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和泉式部供養塔。

山門の右手に、かねさん・和泉式部と銕焼地蔵の銅像が水鏡を挟んで立っていました。  

秘仏の地蔵尊・町指定文化財は、こちらの地蔵堂に安置されており、年14/24日に御開帳されるそうです。

地蔵堂・町指定文化財は江戸中期の建物だそうで、下諏訪では最古の建物だそうです。  

 江戸末期の派手な彫刻はありませんが、なかなか趣のある建物です。

本堂と庫裏は、明治40年に火災に合い、洗馬の寺を移築したそうですが、

昭和になって本堂を新築、移築した本堂を現在の庫裏にしたのだそうです。

本堂の脇道を通り、裏の墓地に向かいます。 

 門の脇には、日本回国供養塔が建っていました。

 江戸時代に法華経六十六部を写経し日本全国六十余州を巡った証として建てられたものだとか。

墓地には幕末から明治にかけての、立川流大棟梁・立川音四郎種清の墓がありました。 

墓地を出た所に何故か、菅原道真の歌碑がありました。  

三井美喬
(僧侶)の書を門弟一同で歌碑にしたものでしょうか。 
 
道を横切り津島神社を通って真清神社へ向かいます。  
真清神社:
   

明治13年〜大正にかけて、下諏訪には色町があり、遊郭・真寿美楼が中心で講を作り、

天照大神他十八柱を合祀して建てられた神社だそうですが、

お姐さん達は身近なお稲荷さんの狐を多数奉納、稲荷神社の様相を呈していた事もあったそうです。

ちょっとお洒落な鈴が下がっていました。

商売繁盛か、大きな大黒様も祀られていました。

内陣の中は暗くて不明。

   
境内には、真寿美楼の中庭にあつた夫婦石がありました。

次に訪れたのは、大岩不動尊です。
大岩不動尊:
高尾穂見之宮。

正一位御射響稲荷大明神。

不動尊の参道入り口に、高尾穂見之宮がありました。 

 高尾講の人達がお祀りしたのでしょうか。

大岩不動尊は明治17年に二達山信仰の行者によって開かれたのだそうです。

湯沢渓谷沿いの参道には、多数の石像が建っていました。

  一段上がった所に、正一位御射響稲荷大明神がありました。  お稲荷さんは皆、正一位だとか。

  先ほどの真清神社のお稲荷さんが引っ越したのかな。

最上段には三つの社がありました。

右社・愛染明王。      中央・天地御神。    左社・制多迦童子。

制多迦童子。
 
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