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ヤギのいる暮らし 2003年秋〜2004年春
                                          
by 小林 桂子
●ヤギの苦労 (2003年9月)

 我家にヤギがやってきたのは、今年の3月だ。臼田の友人が四国に引越すことになり、急遽、お腹の大きな妊婦山羊をもらうことになった。家のまわりには、まだ雪が30cmも残っていて、雪かきをして小屋を建て、近くの牛舎から干し草を分けてもらい、迎えに行った。人懐こくておとなしいヤギで、帰り道に名前をサクラとつけた。
 5月中旬、サクラの大きなお腹から子ヤギが1頭生まれ、1時間後に2頭生まれた。3頭ともオスだった。子ヤギがほしいという友人が何人かいたが、それは当然メスという前提だった。オスの場合は、業者経由で沖縄に売られて食肉になるか、ハム(これは母の説)になるか、動物実験にまわされるか、いずれにしても悲しい運命だ。でも、飼育の本をよく読んでみると、メスは数年で入れ替えると書いてあり、結局はハムになるようだ。どっちにしても、家畜というものは、天寿を全うすることができないということを知り、自分がヤギを飼えるのだろうかと、初めて不安になった次第だ。
 それからというもの、サクラとかわいい子ヤギ達は我家のペットになった。朝晩、蚊取り線香を焚いて、毎日敷き藁を取り替え、柵を広げて小屋を増築し、今ではときどき散歩もさせている。しかし、ペットというには、あまりにも労力がかかるし、言うことを聞かなさすぎるので、人にはお勧めできない。でも、毎日3リットルの乳がもらえることと草の有効利用で我家の苦労は帳消しになり、ヤギ糞堆肥というお釣があるので、やっぱり人にも勧めたい。
 草というものは、今やどこでも厄介ものになっているが、うちでは、数年前から1町歩ほどの田畑を自然農法と託けて草を排除せずに野菜と雑穀を作っている。「なぜ、草をとらないか」とよく聞かれるが、これからは、「ヤギがいるから」と答えられる。大義名分ができた。実際のところ、この草がなかったら、今時、農薬、除草剤のかからない草なんてどこで確保できただろうか。
●ヤギの冬支度 (2003年10月)

 いよいよ寒くなった。我家では、薪作りや冬の保存食の準備が忙しい頃だが、今年は子ヤギの小屋も冬に備えて増築しなくてはならない。ヤギの冬支度と書いたが、実は干し草作りは夏の仕事、もう終っている。おおかた青草は枯れてしまって、これから数ヶ月保存したものだけで暮していくことになる。初めての冬越しになるので、かなりの不安がある。
 思えば、ヤギたちにとって9月が一番楽しかったかもしれない。農作業が一段落して天候も回復し、秋晴れのよい日が続いた。夫が、大きなショイビク(昔、桑の葉を入れて運んだ竹篭)を担いで、サクラを散歩させると言う。「えーそれなら、子ヤギも!」と、慌てて私も3頭連れ出し、1km離れた田んぼまで道草を食いながらの移動になった。幸い、車も人も少ない所なので、ヤギたちは脅えることもなく、群れながら楽に連れて歩けた。日一日と色づく稲穂と八ヶ岳を見ながら、大きなショイビクに刈った草を詰めて背負い、熊手を片手に、ヤギを引き連れた夫の姿は、さながらどこかの山岳民族のようだった。そう言えば、友人が、標高1000mを超えた土地に住む人は、高地民族としての自覚を持って生活をするべきだという話をしていたのを思い出した。
 その田は3反もある広い田で、20年前に圃場整備して一度も耕作されていなかった。数年前から借り、夫がキビやヒエを作っている。初めはヤナギと石だらけで、その中に種を蒔くことの大変さから、私は2年目からその田の手伝いをするのが嫌になり、春にセリを採りに行くくらいだった。それが今では土もできていて、ヤナギのひこばえはヤギが喜んで食べている。そして何よりも草の種類の多さに驚き、当然、彼らは大喜びだった。
 しかし喜びも束の間、もう青草はなくなり、今では草を食べに連れて行くこともなくなった(諏訪湖は遠いし・・・)。今から冬用の保存食である豆ガラや干し草を食べさせることに不安を感じ、また、彼らにとって、さぞ退屈で寒くて辛く厳しい冬になるのではないだろうかと案ずる。でも考えてみれば、人間とて、つい30〜40年前までは、同じ思いで冬を迎えたのではないだろうか。スーパーで何でも安く買える現在、冬越しに不安を抱く人なんていないだろうが・・・。
●いいヤギ (2003年11月)

 ヤギの世話は、餌作りと餌やり、小屋のそうじ、乳搾り、爪切りなど手間のかかることが沢山あるが、ヤギ乳を全部飲むこともまた大変な仕事になる。
 5月に出産して2ヶ月は子ヤギ専用の乳だったが、8月には、毎日3リットル以上も搾った。「うちのヤギは“いいヤギ”だで・・・」と自慢する。絞る度に「サクラ、ありがとう」と礼を言うものの、冷蔵庫は2日で満杯になる。夫は「そんなに飲んだら体に悪いよ」と言われるほど、毎日飲んだ。でも、到底家族で飲みきれる量ではない。
 ヤギ乳は、牛乳に慣れきっている人には、草の香りがあって飲みにくいという人も多い。逆に牛乳がダメな人でも、ヤギ乳ならおいしく飲めるという人もいる。栄養的には、牛乳よりも成分が濃く、脂肪球が小さいため消化吸収がよい。また、アトピーの子どもにもよいということだ。
地域通貨を使っての販売も試みたが、ヤギ乳の需要は少なかった。プリンを焼いてみると、あっさりとした中にもコクがあり、とってもおいしい。カッテージチーズにすると、ほんのりとある癖はレモンと交わって上等なおいしさになる。パンにのせてもいいが、タルトに詰めてフルーツを飾れば立派なデザートになり、しかも低脂肪、高タンパク質のヘルシーなお菓子だ。
 そんな訳で、ヤギ乳の加工もまた一仕事になる。チーズケーキを焼いたり、レンネットをとり寄せてゴーダ、リコッタ、モッツァレラチーズ風のものも作った。私の場合は、料理が好きだからミルク三昧になったが、人によってはミルク地獄になるかもしれない。
 でも、これだけの労力と時間、お金をかけて、1年間の搾乳量は約400リットル、もしこれを販売目的とすると、一体1リットルいくらで売れば採算がとれるのだろうか。おそらく2、3千円になるだろう。スーパーでペットボトルの水よりも安く売られている牛乳を見ると、お金の価値というものがわからなくなる。きっと、牛と酪農家が泣いているに違いない。
●いい時代 (2004年1月)

 冬越しも後半になり、まだ山の様に残っているヤギの餌を見てホっとしている。昔はヤギに何を与えていたのだろうか?今うちでは、手作りの干し草の他にカボチャ、大根、キャベツ、干し菜、干し大根、くず米、古大豆、糠など人間が食べてもいい様なものを与えている。昔ではとても考えられないだろう。いい時代ということになるかも知れない。乳首が2つしかないサクラが3頭の子ヤギを育てるのを心配して、パスチャライズド牛乳を買って与えた時もあった。ヤギに牛乳を飲ませるなんて・・・とそれぞれいろいろと思うかもしれないが、肉骨粉で作った代用乳が出まわっている時代だから何でもありである。 代用乳と言えば、昔は人乳の代用になったヤギ乳、これからの時代、化学的に添加物で作られた粉ミルクを止めて、ヤギ乳で育ててみようというお母さんが出てこないかしらと期待している。
 今、いい時代のお陰で、私たちはこんなにのんびりと(本当は忙しいが)好きなライフスタイルで生活できる。高級車を買うよりもヤギを飼う方が魅力的だと思える(うちだけ?)そんな時代。
 だけど、私は心配性でイラク派兵から戦争につなげてしまう。もし戦争になり、うちのヤギの供出を迫られたら・・・ペットです、とも言えないだろう。
●ヤギとネコ (2004年2月)

 うちには、ネコが6匹いる。全部7年前に東京から連れて来たネコだが、彼らもいきなり山の中に連れてこられ、キツネに威されたりして、だいぶ苦労をしたと思う。でも、ネコは狩りの名人、慣れるにつれて、いろいろな小動物を獲ってくる森のギャングに変身した。お陰で、私は今まで見たこともない森の動物に出会えた。と言っても、多くは死んでいるのだが…。山林に人が住むということが、どれだけ野生動物を脅かすことか、改めて気づかされた。ネコを山に捨てるなんてとんでもないことだ。
 もともと私は、自給自足を夢見て来たのだが、ネコにはタイ国産の缶詰をやっている。先住の野生動物に迷惑をかけたくないとの思いもあってだが、タイには魚も食べられない人間がいるだろうに…と思うと、ますます複雑な気持ちになる。
 そんな思いがあったので、ヤギの話しがきた時には、「ベジタリアンなら問題ないだろう」と安心して貰い受けた。ところが、食べる量が半端ではなかった。よく考えれば、あれだけの巨体を草だけで維持し、なお大量の乳も出すわけだから当たり前のことだ。今のところ、ヤギの餌に関しては殆どを自給しているが、あまりにも手間がかかるので、これがいつまで維持できるのか自分でもわからない。機械に頼り、輸入の干し草を購入すれば、かなり楽になる。でも、それは私自身がコンビニやスーパーの弁当を買うのと同じ様で、気がすすまない。生活の基本はいいものを食べること。
 今は猟期、週末にはマナーを知らないハンター達がうちのまわりをウロウロして銃を放つ。ヤギは震えが止まらない。お願いだから、去年のように猟犬を置き去りにするのはやめて欲しい。
●子ヤギ誕生 (2004年2月)

 そろそろ生まれるかもしれないと準備はしていたものの、朝起きて窓から小屋の方を見ると、子ヤギが外に出ていた。慌てて行ってみると、3kg前後の子ヤギが3頭、すっかりきれいになって、サクラが面倒をみていた。出産は昼間が多いと聞いていたので、のんびり構えていた。小屋の中とはいえ、充分に寒い。生まれた子ヤギは、すぐに羊水を拭いてやらないと冷えて死んでしまうこともある。うちのサクラはたくましい。この寒い夜、一人で完璧にやってのけて平然としている。
 次に気になるのは、やっぱり性別だ。差別をするわけではないが、やっぱり今度は女の子を期待していた。3頭ともオスだった。何で?という感じだ。サクラが今まで生んだ子8頭ともオスなのだ。環境ホルモン?放射能?何かありそうな気もするけれど・・・。夫とよーく考えた結果、サクラは頭がいいから、「女の子を産むと世代交代で、自分は出荷されてハムになる」という世間話しを聞いちゃったのかもしれないという事に落ち着いた。
 まあ、とにかくこの寒い中、白いちっちゃな子ヤギが、足元をヨタヨタさせながらも元気に動きまわっている姿を見れば、性別なんてどうでもいいという気になる。小屋に取り付けた電気コタツの中でぐっすりと眠っている姿もかわいい。
 今、世間ではBSEや鳥インフルエンザが話題になっているが、これは家畜からの警告ではないかと思う。一般的な養鶏農場では、1人で1万羽の世話をするという。1万羽というと100羽の100倍、これでは、卵を拾って歩くだけで1日が終ってしまう。どう考えても、私には無理だ。7割の鶏が卵を産むとしても7000個、1個10円で出荷したとしても、飼料代、薬代、設備や容器代、諸々を引くと経営は厳しい。つまり、卵の価格が安すぎるということだ。
 問題が起こると、泣くのはいつも生産者と殺処分されて無駄死にする家畜たちだ。市場社会の仕組みの中で、消費者が「安さ」だけに飛びついた結果なのに・・・。高い携帯電話は持っているのに・・・。行列のできた280円のどんぶりに、サクラの爪の垢でも振りかけてやりたかった。
●ヤギもウシも(2004年3月)

 ヤギを飼ってみると、いろいろ気付かされることが多い。例えば、「オスヤギも乳が出るの?」と平気な顔で聞く人がいる。そして、メスヤギならいつでも乳が出ると思っている人も多い。人間もヤギも牛も哺乳動物だということを忘れている。
 子ヤギの成長は早い。3キロ前後で生まれた体重が、1ヶ月で9キロになった。つまり毎日200gづつ増えていることになる。それも3頭分だから、母ヤギは、毎日600gの血、肉、骨となる栄養素を子どもに与えているわけだ。まさに骨身を削っているのだろう。そして子が乳離れする2ヶ月をすぎると、人間用にさらに3〜4ヶ月延長して乳を出してくれる。乳用ヤギとして品種改良された結果だ。
 乳牛の場合、子は生まれてすぐに親と離されて5〜10日で代用乳に切り変えるようだ。それを思うと、うちのヤギたちは幸せかもしれない。窓の外で、子ヤギが3頭連なって猛スピードで駆け回っている。大規模酪農の乳牛は、走るどころか歩くことすら許されない環境にいるものも多いようだ。ヤギを飼ってから、どうしても牛と比較してしまう。
 狂牛病は、代用乳に羊の肉骨紛を混ぜたことから始まった。また、代用乳で育った子牛は免疫力が弱いから、病気になりやすく抗生物質を使う。狂牛病も恐ろしいが、アメリカでは、牛に抗生物質含有の飼料を与え、耳の後ろに成長ホルモン剤を埋め込んでいるという。抗生物質が残留している肉を食べ続けると、いざ病気にかかった時に薬が効かなくなる可能性があるし、成長ホルモン剤は発ガン性が問題になっている。いくら280円でもそんなものに行列を作る価値があったのだろうか。有機農業は、徐々に広まりつつあるが、同時に有機畜産の進めも必要ではないかと思う。
 山ほどあった干し草が乏しくなり、JAで輸入ものの干し草を買った。きれいな緑色に乾燥されているが、うちの子にはあまり人気がない。もらい物も結構あり、賞味期限の切れたお茶と海苔、なぜか大量のポップコーン、酸味の出てきた漬物、ボケたリンゴ、そんなものを喜んで食べている。
●春が来た(2004年4月)

 ようやく、我家の不耕起の畑に草が出てきた。タンポポ、ハコベ、ナズナ、クローバー・・・世間の嫌われものが勢揃いだが、ヤギにとっては有り難い春一番のごちそうだ。お腹いっぱい食べて、満足そうに日向ぼっこしている。
 うちのヤギは、わがままに育てたのでかなりのグルメになっている。私が料理好きなものだから、ついヤギにまで数種の盛り合わせをしてしまう。夫が主餌をやって、私がおやつや朝めし前(ヤギにとっての朝食の前のおやつ)、夜食をやっている。泥つきは食べないから洗って乾かしてから切ってやる。おいしいヤギ乳をもらうのだから、その原料にまで当然こだわってしまう。そして、確かに味は変わる。
また、変化がほしいだろうと木枝をやったり、畑に連れて行ったり、ブヨがいると火を焚いて煙で追いやる。そんなだから、一日がヤギの世話で終わってしまう様な日もある。
 昔は、人間が食べるのにやっとの生活だったので、こんな「優雅なヤギの生活」は考えられなかっただろうが、今の日本の生活というものは、かなりの余裕がある。決してうちが裕福という訳ではない。多くの人が現状に気がつかないまま、「もっと快適に、もっと便利な物を、」と求めるあまりに、「一番大切な時間と一番大事な食べ物」というものを見失っているように思える。現在の快適な生活は、なかなか手放せるものではない。だけど、この快適さの陰には、自然破壊という大きな犠牲があることを忘れないでほしい。
 身近な自然、そして身の周りに溢れている輸入食品、輸入品が来る遠い外国の自然やそこの人々の暮らしをよく知った上で、買うべきものを選びたい。
 私が食べ物を買う時は、まず環境負荷の少ない無農薬・有機栽培のものを選ぶようにしている。もちろん国産、地のもの優先、JASマークのものは、半分が輸入だ。日本の自然環境を守るという意識をもった消費者が増えることを願っている。
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