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ちょっといっぷく:

昼食は、美麻の新行高原(標高950m)の山品さんで、新蕎麦をいただくことになりました。 

 このあたりは、火山灰土で蕎麦も良くとれるそうで、かつては冬は近くの大町スキー場の民宿で、

夏は学生村としてやつていたそうで、民宿も多く先生によると部落の何処でも蕎麦が食べれるとの事でしたが、

昨年には大町スキー場のリフトも外され、今では民宿も7戸だけで、

蕎麦が食べれる常設館は4軒だけになってしまったそうです。  

今年も1010日から20日まで、新蕎麦祭りが行われたそうです。  

 ここ山品さんは人気のお店なのか、平日にもかかわらず車で訪れる方が多く、駐車場も賑わっていました。

 

旧中村家住宅:主屋

食事の後は、美麻村にある国指定の重要文化財の旧中村家を訪れました。 

 現地に到着した所、今日はお休みだそうで、閉館の看板が下がっていました。 

  近くに中村さんのお宅があるということで、お願いした所、特別に見学させていただける事になりました。

入り口の標柱には、文化財愛護のシンボルマークの三っ重の組み物のマークが付いていました。

   国指定の重要文化財に付けられるマークだそうで、中村家は、

建立年代がはっきりしている県内最古の建物で、民家での重要文化財としても珍しいものだそうです。

麻績村は、昭和50年頃までは良質の麻の産地だったそうで、主屋の茅葺屋根の下にも麻幹が使われていました。  

 

中村家は、江戸時代に庄屋などの村役人も勤めた家だそうで、この主屋、

土蔵は江戸中期に建てられたものだそうです。   

何頭もの馬が居たらしく馬屋もかなり広いものでした。

土間は作業場と台所も兼ねていたようです。

茶の間と小座敷。  ここが住空間。  奥座敷。 

神棚には、恵比寿・大黒・稲荷さまが祀られていました。 

 神棚の前には、中村家の300年の伝統行事にもなっている巻き俵がありました。 

 正月に無病息災を願ってわらを巻き変えるそうです。

 

入側(ゆりか)

武家の空間と暮らしの空間を分ける入側(ゆりか)だそうです。

土蔵も、江戸時代のものだそうですが、当時は現在の主屋に向かい合ってたっていたそうですが、

道路拡張のため、現在の位置に移されたものだそうです。 

 土蔵の中は展示室になっていました。 

 土蔵入り口の防火戸・漆喰塗裏白戸。  食器(来客用) 

  自宅で寺子屋を開いていたそうです。 式台。 

土蔵の屋根は、麻幹を葺いた置屋根で、外側に立てた柱で支えてありました。

近くに十王堂がありました。  死者の世界の閻魔様を筆頭とする10人の裁判官が並んでいました。

   十王経は鎌倉時代に大流行した極楽浄土信仰だそうです。  

地蔵菩薩は閻魔大王が、人間界に来た時の姿だとか。 

十王堂の前で、先生に、如来様の指の形、

江戸時代に現世利益の信仰に移っていく話等をしていただきました。

帰りは、白馬村へ出て、白銀の後立て山の山並みを眺めながら帰ることになりました。

麻績村の道の駅はお休みだったので、帰りによくよる、れんげ直売所によることになりました。 

 店の中は、突然やってきた集団の客にレジの対応もおおわらわ。

ここに、農産物を収めている、おじさんのお声がかりで100円引きとなった、

ナガイモもなかなかの人気の様でした。 

 皆さん、ここで本日のお土産も調達できて、マリオさんにも予定の時間内に無事に到着。  

 素敵な一日が終わりました。  

 
 
 
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