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第百八十二回自然と歴史探訪[諏訪大明神と紅葉の神戸山]

   

龞澤荘厳山大虚空蔵院仏法紹隆寺:高野山真言宗

 

今日は薄曇りでちょっと寒いですが、諏訪の紅葉も里まで下りて来て丁度見ごろになって来たところです。  

 そんな中、大銀杏でも知られている、諏訪市四賀の仏法寺さんで、

修復なった諏訪大明神本地仏普賢菩薩像の秋季特別開帳が行われているという事で、

それを見学しながら諏訪の歴史を学びたいと企画されたそうです。

   普賢菩薩像の修復は、御柱に合わせ3月までに終わり、4月からは春の御開帳が行われたそうですが、

マリオ倶楽部では、タイミングが合わず秋の拝観となったそうです。  

  出発の時に見た、マリオさんの大銀杏の葉はほとんど落ちてしまっており、

湖畔の銀杏並木も散り始め、はたして仏法寺の大銀杏はどうかとちょっと心配しながら出かけましたが、

大銀杏の黄葉も丁度始まった所で、見事な眺めでした。  

  マリオ倶楽部で、仏法寺を訪れたのは、第42回の時で春だったので、大銀杏の花が咲きだしたところでした。 

  仏法寺は、平安時代の初期に、征夷大将軍・坂上田村麻呂が諏訪大明神への戦勝報告の再に開基され、

弘法大師によって、神宮寺は真言宗流布の寺、仏法寺は学問道場として最初は、神護寺・茲眼寺として神宮寺内に有ったそうです。 

   その頃は、諏訪大社別当(社務)も務めていたそうです。  

 仏法寺は、上原城は落城、武田氏の支配となり中心が上原から高島城・茶臼山城となった後、

四賀村桑原の寺家に移転、武田氏も滅び、江戸時代へと向かう頃に、

現在の地・桑原大祝屋敷跡に移り、高島藩祈願所となり、名前も仏法紹隆寺となったそうです。 

仏法寺参道・右の寺号標は平成9年とまだ新しい。

参道の石碑、左は念仏徳本さんの阿弥陀如来御名号。

奥には新しいもので、仏教詩人・坂村真民の真言碑。

山門は、上社神宮寺山門で、廃仏毀釈のおり宮川村役場に移されていたものを、昭和22年に移したものだそうです。

  造ったのは、大隅流・伊藤儀左衛門という事なので、江戸中期後半頃のものかもしれません。

仏法寺は、大正9年の火災に合いその後、本堂・庫裏・開山堂は再建されたそうですが、

移築された建物も含め、ほとんどが大隅流の建物の様でした。

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