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帝国ホテル中央玄関:ライト館

全体組の最初の見学は、帝国ホテルの中央玄関です。   

帝国ホテルは国の文化を代表するナショナルホテルとして鹿鳴館とも密接な関係を持つ形で、

明治22年に東京都千代田区内幸町に客室60の木骨煉瓦造りで建築されたそうです。 

しかし、大正8年に全焼してしまい、2代目としてアメリカの建築家フランク・ロイド・ライト氏が

設計から11年かけた大正12年に客室270、地上3(中央は5)地下1階で完成したのが、

このライト館だそうです。    

ライト館は、耐震・防火にも強く、関東大震災にも大丈夫だったそうです。  

戦時には一部破壊されたそうですが、GHQに接収され修復されたそうです。

皆さん、ガイドさんの説明を聞きながらじっくりと見学です。

テーブルは、日露戦争講和条約提携の折に、アメリカ・ポーツマス海軍造船所で使われたテーブルだそうです。

菊の世酒蔵:廣瀬合名会社・愛知県刈谷市  
高田小熊写真館・2階スタジオのガラス張りの屋根。

皆さん、熱心に見学されている間に、梅が咲いているという事で、抜け出して菊の世酒蔵にやつてきました。

 この蔵は、明治初年に穀物蔵として作られたものを、明治28年に菊の世の仕入蔵として移築されたものだそうです。 

島県小那沙美島灯台・山形県天童眼鏡橋・多嘉橋。

金沢監獄正門と奥の八角の建物は中央看守所。 

 洋式の放射型監獄舎房で、中央看守所の奥には5っの舎房が伸びていたそうです。 

網走の監獄と同じ造りだとか。 

バスの運転手さんによると、今なら入っても自由にでられるとの事でした。 明治40年築。

大明寺聖パウロ教会堂:プロテスタント教会・長崎県西彼杵郡玉島町

明治6年に日本でキリスト教が許されて、最も早く建設された教会堂の一つだそうで、明治12の建築だそうです。 

外観は農家風でキリスト教禁制の名残だそうです。  

鐘楼は、後で追加されたものだとか。  

内部は、三廊式でコウモリ天井の後期ゴシック洋式だそうです。 

アーチ天井を支える柱を1本おきに省略してあるのは、広く見せるためだそうです。  

右側の側廊の正面に、聖母マリアが現れたと云われるルルドの洞窟がありますが、

室内に作られるのは珍しいものだそうです。

 
聖ザビエル天主堂:カトリック教会・京都市河原町三条  
 
フランシスコザビエルを記念して、明治23年に京都に造られたものだそうです。

外壁はレンガに漆喰・内部は木骨竹小舞。  

柱は角柱を中心に丸柱で囲った束ね柱のゴシック洋式の建築だそうです。  

ステンドグラスは色ガラスに白色塗料で草花を描いて、外側に透明ガラスを重ねて保護したものだそうです。

実物は、十字架と一緒に入口脇に展示されていました。 

 ここでは、年間80組ほどの結婚式が行われるとか。

呉服座:芝居小屋・大阪府池田市・国重要文化財
二階桟敷からの眺め。

呉服座(クレハザ)は 外側は工事中で、太鼓櫓だけが見えました。  中は、見学が出来ました。

回り舞台・奥の棒を梁に刺して押して回すそうです。

そこからは、花道の下の奈落を通って楽屋へ。

楽屋が入口二階にあるのは珍しいそうです。

大看板、何時もは入口にかかっているそうですが、今は工事中という事で近くでじっくり見る事が出来ました。

呉服座は、明治25年に大阪に造られ、歌舞伎・芝居・演説会場にも使われたそうです。

本郷喜之床・駄菓子屋屋八雲。 

喜之床の二階は、石川啄木の東京での新居、駄菓子屋は静岡県焼津の小泉八雲の避暑の家だそうです。

工部省品川硝子製造所・明治
10年。

宇治山田郵便局:伊勢市岩淵町・国重要文化財
 

明治42年に建てられた、木造郵便局舎として現存する唯一の建物だそうです。  黒ポストは明治20年代。

左の郵便事務をやっていた部屋にはいろんなポストが展示されていました。 

 郵便業務は今も行われているそうで、10年後に配達してくれる手紙もあるとか。 

鉄道寮新橋工場:機械館  
リング精紡機・イギリス・ブラット社製(重文)

建物は、初の鉄道の新橋停車場に機関車修復所として明治5年に建てられたものだそうです。 

 イギリス製の鉄造プレハブ建築だそうです。 

 中は機械の展示場になっており、三重紡績所四日市工場で使われていたリング精紡機、

工部省赤羽工作分局で作られた、現存する唯一の機械の平削盤等明治に活躍した機械が展示されていました。

日本最初の複線用鉄橋・六郷川鉄橋と尾西鉄道・蒸気機関車1号。 第四高等学校武術道場。

明治後期になって、体育に武道が取り入れられる様になって造られたものだそうで、

柔道・剣道・弓道をかねた大きな洋風建築物です。 

 日本赤十字社中央病院病棟・東京都渋谷区・明治23年。 神戸山手西洋人住居。

日赤は、博愛社が日赤になる時、皇室からの土地と建設資金の提供により造られたものだそうです。

神戸山手西洋人住居・柱の数間隔をまちまちにして狭い建物に変化を付けているのだそうです。 

   
   
   
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