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第六十五回自然と歴史探訪戸隠神社めぐり

戸隠神社・宝光社 :旧国幣小社

 

宝光社。
 

諏訪は久々の雨が朝まで降っていました。   

 出発の8時には、雨も一休み、昼ごろまで降られるかちょっと心配でしたが、

晴れることを期待して傘を持たずに出かけました。   

 塩嶺峠を抜けた所で、雨粒がバスの窓ガラスを濡らします。    

 そんな心配を打ち払う様に、横山先生の今日巡る神社の説明を聞きながら行くと、先ほどの雨も上がってきました。

     先生は、3日ほど前にパキスタンから中国への旅から戻られたばかりだそうで、

さっそくその土産話もしていただきました。    

  パキスタンは政情不安が伝えられ、日本人ツァー客もめっきり減ってしまった様ですが、

旅先ではまったくそんな気配は感じられなかったそうです。  

  途中、乗り物と食事には、大変苦労された様ですが、すばらしい仏教伝来の旅をしてこられた様です。  

   そんな、楽しい話を聞いているうちに、バスは、長野インターを過ぎて、一路信濃町へと向かいます。  

   今日は、長野からのバードラインを通る信玄コースではなく、長野県の外れから上る謙信コースを行く様です。

戸隠神社は、戸隠山(天の岩戸が飛んできて出来た山だそうで)、

この山にまつわる五柱の神を祀る神社(宝光社、中社、奥社、九頭龍社、火之御子神社)からなるそうです。 

  今回は一番下にある、宝光社から訪れる事になりました。 

 境内では、ちょっとユーモラスな顔をした狛犬が迎えてくれます。

鳥居の奥はいきなりの階段です。   270段はあるそうで、皆さんせっせと上ります。

宝光社は、岩戸神楽を創案した、中社に祀られている天八意思兼命の御子神の天表春命の

お告げにより造られた社だそうで、奥社を女子禁制とするかわりに、

一番低い所に老若男女誰でもが御参り出来るようにと、造られたものだそうです。  

 戸隠神社は、明治の廃仏希釈以前は天台宗のお寺であり、さらに古くは、

神道、天台、真言密教の融合した、お寺で名前も宝光院と言われていたそうです。  

社は、江戸末期に建てられたものだそうで、そんな神仏混交の信仰を表す仏殿式神殿の権現造りの建物だそうです。

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