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第百十九回自然と歴史探訪[東信濃さくらめぐりと武石ともしび博物館]

慧日山修学院津金寺:天台宗比叡山延暦寺派

   

今回は、当初の予定では武石村の花桃を楽しむ事が計画されていた様ですが、会長さんが確認した所、

今年は花桃の開花が遅れており残念ながらまだ蕾だという事で、急遽津金寺の春を楽しむ事になりました。  

 津金寺は、今回で4回目(232860)となりますが、前回の60(2007)の時は、カタクリと山野草を楽しみました。   

今回は新しく出来た立川流の梵鐘と、作者が最近わかって来た仁王門等、文化財も見直してみようという事でした。  

 久しぶりに和田峠のトンネルを越えて和田にでると、桜がちょうど見頃になっていました。   

津金寺は、飛鳥時代の後期に奈良薬師寺の僧・行基によって開かれた、天台宗の寺で、

鎌倉時代には津金寺談義所となった、天台宗最古の学問所だそうです。   

カタクリ祭は昨日までだったとかで、今日の境内は静かでした。

仁王門の向かいには、武田信玄が兜を掛けて武運長久を祈願したという、兜松が見えます。

今回は門の前には新しく整備された案内板が立っていました。 

その前に集まり、先生に解説をしていただきました。

仁王門の作者は、立川流という事はわかっていたが、誰の作かはよくわからなかったそうですが、

最近になって解ってきたそうです。 

 看板には、立川流宮大工・上原市蔵(上諏訪)と地元立科町の田中円蔵の両人の作という事になっていましたが、

先生によると上原が藤森広八に弟子入りした時に造られており、作者は藤森広八ではないかとの事でした。

  藤森広八包近は、先回見学した兎川寺や、諏訪大社上社の四脚門等々の作があり、

大隅流・原五左衛門の弟子にもなり、立川和四郎富棟を手伝ったという、

立川でも大隅でもない独自の流れを持つ作者だそうです。

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