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青塚古墳:

今日は天気も最高、歩いて次の訪問地の土田墓地へと向かいます。  

 来迎寺を出てすぐ出てきたのは、青塚古墳です。  

これは、前方後円墳だそうで、後円部に対して前方部の長い天龍川流域の古墳の特徴を持つものだそうです。

  横穴式の安山岩の自然石で出来た石室があり、

出土した埴輪から6世紀後半のものではと言われているそうですが、

盗掘されており詳しい資料が残っていないのでわからないそうです。 

それにしても諏訪の地では一つだけの前方後円墳で大きさも大きいので、

横山先生いわく諏訪郡中を守ったぐらいの大豪族の墓ではないかとの事でした。  

 古墳は県指定の文化財になっているそうです。

儀像堂の大型天文時計(中国北宗時代の水時計)    

 青塚からは、儀像堂の裏を通って、綿の湯へと出てきます。   

ここ綿の湯のあたりは、甲州街道と中仙道の合流地点で下諏訪宿の中心街にもなっていたそうです。

綿の湯:

レリーフは木曾路名所絵図に描かれた、綿の湯の風景だそうで角にある桔梗屋さんも描かれています。

 横山先生によると、下諏訪は四十数枚も浮世絵等に描かれているが、

松本の方の絵は一枚も見当たらないそうで、

当時は街道一の湯の町としていかに賑わっていたかがわかるそうです。  

ここで、綿の湯のいわれを教えてもらいます。 

  諏訪大社は諏訪の前宮・上社、下諏訪の秋宮・春宮の四つを合わせていいますが、

諏訪明神の奥さんの八坂刀売神が秋宮の方に来ていたときに、

上社に居た建御名方神が化粧用の湯を綿に湿し湯玉にして下諏訪まで持ってきて置いた所から

湯が沸いてきたのが始まりだそうです。

諏訪大社は四社合わせて諏訪大社ですが、諏訪の地にある十五社とは、

十五の社を合わせるのではなく、建御名方神と八坂刀売神、

それと十三人の子供を合わせて祀った社の事だそうです。 

 ちなみに、信玄は子供が14人、父親の信虎は17人いたそうです。     

次に向かったのは秋宮です。   

途中にあった新鶴さんでは、すかさずお土産の調達を。 

 角の番屋跡を通って秋宮の前へと出てきます。

   
   
   
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