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諏訪大社下社秋宮:

鳥居の前でバスを降りて、まずは手水舎で身を清めます。

   手水舎の龍は、上社本宮の手水舎の龍と似ていました・作者が同じかな。 

 ここからは武井先生のお膝下、先生のガイドで境内へと向かいます。  

 千尋池・池の底は浜松沖の海まで続いているとか。 

  重要文化財の古印・売神祝印(平安時代に平城天皇の御下賜の印、大祝が下社の社印として使用)

が一旦は失われたものが、この池から発見されたそうです。

神橋を渡り青銅の大鳥居をくぐって、参道を上ります。 

  参道の中央は神の通る所だそうです。  

 青銅の大鳥居は江戸末期に宮大工・原五左衛門が建てたものだそうで、

寄進者の中には、武井家五代目・武居平右衛門氏(武井先生の御先祖)の名前も刻まれていました。

根入りの杉の脇を通って神楽殿の前に出ます。 

 神楽殿(国指定重要文化財)は江戸末期・立川流二代目和四郎冨昌の作だそうです。 

 前の注連縄は、出雲式で三千束の藁で作られ、重さは1tほどあるそうで、御柱ごとに新しくされるそうです。

  狛犬は青銅製では日本一の大きさだそうですが、戦時中に供出され、現在のものは昭和35年に作られたものだそうです。

今日は秋宮でも正式参拝をお願いしてあるそうで、授与所の前でお清めをしてもらい、神楽殿へと上がります。

今回御祈祷して下さったのは守屋権禰宜、お祓いの後で玉串をお供えした後、秋宮についてのお話をして下さいました。

  最後にお神酒を頂いて参拝も無事に終了。

社殿の案内を毛利権禰宜にして頂きました。  最初に一の御柱の奥にある社です。

  左から皇大神宮社(末社・祭神・天照大神・豊受大神)・若宮社(摂社・御子神13)

稲荷社(末社・祭神・倉稲魂神・大宮賣命・左田彦命)です。 

 大祝だった金刺氏は国造家としてこの地に来たので、皇室にまつわる末社も多いのかもしれません。

幣拝殿(国指定重要文化財)・江戸末期に高島藩の命で立川流初代和四郎冨棟が、

80両扶持米80俵で請け負い4年の歳月をかけて造ったものだそうです。  

 幣拝殿は二重楼門造り、唐破風内部には鳳凰、一階天井は格天井、

羽目の竹に鶴は富棟の傑作とされるものだそうです。 

秋一の御柱の前で、マリオさんから持参した御幣を持って、武井先生の木遣りの一鳴き。 

 秋宮参拝のお客さんも参加して大盛況。

二階小壁と側面には龍、一階周囲の小壁は牡丹・唐獅子、木鼻は唐獅子と象。  見事な彫刻です。

拝殿の奥には、神明造りの新旧二つの宝殿があります。 

 新しい方が神殿・旧は権殿だそうです。 

 宝殿の奥が御神座・相殿で御神木をお守りする所だそうです。 

 秋宮の御神木は一位だそうです。

 向かって左から、子安社(末社・高志沼河姫命)、加茂上下社(末社)、八坂社(末社)。  

鹿島社
(末社・武甕槌命)

神宮遥拝所。

神紋の梶の葉、上社の足は四本、下社が五本と決まったのは最近の事だそうです。 

 又屋根などに菊の御紋が残っているのは、戦時のなごりだとか。

宝物殿も見学します。 

最後に、参集殿を見せて頂きました。 

  入ると正面に、秋宮の大幟の基となつた日本第一軍神(東郷平八郎)の額がありました。

その脇には、樹齢千年と言われる神木・尾掛松(柏槇)がありました。

  この木には、神無月の出雲での神集いに建御名方命は、蛇体となって急いでいったところ、

神々が尾はいずこと問うたところ、尾は高木の尾掛松にと答えたそうです。 

 それを聞いた父神は自ら治める地に常に身を置く覚悟の子神に感じ、

以後は神集いに参ぜずとも良いという事になったそうです。 

 又尾掛松のあった所の地名は、大和・高木となったそうです。 

 他にも、候爵・二條基弘公の額がありました(同じものが、上社の絵馬堂にもありました)

諏訪大社下社春宮:  

春宮別当寺・観照寺跡。

最後に春宮にやつてきました。   入口には石の大鳥居がありました。 万治の大鳥居。 

 鳥居は江戸時代初めに、万治の石仏を造った石工達によつて造られたものだそうです。 

 鳥居脇の石垣の上は、春宮の別当寺であった観照寺があつた所だそうです。 

 本尊の薬師如来は下の原の宝光院に移されたそうです。

  秋宮にも海岸弧絶山法性院という神宮寺があり、境内には三精寺という別当寺があったそうです。 

 廃仏毀釈で廃寺となつた後は、神宮寺の本地仏・千手観音は照光寺へ

三精寺の本尊阿弥陀如来座像は平福寺へ移されたそうです。

拝殿前でまずはお参り。

神楽殿は質素な造りですが、江戸時代初期のものだそうです。

幣拝殿・左右片拝殿(国指定重要文化財)。 

 江戸末期に高島藩御用の宮大工柴宮長左衛門(大隅流)が秋宮の幣拝殿の造営に立川流が決まったのを受けて、

同じ図面で半額以下の35両、扶持米なしの条件を出して請負、

秋宮より遅れてスタートしたが、1年早く完成した建物だそうです。 

 それで、弊拝殿は構造が同じで、彫刻が違うだけだそうです。  

 左右片拝殿も柴宮長左衛門の作だそうですが、秋宮より幅が狭く屋根も片切りになつているそうです。

唐破風兎毛通には飛龍、奥は龍、そしてその下には麒麟。

弊殿羽目は竹と鶏、桁には龍、欄間の獅子。木鼻の唐獅子。 側面には鶴。  いずれも見事な彫刻です。

奥に宝殿の屋根がみえます。 相殿の奥には御神木の杉の木がありました。

筒粥殿・11415日に行われる筒粥神事の神粥を炊く場所。

神饌所。    子安社(末社)

右手には二つの社がありました。  若宮社
(摂社)。 上諏訪社(何故か末社となつていました)
万治の石仏:

万治の石仏。

最後に万治の石仏も見てみようと言う事になりました。 

 道中も整備され、お土産屋まで出来ていました。

記念撮影をして、石仏の前で最後の一鳴き。

最後に、今日一日御幣として活躍してもらった桜の小枝を浮島神社に奉納して、今回の旅を終えました。 

 今日だけで、二度もお清めをしていただいた体がしばらくは元気である事を願うしだいです。

 
   
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