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伊藤千代子 千代子こころざしの会
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伊藤千代子碑文

顕彰碑案内図

更新月日
2016年 8月30日

カウンター
2005/04/15設置
こころざしつつ
  たふれしをとめよ
新しき光の中に
  置きて思はむ
               土屋文明 写真 伊藤千代子と顕彰碑

治安維持法による弾圧で若くして命を落とした伊藤千代子の顕彰運動を進めています

最新情報

  

伊藤千代子顕彰の碑文

 伊藤千代子は1905年(明治38)7月21日、ここ諏訪の南真志野の農家に生まれ幼くして母と死別、湖南小学校から中洲小学校へ転校し、祖父母の援助で諏訪高等女学校(現二葉高校)に学び、高島小学校の代用教員の後仙台尚絅女学校から東京女子大学へと進んだ。
 千代子は常に生活に苦しむ人々に心をよせ、世の中の矛盾と不公平さを許せず、学内で「資本論」を学ぶなど、社会科学研究会で中心的に活動した。郷里では初の普通選挙をたたかう革新候補の藤森成吉を支援、岡谷での歴史的大争議であった山一林組の製糸工女らを激励し、社会変革の道にすすんだ。
 1928年(昭和3)2月、千代子は日本共産党に入党。3月15日の治安維持法による野蛮な弾圧で逮捕、市ヶ谷刑務所に投獄される。千代子は獄中での狂暴な拷問や虐待にも屈せず、同志を励ましたたかい続けたが、ついに倒れ1929年9月24日、24歳の若さで短い生涯を閉じた。
 千代子の死後、女学校時代の恩師でアララギ派の歌人土屋文明は暴圧化のきびしい言論統制の中の1935年、教え子伊藤千代子の崇高な生涯を悼み歌に詠んだ。
 千代子のこころざしは今も多くの人々に受け継がれ、生きている。

写真 「伊藤千代子顕彰の碑文」上記の内容が刻まれている

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こころざしの会 会長    関 勘正
          事務局長 三沢 実
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