。
この後姿を見ながら・・・言葉にならない・・・・・
見て下さってありがとう御座いました。

こうして母の10日間の旅は終りました。
来年、また行くことができるかどうか・・・・成長し実をつけたマンゴーを見ることができるかどうか・・・・・・・
正直な所、私はこれが最後なんだろうと感じているのです。  あの最初の夜がどうしても頭から離れないのです。  

帰国してからの母は見た目には元気です。 あちこちに電話して旅の楽しかった事、パパの会社の事、いっぱい長電話をしています。暖かい所でのんびりしてきたら足の調子が良くなったと言います。  ですが心臓の疾患を抱えている事に変わりはありません。

これからは小さな親孝行の積み重ねをしていきます。