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下には三峰茶屋。

60年に一度咲くと言われるササの花。

シャジクソウ。  エゾカワラナデシコ。
   

扉峠から美ケ原へと続く峰。

鉢伏山へと続く道も、今は松本市金山町を北の出発地点とし、

王ケ頭・茶臼山・三峰山・鉢伏山そして牛伏寺までの45Km

美ケ原高原ロングトレールの道として良く整備されている様です。

 

砥川の源頭を覗く。

雨も止まず、ここでのんびりお弁当というわけにもいかないので、山を下りる事にします。

トリガブト。   ウスユキソウ。     高原にはススキも一杯。

三峰茶屋はお休みなので、和田峠に戻り農の駅で休憩する事になりました。 
和田峠:農の駅  

   

農の駅は外から見て、食堂だけかと思っていましたが、

中は地元のお土産も売っている道の駅でした、皆さんめぼしいものを見つけてお買い物。 

  休憩の後はお宝探しに出かけました。

峠を下って、旧道142号線に出た所に旧中山道の入口が有ります。 

  ちょつと上った所に和田嶺神社がありました。 

 祠はなく石碑の神社で昭和12年に建てられたものだそうです。  

 ここで引き返して少し峠へと戻った所にある羽田家の御廟を見学します。

和田峠:羽田家御廟
旧中山道からはずれた静かな所に、羽田家の御廟はありました。 

 後方に円墳をだいた立派な墓がありました。 

 ここは、マリオ倶楽部でも
2004年・19回でも一度訪れた事が有った様ですが、すっかりと忘れていました。

   羽田家は信濃国・秦氏がもとで和田は大綿津見神に由来する安曇族の地名だそうで、

古くは秦氏によって開かれたのかもしれません。 

 後に、和田本陣近くに有った山城・和田城
(城主・大井信定)の家老となり、

武田信玄との戦に敗れ討ち死に、一族郎党の首は城主とともに下和田若宮八幡社に葬られたそうです。 

 その後は名前も秦氏から羽田氏と変えて、江戸時代には和田宿の脇本陣も務めていたそうです。

  和田村には和田城主一族郎党の供養に建てられた信定寺もあり、

羽田家の墓地もそちらに移ったのかもしれませんか、ここの御廟は秦氏の頃からのものかもしれませんね。
奥には古い石仏も祀られていました。   右は青面金剛刻像塔、左は子持地蔵かな。
 
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