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第百五十二回自然と歴史探訪[秋葉街道・入野谷・1本桜を訪ねて]

   
 

 

妙朝山遠照寺:日蓮宗

今回は、私はやぼ用で欠席、会員の方の写真と会長さんの資料をお借りして探訪記をまとめてみました。 

   今シーズンのマリオ倶楽部の探訪は珍しく曇りがちの天気で始まりましたが、

今回は快晴のマリオ日和、久しぶりに横山先生も参加いただき素晴らしい旅になりそうです。 

  諏訪の桜も色はだいぶ白くなりましたがまだ見頃、諏訪市豊田の西山公園の見事な千本桜を見ながら杖突街道へ向かいます。 

   杖突街道は茅野・高遠・伊那へと向かう東山道だそうで、今回お目当ての秋葉街道は高遠的場から、

遠州秋葉神社へと続く道で、諏訪から太平洋へ出る最短経路で、

塩の道でもあり、江戸時代には秋葉大権現への参道としても栄えた道だそうです。  

   予定を1週遅らせたので、高遠城址の桜見物のピークも過ぎて、車の混雑も無く目的地へと向かう事が出来ました。 

   今回最初の訪問地は、高遠城の裏にあたる山室にある遠照寺です。 

  ここは、ボタン寺としても知られており、マリオ倶楽部でも第3回に今回より1月遅い牡丹の季節に訪れた事があります。

     遠照寺の桜は、高遠城址の桜と同じ小彼岸桜ですが、1週間ほど遅いそうで丁度満開で私たちを迎えてくれました。

釈迦堂は1538年・戦国初期に建てられたものだそうで、方三間単層入母屋造で、

和様を主体に唐様と天竺様(大仏様)を組み合わせた折衷様式によるもので、中部以東では珍しい建築だそうです。

   牡丹の時期には、扉も開いて中も拝観出来ますが、普段は戸が閉まっており、

住職にお願いして内部も見せて頂きました。

釈迦堂内部の天井は、鐘天井。   二本の来迎柱に二本の虹梁を掛けた天竺様。

  大きな寺を造る時に使われた手法だとか。  

 ここ遠照寺は平安時代に天台宗開祖・最澄が薬師堂を建てたのが始まりで、

鎌倉時代は谷室山天福寺と言う天台宗のお寺だったそうです。 

 室町時代に火災で焼失、荒廃していたのを室町末期になつて、身延山久遠寺中興の祖・日朝上人が訪れ、

妙朝山遠照寺・日蓮宗として再興されたものだそうです。    朝師堂・開山堂。

国指定重要文化財の釈迦堂。
 
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